さっそく不穏な空気です。
(…うーん…眩しい……)
遮光カーテンにしたはずなのに……
薄っすらと目を開けると見知らぬ天井。
「……そうだった。」
──ここは日本じゃなかった。
ごろりと横を向くと美男子が目に入る。
カインハルザ・ルナシェイド皇帝陛下。
即位して2年。今、21歳だと聞いた。
(美丈夫、というよりはまだ“美男子”ね…)
短いストレートの髪は一見、黒に見えて実は青。
深い海の底のような濃い青色をしている。
形のいい眉の下にある瞳は“皇帝の顔”のときはキリッとしていて判りづらいが私と話すときは気が抜けるのか、少し垂れ目になる。
(肌綺麗だなー…)
と眺めていると長い睫毛に縁取られた瞼が開き、現れた瞳は少し濃いめの蜂蜜色。
彼は私の姿を認めると一瞬驚いた顔をしてからふにゃっと笑顔になった。
「……目覚めて一番に目に入るのが愛しい人って幸せだ。」
「おはよう、カイ」
「おはよう、イリス」
とどちらともなくキスをする。
朝起きて挨拶したらキスをするとかマンガや小説の中のよう!
(…今は私も美少女だからこれくらい許されるよね?)と心の中で舌を出す。
カインハルザはぐーっと伸びをしてからサイドボードにある水差しの水を飲んでいる。
「…ふぅ…イリスも飲むか?」
「うん。」
と私もベッドサイドに座りコップを受け取る。
「調子はどうだ?」
「ん……良好、かな。」
とコップを彼に渡しそっとベッドから降りる。
昨日は生まれたての子鹿みたいになっていたけど…今日はしっかりと立てた。
「調子はいいわ。こう…活力が漲ってる?みたいな?」
となんとなく一歩踏み出した。
「あら。」──比較的、普通に歩ける。
てくてくと入口ドアまで行き振り返る。
「…え?すごくない?一晩でここまで回復するの?」
「昨日は全然だったもんな。」
とカインハルザはとても嬉しそうだ。
と背後にあるドアがノックされたかと思うと同時に開かれた。
「えっ」
「イリスっ」
「おっはようございまー……ってあれ。…ひ、妃殿下?!」
……私はドアを避けられずにおでこを強かに打っていた。
───……
──……
「あー…肌が白いから赤いの目立つな。大丈夫か?」
「まだちょっと痛いけど大丈夫。」
「申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません……」
「もう大丈夫ですから。顔を上げて下さい。」
と土下座している彼をソファに座らせる。
「だからノックと同時に開けるの止めろって前から言ってるだろ。」
「だってさーまさか妃殿下いるとか、思わないじゃん?」
友達と喋るように話しをしている土下座の彼はディーン・レヴィル。
カインハルザの幼馴染で右腕、現宰相閣下の長男だそうだ。(つまり次期宰相ね。)
「私が避けられなかったからですね。ごめんなさい。」
「………」
…鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしないで欲しい。
「あの……」
「妃殿下、私もローズやソフィーのように接して下さい。」
「あ……」
とカインハルザを窺うと、うんうんと彼も頷いていた。
「わかったわ。じゃあ私もアイリスで。」
「では今後アイリス様、と」
「うん。よろしくね。」
「─それで?まず何をする?」
とディーンの纏う空気が変わる。…これは、宰相の顔だ。
「朝食後に話しがある。今から言う面々を集めてくれ。」
「りょーかい。」
とカインハルザが人名を挙げていく。
んじゃいってきまーす、とディーンが出ていくと見計らったかのようにローズとソフィーが朝食を持ってきた。
「おはよう御座います陛下、アイリス様。」
「おはよう」「おはよう御座います。」
テキパキと朝食の準備がなされ
「今日からタンパク質を増やしていきましょう。味の好みが分かりませんでしたので、色んな味付けで少しずつ用意いたしました。」
「ありがとう!」
「肉自体は鶏肉でございます。」
アイリスの身体がアレルギー持ちじゃなければいいな、とぱくりと1つ食べてみた。
「…これは塩コショウかな?美味しい〜」
…アレルギーも、大丈夫そうだ。
──これは好き、こっちは苦手、と言いながら食べていくのをローズがメモしている。
「…そういえば、こっちの世界にお米はあるの?」
朝食にはパンが並んでいるが…
「あるぞ。麦よりは少ないが地方で稲作が行われている。」
「おー」
白米が普通に食べられる!
