僕の新妻は〝宇宙人〟
トントントンという包丁の音に薄っすらと意識が浮上する。
ガスをつける音、流水で何かを流している朝の人の気配に、僕はもぞりと寝返りを打ちながら、もう少しだけ微睡む事にする。
そうすると、いいことが起きるからだ。
カチリ と コンロを消した音と共に、台所から畳のこの部屋へ入ってくる人の気配に、僕は寝たふりをする。
すとんと枕元の近くに座った気配は、柔らかな優しい声で言った。
「惺司さん、朝ですよ? 起きて下さい」
僕がうすめを開けてちらりと見ると、かぐやは片方だけ髪を耳にかけてこちらを覗いている。
僕は寝たふりをしながら布団に引き込もうかどうしようかと悪い事を考えるのだが、あんまりそんな事ばっかりやってると嫌がられるかと思い、今日はうーん、と伸びをして起きる事にする。
かぐやは地球人ではない事を差っ引いても初心で物知らずだ。あまり表情の変わらない彼女だが、僕がちょっかいを出すとほんのりと頬を染めて、恥ずかしそうに目を伏せる。
そう、今も。
****
彼女がもしかしたら地球外生命体なのではないか、というのを、実は僕は夏を過ぎた頃から薄々感じていた。
なんというか、普通の付き合い方ではなかったからだ。
告白をして、奇跡的に受けてもらい、有頂天になって勇んでドライブに行った夏は、初キス。
子供じゃないんだから、普通ならばそこから一気に盛り上がって一線を超えてもいいものの、その後の帰り道も僕がなんとなく匂わせてみてもスルーして普通に会話して帰ったり、その後も、秋は仕事が忙しくて会えないから、出来れば週末を一緒に過ごしたいなぁ、と匂わせてみても、じゃあお昼の時間はなるべくあの喫茶店に居ます、とまたしてもバッサリスルー。
そして、普段の何気ない会話の時に感じる視線。かぐやが僕を見る時、たまに無機質にも感じる目をする時があった。
なんていったらいいんだ?
観察されている虫になった様な感じっての?
……なったことないけれどさ。
何となく、薄ら寒く思えて、僕は仕事の忙しさを理由に少し彼女と離れてみた事がある。
実際に忙しかった。
それは事実なのだけれども。
彼女はたまに会っても寂しそうなそぶりもしなかったから、僕の事を本当に好きなのか、という疑心暗鬼と、宇宙人だったらどうしよう、という一般市民ならば考えもつかない不安とないまぜになった僕の心は、実際不安定だったと思う。
でもある日、出張先から帰って来た時に、午後四時頃にあの喫茶店の前を通ったら、彼女がまだいつものテーブルの前に座って佇んでいた。時折、枯葉が舞う桜の木を眺めながら。
え……僕が来れない日は、お昼食べたら帰ります、って……言ってた、よね。
その日、仕事帰りに喫茶店に寄った。
さすがに午後八時頃だったので彼女は居なかった。店主に、彼女が何時頃帰ったのか聞いてみると、店主は教えてくれた。
「いつも、貴方がいらっしゃらない時は、十七時頃までいらっしゃいますよ」
僕は心苦しくなった。
いつも僕と会う時、彼女は先にお昼を食べていて、僕のランチを食べ終わったのを見届けて、一緒に店を出るのだ。
じゃあ、と昼休みが短い僕は急いで会社に戻り、彼女は自宅へ戻っていく。
そして彼女の仕事である翻訳にいそしんでいると聞いていた。
僕と会えない時は、お昼まで待って、そのまま帰っていると、本人も言っていたのに。
ずっと、待っていたのだろうか。
会えない時はずっと?
もしかしたら、僕が寄るかもしれないから?
僕は喫茶店を出たその足で、駅ビルに入っている大型書店へ行き、バサバサと数冊の本をカゴに入れて買った。
『マル秘宇宙人大百科』
『実録! ユーフォーを見た! ユーフォじゃないよ』
『ボクの隣の宇宙人』
僕は家に帰って夜な夜な読み耽った。
曰く、
宇宙人は存在する。
宇宙船も存在するらしい。
実はもう既に宇宙人は地球に来ていて、僕たちの側にいるかもしれない。
特に最期に読んだ書物は、アメリカ人の少年が書いたものの翻訳本だったが、宇宙人だと思われる生命体の事がリアルに書かれていて、それがすごく、かぐやの行動に近かった。
そして、その本にはこう書かれていたのだ。
ーー僕は当時幼くて、その事実にどう応えたらいいのかも分からなくて手を離してしまったけれど、もし、宇宙人だと知っても愛しているならば、どうかその手を離さないで。
もしかしたら、この少年はかぐやのような人に会ったのかもしれない。
もしかしたら、僕のように迷う奴の為に、この本を書いたのかもしれない。
もしかしたら……彼にとって大切な存在だった宇宙人の、手を離した事を、後悔しているのかもしれない。
僕は考えた。
そして、僕も観察をした。
彼女は、お人形さんみたいに美人……宇宙人みたいだ。
彼女は、あまり表情が動かない……宇宙人みたいだ。
彼女は、あまり人に興味がない……僕以外は。
そう、僕にだけ、彼女は全てが変わる。
僕にだけ、見せる表情が違うんだ。
僕にだけ、笑うんだ。
僕にだけ、身体を預けてくれた。
初めて泣いた顔を見た。可愛かった。
……愛しかった。
その時に思ったんだ。
もし彼女が本当に宇宙人で、別れる時が来るならば……その手を離すものか、とね。
****
「惺司さん?」
僕が身体を起こしたままずっと動かないのに、かぐやは少しだけ首をかしげて呼んだ。
付き合ってすぐは、話しかけても応える声が無機質で、さすがクールビューティと思っていたけれど、今はなんて柔らかく温かなんだろう。
僕はかぐやの手を取った。
細く冷たい指は陶器のように白くて、少しだけ僕たち地球人とは違う。でもずっと握っていると、ゆるやかに桜色に染まる。そしてかぐやを見ると、そのお人形さんみたいな頬や首筋がほんのりと上気して、うっすらと甘く香るのだ。
そこら辺が地球人と一緒なのか違うのか分からないけれど、僕はいつもその移り変わりに誘われてしまう。
まったく男というものは、どうしようもない。だってそうだろ? 据え膳食わないヤツなんていないっしょ?
仄かな薫りに惑わされるのは、きっと平安時代から変わりのない事だろう。
竹取物語だって、たぶん、お伽話なんかじゃない、と僕は思いながら、かぐやの手をぐっとこちらに引き寄せた。
かぐやのいつも驚く顔が可愛い。
恥ずかしがる時に目を伏せるのは、ストッパーの役割にはならないと教えたいのだけれど、僕以外にはしないから黙っておく。
お味噌汁が……と戸惑った声を僕は塞いで飲み込んだ。
お味噌汁は、後で温めていただきます。
fin
お読み下さりありがとうございます。
レビューを頂いたお礼と、少し語り足りない所があったので、SSという形で出させて頂きました。
惺司さん側の思いですね。
楽しんで頂けたら幸いです。
ありがとうございました。