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第六話 調合開始

 軽く瞼を閉ざして一度だけ大きく深呼吸をすれば、徐々に神経が研ぎ澄まされてゆく。

 ピンッと糸が張ったような感覚がして、エリスは静かに翡翠色の双眸を開いた。


「これから調合作業に移ります」


 厳かに宣言したエリスは、器に選んだ丸い瓶を手に取った。


 聖花術師(せいかじゅつし)が作る福音は、見た目こそ植物標本のハーバリウムに似ているが、制作過程に大きな違いがある。


(さすが、教会の備品ね。どれも手に馴染んで使いやすいわ)


 長いピンセットでアルコールに浸した脱脂綿を挟み、瓶の内側を念入りに拭く。

 内部の汚れを取り除くと同時に消毒も済ませると、今度は卓上へ清潔な布をばさりと広げ、その上に用意してもらった花を並べる。


 ふんわりとしたシルバーリーフが特徴的な白妙菊に、良く晴れた春の空を連想させる鮮やかな水色の勿忘草。そして、真っ直ぐ伸びた花穂で青い濃淡を生み出すルピナスが、今回使用する三種類の花だ。

 デザイン通りに配置するべく、まずはハサミで茎の長さを調節する。

 今回は白妙菊の葉も装飾に使うので、イメージに合う部位を厳選してカットした。


(うーん……シルバーリーフだけじゃ、小さな花の固定は無理そうだなぁ。神力はオイルを入れる時まで使いたくなかったけど、これだと溶繭(ようけん)が必要だよね)


 溶繭とは神力を繭状に紡いだ物を指す。

 文字通りオイルに浸すと溶けてしまうので、花を固定する際に用いられる。


 茎を切り終えてハサミをかたすと、エリスは両手をお椀の形にした。すると、手のひらがぼんやりと光を放ち、シュルシュルと金色に煌めく細い糸が生成されてゆく。十分な量の糸が出来あがると、手のひらの発光が収まり糸の放出も止まる。

 小分けした糸を潰さないように手のひらで丸めたら、黄金色に輝く溶繭の完成だ。


(ここからが腕の見せどころよ)


 瓶が動かないように左手を添えると、右手に持ったピンセットで白妙菊の葉を摘まむ。

 白い繊毛が葉の表面を覆っており、白銀にも見えることからシルバーリーフと呼ばれているそれを、瓶の底へ丁寧に敷き詰める。


 多過ぎず、少な過ぎず。

 メインとなる花が隠れないように葉を並べると、次は長さが微妙に違う三本の青いルピナスを、瓶の曲線に沿わせるよう慎重に寄り添わせた。

 今度は、作ったばかりの溶繭をルピナスの根本に一つ置く。繭の隙間に白妙菊と勿忘草をバランスよく差し込むと、配置した花の上にも繭を載せ、同じ作業を何度か繰り返す。繭は羽よりも軽いので花を潰す心配はなかった。


 最後に、花の角度を微調整し終えたエリスはピンセットを台の端に置く。

 そして彼女は、細心の注意を払いつつ広口の瓶にゆっくりとコルクで栓をした。


(よしっ、気合を入れて最後の仕上げといきますか!)


 ハーバリウムで使用されるのは、乾燥させた花と専用のオイルである。

 しかし、福音に用いられるのは色鮮やかな生花で、オイルも神力から生成される神秘の液体だった。


 聖花術師が己の神力を溶かした聖水で育てる聖花(せいか)は、成長段階から術師の力を宿しているので、福音作り中のオイルを注ぐ作業はさほど苦労しない。だが、普通に育てられた生花を使用するとなると、話はまったく違ってくる。

 オイルを注ぎながら、瓶の中の植物すべてに十分な神力を浸透させる必要が生じるからだ。


 内包する神力の量が少なければ福音として効果が発揮されないので、生花での調合には相当の覚悟が必要となる。

 体内の神力を空にするつもりで、普通の花を聖なる花に変えるのだから、調合途中で昏倒する者も少なくない。


(マリオンさんは休憩しても大丈夫って言ってくれたけど、オイルを入れ始めたら作業の中断はできないわ。そんなことをしたら、聖花になりきってない花が痛んじゃう)


 限界まで神力を絞り尽くしても、福音が完成するまで意地でも倒れるものか。

 気絶したら最後――独房へ逆戻りとなり、今度こそ火刑に処されて骨と灰だけになってしまう。


 それに、一度受けた依頼を途中で放棄するのは己の主義に反する。


(絶対に大丈夫。私なら必ずやり遂げられる)


 密封した瓶を優しく両手で包むと、体内を巡る神力を手のひらへ一点集中させる。

 溶繭を作成した時よりも眩い金色に手のひらが輝き始めると、エリスは厳かに祝詞を紡ぐ。


「花の女神フロス・ブルーメよ。汝が司りし彩花の恩寵を、ジュダ・グレーデンに授け賜え」


 祈りの言葉を唱えきった途端、コポッと瓶の底から金色に発光する液体が湧き出す。

 この液体こそ神力から作られたオイルであり、蓋がされた瓶の中をゆっくり迫り上がりながら、ただの生花を聖花へと変えてゆく。


「く……っ!」


 瓶表面を包み込んだ手のひらから、瓶の内側へ神力を流し込むエリスは、眉根を寄せてきつく唇を噛み締める。

 まだ瓶の半分しかオイルに漬かっていないのに、身体が鉛の如く重怠くなり、視界が霞んで意識が朦朧としてきた。


(思ってた、以上に……苦しい……! だけど、挫けるもんか……っ!)


