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嫌がらせと書いて厚意と読む

作者: 天城恭助

「なとな」の方が既に二年近く放置されてしまっていますが、生存報告の意味合いも兼ねてこちらを投稿します。放置しておいて難ですが、まだ完結させる気はあるのです。続編とか考えているぐらいには完結させる気はあるのです。

 そんな中この作品を投稿するのは、前述の通り生存報告です。この作品自体は2015年の冬の頃に書いたものであり、サークルで書いたものです。他の作品を投稿するつもりだったのですが、未投稿のものでは恐らくこれが一番出来がいいものだと思われたのでこれにしました。ちょっと突飛な部分がありますが、私的には楽しいものだと思っております。

 一体どこで間違えた。いや、間違えてはいない。タイミングが、間が悪かっただけだ。自分のせいではないのだ。そう自分に言い聞かせた。だからといって、恨む相手も責任をなすりつける相手もいない。

 煙草をくわえ、ライターで火をつけた。寒空に紫煙が昇る。軽く吸い込むといつものように煙でむせ返った。……やはりやめようか、煙草は。俺には向いていない。でも、落ち着く。

 過去を振り返っても何も得るものはないだろうが、今一度振り返ろう。



 俺は総合商社であり、大企業である一ノ瀬カンパニーの平社員として働いていた。

 就職したい会社であったのは間違いないが、受かるとは欠片も思っていなかったので嬉しかったのをよく覚えている。けど、この会社に入りたいと思ったのは給料が良く、さらに福利厚生がいい、ということ以外に特に理由はなかった。

 良くも悪くも平々凡々な仕事をする俺だったが、昔から人が苦手な上に酒が飲めないので飲みに誘われても毎回断っていた。

 ついでに趣味という趣味もなくお金を費やすことはなく、実家暮らし。

 何故、自分が収入の良いところを選んだのか不思議になるぐらいにお金を使わなかった。おかげで貯金はみるみるうちに貯まっていった。そこになんとなくバラで買った宝くじが一等に当選。お金の面だけでみれば充実した人生と言える。

 自分の貯金額を見ると、質素に暮らせば十分に死ぬまで生きていける額が貯まっていた。

 俺はもう働く気が失せていた。

 目的も夢もない。ならば、次につながる何かを見つけよう。そう決断し、会社を辞めたが運の尽き。

 突然、両親が他界した。母はくも膜下出血。父は胃がんが原因で死んだ。

 突然のできごとに心が追いつかなかった。

 そんな中で親戚への挨拶、葬儀を行い、遺品整理などなど忙しかった。

 全てをやり終え、疲れ果てこれからどうしようかと悩んだ。正直、両親が死んでしまった悲しくはあるが、そこまで気にしてはいなかった。ただ、両親が死んだというのに、それを気にせず自分探しのために出かけでもしたら、世間体は大丈夫なのだろうかと心配になった。それ故に、外に出るのさえ気まずくなって、結果引き籠った。

 常識的に考えれば明らかにこの行動も人様に目を向けられない行為なのだが、当時は精神状態が普通ではなかったのだと弁明したい。弁明する相手もいないが……

 何もせず半年が過ぎた頃、電話に出ると明らかに怪しい人。

 遠い親戚が金を借りて、その保証人に父がなっていたらしい。その親戚は蒸発。そのため父に払わせようとしたが既に死去。借金は俺に降りかかった。

 いくら返せばいいかと聞けば、ほぼ自分の全財産を使い果たす額だった。

 家や親が残した車などを売り、全額一括で返した。そのおかげかその後に文句を言われることはなかった。

 ただし、すぐにでも仕事を始めなければまともな生活は送れそうにもなかった。

 そんな状況に追い込まれても再就職する気は全く起きなくなっていた。

 それでも生活保護は申請したら割と簡単に通った。

 しばらく生きる分には問題ない。そう思ったらますます再就職する気は失せた。

 バイトもせず、寝て起きてカップラーメンを食べてまた寝る。そんな生活だった。

 生きる目的も見つけられず、いっそ死んでしまいたいと思わなかったわけでもない。が、自殺というのは思ったより怖い。首つり、焼身、飛び降り、練炭と他にも色々考えてみたけどやっぱり怖いものは怖い。

 最終的に決めた自殺方法は寿命を待つこと。早死にするよう祈りながら健康に悪い生活を送ることだった。

 既に健康に悪い食生活は送っているので、とりあえず煙草を吸ってみることにした。

 公園に座り、傍に灰皿が置いてあるのを確認し、煙草に火をつけ吸ってみたのはいいが、むせた。煙くて、これを嬉々として吸う人はなにが良いのだろうかとか思ってしまうぐらいにはむせた。ただ、不思議と落ち着いた。不快感も絶望感も紫煙と共に体から抜けるかのようで、なんとなく気分がよくなった。

 それから、気が向くとその公園に向かい煙草を吸うようになった。


 昼間から寝過ぎて夜に眠れないことがよくある。

 だから、今もこうしていつもの公園のベンチに座り煙草を吸っていた。そして、いつものようにむせた。

 人があまり来ない公園。ただ、その日は珍しく女性が居た。

 黒髪の長髪。立ち姿も歩く姿もどこか育ちの良さを感じさせた。

 夜のせいで良くは見えないが街灯に照らされて、美しいと万人が思うような容姿だと思った。見た感じは二十歳ぐらいだろうか。

 何故か俺の傍に近寄るとあたりを見回し、今までの品の良さが嘘かのようにドカッと俺の隣に座る。何故か不良のように下品に股は開いていた。

 なんというか、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という諺を思い出したが、この女性が座った場合、ウツボカズラとでも言った方がピッタリ合いそうだ。取って食われそうだし。

