表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/56

第七話 癒しの福音

 黒い革製の手袋に包まれたジュダの無骨な手が、慎重にコルクの栓を引き抜く。

 次の瞬間。黄色と青色の花弁を舞い散らす風が、瓶の中から勢い良く吹き出した。


(……この、光景は……)


 足元から頭の先まで、二色の花弁を孕んだ風が螺旋状に吹き上がる。

 時間にすると僅か数秒の出来事だが、ジュダの脳内では様々な光景が浮かんでは消え、時には声まで鮮明に聞こえていた。


 ジュダが見たのは蒼華騎士団の部下達と、命を懸けて守ると誓った主。そして、顔を合わせれば嫌味ばかり垂れ流す、腐れ縁で繋がったマリオンの姿だった。


 稽古中、「団長も少しは休憩を取って下さい」と進言する部下達からは、薄ぼんやりとした手のような物が胸の辺りから伸びている。

 場面が移り変わり、主から「困った事があればいつでも相談に乗るぞ」と微笑み掛けられた時や、マリオンに「体調管理も仕事のうちよ」と飴玉を口の中へ押し込まれた時も――全員の胸から手の形をした靄が出ていた。


 福音を開けるまですっかり忘れていた、過去に交わした些細なやり取りのはずだ。

 しかし、当時の自分は胸から伸びる手の靄など見ていない。福音が見せている幻影なのは明らかだが、意図が掴めずに困惑する。


(打ち合わせ中、やたらと仕事の事や人間関係について聞いてきたかと思えば……こんな昔の記憶を見せて何がしたいんだ?)


 そんなことをジュダが胸中でぼやいていると、やり取りの続きが再生され始めた。


 休憩を勧めてきた部下達に、過去の自分は「そんなもの必要ない」と素っ気なく言い放つ。

 主に対しても似たようなもので、「御心配には及びません」と一礼をして会話を終了させた。マリオンに対しては「何をする!?」と怒鳴り付ける始末だ。


 当時の自分の顔が見えたが、我ながら酷いありさまだと目を覆いたくなった。必死で押し隠しているつもりだろうが、表情に疲労感が色濃く滲み出しているではないか。

 周囲の人々がこぞって声を掛けてくれたのは、己が身を案じてのことだったのか――と、今更ながらに納得する。


(もしや……あの透けている奇妙な手は、俺に向けられた救いの手なのか?)


 謎に包まれていた靄の手の正体に気付いた途端。今度は過去の自分の胸元からも、透明な腕がするりと伸びた。

 手には剣のような物体が握られており、我が身へ差し出された多くの救いの手を、一切の躊躇いも無く斬り捨ててしまう。


 部下や主、嫌味な腐れ縁。

 彼らから伸ばされる靄の手は、何度斬り落とされてもすぐさま元に戻る。諦める素振りすら見せず、「どうか頼って欲しい」と常に手を取られるのを待ってくれていた。

 どれほど冷たくあしらっても、意固地な自分を支えようとしてくれる身近な人々の思い遣りに、強く魂を揺さぶられる。ありがたいことだとしみじみ感じる――と同時に、彼らの手を素直に取ろうとしない過去の自分が、非常に腹立たしく思えた。


(周囲の者達からこれほど大事に想われていることを、どうして俺は気付かなかったんだ?)




『では、〝今の貴方〟は差し伸べられた仲間の手を取れるのですか?』




 過去の自分の所業を胸中で責めていると、聞き覚えのある娘の声が頭の中で響き始める。

 魔女の烙印を押されて尚も、聖花術師(せいかじゅつし)の誇りを失わずにいた――生気に溢れる翡翠色の瞳が印象的な、エリスと言う名の娘の声だ。


『貴方は責任感が強く、なんでも一人で抱え込み過ぎています。……きっと今も、伸ばされ続けているはずですよ。騎士団長という重責を負う貴方の身を案じ、懸命に支えようとしている、固い絆で結ばれた人々の手が』


 これは花言葉の組み合わせで作られた、術者から依頼人に向けられたメッセージだ。


『貴方の側にいる人達は、そんなに頼りないですか? 違いますよね。貴方の安らぎは彼らの安らぎにも繋がります。だって、皆さんが願っているのは貴方の幸せなのだから。だから、忘れないで下さい。貴方にはいつだって助けてくれる仲間がいることを……』