 大粒の冷や汗が額に滲んで頬を伝う。

 血の気が引く感覚にふらつきかけるが、無理やり両足に力を込めて踏ん張る。

 呼吸も浅く短くなり、目の前に闇が落ちかけた――……刹那、エリスの翡翠色の瞳に、花の女神の紋章が浮かび上がった。


 紋章が虹色に輝くと同時に、瓶の中が完全に神力のオイルで満たされる。


 聖花術師の瞳に現れる紋章の意味。

 それは、花の女神が祈りを聞き届けた証だと伝えられている。


「……でき、ました……」


 瞳の紋章と手のひらの輝きが収まると、神力の放出も自然に止まった。


 ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返しながら、エリスは完成したばかりの福音を、まずはマリオンの元へ持って行く。作った物が呪いでないと確認してもらうためだ。

 福音を受け取ったマリオンは、長い睫毛に縁取られた紺碧の双眸を眇め、瓶の中を隅から隅まで真剣に調べ始める。その横顔は破天荒なオネェから、六花枢機卿の一席を預かるに相応しい、真剣味を帯びたものへと変わっていた。


「大事な最終検査だから、少し乱暴に扱っちゃうけど許してね」


 エリスが呼吸を整えつつ頷くと、マリオンはいきなり福音を逆さまにする。

 溶繭がオイルに浸透して消えた今、花を支えるものは何もなかった。しかし、福音をどれだけ乱暴に扱ったとしても、微かに揺らめいた花はすぐ定位置に戻る。


 オイルに宿る神力が半永久的に形状を記憶させるのだと、エリスは見習い時代に師匠のギーゼラから教わっていた。


「花のすり替えはされていないし、オイルの変色や不純物の混入も見当たらない。神力が綺麗な金色に光っていたのも確認済み。瞳に紋章が浮かび上がったことから、未だにあんたは国教神様の寵愛を受けている」

「そ、それじゃあ……っ!」

「蒼花枢機卿、マリオン・プロイツが宣言する。工房リデルの門下生エリス・ファラーは、断じて魔女にあらず。全責任は判断を下した教会側にあると認め、名誉回復の力添えは惜しまぬとここに誓おう」

「~~……ッ!!」


 感極まったエリスの瞳に、じわりと嬉し涙が浮かぶ。

 胸一杯に押し寄せた達成感は、ポポポンと色とりどりの幻想花(げんそうか)へと変じ、一瞬にして空中を鮮やかに彩った。


 幻想花まみれになっているエリスに、検査を終えた福音をマリオンが返す。


「あたしとしては、一刻も早く他の枢機卿連中や教皇様にこの福音を見せて、出世の階段を悠々と上りたい所だけど――折角だし、ジュダに使ってからでいいわよ。使用済みでも福音かどうかの判別くらい可能だもの」


 そう告げたマリオンは、茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。

 彼の粋な計らいに「ありがとうございます」と頭を下げたエリスは、ウィラードの傍らに控えるジュダの元へ歩を進める。


「ジュダ・グレーデン様、お待たせ致しました。こちらが貴方様のためだけにお作りした、世界で唯一つの福音で御座います。どうぞ、お受け取り下さい」


 恭しく首を垂れながら福音を差し出すと、ジュダは僅かな逡巡を経て受け取った。


「殿下。少々、御傍から離れてもよろしいでしょうか?」

「勿論だとも。行っておいで」


 主の許可を得たジュダは調合室の端まで移動する。

 万が一、福音だと思っていた物が呪いとして牙を向いた場合、守るべき主を巻き込まないよう配慮したのだろう。


 常に最悪な状況を想定して行動する用心深いジュダだが、完成した福音を使用してくれるようで、エリスはホッと安堵の息を吐いた。


(きっと、ジュダさんからしてみれば、これが精一杯の歩み寄りなんだよね)


 だとしたら、彼の期待を裏切りたくはない。

 福音に込めた想いがジュダの心へ届くように、エリスは指を組んで国教神へ祈りを捧げた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一時はどうなることかと思いましたが、無罪でよかったです。それにしても、花を入れ替えたのは誰なんでしょう?深まる謎。これから明かされていくのでしょうね✨すごく楽しみです!
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