「んっ」

 女性は何故か俺に向けて手を出す。

 俺が無視をするともう一度妙な声を出す。

 某アニメ映画の傘を差し出す彼を思い出すが、おそらく意図しているのは全く真逆なのだろう。

「無視すんなよ」

 怒気がこもっているというかなんというか怖い。

「何か用でも?」

 若干震え声になってしまった。三十路過ぎのおっさんが少女にビビッてるとか情けなさすぎる。

「煙草くれ」

 何て図々しい奴なんだとは思ったが、怖いので言われた通り一本差し出す。

「さんきゅー」

 俺が渡したのを銜えると、今度は銜えた煙草を突き付けるように「んっ」とか言い始めた。

「わかんねぇのか? 火だよ、火」

 既に煙草を渡して置いてなんだが、この子は成人しているのだろうか? そう思うと少し躊躇ってしまう。

「早くしろ」

 そんな思いも虚しく、結局火をつけた。

 彼女は俺よりも随分と美味そうに煙草を吸う。俺はいつもむせているのに不公平だ。

 次に彼女は、持っていたバックから缶ビールを取り出した。

 プルタブを開け、ゴクゴクと飲み始めた。

「プハーッ、生き返るぅ!」

 おっさんくさいな。けど、美味そうに飲んでいやがる。俺は下戸なのに。

「あんたも飲む?」

 自分の持っている缶を差し出し、そう言った。

「いや、いい。俺、飲めないから」

 どうでもいいけど、飲んでいた缶を渡そうとしたのだろうか? 今時の子はそういうの気にしないのかね。こういう考え方がおっさんくさいし、童貞っぽいのかもしれない……なんで俺は自虐しているんだろう。

 一服しようと――既にしているけど――煙草を深く吸う。

「ゲホッ、ゲホッ」

 また、むせた。

「大丈夫かよ。むせんのになんで吸ってんの?」

「早死したい。それだけだよ」

「……辛気臭いな。酒も煙草も不味くなる。悩みがあるなら言ってみな! 聞いてやるよ」

 やだこの子。男らしい……見た目は清楚系の美人なのに俺よりってか、男より男らしいってどういうことなの?

「もしかしたら、解決してやれるかもしれない」

「いや、それはないな」

 しまった。つい、本音が。

「私が女だからって甘く見てないか? こう見えて私の家は金持ちなんだ」

 こう見えても何も、見た目だけで言えばいいとこのお嬢さんにしか見えないわけだが。

「借りを作ってまで助けてもらおうとは思わないから別にいいよ」

「私が勝手にそうしたいと思っただけだ。借りだと思う必要はない。だから、悩みを言ってみなさい。ってか、言え」

 彼女はビールを一口煽った。

 悩みを聞いてくれる(強制)とか、有難迷惑だ。

 それにお金の問題でもない。職がないこと、したいことがないことが問題なんだ。しかし、それをこの子に言ったところで何か解決できるとは思えない。

「私じゃ信用ならないか?」

 少し沈んだ風に言うけど、実際問題それもある。

 こんな貧乏なおっさん騙して何の得があるとは思うが、性格の悪い人なら利益がなくてもやりそうなものではある。まぁ、騙すならもっと性格良さそうに振る舞ってもいい気はする。

「信用ならないというか、見ず知らずの年下の女性に助けてもらうってのは、情けないなと思ってね」

 嘘は言ってない。これも本音だ。

「うーん、男の意地ってやつか……いいね!」

 何がいいのかは俺には全く分からない。

 彼女は手に持っていたビールを飲み干した。

「気に入ったよ。煙草の礼も兼ねて、明日もここに来るからな!」

 そう言って立ち上がり、足取り軽くどこかへ行ってしまった。

「また来るのかよ……」

 不快に思ってそうぼやいたが、口に手を当てると口が少し釣り上がっていた。


 翌日の夜、俺はまた公園のベンチに座っていた。

 別にあの子に言われたから来たわけではない。いつも通りここに来たくなったから来ただけだ。

 煙草を銜え、火をつけた。

 一服し終えると、人影が見えた。

 以前に来た子ではない。もっとでかくて体格が良くて黒服でサングラスの男。

 ……いかにもって感じで怖い。しかも、こっちに向かってきている。

 え、俺なんかした? もしかして昨日の子となんか関係ある?

 考えてもどうしようもないが、不安が募る。

 黒服の男は俺の目の前で立ち止まった。

「ついてこい」

 そう言って、去っていった。

 これって、俺に言ったの? 周りを見渡す。

「早くしろ」

「は、はぃい!」

 黒服の男についていくと、黒塗りのリムジンが止めてあった。

「乗れ」

 言われたままに乗った。

 隣には、昨日公園に来た子が座っていた。

「また会いましたね」

 以前とは雰囲気が違う。和服を着ていて、まさに清楚系美人――大和撫子って感じだ。

「どうして君が?」

「昨日、言いましたよね。ここに来ると」

「確かに言っていたけど……こんな風だとは思わなかったよ」

「驚いてもらえたのならこうして来たかいがあります」

「……ところでその口調どうしたの?」

 彼女はこっちに来るように手招きする。

「うちはマナーが厳しくて、こうしてねぇと怒られるんだ。昨日は家から抜け出していたから素でいられたんだ」

 彼女はそう耳打ちした。

 この子もなかなか大変な事情をお持ちのようだ。

「お嬢様、車出しますよ」

「お願いします」

 エンジンがかかったことが分かりづらいぐらいに静かだ。

 初めて乗った高級車にちょっと緊張する。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私は一ノ瀬結花と申します。一ノ瀬グループ会長、一ノ瀬彰比古の孫です」

