第三話 聖花術師の決闘
ウィラードに贈る福音は、誕生祭の前日に作成した物だ。
おかしな箇所はないか、何度も繰り返しチェックをしていたので、ラッピングは当日の早朝になってしまったが――箱に入れる時までは、間違いなく自分の作った福音だった。
つまり、呪いとすり替えられたのは、花祝の儀が行われた当日の朝以降。屋敷を出てから、聖堂へ呼ばれるまでの間に限られる。
その間、福音はイレーネに預けていた。
消去法で考えてみれば簡単だ。
福音と呪いを入れ替えた人物は、彼女以外にありえなかった。
しかし、証拠はどこにもない。
憶測だけでイレーネを魔女だと告発するのは、あまりにリスクが高過ぎる。
――彼女が本当に魔女なのか、真偽を確かめる良い方法はないだろうか?
そんなエリスの悩みを吹き飛ばしたのは、マリオンの突拍子もない提案だった。
『こうなったら、直接その子と戦っちゃいましょうよ』
戦うという表現は物騒だが、聖花術師にも決闘に似た勝負手段が存在する。
一対一で作品の出来栄えを競う〝花比べ〟と呼ばれる腕試しのことだ。
三代目の教皇が制定したはいいものの、無駄な諍いの火種になりかねないと、今では埃を被っている教会法だった。
見習いにも教会法は適用されるので、エリスがイレーネに勝負を申し込み、福音を作らねばならない状況を意図的に作り出す――という寸法だ。
だが、この作戦は諸刃の剣である。
エリスの見立て通り、イレーネが本物の魔女なら万事解決で済む。
問題は、イレーネが何事もなく福音を作り出した場合だ。
魔女と疑った時点でこの上ない侮辱となり、教会法のもと、莫大な慰謝料を要求されるかもしれない。
しかし、その不安は杞憂に終わった。
『心配しなくても、あんたの妹弟子を指名する正当な理由ならあるわよ』
頭の回転が速い参謀のマリオンは、次から次へと計画を立てて行く。
聖リュミエール王国には腹違いの王子が二人いる。
第一王子はウィラード・ルネ・ランドルリーベ、第二王子はクリストファー・ロス・ランドルリーベと言う。
王位継承権は国王の指名制なのだが、未だ、どちらが次期国王になるのか決まっていない。
同い年で誕生日が一ヵ月しか違わず、母親の身分にも大きな差がある。
過激な派閥争いもあるせいで、国王も安易に後継者を選定出来ずにいるのだとか。
『実はエリスの師匠と妹弟子、今も王宮に滞在してるの。ほら、来月にはクリス様の誕生祭が行われるでしょ? 魔女は依然逃走中で危険だけど、クリス様だけ花祝の儀を中止には出来なくてね。そこで、呪殺からウィルを守ったバッツドルフ殿が、急遽呪い専門の護衛役に任命されたのよ』
ギーゼラは先日の花祝の儀で、自身が作成した福音を使用してウィラードの命を救った。故に、彼女は魔女の容疑者から外れる。
しかし、門下生という立場でギーゼラの付き人をしているイレーネは、聖花術師の能力を精査されていないらしい。
『見習いでも福音は作れるんだから、安全確認はするべきでしょ。イレーネ・ベーレントの力量を審査する目的で花比べの相手に指名すれば、あちらさんもそう簡単に断れないわ。この件を、ウィルから国王陛下に進言してもらえば、より確実に事は進むでしょうね』
結果だけ述べれば、予言レベルでマリオンの言った通りになった。
……いや、それ以上のとんでもない事態に発展した。
なんと、六花枢機卿全員を巻き込んで、エリスの無実を再度証明することになったのだ。
計画立案者のマリオン曰く、
『今でも一部の頑固者が、エリスを疑ってピーピー騒いでるのよ。いい加減黙らせたいから、目の前で福音を作ってやってちょうだい。そうすれば、完全にあんたの魔女疑惑は晴れるわ。妹弟子の正体を探りつつ、名誉回復も出来るんだから、これぞまさしく一石二鳥ね!』
――だ、そうな。
確かに、六花枢機卿全員の前で福音作りを披露するのは名案だ。
教皇に諭され、渋々エリスの無罪を承認した者を、本心から納得させる良い機会となるだろう。