「米が好きなのか?」
「日本は米が主食だからね。私はパンも好きだけど。」
「今度用意しておきますね。」
とローズがテーブルを片付けながら言っている。
「ああ、でも…調理方法がわからないかもしれません。」
「そうなの?」
「ほとんどが家畜の飼料用だからな。麦が育ちにくい一部の地域で食用にされているとは聞いたことがあるが…」
「このあたりでは見かけませんね。」
とカインハルザとローズが頷きあっている。
「入手自体難しいなら気にしなくていいわ。“あれば食べてみたい”程度だし。」
「今度出入りの商人に聞いてみます。」
「うん。」
麦のほうが主食なんだな。…だったらうどんとか麺類があるだろうか?
「さて、イリスもいつまでも寝間着のままじゃダメだな。…アイリスの部屋に何かないか?」
と言われたので侍女2人と連れ立って、寝室から繋がるアイリスの部屋に来たのだが……
「く…暗い……」
窓には分厚いカーテンが掛かっているようで朝だというのにとても暗い。
「埃は…あまり積もっていないようですが……」
──それよりも…
「…これ、なんの臭い…?」
「え?」「臭い?」
…2人にはわからない?
「……肥溜めのような…吐き気を催すようなひどい臭いなんだけど…2人にはしない?」
と見やると揃って首を横に振っている。
ふと、どす黒い煙?のようなものがどこからか漂ってきていることに気付いた。煙と共に臭いもする…
私はその煙を辿る。
「わあ、クローゼットにほとんど服が入ってない!」
とソフィーが驚嘆の声をあげている。ローズはローズで
「人が生活していた跡がほとんどないわね…」
と文机の引き出しを開けたり、カーテンを開こうとして
「…やだ、このカーテン貼り付けてあるわ…」
と2人とも忙しないのを横目に私は、煙のあとをゆっくり辿っていく。
辿り着いた場所は、部屋の隅の壁の下の方。
「──ここになにかあるわ。」
「えっ」「なんですかぁ?」
と2人が寄ってくる。
「そこの壁の下の方から変なのが出てるの。」
「こちらですか?」
とローズが指し示すので首肯すると彼女はそこをあちこち触ってガタガタとし始めた。
「…動く、みたいですね……」
としばらくガタガタしているとふいに板が外れた。
「あ、外れ───うっ」
「やだぁ……くさーーい!!」
板が外れた途端、ブワッと一気に臭いが広がる。
あまりの臭いに3人で窓に駆け寄り急いで窓を開け、外の空気を吸い込む。
「…なに、あれ…」
「…なにか、置いてあるのが見えました…」
「…残りの窓も開けましょ…?」
とソフィーとローズがせーの、と息を止めて残りの窓を開けていく。
カーテンは紐で縛っているようだ。
部屋の空気がマシになったところで3人で手を繋ぎ、先程の壁へと向かう。
「──壺?」
そこにあったのは高さ20cmくらいの壺だ。きっちりと蓋が締めてあるようだが…なぜか見ているだけで気持ち悪くて寒気がする。
「…何でしょうかこれ…」
とローズが手を伸ばしたが
「ダメっ!絶対触っちゃダメ!」
頭で考えるより先に口が出ていた。
「はいっ…しかし、どうしましょう…?」
「…呪術師か、もしくは国で一番の魔法使いとか…居る?」
「え…あ、はい!魔法師団長様が…呼んでまいります!」
とローズが駆け出したが「えっどうして…?」と廊下への扉がびくともしない。
「寝室側から!」「はいっ」
彼女が寝室に転がりでると寝室がにわかに騒がしくなる。
「な、なにかあってもっ…私がアイリス様をおまっお守りしますからね…っ」
とソフィーは私に抱きついてブルブル震えている。
「ありがとう、大丈夫。大丈夫よ。」
と彼女の背中を撫でてやる。
私は…妙だが、不思議と気持ちは凪いでいた。
「アイリス様っ」「ローズ!」
あちらです、と彼女が壺を指し示すとベスト姿に色付きの片眼鏡をした男性が颯爽と現れた。
「─もう、大丈夫ですよ。…誰か触りました?」
「いいえ。アイリス様から止められましたので誰も触っておりません。」
「なら良かった。」
彼はしばらく壺を見つめ、おもむろにヒョイっと持ち上げた。
「えっ大丈夫なの?!」
「私には効かないので。…それに、未完成のようです。」
…この世界には一定数の割合で魔法や呪いが効かない人たちがいるのかな?
とソフィーが突然床にへたり込んだ。
「っソフィー!大丈夫?!」
「は、はぃぃ…ですが…こ、腰が抜けちゃいました……」
「ローズ手伝ってくれる?」
と2人でソフィーを支えながら元アイリスの部屋を後にした。