かぐや 4
『やあ、無事に正月を過ごせたようだね』
豊かな金髪青い目の少女がパソコンの画面一杯に現れた。今日は衛星電波を微量にジャックして画像通信をする日だ。
前任者にして上司であり指導者の彼女はにこにこしてこちらを見ている。
「あんなに痛いものならば、教えておいて下さい、教官」
私は顔を歪めて訴えると、少女はからからと笑って、容姿に似合わない柔らかな落ち着いた声で言った。
『事前に情報を与えると躊躇すると思ってね。まあ、良かったじゃないか、良い顔をしている』
「いつもと変わりません」
『そうかな? ま、そういう事にしておくか。離脱の日が決まったので伝えておく。当局は地球時間の4月1日20:00をもって月を離れる。君は前日の3月31日20:00をもって、地球、いや〝蒼の星〟を離れるように』
「了解しました」
『いいのか?』
「何がです?」
『いや……また連絡する』
少女は苦笑して頷くと、ブンっという音と共に画面が暗くなった。私はそれを確認してパソコンを閉じる。
いいのか、という教官の言葉の意味は、分かっていた。
彼と過ごすようになってから、言葉は、表面の意味だけではないと学んだからだ。
彼はよく彼の心と反対の事を言った。
本当は私に水着を着てほしかったのに、着てほしいと言わなかったり、クリスマスを一緒に過ごしたかったらしいのに、そう言わなかったり。
その都度、私は何事も初めてで分からないので、なるべくはっきり言って欲しい、と伝えて来た。
一緒に居る内に、彼は伝えたくても伝えられない事がある、という事と、私の分からなさ加減も伝えなければいけない事を学んだ。
十分にコミュニケーションを取って来た。
もう、私は彼の事が、言葉から、表情から、本当の気持ちを推察出来るまでになった。
私は沢山のサンプルを取り、彼が、何を食べ、何を好み、何に疲れて、何をすれば笑うのかを知った。
任務は果たした。
だから、帰らなければならない。
私はこの日を境に、彼を地球人把握の為のサンプル対象から除外した。
そして、普通の恋人として、あと少しを過ごす事にした。
その旨を教官に通信すると、報告はする様に、と釘は刺されたが、了承の返信がすぐに来た。
それでも、彼をサンプル対象として見なくて良い、というのは、私の心を大きく緩ませた。
彼は私を、かぐや、と呼ぶようになった。
私は名前を呼ばれるだけで、心はりんりんと甘やかな音色を響かせるようになった。
かぐやの家に行っていい? と聞かれ、ごめんなさい、家は無理です、と応えて彼を落ち込ませた。
私の心はりーんりーんと悲しく鳴いた。
毎日、少しでも一緒にいたくて、仕事で忙しい彼に、お昼だけは一緒に食べたいと願った。嬉しそうに頷く彼を見て、私もまた嬉しくなった。
毎夜、小さな一軒家の縁側で、美しい輝きを放つこの星の衛星を見ながら日を数える。
あと二月。
あと一月。
日が無くなるにつれて、私の心は鳴り響いた。
りーん りーん りーん
別れを伝えなければならぬと思いながら、
いつも、言葉にならなかった。
そして3月31日を迎えた。
****
煙るような雨が降る外から入った喫茶店は、静かだった。
桜の木が見えるいつもの席に二人で座る。今日は大事な話があるから時間を取って欲しいと、事前に彼に言っていた。
彼はなんとか会社から半休というのを取ってくれて、背広のままここに来てくれた。
私がおもむろに、別れてほしいと、告げると、彼は激しく動揺した。
彼の身体がテーブルに触れて音を立て、少し冷めてしまったコーヒーが波立って、ゆらゆらといつまでも揺れている。
「かぐや……僕の事を嫌いになった訳じゃないんでしょ……?」
「……」
「かぐやが僕を嫌いになったなら分かるよ? でも、そうじゃないでしょう? 嫌いだったらそんな顔していないよ?」
私はどんな顔をしているのだろう。
ただ心だけがりーんりーんと煩く響き、鳴り止まぬ苦しさに胸をぎゅっと掴む。
「どうしてそんな事になったの? 教えて。二人で考えればなんとかなるかもしれない」
「……」
守秘義務というよりかは、ただただ言葉にならなかった。あと数時間後にはこの星を離れる。
あなたとは会えなくなる。
話しても動かせられない事実。
もう一緒には居られない。
こんなに、そばに居たのに。
こんなに、そばに居たいのに。