 いいとこのお嬢様ってのは、予想付いていたけど一ノ瀬グループの会長の孫娘か……やりたいこと探しのために辞めたわけだし、面目ない気分になる。

「あなたのお名前をお聞かせいただけますか?」

 今更だけど、ここまで丁寧に言われると俺も敬語使っておいた方がいいのか迷うな。

「あの……だめですか?」

「いえ! そんなことありません!」

 彼女は少し茫然とした後、上品な感じで笑っていた。

「どうして急に敬語をお使いになられたのですか?」

「いや、そうしないと失礼かと思いましたので」

「気にしなくて良いですよ。堅苦しく考えないで、楽な方で話してください」

「そうか?」

「はい。さすがにおじい様の前では敬語を使わないとお叱りを受けるかもしれませんけど」

「え? おじい様って何? 俺って今、会長に会いに行かされるの?」

「そうですよ」

「マジかよ……気まずいなぁ」

「ところでお名前は……」

 とりあえず、嫌だということを示したいので何かを言われても正直な気持ちを訴えてみる。

「日本で有数の大企業の会長さんに会うなんて怖すぎだろ」

「……お名前は?」

 彼女の表情は微笑を浮かべたまま全く変わっていなかったが、明らかに怒っていた。リアルで笑顔浮かべたまま怒りを表現する人には初めて会いました。

「わ、悪い。湯沢一成だ」

「いい名前ですね。一成さんとお呼びしてもいいですか?」

「あぁ、別にいいけど」

「ありがとうございます。私のことは結花と呼んでください」

「わかったよ」

 その後、話題もなく車に揺られながら夜のビル街を走っていた。

 本当は聞きたいことがあったが、今更になって運転席に座っている黒服の男が怖くなってしまった。仕切りがあるし、大丈夫だとは思うが威圧感が出ている……気がする。

 大丈夫だよね。後で不敬だ、何だ言われて殺されたりしないよね。

 緊張し、震えていると十分とかからずに車が止まった。

 ドアが自動で開き、降りるよう促される。

 黒服の男と結花に連れられて、超高層ビルの中に入りエレベーターに乗る。

 五十階――最上階へと向かっていた。

 まるで死地に赴くような心地だ。ここまで連れてこられて一体何を言われるのやら……

 エレベーターが開くとどデカい扉があり、目の前には黒服の男×二が立っていた。

 こいつら多分SPとかなんだろうけど、まったく見分けがつかないのはなんなの?

 一緒に居た黒服がこちらを向いた。

「こちらで会長がお待ちです」

 一瞬、心を読まれたのかと思ってビビった。一日に何回ビビればいいんだよ。

 ドデカい扉が開くと、白髪に白い髭を蓄えたじいさんが立っていた。

「ようこそ、一ノ瀬グループへ」

 両手を広げ歓迎してくれた。

 会長には一度も会ったこともないし、見たこともなかったが思っていた印象とずいぶん違った。もっと威厳に溢れた老人とは思えない人物を想像していた。ヨボヨボとまでは言わないが思ったよりひょろくて、柔和で優しそうなおじいさんといった印象を受けた。

「どうも、ありがとうございます。湯沢一成と申します」

「わしが会長の一ノ瀬彰比古だ。そこに座るといい」

 持っていた杖で、机を挟み向かい合わせになっているソファを指す。

「失礼します」

 ソファに座ると会長も俺と向かい合わせになるように座る。

「結花もこっちに来なさい」

「はい、おじい様」

 結花は会長の隣に座った。

「さて、今日ここに来てもらったのは、結花が世話になったと言うからそのお礼をしようと思ってな」

「お世話と言いましても何もしていません」

「謙遜するな。結花がめずらしくお礼がしたい相手がいると言うから連れてきたんだ」

「そ、そうですか」

 会長は小切手と万年筆を取出し、机に置いた。

「好きな額を書きなさい」

 これって何? 意味は分かるけど意味不明。たばこ一本分で好きな額書いていいってどんだけ金持ちなんだよ。

 好きな額ってのは冗談でも何でもないんだろうけど、この後が怖い。なんとかやんわりと断りたいけど、断るための言葉が思いつかない。

「おじい様、お金だけ渡してお礼なんて失礼です。それに、一成さんが困惑しています」

 ナイスフォローだ。失礼だとは欠片も思っちゃいないけど、確かに困惑しているよ。

「ほう、ならば何が良い?」

「そうですね……」

「一成さんはどうやら無職のようですし、我が社で働いてもらったらどうですか?」

 え、今の質問って俺に聞いたんじゃないの?

「しかし、恩人に働いてもらうというのはそれこそ失礼ではないか?」

 しかも、話進めてるし。

「お金だけあっても人というのは堕落してしまうものです。あ、勘違いしないでください。これは一般論であって、一成さんのことを言っているわけではありませんから」

 その一言はむしろ、そう思っていると言っているようなものじゃないかな。

「それで?」

「お礼というのはその人の為になることをするのが一番だと思うのです。ですから、我が社でこれからの生活をより豊かに過ごしていただこうと考えました」

「さすがはわしの孫だ。いいこと言うな」

 それは身内贔屓だと思うの。

「ありがとうございます、おじい様」

「それで湯沢君、わしの会社で働く気はあるかね?」

 正直、勝手に話を進められて腹立たしく思ったが、条件としては好条件にも程があるというぐらいには嬉しい提案ではある。どの部署に配属されるかはわからないが、前居たところでは文句の言いようがないホワイト企業だった。部署が違ったとしても大きな差が出ることはないだろう。

「働かせてもらえるのであれば、こちらからお願いしたいぐらいです」

「そうか、そうか。それはよかった」

「実は御社には勤めていたことがあったので、貴社が良い職場であることはよく知っています」

「……何? 良いと思っていながら、どういった理由で辞めたんだ?」

 会長の声は急に低くなった。

 もしかして何かいけなかったのだろうか?

「あの、えーっとですね……率直に言ってしまうと自分探しをしたかったので辞めました」

 会長は結花と顔を合わせ、二人してため息を吐いた。

「もしかして、何かいけなかったんでしょうか?」

「止むを得ず辞職した場合なら問題はなかったんだが、そういう理由で辞めた者を再び雇うのは勘弁したい」

「どうして、ですか?」

「考えてもみたまえ。自分勝手な理由で辞めた人間が出戻りできたら、他の者に示しが付かないだろう。少なくとも君の立場は悪いものとして扱わなければならない」

 確かに、それは当然の扱いだろう。自分勝手と言われたらそれを言い返すことなどできやしない。それでも就職できるのならこれ以上うまい話はない。

「構いません。仕事ができるだけ有難いです」

「それはよかった。ただ言いにくいんだが、少しというか、かなり危ない部署に就いてもらうことになるが、それでも構わないかね?」

 危ない部署って一体何をやらせる気だ? 建築業とかか? まぁ体力に自信はないが、仕事が貰えるなら……

「構いません」

「本当に、本当に大丈夫かね?」

 何故、ここまで言ってくるのだろう? そんなにやばいのだろうか?

「えぇ、答えは変わりません」

「それじゃあ、契約書を見てから決めたまえ」

 懐から紙を取り出し、机の上に置いた。

「いつも持ち歩いているのですか?」

「良き人材にはいつ会えるかわからないからな。いつも持っている」

 なんかすごい人だな。こんなすごい企業の会長だから普通とは違うんだろうな。

 とりあえず、署名しておこう。

「おじい様、その部署ってもしかしてあれですか?」

 結花が深刻そうな顔で言っている。そんなやばい部署なのか?

