かぐや 3
秋は繁忙期、というので彼が忙しくしていてあまり会えなかった。たまに会うと、決算がどうのと言っていて、彼を悩ませるその情報が気になったが、前任者で上司である教官に聞いてみると、あと半年で戻る事を考えると、詳しく知る必要はないとの事だった。
冬にはまとまって休みが取れるから、と言われて、私は大人しく毎日喫茶店で待っていた。彼に会っても、会えなくても。
私の座る席はだんだんと定着をしていて、喫茶店に入ると何を言われなくてもそこに座るようになった。
その席は、広めに取ってある窓から中庭の桜の木が見えていて、私は空へ無数に伸びる枝を見ながら、季節というものを感じ取っていた。
着任早々は大方の花は散り、残った花びらと若葉が入り混じっていて、なんと騒がしい木だと思った。
やがて青々と繁った葉のそばの枝に、いつの間にか蝉という虫がつき、恐ろしい程の声で鳴って、一週間でころんと地面に転がる様子を見て驚いた。
なかなか会えなくなった秋は、夏の葉が赤茶色に色づき、はらはらと落ちてくる様を楽しみ、冬の今は枝に葉はなく殺風景な風景だが、たまに小さな小鳥が飛んで来て、枝をつまんて遊んでいるので、その、ちょ、ちょちょん、というコミカルな動きが面白くて、いつまでも見ていた。
毎日文庫を読みつつも、ふと桜の木に目をやるのが私の日課となり、コーヒーという苦い飲み物を飲むのも通例となった。
このコーヒーを飲む、という行為が地球人の嗜好のようだが、私はミルクをたっぷり入れないと、どうしても飲めなかった。
しかめっ面をして飲んでいるのを見かねた彼が、砂糖を入れてみたら、と言うのでやってみたが、ザラザラと舌に残る感触に、一度でやめた。
私が顔を歪ませながら飲んでいるのを見て、彼は入れすぎだよ、と何故か嬉しそうに笑った。
クリスマス、という街中が沢山の彩りで飾られる行事が終わると、喫茶店も赤や緑の装飾から、いつもの落ち着いた色合いに戻った。
彼はその行事に、出張という仕事でこの街を離れなければならず、私に会えないのをなぜか謝っていた。
何も謝る事はないです、というと、少しだけ寂しそうな顔をしたので、私の胸の奥が、りーんりーん、と鳴って苦しくなった。
なぜそんな顔をするのか、分からない。
つぎはそんな顔をさせないように考えなければ、と思う自分の心に戸惑った。
彼が笑うと私も笑う。
彼が寂しそうにすると、私も寂しくなる。
寂しくなければいい、と思うのだ。
夏から秋にかけて移りゆく自分の心に答えは無く、この思いがどこから来るのかも分からないまま、いつものように彼を待っていると、カランカランと喫茶店のドア鈴が鳴った。
彼が足早にこちらに歩み寄ってくる。
席まで待たずに店主に向かって、アイスコーヒーお願いします、と言ってくる所を見ると、今日もお昼休みは短いみたいだ。
「こんにちは」
「こんにちは、かぐやさん、居てくれると思ってはいるけれど、でも会えてよかった」
「ふふっ、冬なのに汗かいていますよ」
「汗っかきなんです」
「知っています」
いつも何かの折に発汗しているのは、もう彼の癖のようなものだろうと思う。彼の事を分かっている、という事を思うと、心の奥が、りん、と鳴って、私はくすぐったくて笑った。
あ、また。
私が笑うと彼がうっとなって発汗する。
その顔が見たくて、私も最近はよく笑っている。心が、りんりん、と鳴りながら。
「最近のかぐやさんには参る」
「なぜですか?」
「よく笑うから」
「いけませんか?」
「いけないなんて事はないよ。……可愛いです」
私は、うぐっと喉を鳴らした。
私は、可愛いという事がどういう事なのかを、地球人の作成した映像や小説、漫画で学んでいた。
そう男性から言われるという事は、女性として誉れなのだと言う事を認識していた。
でも実際に言われると、心がりんりんと鳴り響いて、むずがゆく、嬉しいのだけれども逃げ出したくなる様な、とても複雑な感情が浮かんでぶわっと発汗した。
持っていた文庫で顔を隠すと、彼にあははと笑われた。くやしくてちょっとだけ文庫を下げて睨むと、今度は彼の方がうぐっとした。
「……降参です」
「何が降参なのか分かりません」
「ま、まあ、それは置いておいて。冬の休み、正月しか取れないんだ。お正月は実家とか帰らないの?」
「帰りません」
「じゃあ、一緒に過ごす?」
「はい」
「……泊まりだけど」
「はい」
「あの、かぐやさん、ちゃんと分かってる?」
「?」
