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第一話 前途多難な無罪放免

 教会の調合室で昏倒したエリスは、マリオン個人が所有している邸宅に運び込まれた。


 心身共に疲弊しきっていたせいだろう。意識が無いままメイドに身を清められ、上質な絹のネグリジェに着替えさせられたエリスは、客室の豪奢なベッドで昏々と眠り続け――……、

 次に彼女が目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。






   ✿   ✿   ✿






 広々とした客室には家主であるマリオンは勿論のこと、ウィラードやジュダの姿まで揃っている。

 ジュダは主の警護をしているだけだろうが、ウィラードは気絶したエリスを心配して、昨日から片時も離れず付き添っていた。


「君の助力を無駄にしてしまい、本当に申し訳ない!」


 クッションを挟み、ベッドヘッドに背を預けているエリス。

 そんな彼女へ向かって、ベッド脇に姿勢よく立っているウィラードが、腰を直角に曲げて深々と頭を下げた。

 エリスが目覚めてから延々と、彼はこの調子で謝り続けている。


 理由は、首を垂れる度に揺れる獣耳と、丈の長い上着の裾から覗くモフモフの尻尾にあった。


(まさか、解呪が完璧じゃなかったなんて……)


 そうなのだ。

 二度目の解呪も一時的なもので、ウィラードは再び半獣の姿に戻っていた。


「あの……私は本当に何も気にしていませんから、もう謝らないで下さい。何より、気を落とされているのはウィラード様でしょうし……」


 ウィラードは呪いを解く手段を探しているだけで、いたずらにエリスを弄んだわけではない。

 そんな彼を、どうして責められるだろうか?


(自分が同じ立場だったら……って考えると、怒るに怒れないよね。解呪の可能性が少しでもあるなら、それに賭けてみたくなるのは仕方ないもん)


 聖花術師(せいかじゅつし)が職業として確立されてから五百年。

 最初の魔女が確認されたのも、同じく五百年前だと伝え聞いている。


 多くの聖花術師が生涯をかけて探し求める解呪法。

 それが、単なる口付けであるはずがないと、エリスは最初から知っていた。おとぎ話の定番として描かれる手法なので、過去に幾度も試されていると、聖花術の歴史書で読んだ記憶があったのだ。


(でも、ウィラード様の呪いが一瞬でも解けたのは事実なんだよね。口付け以外で解呪に繋がる条件があったのかな?)




 ――だとしたら、それはどんな条件なのだろう?




 エリスが深い思考に沈みかけていた時、「そこまで」と中性的な声が室内に響いた。


「ウィル、しつこい男は嫌われるわよ? どんなに誠意を込めて謝っても、それで相手を困らせてたら意味がないじゃないの。エリスも『気にしてない』って言ってくれてるんだから、折角の厚意を無下にするのは逆に失礼でしょ」


 沁み一つない純白のローブを翻し、頭を下げ続けているウィラードの隣に立ったのは、権力の亡者――もとい、最年少枢機卿のマリオンだ。

 ウィラードの背後に控えているジュダも、「殿下のお気持ちは十分に届いているはずです」と加勢した。


 最後にエリスが「どうか頭を上げて下さい」とダメ押しで告げる。

 すると、お辞儀をしたままだったウィラードが、ようやく姿勢を元に戻した。


「君は本当に優しいね。許してくれてありがとう」


 獣耳を頭の後ろにぺたりと倒し、どこか困ったように微笑む青の王子。


 無性に庇護欲を掻き立てる表情を目の当たりにしたエリスは、すかさずウィラードの顔面から視線を逸らした。

 礼を失する行為なのは百も承知だが、だって仕方ないじゃないか。彼の美しい御尊顔を見ていると、口付けの瞬間を鮮明に思い出してしまうのだから。


 羞恥心が高まって、幻想花(げんそうか)を暴発させるような事態は避けたい。


「さあ、時は金なり! サクサク本題に入るわよ。ほら、ウィルから話すんでしょ?」


 明るい声音で場を仕切るマリオンは、ベッド脇に置かれた青いベルベッドの椅子へ、立ちっぱなしのウィラードを座らせる。

 軽く咳払いをして気持ちを切り替えたウィラードは、今し方までの弱気な表情から打って変わって、研ぎ澄まされた剣を思わせる凛然とした面差しになった。

 途端、室内に漂う雰囲気がピンッと張り詰める。


 ――何やら、恥ずかしがっている場合ではなさそうだ。


 これにはそっぽを向いていたエリスも、慌てて居住まいを正した。


「君が眠っている間に、私の独断で色々と動かせてもらった。その結果を心して聞いて欲しい」


 しんと静まり返った客室に、ウィラードの低く透明感のある声が厳かに響く。


「教会側は〝無実の証明〟で作成された福音とマリオンの証言を基に、教皇様と六花枢機卿で再審を行った。言うまでもない事だが、『エリス・ファラーは魔女に非ず』と、正式な判決が下されたよ」

「ほ、本当ですか?」

「難色を示す者は何名かいたようだが、教皇様が『証拠がすべてを物語っている』と、率先して取りなして下さったらしい。今後、君の名誉回復が図られる予定だが――……それは、一時保留にしてもらっている」

「えっ」


 身の潔白を示し、教会の上層部も誤審を認めた。


 散々な目に遭ったが、これでいつも通りの生活に戻れる。

 急速に嬉しさが込み上がり、喜びの色に染まった幻想花が咲きかけた……が、吉報の締めの言葉に水を差された。


「魔女に関する噂はあっという間に広がるので、一刻も早く公に私の魔女疑惑を撤回してもらわないと困ります! そうじゃないと、工房に帰っても世間から誤解されたままで、仕事の依頼を受けられなくなっちゃいますよ!」


 相手が一国の王子だろうと、食い扶持に関わる大問題である。

 あれだけ恐れていた不敬罪など頭から抜け落ち、病み上がりの身体に鞭打ってエリスは力説した。


 聖花術師は人気商売である。だからこそ、些細な悪評も立たないように、誰もが聖職者として相応しい清廉潔白な生き方を、常日頃から心掛けていた。

 一度でも信頼を失えば、余程の事情が明らかにされぬ限り、去った依頼人は戻ってこないからだ。


(落ちこぼれなりに教会が斡旋してくれる依頼をこなして、やっと安定して仕事が受けられるようになったのに……このままだと、聖花術師として生きて行けなくなる! それに、魔女を出した工房だって噂が広まれば、師匠とイレーネにまで迷惑を掛けちゃうよ……)


 ――いや、既にかなりの迷惑を掛けているに違いない。


 自身の今後は一旦脇に置いておくとして。

 大恩のある師匠と前途ある後輩を、これ以上、厄介事に巻き込んでなるものか。


 決意を新たにしたエリスは、未だ重怠い上体を懸命に起こして、再度「早急に魔女疑惑の撤回をして下さい!」とウィラードに頼み込む。

 次の瞬間、盛大な溜め息が聞こえたかと思えば、しなやかな白い手が伸びてきて、折角起こした身体をベッドに押し戻される。


「こーら。まだ本調子じゃないんだから、大人しく横になってなさい」


 何をするんだと不満げに見上げた先では、笑みを消した真顔のマリオンが佇んでいた。

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