「おう、あれだ、あれ」

「お、おじい様……! グッジョブ!」

 結花は小さく親指を立てて笑みを浮かべていた。

 軽く素が出ているぞ。そして、俺には何が何だかわからない。

「さて、確かに契約書に署名したな」

「はい」

 会長は契約書を手に取り一通り眺めた後、そばに置いてあったシュッレッダーに入れた。

「な、何しているんですか!?」

「中身がばれたら、刑務所行きになってしまうからな」

 あの契約書、いったい何が書いてあったんだよ!? ちゃんと読めば良かった。

「もしかして、読んでいなかったか? だが、もう遅いぞ。契約成立だ」

「い、一体何の契約の話をしているんですか?」

「さっきも言った通り、雇用契約だ。ただし、スパイ業のな」

「ふ、ふざけないでください!」

「ふざけてなどおらん。大真面目だ」

「スパイを雇用する会社なんて聞いたことありませんよ!」

「知られたら困るものを聞いたことあるわけないだろう」

 そりゃそうだ。

「……そもそもどうしてスパイなんですか?」

「情報を制するものは世界を制す。まぁ、弱みでも何でも握っておけば契約も交渉も有利に進められるものだ」

 最低だ! このじじい!

「それでは、私をスパイとして雇用したのはどうしてですか?」

「先ほども言った通り、湯沢君を普通に雇用するのはまずいから人に言えない職場に就いてもらおうと思ったわけだ」

「というのは建前で、面白そうだからです!」

 どっちにしろ最低だよ! 

「あの、辞退させてもらえませんか? 仕事はもういいですし、誓って誰にも言いませんから」

「ダメだ。契約書に署名した以上、湯沢君にはスパイとして働いてもらう。もし断った場合は、命はないと思いたまえ」

 あぁ、俺の人生終わった。そう確信した。

「それでは、見学も兼ねて実際に職場に行きましょう」

 俺に選択権はないだろうし、言われた通りに付いていくことにした。


 再び車に乗せられ向かった先は雑居ビルだった。

 高層ビル群が立ち並ぶ中ひっそりと隅に隠れるように建っていた。

「えっと……ここが職場?」

「そうですよ」

 狭い階段を上り、踊り場のような狭い空間に扉はあった。

 結花は三回ノックした後、その小汚い扉を開けた。

「横原さん、起きていますか〜?」

「はいよ」

 扉の奥から俺と同い年か少し年上ぐらいのがたいの良いおっさんが出てきた。

 人のことは言えないがボサボサ頭の汚いおっさんで、とてもスパイをしている人には見えなかった。

「おや、お嬢様。久しぶりですね」

「お久しぶりです」

「今日は何の御用で?」

「新人さんを連れてきました」

 俺は結花の前に出た。

「元一ノ瀬カンパニー社員の湯沢一成さんです」

 横原と呼ばれていたおっさんは俺をつま先から頭の先までを見た。

「お嬢様、冗談はよしてください。こりゃ、ド素人だ」

 全くもってその通りなんだが、そう言われるとちょっとイラッとする。

「わかっていますよ。ですが、ここぐらいしか就職できる部署が思いつかなかったもので」

「はぁ……ここは就職難民の保護施設じゃないんですよ?」

 いろいろ否定されているし、帰ってもいいかな。

「それもわかっています。誰だってはじめてはありますし、一成さんはそれがちょっと遅いだけですから」

「それ以上はいいですよ。どうせ命令されたら拒否できないんですから、必要ないです」

「そうですか。それはありがとうございます。さっきから眠くて仕方なかったもので早く家に帰って寝たいです」

 ……それは俺もなんだが。

「わかりました。では、帰ってください」

「それでは、一成さんをよろしくお願いしますね」

 結花は一礼した後、階段を降りて行った。

 横原は、頭の後ろを掻きながら気まずそうに下を向いていた。

「えーっと、湯沢さん、だったかな? とりあえず、上がろうか」

「あ、はい」

 扉の中に目を向けるとその中は配線がたくさんあった。

 それ以外は、衣服なども散乱しておりゴミ屋敷一歩手前なんじゃないかと思わされた。

 足の踏み場に困りながら奥に進むとパソコンの前に中学生ぐらいの子供が座っていた。

「極君、新人が来たよ」

 何の反応もない。

「またゲームか」

 横原は、極君と呼んだ子供に近づきイヤホンを外して耳にふっと息を吹きかけた。

「な、何すんだよ! 横原!」

「君がずっとゲームに夢中になっているからでしょうが。君の好きなお嬢様も来ていたのに」

「んなっ! なんで、呼んでくれなかったんだよ!」

「報せるまでもなく帰っちゃったし、会ったってしょうがないでしょ」

 なんか空気になっているんだけど、とりあえず帰りたい。

 俺は無視され、しばらく口喧嘩が続いていた。

「それで、あいつ誰だよ」

 やっと俺の話題になったよ……はっ。なんか認識されて嬉しいみたいになっているけどそんなことは断じてない。

「僕もよく知らないけど、新人さん」

「こんなの役に立つの?」

「まぁ、役に立たないだろうね」

 まだ何もしていないのにぼろくその評価だな。泣いていい?

 ……まぁ、自己紹介しておこう。

「湯沢一成です。なんか成り行きでここに就職させられました」

「丁寧にどうも。一応、ここのリーダーを務めさせてもらってる横原真人って言います。それと敬語は別にいらないから。僕も彼も使わないからそのつもりで」

「川田極だ」

 少年はそれだけ言って何も言わなかった。

「こらこら、自分の役職ぐらい言いなさい」

「見りゃわかるだろ」

 パソコン関連……ハッカーか、何かかな?