私が小首を傾けると、彼は苦笑いをして、まあ、いいか、その時で、と言った。
私は何がその時でいいのか分からなかったが、はい、とだけ頷いた。
彼と一緒に居たかったからだ。
冬を過ぎれば春が来る。
まだ、先の話とはいえ、この星から離れなければならない。
それまでは彼と居たかった。
彼と一緒に居るのが、楽しかったから。
教官に定期報告として正月を彼と過ごす事を報告すると、珍しくその日の内に返信があった。
相手方に任せるように
とだけの返信に、私はまた首を傾げた。今までも彼と過ごす時はずっとそうだったから、その様にするつもりであった。
翌日には新しい下着が送られて来た。
中身を確認すると、白い柔らな布地の上下で、ところどころにレースが付いている。
普段装着しているシンプルなデザインの物との違いに、私はまた首を傾げる。それに、正月まで未使用の事、返信不要、との一文も添えられていた。
何故下着を新調しなければならないのか、さらに支給しておきながら、まだ使ってはいけないとはどう言う事だろう。
私は疑問に思いながらも、返信不要、と書いてあるので、そのままお正月が来るまでタンスにしまっておいた。
****
お正月の前に大晦日、という一年の最期の日を過ごす日に、私は彼の家に初めて行った。
独身男性地球人の部屋は、ワンルーム、という部屋にロフトという中二階に上がる所があった。
私は興味深く登っていくと、わっ、ま、まって! ちょっとまだ! 降りて!! と彼が慌てたので、私は頷いて降りた。
「ちょ、ちょっとここでお茶でも飲んでて。片付けが間に合わなくっていろいろと突っ込んで」
「? きれいでした。本が沢山置いてあって。お布団もあったので今日はここで寝るのですね」
「そそそ、そう、そうです。リビングは狭いので、ロフトでね。とにかく座って、はい、お茶!」
マグカップを手渡されて、二人がけのソファに座らされると、彼はばったばったと何かを片付けていた。
ピザを取ってお腹を満たすと、テレビは歌番組とお笑いとどっちが好き? と聞かれて、どちらでも、と応えると彼はお笑い番組を選んで、よく笑っていた。
私には何が面白いのか分からなかったけれど、お腹を抱えて笑う彼を見て、私も嬉しくなって笑った。
「あー面白かった。今年最後の日にこんなに笑えるって、なんだかいいよね」
「はい」
「よし、頃合いだから初詣行こうか」
「はい」
彼が連れて行ってくれたのは、近所の小さな神社。地元の人ぐらいしか来ないんだ、でも僕は気に入っているんだ、と彼は嬉しそうに言った。
大きな篝火が二つ付いていて、神社への道を照らしてくれている。夜はあまり出歩かないから、夜道を歩くだけでも私の心はりんりんと鳴っている。
「かぐやさん、人混み嫌いでしょう? これぐらいで丁度いいんじゃないかと思って」
「はい、ありがとうございます」
「あ、嬉しそう」
「え?」
「かぐやさん、あんまり表情変わらないけれど、最近少しずつ出てきたよね。僕でも分かるよ」
「そうですか?」
「本当に、最初見たときはお人形さんかと思った。微動だにせず本を読んでいるんだもの」
「そうでした?」
「そう。今思うと、ここに引っ越してきたばかりで緊張してたんだよね。最近は本を読んだり窓の方見てたり、いろいろとしてるから」
「見ていたのですか?」
「あ、う、た、たまにね」
「私の事などほうっておいて、すぐに来てくれたらいいのに」
「か、かぐやさん」
「一緒に居る時間が少なくなってしまいます」
なんだか胸の音がりーんりーんと鳴って、心が騒がしい。
苦しくて、胸をきゅと掴んで彼を見ると、彼はうぐぐっと言った。
「さ、最近のかぐやさんは言葉もすごい」
「なんのことです?」
「は、早く帰りたいですね」
「はい」
「は、はい、ですか……!」
「はい」
「……っもう、帰りましょう」
「はい」
私は嬉しくてにっこり笑った。
胸の奥がいつものりんりんに変わって、本当に、心から嬉しい。
そんな私の顔を見た彼は、急いで初詣を済ますと、手を繋いで早歩きで家に帰った。
ドアを閉めた瞬間に唇をふさがれて、靴を脱ぐのもそこそこに、ロフトに上がると、彼はばさばさと服を脱ぎ始めた。
私はあっけにとられてそのままお布団の上で座っていると、彼は私の服もばさばさと脱がせた。
そして下着を可愛いと言ってくれて、教官がわざわざこれを送ってきた意味が分かった。
私は教官の返信にならって彼に全てを任せた。
……泣いた。