 エリスの声が聞こえなくなると同時に、頭の中で再生されていた過去の記憶も止まる。

 身体の周囲を駆け巡っていた風も、最後はシャボン玉が弾けるようにふわりと四散した。


 全てが終わった時、胸にストンと答えが落ちてくる。


(今の俺は、昔と何一つ変わっていない)


 神殿内へ魔女の侵入を許した自分を誰も責めなかった。むしろ、必要以上に己を責めている自分を、誰もが止めようとしてくれたではないか。

 そんな彼らの声に耳を貸さず、不甲斐無い自分自身と冤罪を叫ぶ魔女を重ね、勝手に激しく憎悪していた。


 今回も自分は、差し伸べられた救いの手を斬り落としていたのだろう。


(守るべき者の手を斬るとは、騎士にあるまじき行いだな)


 ひらり、はらり――と。

 黄色と青色の花弁が、空中で舞い踊りながら泡沫の如く消えてゆく。


 ジュダは儚く美しい夢のような情景を、暫し無言で眺めていた。






   ✿   ✿   ✿






 ジュダが開け放たれていた福音に栓をする。

 幻影の世界に引き込まれていた意識が、無事、現実に戻ってきたようだ。


「俺が依頼した福音の効果は【癒し】のはずだが、お前が選んだ花の中に、癒しの花言葉を持つ物は含まれていないだろう? それは何故だ?」


 何の前置きもなくジュダから端的に問われ、エリスは内心で驚いた。

 指摘された通り使用した三種類の花に、癒しの花言葉は含まれていなかったからだ。


 花には本数や色も含めて、多くのメッセージが込められている。

 それらをパズルのように組み合わせて、依頼人が希望する効果を引き出すことが、福音作りで最も重要な作業だ。


(枢機卿のマリオンさんならともかく、ジュダさんに見抜かれるなんて思わなかったわ)




 白妙菊は【あなたを支える】。

 勿忘草は【私を忘れないで】。

 ルピナスは【多くの仲間】【あなたは私の安らぎ】。




 これらの花言葉を使って作り出したのが、今し方、ジュダの頭の中で流れたメッセージだった。


 福音のデザインにも意味がある。

 三本のルピナスは依頼人であるジュダ本人と、長年に渡り彼と親交を結ぶウィラードとマリオンを示す。星くずのように散らされた白妙菊と勿忘草は、ジュダに好意的な人々――主に、騎士団の部下をイメージして飾った。


「確かに、その福音は癒しの花言葉を使用していません。理由は、ジュダさんが必要としている癒しは、もっと奥が深い物だと判断したからです。打ち合わせ中にお聞かせ頂いた会話の内容から、私なりに癒しの正体を導き出したつもりでしたが……ご満足頂けませんでしたか?」


 エリスが恐る恐る尋ねると、ジュダはどこか決まりが悪そうに後ろ頭を掻く。

 何事か言いにくそうに「あー……」と数秒唸った後、彼は腹を括って声を上げる。


「もし、マリオンが教会の上層部連中にやり込められでもしたら、俺が代わりに蒼華騎士団の長として証言してやろう。お前は依頼通りの福音を作る、正真正銘の聖花術師だ――と」

「……――っ!」


 散々魔女呼ばわりしてきた堅物騎士団長が、初めて自分を聖花術師と認めてくれた。


 息が出来ないくらいの喜びで、胸が一杯に満たされて苦しい。

 感激のあまり涙腺が緩んで涙が零れそうになるが、まずはお礼を言うべきだと、ジュダに頭を下げようとした時だった。


(あ、れ……?)


 軽い眩暈がしたかと思えば一気に血の気が下がり、エリスの全身から冷や汗が噴き出す。次いで、目の前が一瞬で闇色に染まり、脱力した身体は前のめりに傾ぐ。

 体内を循環する神力を大量に消費したせいで、貧血の症状が出てしまったようだ。


「危ないっ!」


 逼迫した声でそう叫んだのは、エリスの一番近くにいたウィラードだった。


 彼は咄嗟にエリスの腰元へ腕を回し、己の胸元へ彼女の身体を抱き寄せる。

 その弾みで、力が抜け切っていたエリスは足をもつれさせてしまい、反射的にウィラードにしがみ付いたのだが――ふにっと、柔らかい感触を唇に感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