「いや、わからないでしょ。この子、こう見えてハカーなんだよ」

「ハッカーだ!」

 後ろに帽子をかぶったデブオタが「常考」とか言っている幻影が見えた気がした。

 ……何にしても、ハッカーだったらすごいと思う。まだ、十代だろうし。

「君、中学生?」

「高校生だ! くそ、小さいからって舐めやがって」

 別に舐めたつもりはないんだが。

「極君は難しい年頃だから、気にしないで」

「馬鹿にすんなよ!」

「馬鹿になんてしてないよ」

 また、口論になってる。ほぼ子供の口喧嘩だけど。

「ここ、二人だけなのか?」

「そりゃ、できる人がいないからね。正直、湯沢君もできる人には見えないのにどうして入れられたのか」

「それは俺が聞きたいぐらいだ」

「実はなんとなくわかっているんだけどね」

「どうしてなんだ?」

「面白そうだからだろうね」

「……そんな理由で俺は犯罪に手を貸さなきゃならんのか」

「まぁ、そう言わないで。君も拾われた口でしょ」

「君もって、あんたらもなのか?」

「僕は腕を買われてだから違うけど、極君はそうだね。彼はお嬢様に拾われたのに恩義感じちゃっているみたいでね。恩義どころか恋心を抱いてるみたいだけど」

「うっせぇ!」

 否定はしないわけか。若いなぁ。

 俺は昔から見た目以外はこんなのだけど。

「んーと、そろそろ時間だし行こうか」

「どこへ?」

「お仕事だよ。湯沢君も来る?」

 本音は行きたくない。けど、今後どうせ行かなきゃならなくなるだろうし、行っておいた方が今後のためにはなるだろう。

「行くよ」

「了解。極君も早く準備しろよー」

「すぐ行くから黙れよ」

 ビルから少し離れた場所にはガレージがあった。

 ガレージを開けそこには一台のバンがあった。

「そういえば、湯沢君は免許持ってる?」

「ペーパーだけど、一応」

「それじゃあ、運転しようか」

「え?」

 運転席に押し込められ、助手席に横原さんが、荷台に川田が乗った。

「さっきも言ったけど、ペーパーだぞ、俺!」

「大丈夫、大丈夫。ぶつけて傷つけたり、凹んだりしても文句言わないから」

「目的地も知らないし」

「ナビあるからそれに従っとけば大丈夫」

 エンジンを横から点ける。

「さっさとしろよ、新人」

 川田が急かす。なんと生意気なガキだ。

「どうなっても知らんからな」

 アクセルを踏む。

 勢いよく踏み過ぎたせいで一気に前に出た。

 すぐにブレーキを踏む。

「あ、あぶねぇ……」

 勢い余って、向かい側の建物に突っ込むところだった。

「車通りがほとんどない時間でよかったよ。車どころか、そのままビルに突っ込むかと思ったけど」

「やっぱ、横原が運転しろよ! こいつじゃ、いつ事故るかわかんねぇ!」

「それがいいんじゃないか。眠気覚ましにはピッタリだよ」

「そんな理由で運転させているのかよ……」

 それにしてもこの男、ノリノリである。

 俺を素人と呼び、嫌がっていたのが嘘のようだ。

「さっき川田も言っていたけど、本当にいつ事故を起こすか、わかんねぇぞ」

「そうなったときは、そうなったとき考えるよ」

 随分と楽観的な考え方だ。こんなんで本当に大丈夫なんだろうか?

 仕方ないので、運転を再開する。

「ねぇ、湯沢君」

「話しかけないでくれ、ミスる」

「あ、ごめん」

 ナビに指示されるまま事故を起こさないように慎重にスピードを出しすぎないように安全運転第一に考えていた。それ以外は答えている余裕も文句を聞いている余裕もなかった。

 そのかいもあってか、事故を起こさず無事目的地に到着した。それだけでもう俺は疲労困憊だった。

 時間にして二十分ぐらい運転していた。普通にいけば五分も掛からなかった距離だけど。

「ここで降りて」

 全員、車から降りた。

「ゆっくりなのにスリル満点の運転だったよ」

 愉快そうに背筋を伸ばしながら横原が言う。対称的に無言で不機嫌そうな川田。

 そして、すぐ傍にはでかいビルが建っている。

 会社名も書いてあるが、知らないところだ。結構、大企業のように見えるが……

「これからここに侵入するから、極君はいつも通りサポートで湯沢君は見学してて」

「横原さんは?」

「僕は侵入するに決まっているでしょう」

 すると、正面玄関から堂々と入っていった。

 ……大丈夫なのか? ってか、どこも電気ついてないのにどうして入れた?

