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中途半端のろくでなし  作者: 海深真明
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第2部 第1章(2)折紙

こちらもこっそり再開。


 いつもの倍ぐらいの時間をかけて、悟郎はようやく稽古場にたどり着いた。稽古場からは、木刀と木刀の打ち付け合う音、かけ声等々が聞こえてくる。

「ごめんください」

 悟郎が戸を開け中に入ると、靴を脱ぐ間もなく、同門たちにもみくちゃにされた。

「心配させやがって」や「無事で何より」と悟郎を思いやって声をかけてくるのはいいものの、平手で背中を殴られたり、胸を小突かれたりと、病み上がりには結構きつい。

「その辺にせんか。お客さんが驚いているだろう」

 師匠が一喝するまで、悟郎は可愛がられ続けた。


 喧しいからと、応接間に通される。

「無沙汰のお詫びと、それから、今回ご尽力いただいたと聞きましたので、そのお礼とで伺いました」

 悟郎は改めて師匠に来訪の目的を告げる。

「よい、よい。無事で何よりだ。しかも可愛らしいお嬢さんまで連れて来るとはなぁ。怪我の功名というやつか」

「おっと、失礼しました。紹介がまだでした。こちらは平坂師。僕の剣や体術の師匠です。こちらは、馬瀬幸乃さん。向こうでお世話になった人です」

「お初にお目にかかります。馬瀬幸乃です。お会いできて光栄です」

「平坂です。よろしくお願いします」

「これは母から。ご心配をおかけしたお詫びに皆さんで召し上がってくださいと申しておりました」

「おぉ、いつもすまないね」

 

 一通り師匠にもことの経緯は伝わっていたものの、悟郎はかいつまんで今回の件を話した。

 悟郎の話を聞き終えて、

「迂闊だったな…」

 師匠が自分の顎をさすりながら言う。

「申し訳ございません」

「いやいや。お前さんがではなく、儂がだ。そのあたりのことは伝えておいてしかるべきだった。お前さんほどの腕になれば、そういうちょっかいをかけられるのも想定しておくべきだった。申し訳ない」

 師匠が頭を下げる。師匠に頭を下げられることはついぞなかったことなので、悟郎は慌ててしまった。


「それに…申し訳ございません。折角譲っていただいたのに、太刀と短刀を折ってしまいました」

「そうか。お前さんに譲った時点でお前さんの物だから、儂に詫びることはない」

「ですが、師匠が大事にしていたのを無理言って譲っていただいたのに」

 言葉に詰まる。

「あの太刀と短刀はお前さんの役に立ったか?」

「はい。存分に。命拾いできたのもあの揃いのおかげです」

「そうか。そうか。お前さんにそう言ってもらえれば本望だろうて。太刀などは道具だ。美術品でも骨董品でもない。道具が道具としての本分を全うする、これほど道具にとって幸せなことはないだろう」

「そうおっしゃっていただけると助かります」


 妙に沈んだ空気になってしまったので、平坂師はことさら陽気に言った。

「そうそう! お前さんに渡したいものがあったんだった!」

 わざわざ膝を手で打ってみせた。

 そして、机の上にある文箱から折紙を取り出して悟郎に渡す。

「これは?」

「開けてみなさい」

 言われたとおり、悟郎は中を広げて見てみる。悟郎の目に、鮮やかな筆跡で墨書されたものだった。しかし、

「…読めません。すみません」

 草書体で書かれているらしく、悟郎にはまったく読めなかった。

「やっぱり止めとこうかな…」

 師匠は悟郎から取り上げる素振りをした。

「申し訳ございません。読めるようにします、これだけでも!」

「まぁよい」

「馬瀬さんは読めるかな?」

 いきなり話を振られた幸乃だったが、悟郎に近づき、悟郎が差し出してきた折紙を読む。

「すみません。ところどころ読めない字がありますが、これは免状ですね? 桧田流剣術免許皆伝…」

 悟郎は目を見張った。

「高校の卒業祝いにくれてやろう。けれども、分かっているな、これからだぞ、剣の道は」

 悟郎は感極まり、何も言えなかった。十年近く通っている稽古場だったが、免許皆伝をもらった者は、少なくとも悟郎が通い始めて以降、誰もいなかった。


「最後に一つ稽古をつけてやろう」

 平坂師が立ち上がる。

「いえ、今日は病み上がりで体調も芳しくなく…」

「いつも言っているだろう? いつもいつも最善の状態で臨めると思うな、と」

 そう言われてしまうと悟郎には断れない。

 

 道着に着替え、稽古場に立つ。平坂師はすでに木刀を持って悟郎を待ち構えていた。

 一礼をした後、双方中段に構える。対峙して改めて今の自分には気合がないのが悟郎に分かった。どこかに穴が開いているような、さらさらと流れ出ていくような、そんな感じがする。集中しろ、集中しろ、集中しろ! 自分に言い聞かせる。

 そんな悟郎の心中を見越したかのように、平坂師は中段から上段に構えを変える。そして、じりじりと間合を詰めてくる。

 気合の声を発しながら、師の胸元めがけ突きを放つ。悟郎のその動きを予想していたのだろうか、師は体を躱し、木刀の柄頭で悟郎の頭部を狙う。しかし、悟郎は木刀から右手を離し、左手で横なぎにする。師は飛び退いて、これを避ける。