別れがこれほど辛いものだとは
思わなかった。
想像を絶する胸の苦しみに、喉が鳴った。
彼を見ると、いつものにこやかな顔を歪ませてこちらを見ている。
りーんりーんりーん
そんな顔をさせたいんじゃない。
そんな苦しげな顔をしてほしくない。
そんな泣きそうな目をしないで。
お願い、です。
私はいつのまにか泣いていて、
気がつけば、喫茶店を飛び出していた。
霧のように絡みつく雨を突き抜けて、走って自分の住んでいる小さな一軒家に飛び込んだ。
転がるように廊下を走り、畳の部屋の押入れを開いて、純和風な家屋には似合わないメタリックなコントロールモニターのメインスイッチを入れる。
泣きじゃくりながらパチパチと地上を離れる為の重力コントロールをオンにしていく。
「なにしてるの」
聞き間違えるはずのない声が、聞いたこともない低い声で言った。
私は震えながらメインエンジンのレバーを上げて振り向いた。
家屋全体が微かに唸った。
「わた……あなたと……ちがう……」
「どういう……」
この状態が尋常ではない事は彼も察しられた様で、戸惑いと恐れとをないまぜにした目で私を見た。
「私は……ここの……この星の……人、じゃない」
「か、ぐや」
「もう、ここから、去らなければ、ならない」
「なっ……」
離れたくない。
離れたくない。
でも、離れなければならない。
「ここから、はな、れて。ここに居たら、あなたのからだが、千切れてしまう」
超音速で移動するこの宇宙船に、地球人の彼の身体が耐えうるはずもない。
私に恐れを抱いて去ってほしい。
あなたが生きていればそれでいい。
たとえもう会えなくても、何万光年の先で生きていてくれれば、私はもう、それで、いい。
「おね、がい、です」
ぼろぼろと涙を流しながら願った。
彼は何も言わずじっとしていたが、くっと口を結ぶと、私の方へつかつかと歩いてきて、そして、私が手をかけているメインエンジンのレバーを下げた。
ウゥウン、と家屋がまた唸り、動力がアイドリング状態になる。
そして、私の目の前で順番に重力コントロールをオフにし、全てのスイッチを元に戻した。
「なん、で……わか……?」
「男は特に知らなくても分かるよ。どういう順番でやってたかも見ていたから。ていうか、それどころじゃないよ、ちゃんとしよう」
「う……」
「かぐやは地球の人じゃないんだね? 別の星の人なんだね?」
私は震えながら頷く。
「家にも呼んでくれなくて、お人形さんみたいな顔立ちで、しかも名前が〝かぐや〟……ちょっと世間ずれしてるな、とは思っていたんだ。まさかね、とも、思っていたけれど」
彼は私の手を両手で包むようにして、レバーを握り締めている指を、ゆっくりと一本一本外していった。そして手を握ったまま、私を強い目で見た。あの夏の日のよりも、もっと光を帯びた瞳で。
「僕の方はだいたいわかった。大丈夫。それでかぐやは、僕とは別れたいの? 別れたくないの? 状況は置いておいて、単純にシンプルに考えて」
「別れたく、ないです」
「離れたくない?」
「離れ、たくない」
「僕の事は好きなの?」
「好き……好きです。一緒に……居たい……!」
りーんりーんりーん
心の鐘が鳴り響いてたまらなくて、声を上げて泣き出したら、彼がぎゅうぅっと抱きしめてくれた。
「それならここに居ればいい。僕と一緒に」
「帰……」
「帰らなければいい。ちがう?」
「任務……」
「そちらの星でも上司っているでしょう? 相談してみようよ」
「相談、して、いいの、です?」
「うちの会社では相談しまくりだよ。むしろ相談の無いチームは蹴られて次のシーズン居ないぐらいだ」
「やった事、ない、です」
「じゃあ、今やろう。僕がそばにいるから。ちゃんと支える」
「は、い」
私は彼をぎゅっと抱きしめた。
彼の鼓動を聴いていると、私の荒れた心が収まってきた。
りーん りーん……りーん
心の音も、だんだんと穏やかな音色になっていく。
ほぅ、と息を吐くと、彼が少しだけ身体を離して、額に口づけてくれた。
流れる涙をそっと親指で拭ってくれる。
「惺司さん……」
「大丈夫だから、コンタクトを取ってみて」
「わかり、ました」
私はパソコンを開いて、緊急用の直通通信を開いた。すぐに画面には金髪美少女の教官が出てくれた。