 横を見ると既に川田がノートパソコンでキーボードをカタカタと叩いていた。

「もしかして、扉開けたのって川田?」

「当たり前だ。ハッカーならこれぐらいできて当然」

「すげぇな」

「それほどでもない。余裕だ」

 素直に感心したのに素気ない返事だ。

 後ろから画面を覗いてみたが、いったい何をしているのかが全くわからない。

 黙って過ごしていると、五分ほどで川田の動きが止まりパソコンを閉じた。

「終わったのか?」

「俺はね。もうすぐ横原も帰ってくると思うけど」

 そう言っていると正面玄関から、横原が戻ってきた。

 ただ、走ってきてる。

「急いで車乗って!」

「もしかして、またか!?」

「うん! やっちゃった!」

「馬鹿野郎ーーー!!」

 全員、車に乗った。さすがにこの場では横原が運転するようだ。

 急いで車を出して、全速力で逃げている。

「これって、一体何から逃げてんだ?」

「会社が独自に雇っている警備隊だよ」

 後ろを見ると、車が追いかけてきている。

「これって逃げ切れるのか?」

「わかんない」

「……嘘だろ」

 横原は答えず、代わりに川田が答える。

「悪いけど、嘘じゃない。それと、湯沢。言っておくが多分こいつわざとだぞ」

「あはは、ばれちゃった?」

 悪気なんて欠片もなさそうに横原は言う。

「わざとって、もしかしてわざと見つかったってことか?」

「そうだよ。そうでもしないと面白くないからね」

 ……何だ、こいつは。

 前からも後ろのと似たような車が出てきた。

 全力で飛ばしていたので急ブレーキをかけられる。慣性で思いっきりつんのめる。

 前方と後方から人が降りてきて、特殊急襲部隊のような恰好をした警備員が俺たちを囲んだ。

 手には銃を持ち、こちらに向けて構えている。

 これって絶体絶命のピンチなんじゃ……

「あーあ、負けちゃった」

「何を呑気なこと言ってんだよ!」

「……横原のせいだが、仕方ない」

 諦めムードが漂う。抵抗しようとする気配もない。

「ほれ、車から降りる」

 手を挙げつつ、車から降りた。

「えーっと、参りました!」

 開口一番、横原がそう言った。

 そして、何故か警備隊は、全員銃を降ろした。

 さらに誰かがふっと吹き出した。それを皮切りに警備員は全員笑い出した。

「また、俺たちの勝ちだな!」

 警備員の一人がヘルメットを外し、親しげに話してくる。

 少し年老いた白髪の生えた男だった。だが、ガタイはいい。

「人数的に皆さんの方が圧倒的に多いんですから、警備員側が勝てて当然でしょう」

「その割にはまたわざと引っかかったみたいだな」

「そうしなきゃ勝負になりませんからね」

「相変わらず、舐めた口を利くな」

「それぐらいでないとプロはやっていけませんからね」

「それもそうだな、ガハハ!」

 横原と白髪の警備員と肩組んで超仲好さそうに見える。

「あれ……何?」

 指をさして、川田に聞く。

「あの二人、飲み友達らしいよ」

「そうじゃなくて。いや、それはびっくりだけど。そうじゃなくて……この状況は何?」

「この状況って、実戦演習で負けた」

「演習!?」

「何を驚いてんだ?」

「いや、てっきりぶっつけ本番をやらされているのかと……」

「素人にそんなことさせるわけないだろ。まぁ、これに参加させるとも思っていなかったけど」

 確かに、普通に考えればただの無職だった男に何ができるわけもないのに運転だけとはいえ任せるわけはなかった。だが、さすがに名前も知らない会社でそんな演習をするなんて思いつくわけもない。

「しかし、オフィスに忍び込んだり、カーチェイスしても大丈夫だったのか?」

「問題ないよ」

「どうしてだ?」

「その辺は、自分で考えろよ」

 本当に生意気なガキだな。

 不満気に睨んだら、一言だけ付け足した。

「一ノ瀬グループは、日本のほとんどの企業の裏側を牛耳っている。だから、できないことの方が少ない」

 一ノ瀬グループと言う奴は、俺が思っていたよりもずっと巨大な企業だった、ということか。

 引っかき回されてとんでもない目にあわされた俺だが、目にしている非現実的な世の中は何となく楽しそうだと思えた。


 その日は、あのごちゃごちゃした部屋で泊ることになり、翌日から体を鍛えるように指示された。

 一ノ瀬グループ傘下のトレーニングジムで、横原の監視の下肉体をいじめ抜いた。今まで鍛えたことが無い俺にとっては想像を絶する苦痛だった。それでも何とか耐え抜いた。

 鍛えること以外にも車や銃、潜入に必要な道具の扱い方など様々な訓練を受けさせられた。

 半年以上に及ぶ訓練は体脂肪率を十パーセント後半から一桁に変えた。

 下手な運転はプロレーサーにも引けを取らないんじゃないかと思えるぐらいにはなった。実際は興味ないから知らないけど。

 ここまで働いていなかったが、研修という扱いで俺が働いていたころの倍近い給料が振り込まれていた。さすがは大企業と言った感じだ。

 さらに一ヶ月後、再び実践演習が行われることになった。

 前回と同じ場所で行われるが、今度は横原と共に潜入することになった。

 前とは違って、何もかもがスムーズに進んでいる気がする。前は車を運転しただけだったが、今度は潜入もできる。振り回されていた前とは違って、今度はわくわくしっぱなしだった。

 川田がハッキングで扉を開け、正面玄関から入った。

 広いエントランスを抜け、階段を使って昇った。監視カメラに写らないように走り抜けた。赤外線を抜け、パスワードロックは川田が遠隔で開け、目的の資料を手に入れた。

 途中、横原が不自然な動きをしたので止めると、どうやら前回と同じくわざとばれる行動をしようとしていたようだった。さすがに、注意したら止めてくれた。

 脱出も滞りなく完了し、実践演習は完全勝利に終わった。

 あの雑居ビルに戻った後、横原が電話をかけた。どこに電話をしたかを聞けば、警備員の人たちらしい。報告しないといつまでも気を張り詰めて仕事しなければならないとのことだった。

 その後、祝勝パーティーという名目で、三人で飲み食いした。俺と川田はジュースだったけど。

「いやぁ、成長したねぇ。あのド素人が僕のおふざけに気づいて止めちゃったし」

「またやったのかよ、横原!」

「まぁ、いいじゃない。上手くいったんだから」

「湯沢が居なかったら、また減給されるとこだったんだろ!」

「僕ら、お金なくて困ることないでしょ。高給取りな上に、あんまり使わないし」

「そういう問題じゃねぇ!」

 なかなか会話に入り込めない……

「そういや湯沢、よくやった」

「え? 俺?」

「これから仲間と認めてやる」

 嬉しいんだが、年下のガキが偉そうに言っているのが糞腹立つ。

「あ、あぁ、ありがとう」

 多分、言っている間俺のこめかみあたりがピクピクしてた。

「極君がそんなに言うなんて珍しいねぇ」

「てめぇがふざけ過ぎなだけだ」

 こいつら、仲良いの? それとも悪いの?

 しょっちゅう言い争いするくせして、いつも絡んでる気がする。

「横原と川田は付き合い長いのか?」

「四年ぐらいじゃないかな」

「つまり、川田は小学生からここにいるのか!?」

「別に驚くほどのことじゃないだろ」

「いや、驚くだろ」

「極君は文字通りお嬢様に拾われて、英才教育を受けたから当然だって言いたいんだよね」

「違っ……くねぇ、けどよ」

 気恥ずかしそうにしている。

「拾われたって前にも聞いたけど、どういうことなんだ?」

「それ聞いちゃう? 湯沢君は随分デリカシーに欠けるね」

「お前が言うな。別に気にしてもないし、教えていい」

「自分からは話さないのね。一言で言えば育児放棄されていたのをお嬢様がお金で買収したって話」

 ある意味、救ったと言えるのだろうが、人としてありなのだろうか?