 悟郎が体勢を立て直す前に、師は肩口を狙って突き入れる。悟郎は膝を抜き、木刀の峰に手を添えて木刀を反らす。が、無理な体勢がたたって、後ろに倒れそうになる。それを逃さず、師が悟郎の胸部を蹴る。後ろに転がされつつも、膝立ちになり木刀で頭部を守る。が、師の木刀は悟郎の喉元に突きつけられていた。

「…参りました」

「体調が優れないなら、優れないなりの戦い方をすべきだな」

 悟郎を諭す。

 

 悟郎が立ち上がる前に

「さて、お前たち、今日、儂は悟郎に免許皆伝の折紙を与えたぞ!」

 稽古場にいる弟子たちに向かって師が言った。

 どよめきが起こる。皆、免許皆伝の重みを知っている。

「それでは一手ご指導ご鞭撻をいただかないと…」

「そうだな、私も胸を借りるとしようか…」

「俺は免許皆伝までの距離を知っておきたいな…」

 皆口々に言っている。悟郎は嫌な予感がした。

「まぁ、儂が言うのも何だが、病み上がりなようなのでお手柔らかにな」

 

 病み上がりとは言え、一対一で遅れをとることは流石になかった。しかし、皆同門、手の内は知っている。二対一、三対一では落とす立ち合いも出てきて、仕舞に悟郎はぼろぼろになった。



 悟郎は、幸乃の肩を借りながら稽古場を後にした。

「来るときより随分とへろへろになりましたね」

「そうなんだけど、病み上がりでへろへろなのとは違うな、うまく言えないけれど」

「悟郎さんって皆さんに愛されていますよね」

「愛されているというより、ああいうのは可愛がりっていうんだよ…」

「それでも愛されていますよ。同門の皆さんにも、師匠にも、ご両親にも、お兄さんにも、皆に愛されていますよ…。正直、羨ましいです」

「そう…なのかな。あまり考えたことないけど」

「私は、職場はあんなでしたし、家族からは疎まれてましたし…。万理もそうでしたけど、霊能霊媒の類いの力は、普通の家族には背負いきれませんよ。だから、親元を離れて六年以上経ちますけれど、一度も実家には戻ってません」

「あれ? 幸乃さんっていくつなの? 勝手に同じくらいって思っていたけれど、もしかしてかなりな年上?」

「失礼な人ですね、悟郎さん。私はまだ一八歳です。悟郎さんと同じ歳です」

 頬を膨らませて、幸乃は怒っているんだぞとアピールする。

「同じくらいかなって思っていたけれど、親元離れて六年以上なんていうから…」

「初等学校のころから親との関係は冷え切っており、卒業とともに厄介払いされた感じですね。あるいは売られた、と言いますか。

 才能の片鱗を示した子たちの親には、親権や養育権など様々な権利放棄と引き換えにこれまでの養育の対価という名目でお金が親に渡されるのです。

 兵部省が管轄する中等学校相当の専門学校に三年間通い、卒業すると御霊部に配属されました。悟郎さんの件を契機に異世界に亡命? 今日に至る…

 私の経歴はざっとこんな感じですね」

 その過酷さに悟郎には返す言葉がなかった。

「すみません、空気をどんよりとさせてしまって。でも、嫌なことばかりじゃなかったんですよ。万理もいましたし…」

 万理の名前を出したら、思い出してしまったのだろう、幸乃は悲痛な表情を浮かべた。

「…まだ親には言っていないけれど。千道さんや神下ろしで死んだ、僕が殺した人たちだけでなく、命を落とした人全員を弔う墓をうちの墓の一角に作らせてもらうつもり。彼女たちが安らかな眠りにつけますようにって。

 もちろん、僕はあまりお金を持っていないし、親にも頼めないから、お墓を作るって言っても、遺髪を少し埋めて、石を置くことぐらいしかできないけれど」

 幸乃はぶるりと振るえた。肩を借りているので、悟郎にはよく伝わった。そして、幸乃は歩きながら嗚咽を漏らし始めた。


 幸乃はひとしきり泣いてから悟郎に、

「先ほどの話の続きですが…」

 と話しかけたが、ひどい鼻声だった。

「…」

 何も言わずに悟郎はズボンのポケットからハンカチを取り出し、幸乃に手渡した。

「ありがとうございました」

 いつもよりも多少鼻にかかったような感じだったが、鼻をかんで随分と聞きやすくなった。

「先ほどの、嫌なことばかりじゃなかったってところの続きですが、こうして悟郎さんと出会うことができましたし、連れ出していただけましたし…」

 幸乃は悟郎を正面から抱きしめた。勢いが強すぎて悟郎はよろけ、壁に手を突いた。

「そして、好きな人ができましたし…」

 そう言って悟郎に口づけた。


「慣れないことをするもんじゃありませんね…」

 悟郎の唇から自分の唇を離して幸乃は言った。うつむきながらだったので、悟郎に表情は見えなかったが、顔が真っ赤になっていることは分かった。

「僕も慣れている訳ではないので、何て言ったらいいのか…」

「違うんです、違うんです! 美緒さんを差し置いて悟郎さんと結婚しようだなんて思っていませんから、ほんの視界の隅っこにでも置かせてもらうだけで十二分です。…あぁ! 私は何とち狂ったことを!」

 二人はしばらく無言で歩く。

「やっぱり、悟郎さんて女たらしですよね?!」

「…自分からしてきたんじゃん?!」

「あっ! そういうことを言っちゃうんだ! 悟郎さんのすけこまし! 女の敵!」

「何でだ!!」

 幸乃がおかしそうに笑っていたので悟郎は嬉しかった。落ち込んでいるよりよほどいい。


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