第二話 本物の魔女は誰なのか?
「ウィルも好きで意地悪してるわけじゃないの。むしろ、平和ボケしてるあんたを守ってくれてるんだから、大いに感謝しないと天罰が下るわよ?」
「……それって、どういう意味ですか?」
マリオンが何を言わんとしているのか、エリスは自分なりに理解しようと思考を巡らせる。
しかし、思い当たる節は見当たらない。
観念したエリスが言葉の真意を尋ねると、マリオンは額に手を当て呆れた様子で首を左右に振った。
「まったく、鈍いんだから。実際に呪殺されかけたウィルは勿論のことだけど、第一王子暗殺未遂の罪をなすり付けられたあんただって、立派な魔女の被害者じゃないの」
「――っ!」
言われてみればその通りだ。
自分の福音が呪いとすり替わっていたせいで、弁明の機会も与えられず、問答無用で教会に魔女として捕らえられた。
ウィラード達が独房を訪ねてきなければ、今頃、火刑に処されて骨だけの姿になっていたかもしれない。
無実の証明という最後の切り札があっても、権利を行使する前に猿轡を噛まされたら、そこで何もかもが終わっていた。
(そっか、私も魔女に殺されかけたんだ……)
火あぶりを実行するのは教会だが、その原因を作ったのは本物の魔女だ。
ウィラードだけでなく、自分の命も魔女に脅かされた。その事実を理解した途端、全身の血液が凍り付いた錯覚を抱き、強烈な寒気が背筋を走り抜ける。
底知れない恐怖の渦に呑み込まれたエリスは、全身を小刻みに震わせながら胸元できつく指を組む。
しかし、無慈悲にも魔女関連の悪報は続く。
「花祝の儀で開栓役を務めていた大司教を覚えているかな? 彼もあの後、教会に身柄を拘束されたのだが……投獄から僅か一時間後、尋問中に突如苦しみ出して亡くなった。死因は呪殺で間違いないそうだ」
「え……」
沈痛な面持ちでウィラードが語った内容に、ドクリと心臓が嫌な音を立てた。
明確な犠牲者が出たと知り、エリスは顔面蒼白で唇を戦慄かせる。
腰掛けている椅子をベッドの真横へずらしたウィラードは、細く震えるエリスの手を取ると、剣ダコのある自身の手で優しく包み込んだ。
「怖がらせてすまない。けれど、大司教の死は君と無関係ではないんだよ。大前提として、開栓役に任命される聖職者は、福音と呪いの判別が可能でなければならない。詰まるところ彼の大司教は、君が提出した福音を呪いと知った上で、一切躊躇いもせずに開けたんだ」
「……どうして大司教様は、そんなことをしたんですか……?」
「それは、私にも分からない。彼は動機を明かす前に亡くなってしまったからね。だから、これから語るのは単なる憶測だよ」
まるで壊れ物でも扱うように、エリスの冷え切った小さな手を、一回り近く大きな手で撫でさすりながら。
ウィラードはどこか物憂げに目を伏せ、淡々と言葉を紡ぎ続ける。
「大司教も私の暗殺計画に加担していたのだろう。利害の一致で彼と魔女が協力関係を結んでいたのであれば、呪いの作り手と呪殺を実行する者が揃うからね」
「待って下さい。それだと、魔女が大司教様を呪殺する理由がありませんよね? だって、二人は仲間じゃないですか」
「大司教は魔女を利用しているつもりで、逆に利用されていた――と、私は考えている。信頼していない相手だからこそ、魔女は密かに大主教を呪ったのだろう。自身の素性や思惑を外部に漏らされぬよう、秘密の暴露が呪いの発動条件だった可能性が高い」
ウィラードが語り聞かせてくれたのは、あくまで彼が導き出した予測に過ぎない。
けれど、この上ないほど真実味があり、エリスの強張った身体がぞわりと総毛立った。
(もし、ウィラード様の予想が当たっていたら……)
大司教の死は、完全なる蜥蜴の尻尾切りだ。
ウィラードの暗殺未遂や、その罪を自分になすり付けようとしたことも許せない。
だが、協力者も最初から裏切ると決め付け、命を刈り取る呪いを仕込んでおくとは……魔女になった聖花術師は、どこまで自らの魂を穢せば気が済むのだろう。
元々は国教神に選ばれた特別な女性で、人々に数多の幸せ届けていただろうに――……。
胸の内で恐怖と悲哀の情が複雑に混ざり合い、エリスは遣る瀬無い思いで下唇を噛む。
「魔女に慈悲の心は存在しない。身代わりにしたはずの君が、無実を証明して極刑を免れたと知られでもすれば、今度こそ確実な手段を講じて命を奪いにくるだろう。恐らく、口封じをしなければならないほど、エリスは魔女と近しい間柄のはずだ」
「そ、そんな! 私の知り合いに魔女がいるなんて――……」
ありえない――と、思いたかった。
しかし、脳裏に思い浮かんでしまった。
唯一人、魔女の可能性がある人物の姿が。
(違う、そんなはずない! だって、だって……っ!)
悪い憶測を否定する要素を必死に探すが、記憶を遡れば遡るほど逆効果だった。
自分は彼女について何一つ知らない。
福音を作っている姿も、聖花を育てている姿も、一度だって見掛けたことが無かった。
聖花術師に必要な能力を持っているのかすら、今となっては怪しく思えてしまう。
(なんで? どうしてなの? 疑いたくなんかないのに……)
血の気が失せた顔色で、ギュッと拳を握り締める。
そんなエリスの華奢な手を、己の大きく無骨な手で包み込んだまま。あくまでも落ち着いた態度を崩さず、ウィラードが労わるような声音で問う。
「その様子だと心当たりがありそうだね」
「で、でも! 私、信じられなくて……っ!」
「では、聞き方を変えよう。エリスが思い浮かべている人物が魔女だったとしたら、助けてあげたいと思うかな?」
「当然です! 見捨てる事なんか出来ません!」
微かに涙の粒を滲ませて、エリスは強い語気で即答する。
それなら――と。
ウィラードが彼女の手を、更にしっかりと両手で包み込む。
「その人を救うためにも、心当たりを教えてくれないだろうか? 身の内に巣食った憎悪に突き動かされ、魔女自身も自らの意思で止まれなくなっているんだ。本当にその人を想うのであれば、君が止まるきっかけになって欲しい。これ以上、罪を犯させないためにも」
「……っ!」
実直で力強い言葉に胸を打たれ、エリスの呼吸が一瞬止まった。
そうだ。すべて、ウィラードの言う通りじゃないか。自分が彼女を庇い続ければ、その間にも、他の誰かが呪いの災禍に見舞われるかもしれない。
今は魔女に堕ちてしまったとしても。以前は誰かの幸せを心から願える、清らかな魂の持ち主だったはずだ。
――かつて福音を生み出していた聖なる手を、これ以上、恨み辛みで穢させてはならない――。
「花祝の儀が行われた当日、私が作った福音に触れた人物は一人だけでした。呪いとすり替えるのも、彼女にしか出来なかったはずです」
震えそうになる喉に力を込めて、一音、一音、慎重に言の葉を紡ぐ。
一旦、深呼吸をして覚悟を決めたエリスは、ついに脳裏に浮かぶ人物の名を口にした。
「私が魔女だと思っているのは、同門の妹弟子――イレーネ・ベーレントです」