「お嬢様の行動もどうかと思うけど、お金で自分の子供を売る親ってのも最低にも程があるよね」

「俺は嬉しかったよ。何もしてくれない、何も与えてくれない両親より遊んでくれたり、勉強を教えてくれる義姉さんの方がずっといい」

「両親に未練はないのか?」

「ないね」

 子供のくせして、と思ったが、俺も同じ目にあったら同じようなことを思いそうだから言わなかった。

「横原は?」

「僕は前にも言った通り雇われただけだよ。川田君にハッカーの才能が見いだされたから、そのスパイ活動をしようっていう企画が立ち上がったんだ。僕はこの筋では有名人だからスカウトされたんだ」

「実は横原ってすごい人なのか?」

「そうだよ。だから、もっと敬ってくれてもいいんだよ」

「敬うにしても自分で敬語使わなくてもいいと言った気がするんだが、どうしろと」

「それは自分で考えて」

 こいつは本当に意味の分からんやつだ。


 翌日からも訓練は続いた。横原は毎日俺より厳しいメニューをこなしているため、サボるわけにもいかなかった。既に、これが俺の日常として根付きつつあった。

 そして初めての訓練からおよそ十ヶ月、初仕事が決まった。

 潜入場所は最近勢力を伸ばしている新進気鋭の会社、プロトヴァーチャルという会社だった。主に仮想現実の開発を行っている会社で、某ラノベのオンラインゲームの再現も間近と思わせるほど、仮想現実の技術を発展させた。昨今、注目を集めている会社だ。

 何故、この会社に潜入することになったかと言えば、プロトヴァーチャル側から一ノ瀬グループの傘下に入りたいと言われたからだ。それはつまり、最先端の研究をしているから多大な資金が必要でそのスポンサーになって欲しいということだろう。一ノ瀬グループはそれに応じるのはやぶさかではないが、本当にお金を出す価値があるのかはまだ判断しかねているそうだ。そのことに関しては既に向こう側からアピールを受けたそうだが、実態を把握するには実地調査が最も良いということで、こちらに仕事が回ってきたということだ。ちなみに、今回川田は役に立たない。理由は二つある。一つは、プロトヴァーチャルのインターネットセキュリティは世界最高峰レベルで高い。名のある凄腕ハッカーでさえ、勝負を避けたがるほどらしい。川田も相当の実力の持ち主らしいのだが、そこまで無理して挑戦したくないらしい。もう一つは、オフィス自体のセキュリティに機械がほとんど使用されていないからだ。使用されていないものをどうにかできるはずもないので、今回川田はお留守番だ。


 そして、そのプロトヴァーチャルのオフィスに到着しているわけだ。

 土地は郊外の端とも言えるところで三階建てのビルが建っていた。

 思ったよりもずっと小さな会社だった。

「ほら、湯沢君行くよ」

「あ、はい」

 裏口の方に回ると、一般的な旧式のカギ付きのドアだった。

 無理に開けようと思えば、誰でも開けられそうなドアだ。

「ま、ここにお金掛けるぐらいなら開発に回すよね。注目されているとはいえ、まだまだ小規模の会社だし」

 横原はピッキングでものの数秒でカギを開けた。

 中に入り階段を上る。目指すは最上階だ。と言っても三階建てでしかないが。

 最上階に辿り着くと足音が聞こえた。

「まずいな」

 下調べしたときには、いなかった警備員がいたようだ。急いで音をたてないように傍の部屋に入る。

「おい、隠れる場所が無いぞ」

 中にはダンボールや使い道がなかったのかパソコンの基盤や液晶など機械類が色々散乱していた。

「いやいや、あれがあるじゃない」

「え? マジで言ってんの?」

「大丈夫、今までもこれで切り抜けてきたから」

 足音が近づいてきている。

 仕方ないので、急いであれに隠れる。

 ドアが開かれた。懐中電灯を持った男が入ってきた。

「だ、誰かいるのか?」

 懐中電灯で部屋中を照らした後、ほっと安心したような声をだして部屋を出て行った。

「ふぅ、本当に大丈夫だったよ」

 俺らはダンボールの中に隠れてやり過ごしていた。

「また、ダンボールに助けられたよ」

 お前はどこぞのステルスゲームに出てくる伝説の英雄かっ。

 横原はしきりにダンボールのおかげで助かった話をしたがったがうざいのでスルーした。

 俺達は警備員が下に向かったのを確認して、奥の部屋に向かった。

 一台のパソコンと小さな金庫があった。横原はその金庫をやすやすと開けて中に入っていた資料を取り出す。内容をカメラに収める。俺も内容を確認しようとパラパラとめくった。金庫に戻そうとしたら一枚落としてしまった。

「やっべ」

「何やってんの」

「すまん」

 落としてしまった資料を拾って、中身を見た。

「収支表か……」

 結構でかい金額が支出に記されている。収入もほとんどないのにどうしてんだろ? 銀行から多額の融資は受けているみたいだけど。まぁ、考えるのはお偉いさんの仕事か。横原にまだかと急かされたので資料を元の位置に戻した。

「それじゃ、帰ろうか」

 その後、特に苦労なく帰還を果たした。

 帰った後は報告。その後は無事に帰ってきたのを祝ってパーティーで日が上がるまで楽しんだ。家に帰ろうとドアに手をかけると横原に呼び止められた。

「湯沢君、今日は疲れただろうし一週間ぐらい休暇を取っていいよ」

「え、でも……」

「気にしない、気にしない。仕事もそう来ないだろうから。あ、最低限の筋トレは怠らないようにね」

「はぁ……」

 こうして急遽、暇をもらってしまった。特に趣味のない俺には寝る以外に過ごす方法がない。一日、二日はそれで何とかなったがさすがにいつまでもじっとしていることはできなかった。ずっとトレーニングしているのもつらい。以前までどうやって過ごしていたのか不思議になるくらいには、落ち着かなかった。あまりに落ち着かないので、散歩でもすることにした。目的地も何もないのもつまらないので、適当に山手線沿いに歩いて一周することにした。

 一周が近くなったのに気づいたらもう真っ暗だった。歩いてみたものの無心に歩いていたせいか、なんも覚えてなかった。いや、明らかに怪しい取引してんなぁって感じの現場だけは見たのを覚えていた。なんとなく珍しいモノ見つけたって気分で写真だけ取っておいていた。ちなみにカメラは横原から「使えそうな情報はいつでも手に入れられるようにしておけ」と超高性能なものを受け取っていた。小型かつブレに強く、暗かろうが明るかろうがくっきりと写る。鞄に常に取り付けていても注視しなければ見つけられない、とんでもない盗撮アイテムだった。それでも撮っているのがばれるんじゃないかと、ヒヤヒヤしながらだったから、それだけは覚えていた。