『やあ、きっと連絡が来ると思っていたよ。お隣の方が、地球人の彼だね』
「教官、申し訳ありません」
『皆まで言わなくても分かっているよ。残るんだろう?』
「申し訳ありません……!」
『気にするな、そうなる事をある意味望んでいた部分もある。地球の御仁、お初にお目にかかる。名乗る事が出来ないのを許して欲しい。かぐやを地球に残すに当たっていくつか条件があるのだが』
「地球人のサンプルとしてデータを提供、ですかね。僕の頭ではそれぐらいしか思いつかないけれども」
『話が早くて助かる。貴殿だけでなく、かぐやが生きている限りずっとな。将来的に生まれてくる貴殿とかぐやの子のデータもだ。四六時中、監視されている訳ではないが、言語データでの提供はずっと続く。たまに映像データも頂けるとありがたい』
「承諾しますが、それが何に使われるかを教えてもらえませんか?」
惺司さんの問いに教官はくっくっと金色の髪を震わせて笑い、いや失敬、と手を挙げた。
『承諾をしてからの質問とは、また信用されたものだ。いや……かぐやの為、かな。 いいだろう。私たちは地球人と将来的に種としての融合が出来るかを見極めている。私たちと地球人の分子ゲノムが非常に近くてね。相性が合えば、君達の星で融合し種が繁栄出来るのではないか、と考えているのだ』
「つまり侵略?」
『どちらかというと移植……いや、移住という言葉の方が近いと思うが。どうかな?』
「迫害される訳ではないならば」
『それは無い。マッチングが合えば君達のように一緒に暮らしていくし、合わなければ切り上げて本星に帰ればよい、というゆるい感じだな』
「分かりました。これからもよろしくお願い致します。あと、かぐやさん、貰います。ありがとうございます」
『ああ、よろしく頼むよ。いい子だからね』
「承知しています。ではかぐやさんにかわります」
惺司さんはきっちりお辞儀をすると、身体を横にずらして、私を画面の前に立たせてくれた。
『ではな、かぐや。本星に戻ればオンタイムでの画像通信は出来なくなる。元気かどうか知りたいので、画像だけでも送ってくれよ? また、物資支給も出来なくなる。私の言っている意味はわかるね?』
「承知しました。地球人として生きていく術を探します。それから、感謝致します」
『そういう時は、ありがとう、というものだよ、私との関係が親密であればね』
「ありがとう……ございます、教官」
私の言葉に、教官は小さな身体を揺すって笑った。
『かぐやらしいね。ではこれより通信は定期報告のみとする。ご苦労だった』
翌日4月1日、私は自宅に招き入れた惺司さんと一緒に自宅の縁側に座って、衛星、いや、月を眺めた。
何もかわらず輝きを放つ小さな光を見ながら、無事に着くといいね、と惺司さんが言ったので、大丈夫です、と私は応えた。
翌々日、私はいつもの喫茶店で、いつもの席に座った。さらさらとした春の雨が途中から降り出して、私は彼が傘を持っているか心配した。
今朝家を出た時は、持っていかなかったから。
噂をすれば、カランカランというドア鈴と共に彼は勢いよく入ってきて、店主にカレーを頼んでいる。
その顔を見て、普段は静かに営んでいる店主がにっと笑ったので、ああ、店主にも心配をかけたのだと、私でも分かった。
まいっちゃったよ、降られた。
とハンカチで水滴を拭きながら向かいに座る彼に、私に振られなかったから、雨がやきもちを焼いたのですよ、と言った。
言ったね? と睨んでくる彼に、文庫をちらりと下げて、言いましたよ? と私は応じて笑った。
彼は相変わらずうっとなって発汗している。私は文庫を閉じて、ふふっと笑った。
私の心も りんりん と、鳴っていた。
完
お読み下さり、ありがとうございました。
秋月 忍さまの活動報告のおかげでこの物語は出来て、石川 翠さま、秋月さまからの投稿してみたら〜、とのお声かけで表に上がる事が出来ました。
また、銘尾 友朗さまのおかげで、企画まで参加させて頂きました。
秋月さま、石川さま、銘尾さま、背中を押して頂いて、ありがとうございました。とてもとても嬉しかったです。
銘尾 友朗さま主催の企画は、この他にもとても素敵なお話がたくさんあります。
言葉にならない想いを感じたい方、ぜひ、
「春センチメンタル企画」とキーワードを入れて探してみて下さい。
ありがとうございました。