第五話 調合準備
最初はどうなることかと思ったが、ようやく福音作りが始まった。
ジュダとの打ち合わせは存外スムーズに進んだ。あっさりと福音のデザインが決まり、今は調合に必要な花を調達するため、マリオンが席を外している。
(なんだか、馬にでもなった気分……)
監査役であるマリオンの目が届かなくなった今。エリスは部屋の隅に移動させられ、両足に頑丈な鉄製の枷を付けられていた。
枷から伸びる太い鎖は、部屋の壁に埋め込まれた専用の金具に繋がれている。鎖は短いので脱走は不可能。調合台へにじり寄って、器具に小細工をするのも無理だ。
不正を防ぐために必要な措置だと分かっているが、心情的には非常に複雑である。
(でも、手枷じゃないだけマシだよね。聖花術師は手が命だもん)
重たい手枷なんか付けて、手首の筋でも痛めたら一大事だ。ピンセットを用いた繊細な作業を行うので、手の怪我は福音の完成度に直結すると言っても過言ではない。
立ちっぱなしで待っているのは疲れるだろうからと、椅子に座らせてもらえたのもありがたかった。
(それはそうと、ジュダさんの依頼内容は意外だったかも)
どのような福音を作りたいか話を詰めていくと、依頼人の本質が自ずと見えてくる。
ジュダは想像以上に魔女を嫌忌していた。
そもそも魔女は国教神に叛きし大罪人だ。故に、魔女を無条件で厭悪するのは、聖リュミエール王国の民であれば当然なのだが――……彼の場合、拒絶反応があまりにも過剰だった。
ウィラードが呪われた此度の一件が、彼の魔女嫌いを加速させたのだろう。
これまでエリスは、勝手にそう思い込んでいた。しかし、ジュダと真剣に言葉を交わすうちに、段々と彼の本音が伝わってきたのだ。
彼は魔女を嫌っているが、それ以上に許せない相手がいる――と。
(希望された福音の効果は【癒し】だったよね)
第一王子の盾となり剣ともなる蒼華騎士団。
その団長を務めているからには、平民の自分には想像もできないような、様々な気苦労が絶えないのだろう。試しにジュダへ、ストレス発散の方法を尋ねてみたら、「そんな暇があれば部下に稽古をつけている」と即答された。
(精神的疲労どころか、肉体的疲労まで自主的に溜め込んでるなんて……そりゃあ、癒されたくなるのは当然だよ。明らかに働き過ぎだもん)
仕事熱心なのも考え物だと、エリスが小さく溜め息を吐いた――その時。
「お・ま・た・せ。あたしが手ずから摘んだ、鮮度抜群な花を持ってきたわよぉ~」
法衣の裾を優雅にひらめかせながらマリオンが戻ってきた。
彼は手に持っていた花籠を調合台に置くと、すぐさまエリスの元へ向かう。椅子に腰掛けているエリスの前で跪くと、マリオンは懐から一本の鍵を取り出し、彼女の足を拘束している枷を手早く外した。
「早速で悪いんだけど、花の状態を確認してもらえるかしら? いくらあたしの審美眼が優れていても、あんたのイメージと違う色合いや大きさだったら困るでしょ?」
「分かりました!」
椅子から立ち上がったエリスは、いそいそと調合台まで駆け寄って花籠の中を覗き込む。
普段から花と触れ合う機会があるのだろうか? 一目見ただけで、マリオンの花の扱いが人並み以上だと察知する。籠への入れ方も実に丁寧で、摘み取ってからの劣化も見られない。実際に手に取って細部まで観察したが、どれも申し分ない品質の花ばかりだ。
「マリオンさん、どの花も問題ありません」
「そう、よかったわ。事前に説明したと思うけど、これはただの生花よ。成長段階から自分の神力を混ぜて育てた聖花じゃないから、調合時は体調の変化も気に掛けるようにね。時間制限はないんだし、神力不足で具合が悪くなったら、倒れる前に休憩を取るのよ?」
「はい、ご忠告ありがとうございます」
母親のようにあれこれ気に掛けてくれるマリオンに、我知らず笑みが零れた。
出世のためだと明言しつつも、細やかな配慮をしてくれるのは素直に嬉しい。
(……ん?)
ふと、廊下側の壁際から視線を感じた。
何とはなしにそちらを見遣ると、壁に背を預けて佇んでいるウィラードと目が合う。
マリオンが中庭で花を摘んでいる間、エリスが足枷で拘束されると知った際、彼は「嫌な思いをさせてすまない。少しの間、辛抱してくれ」と謝ってくれた。規則だから仕方がないと、知らん顔もできたはずなのに――どこまでも、清廉潔白を体現しているような人だ。
そんなことを考えながらウィラードと見つめ合っていると、彼の唇が不意に動き出した。
『――頑張って――』
それは、口の形から判断した音にならない言の葉。
エリスが驚いて瞠目していると、目深にかぶったフードの奥で、ウィラードが柔和に微笑んだ。
(……私のこと、応援してくれてる……)
はっきりとそう実感した途端、胸の奥がポッと温かくなった。
ウィラードの側に黙って控えているジュダとも目線が交わる。彼は再び警戒状態に戻っていたが、こちらを見据える眼差しから刺々しさが消えていた。
打ち合わせを通して、少しでも心を動かせたのかもしれない。
(色んな人が協力してくれて、ここまで辿り着いた)
お仕着せの長袖をグイッと捲り、事前に用意しておいた調合器具を手元に寄せる。
魔女の汚名を雪ぐためだけじゃない。自分の無実を信じて疑わないウィラードや、あれやこれやと世話を焼いてくれるマリオン。何より、依頼人になってくれたジュダの願いを叶えるためにも――必ず、最高の福音を作らなければ!




