文集より「おおきなかぶ」を読んで
小学生の頃の文集を読み直してみると、童謡の「おおきなかぶ」の感想があった。
『ねこわどかてねずみをよんできましたか、犬わどやて、ねこおよんてきましたか。どして、ねこやねずみのことばが、つじるのですか。』
原文ママ。
読みづらいので直すと。
『猫は、どうやってネズミを呼んできましたか? 犬はどうやって猫を呼んできましたか? どうして、猫やネズミの言葉が通じるのですか?』
である。
当時の担任の先生はきっと、「そこはどうでもいーよ」と思ったことだろう。
大人になってから診断するのにこの文集を心療内科の先生に提出したのだが、自閉症スペクトラム感溢れていて、自分が見ても、こいつは発達障害だなってわかる気がしてくる。
ちなみに本来は文集なので結構厚めの本になるのだろうが、タイトルと名前だけ書いて終わっている原稿用紙だらけで唯一まともに残っていたのが、例にあげた「おおきなかぶ」の感想のみである。
先生もこれには困っただろう、今見れば通知表に『出来ない』と書くのは至極当然と納得である。
本当にひどい。
小学低学年から既に課題を終わらせることが出来ていない。
たまにマトモな文章があると思えば教科書に掲載されている文章を書き取った“視写”であった。
※視写……学校教育で、手本とするものを見て書き写すこと。【Weblio辞書より】
知らない友達と遊んだ感想が書いてあって、「おっ、覚えていないだけでこのころ友達が居たんじゃないか!」と、ぬか喜びしてしまった。
この話を書くために小学生の文集を読み返しただけで、こんなカウンターを食らうとは思わなかった。
全文書き取り、罪深き授業内容だ。
ちなみに、今、字を書いてもこの頃と同じような読めない字を書く、『る』をかけば、最後のくるんまで集中力がもたず『了』みたいな字になるし、『や』と『か』と区別はつかない、漢字だと国構えのつくりは全部○。
こんな自分でも文字が書ける、作れる、ワードプロセッサは偉大だ。
手書きだったら誰一人してここまでの文章を読める人は居ないだろう。