 ふと、気づくと結花と初めて会った公園に足が向いていた。仕事に就いてからというものの一回もここに来ていなかった。必要がなくなったからともいえるが、なんとなく物寂しく思わないこともなかった。いつも座っているベンチに向かうと先客がいたようで誰か座っている。久しぶりに一服しようとも思ったけど、人が居るから帰ることにした。踵を返し、歩くと後ろから誰かがタックルするように抱き着いてきた。

「ちょっと待て!」

 誰かと思ったら、この声。

「結花か、どうしてここに?」

「べ、別になんだっていいだろ……」

 素を出している彼女にしては珍しく落ち込んだ雰囲気だ。

「なんか悩みでもあるのか?」

 結花は小さくうなずいた。

「まぁ、そこのベンチに座ろう。そこで話、聞いてやるから」

 座ってから久々に煙草を取出し、銜えて火をつけ、息を吸い込む。

「げほっ、げほっ!」

 あぁ、この感じ懐かしい。

「ぷっ、あはは」

 俺が感慨に浸っているとその様子に結花が笑い出した。

「むせるのにまだ吸ってんだ」

「いや、久々に吸いたくなっただけだよ」

「そっか。じゃあ、今は早死にしたいとか思っているわけじゃないんだな」

「割りと今を楽しんでいるからな」

「それはよかった……ホント、よかった」

 結花は沈んだ面持ちを見せた。

「それで、どうしたんだ?」

「親父が、縁談を持ってきたんだ。それを断れそうにない」

「らしくないな。はっきり断ってやればいいじゃないか」

「意外に思うかもしれないけど、私は勝手に家を出ることを除けば一度も親に逆らったことがないんだ」

 確かに意外だ。でも普段、マナーは守っているようだしそれほど不思議なことではないかもしれない。

「で、相手はどんなやつなんだ?」

「プロトヴァーチャルの経営者で見た目が豚」

 スマホを取出し、写真を見せながらそう言った。

 確かに豚だった。ザ・ポークとあだ名を付けたくなるぐらいには豚だった。

「……まぁ、見た目はともかく性格は良いかもしれないだろ」

「ちょっと話したけど、キモオタだし、なんか言葉遣いきもいし、とにかく気持ち悪い」

 ひどい評価だ。少し、その人が哀れに思えるぐらいだ。

「でも、親父がそいつのことすごく気に入っちゃって、結婚させたいって話になって……」

 結花は俺にしがみ付いた。

「お願いだ! 私と駆け落ちしてくれ!」

「な、何言ってんだよ。それに、何で俺? 川田とかにしとけよ」

「何で、極?」

 川田は結花のことが好きだから、とは言えねぇな。

「あいつのほうが歳近いだろ」

「私は極じゃなくて、湯沢……一成が好きだ!」

「そう言われても……」

「初めて会ったときから気になってたんだ。あの時よりカッコよくなってるし」

 赤面しながらそういう彼女は素直にかわいいと思った。ただ、俺は未だかつてないほどに困惑した。結花に対して感謝の念こそあるが、恋心を寄せたことはない。

 再び煙草を吸って、むせて、落ち着く。そして、過去を振り返っていた。

「あ」

 何とかできる方法を思いついて、というか思い出したら思わず声が出た。

「何?」

 抱き着いているのを引きはがす。

「その縁談、多分だけど破棄できるぞ」

「どうして?」

「俺はザ・ポークの弱みを握っている」

「ざ、ざ……ザ、何?」

 変な失言をしてしまった。まぁ、いいか。

「すまん。それは忘れてくれ。」

「それで、どういうことだ?」

「結花の縁談の相手、今日見かけたんだよね」

「それは意外だな。でも、それがどうしたんだ?」

「麻薬の取引してたみたいだったから、その事実を親父さんに突き付けてやればその話は無効にできるんじゃないかと思ったんだ」

「……それって本当?」

「あぁ、ここに証拠写真あるぞ」

 例のカメラに取った写真をスマホに映して見せる。

「確かに何か受け渡しはしているみたいだけど、何かまではわからないぞ」

「俺にもわからん」

「それじゃあ、どうすんだよ」

「こいつを付けてみる。そうすれば、今度は完璧な証拠が手に入れられるから縁談はなかったことにできると思うぞ」

「つまり、この豚と結婚しなくて済むんだな!」

「多分な」

「ありがとぉ!」

 再び抱きつかれた。なんとなく妹でもできたような気分だ。

 頭を撫でてやりながらそんなことを思った。


 帰ってすぐに、ことの詳細は川田に伏せて横原達に相談することにした。

 すぐにプロトヴァーチャルの経営者の身辺調査が行われた。そして、一週間と掛からずに麻薬取引をしていた確定的な証拠を手に入れた。いつか見た収支表の違和感は、この収入を当てにしていたのは間違いなかった。不正が発覚したので、その経営者は豚箱送りになり、プロトヴァーチャル自体は一ノ瀬グループに吸収された。技術力自体は本物だったので、これを機に新たな顧客を獲得できるとお偉いさん方は大喜びだそうだ。

 そして、結花がどうなったかと言えばもちろん縁談はなかったことになった。それに、自分の結婚相手ぐらいは自分で探すと親に言ったそうだ。あの被ってた猫を外して言ったのなら両親はさぞかしショックを受けただろうな。

 それからというものの、あの狭いオフィスに入り浸るようになった。

 今日もオフィスに現れては物色している。

「いつまでここにいる気だよ」

「そうだな。一成が私を好きになるまでかな」

「ないから、さっさと諦めろ。ついでに、俺に好きと言うんじゃない。死人が出る」

「何言ってんの?」

 何かにつけては、俺に好意を向けてくるが、その様子を目の当たりにしている川田は死にかけ寸前の放心状態だ。

「割と鈍いのかね、結花は」

「鈍くなんかないよ」

 鋭い突きが俺の顔の横を通る。

「そういう意味じゃねぇから」


 この先、一ノ瀬結花が誰とくっつくかは知らないがしばらくは俺に好意を向けてきそうだ。ただ、その想いに答える気は欠片もない。今はこの現状を楽しんでいたい、それしか考えていない。それでも、彼女が初めてしてくれ嫌がらせのような厚意には最大限の感謝をしたい。好意に好意を返せなくても厚意は返したいと思う。


 どれくらいの方が私の作品を見ていてくれているかは存じ上げませんが(正直、pvやUA見ても、意味は理解できても実感できないです)楽しんでくれる方がいるのでしたら幸いです。

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