今回の花比べはウィラードが着想を述べ、許可を下した国王が主催者となった。
福音を作るからには依頼人が必要不可欠なので、それも国王が指名して決定したのだが……まさかの人選に、素っ頓狂な悲鳴を上げたのは記憶に新しい。
(王妃様達を依頼人にして、自分へ向けた福音を作らせるなんて……国王陛下は随分と豪快なお人柄をしてるのね)
当日の警備は国王直属の彩華騎士団が総出で行う。
六花枢機卿全員が勝負を見届けるため、福音作りの監視も完璧だ。
外部から呪いを持ち込むことも、新たに呪いを生み出すことも、どちらも不可能な状況である。
それにしても――……。
鉄壁の安全が確保されているとはいえ、王族が一介の聖花術師の勝負に参加するとは――前代未聞の珍事として、歴史に残るかもしれない。
(私の依頼人は、ウィラード様の御母君。第二王妃のナターシャ様だったよね)
花比べは三日後に行われる予定だ。その間エリスはマリオンの屋敷で匿われながら、勝負で扱う聖花を育てることになった。
しかし、依頼内容を聞かなければ種も撒けない。
福音は花言葉を慎重に選んで、依頼人の願いに沿った花を育てる必要があるからだ。
――そんなわけで。
先ほどからエリスは、ガタガタと四頭立ての馬車に揺られていた。
窓のカーテンがしっかりと閉められた車内で、マリオンと向かい合って席に着いている。屋敷に滞在中は、ウィラードやジュダと別行動になるので、彼がエリスの護衛を務めているのだ。
『どういうワケか、あたしって敵が多いのよねぇ。お陰で文武両道を極めちゃったの。手練れの暗殺者相手でも守ってあげるから、安心して自宅のようにくつろいでね』
――と、ロッドを勢い良く素振りしながら言われた。
蒼い六花の輝石が煌めくロッドは、枢機卿の身分を示す貴重品のはずだが、マリオンからしてみれば手に馴染む鈍器らしい。
本日もロッドという名の鈍器を手に、蒼の枢機卿は艶やかに微笑む。
「ウィルってば相変わらずセンス抜群ね。そのドレス、あんたに似合ってるわよ」
「そ、それはどうも……」
どもりながら返事をすると、マリオンの笑みが更に深くなる。
「うちのメイド達も大健闘だわ。着付け、お化粧、髪のセット、小物のチョイスまで。どれも完璧。これならいざという時、エリスをうちの遠縁の親戚って紹介しても大丈夫そうね」
プロイツ家の紋章が彫金された馬車は王城を目指して走っている。
第二王妃ナターシャへの謁見の許可が下りたので、福音に込める願いの要望を伺いに向かっているのだ。
相変わらず、エリスの無実は公に報じられていない。魔女を捕らえるまでは身の安全を第一に考え、発表を先延ばしすると決めたからだ。
花比べに関わる限られた人物にも、厳しい箝口令が敷かれており――今も、魔女に存在を気取られぬよう変装中だったりする。
(この格好なら、誰も私だって気付かないよね)
今のエリスが纏っているのは、貴族向けに作られた品の良い薄藍のドレスだ。
ナターシャとの謁見の日取りが決まった際、ウィラードから贈られた物である。
つばの広い帽子をかぶっているので、少し俯けば顔の半分は影に隠れてしまう。
仮に顔をはっきり見られたとしても、二時間近く掛けて、メイド達が入念に化粧を施してくれたのだ。
身支度が整い姿見に映る自分と対面させられたエリスは、良い意味で「別人がいる!」と驚かされた。
「そろそろ到着するわよ」
カーテンをわずかにめくり、車外の様子を窺ったマリオンが呟く。
彼の一言でエリスの思考が切り替わった。
ここから先は仕事の時間だ。何時如何なる場合でも私情を挟まず、真っ新な気持ちで依頼に取り組む。
頭の中がとっ散らかったままでは、気もそぞろになり、決して満足の行く作品は完成しないからだ。
(私はいつも通り最善を尽くすだけ。聖花術師の仕事に、特別は存在しないんだから)
師匠であるギーゼラの教えを、胸中で噛み締めるように唱える。
エリスの心の準備が整うと、緩やかに速度を落としていた馬車が完全に停車した。




