馬鹿につける薬
嬉々として口語するのは憚られる。だが、若さ故の無鉄砲さを恥じらいながらも、この奇怪な話を誰かと共有したいと思っている。その誰かとは、聴衆の耳を借りるような露悪的な話ではなく、壁を一枚隔てて告白する戒めに近い。
自動車をまるで自分の筋肉のように操る輩は、とかく煽り運転をする気質がある。憚らず言えば、私もその一部だ。酒に酔うように車に酔っている。私がしようと思う奇怪な話は、煽り運転などと銘打ってワイドショーの表題を飾る以前の古い話であり、悪事を白日に晒すドライブレコーダーが普及する理由のない時代だ。だから、私の目を通して体験したことをそのまま嘘偽りなく書くしかないのである。
陽は沈み、辺りに帳が降りて暫く経った後だった。そのとき、対向車も後続車もいなかった。前方にしか、走っている車はいない。気分はジェットコースターに座したような案配にあり、前車の速度に合わせて何度もブレーキを踏み直しているうちに、猛烈な汗をかき出したのは覚えている。もはや車種など朧げで、走る箱としか形容しようがない。だが、確かに私の腸が煮えくり返り、クラクションをブレーキの数だけ押したような気がする。
それでも、前車はうんともすんとも言わず、調子を狂わすどころかまじまじと平常運転ときた。勢い余り、いや、怒りの深さを指針にアクセルを踏み込んだ。自車の前照灯が反射するほどの距離感まで詰め寄ると、切りつけられたように目を細めた。無骨な運転を窘める光の照り返しであったものの、俺の鼻息は闘牛さながらに荒かった。即座にハンドルを右に巻き取り、中央線などお構いなしに自車の頭を振る。アメリカのハイウェイを行く逃亡車を力づくで止める警察車両に倣った、交通の流れを阻害する者を罰するための甚だしく思慮に欠けた蛮行は、その先に予測できる事故の有り様など想像すらしない。前車のケツを叩くことにかけて傾倒し、左右に自車を振ったのだ。しかし、衝突の瞬間を俺は見落とした。それどころか、ハンドルに伝わってくるはずの衝突に際した反動を全く感知できず、俺はただ自車を悪戯心に振っただけの間抜けだった。そしてそのままガードレールにぶつかるほど、躊躇の一切がなかったことを初めて自覚した。尻を叩くより激しい衝撃がハンドルや座席、接している部分すべてから伝わり、アクセルからブレーキへ足を動かし停車させる頃には、あれほど熱気を発していた身体が冷めきっていた。目覚めた感覚はなく、悪夢が地続きに続いているよう冷や汗を鮮明に覚えている。近くのコンビニで車の傷を確認すれば、どれほど阿呆な真似をしたか現実を直視せざるを得なかった。が、同時に疑問も残る。目と鼻の先にあったはずの前車の尻をどうして捉えられなかったのか。自損で済んだものの、それだけが不思議でならなかった。