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彼岸よ、ララバイ!  作者: 湯ノ村
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意識下に於ける自覚的行動①

 道行く誰も彼もが、熟れた果実をぶら下げた枝のように首を垂れる。手のひらにある液晶に目を皿にするだけの情報が詰まっており、アスファルトの亀裂や轢死に遭った猫の死体など箸にも棒にも引っかからない。ふいに見る風景の空き地に一体なにが建っていたのか。失念した頭と液晶の光で患った霞目を凝らせば、老醜の町が残るばかり。このようにそぞろに憂い思索を始めたきっかけは、手持ち無沙汰に襲われて制服のポケットから携帯電話を取り出したところからだ。下校時のたった数十分の間にも関わらず、口寂しさを覚えるのだから仕様がない。ただ、気まぐれに乱高下する気分を保つための鎮静剤になっていたことを、にわかに降って湧いた悲鳴を聞いて改めて自覚する。


「誰か呼んできて!」


「やめてよ、押さないで」


 目に見えない混迷の源泉にあたって、俺はとっさに耳を塞ぎかけた。交通事故も滅多に起こらない平々凡々とした町の住宅街で聞くことが叶わないはずの阿鼻叫喚はなかなかに肝を潰す。だが、寸暇に平静を取り戻した。私立清水高等学校に通学ないし過去在籍していた生徒ならば引っかかって然るべき名前を聞いたのだ。


「黒部先生……」


 死語になりつつある体育会系という言葉を一身に背負って立つ男の名前である。生徒を萎縮させるだけの怒声を恥も外聞もなく吐き散らすことで有名なバレー部顧問は、校舎に権威ののぼりを掲げるために招聘された。生徒の尻を叩いて馬車馬に働かせるための装置である。そんな黒部の姿勢に反旗を翻すにしても、体育館で叫ばれたと思しき甲高い声となかなか結び付かない。決して抗えぬ災害を目の前にした悲鳴と捉えるのが適当だ。つぶさに隆起する肌の凹凸を見るに、あまり聞く機会のない凄まじい声を咀嚼した身体の反射だろう。俺は、手に持っていた携帯電話のデジタル時計に目をやる。


「十六時二分」


 神が振った賽の目を覗くか如き尊大な判断は、俺にとって日常茶飯だった。例えば、夜中に起きようとしていた交通事故を未然に防ぐことや、同級生の喫煙を止めるなどの軽重が異なるあらゆる事象を私情とまわしを取りつつ、押し引きしているのである。これから体育館で起きるであろう惨事について、どこまで首を突っ込むべきか。体育館の前を淡い恋路と装う気恥ずかしさは気が引けるが、在校生として無関心ではいられない。何より、あのような悲鳴を聞いてしまえば、我関せずにいることは困難であり、事の顛末を見届けなければ悔恨を残すはずだ。


「オラ、それ取れるだろ!」


 蜂起を厭わない黒部の後ろ盾には、実績という名の題目が存在し、逆らうことは自分たちに不利益をもたらすと強迫観念に襲われる生徒たちの白痴の如く従う姿は、理不尽極まりない。甲斐甲斐しく練習に没頭する音に耳をそばだてていると、件の時間はあっという間に過ぎてしまった。


ひとえに嘆息を吐く。いずれやってくる凶兆の背中を押しているように思うだろう。それは間違いではない。今か今かと時間と睨み合い、何事もなければ明くる日に持ち越される。幾度、枕に落ちる髪の毛の数に目を丸くしただろうか。偶さか聞いてしまった惨事の通過を願ってしまうのは、身体の変調に起因する。


 この不幸な力にいつ頃、気付いたか。確かに覚えているのは、登校を億劫に思うほど体調を損ない、一週間近く悩まされた後、拒食症のケが出てきた翌日だ。まるで霧が晴れたかのように具合が良くなり、あまりにゆくりなく、女性の悲鳴が頭の中で響き渡る。とっさに辺りを見回すものの、自室に於いてそれは間抜けな所作であった。

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