かぐや 2
彼と会うのは、私が拠点にしている喫茶店が多かった。
定期的に報告している前任者であり上司の教官に、地球人と〝付き合う〟事になったと報告すると、その地球人との時間を最優先事項にする事、との返信があったので、私は彼がランチを食べる時間には必ず喫茶店に行くようにした。
彼は会社からいつも走ってくるようで、喫茶店につくと大抵汗をかいていた。
だいぶ日差しがきつくなってきたよ、と苦笑いをして、店員に出された水をがぶがぶと飲む。
〝付き合う〟事になって最初の内は、私に質問してくる事が多く、どうやら地球人も私の事が気になるらしい。
「かぐやさんは、おいくつなんですか?」
「二十歳は過ぎています」
「そ、そうですか……。ええっと……かぐやさんはいつもこちらにいらっしゃいますが、お仕事は何をされているんですか?」
「翻訳の仕事をしています」
「あ、だからお昼間はこちらにこれるんですね、いや、ほぼ毎日喫茶店で見かけるから、この人は何の仕事をしているんだろう、って、不思議だったんですよ」
にこにこと笑う彼を見て、何がおかしいんだろう、と思うけれども、そんな彼を見ていると、何故か私も心をくすぐられて、ふふっ、と笑ってしまう。
そのたびに彼はうっと首をすくめて発汗し、顔を赤らめるのだ。この反応の原因が分からなくて、私も首を傾げると、彼は顔をますます真っ赤にして、ふいっと横を向くのだった。
ある夏の日、彼はお盆前に休みが取れたので、日帰りで海に遊びに行かないか、と誘ってきた。
私はええ、と応じると、どこかしらから車という移動手段を持ってきて、近くの海岸に連れて行ってくれると言う。
当日、教官の指示により、白いワンピースに麦わら帽子を被って喫茶店の前で待っていた私に、車から降りてきた彼はまた例のうっという顔をして、とにかく乗って、と言った。
「えーっと、一応確認なんだけれど、……水着は持ってきていないよね?」
「水着?」
「いやいやいや、かぐやさんは肌が白いから、焼けるの嫌だろうから、きっとそんな用意はしてはいないと思ったんだけれど、あるとないとじゃルートが違って、一応聞いてみただけだから気にしないでください」
「はい」
私が頷くと、彼は、ははは、と笑って車を操作して動かしたけれど、信号で止まったときに、少し大きな息を吐いたので、私は彼を見た。
「な、なんでもないよ? ちょっと残念とかこれっぽっちも思っていないから。いや、その予定ならちゃんとそう言うべきだったし、海に行こう、って誘っただけだもんね。うん、自分が悪かった」
「?」
「うん、ごめん! なんでもない! 今日は楽しもう」
なんだか無理に笑顔を作ったように見えたが、その後は明るいいつもの彼だったので、私は気にしなかった。
あまり人気のない暑過ぎる砂浜を歩いて、サンダルを脱いで初めて〝海〟に触れた。
海は、揺らぐものだった。
足に触る水も揺らぎ、押し寄せて引く波も揺らぎ、遠くの沖合も揺らいでいる。
これが〝蒼〟
赴任する前も、赴任が決定した後も、画像でいつも眺めていた〝蒼い星〟
なぜこの星が蒼いのか、という疑問が、私をこの星に導いたのだと思う。
陸地以外の表面をこの海が占める事。
その大きさは地表の約70%を占める事。
この星の象徴。
長い髪が濡れないように手を添えて、水を触って舐めてみると、思いのほか塩辛くて顔を歪ませた。
「あはは、かぐやさんが海水を舐めてみる人だとは思わなかった」
後ろから声が聞こえたので、振り向いて、辛いです、と言った。
「あはは、海水だもの、塩辛いにきまってる。不思議な人だなぁ、かぐやさんは」
そう言うと彼はいつの間にか隣にいて、私の手を握った。潮騒の音が耳に優しくて、彼と共に夕焼けに染まる海を眺める。
「綺麗だね」
「はい」
私は心の底から賛同して頷いた。
太陽が落ちていくと共に、空の色が変わっていく。青が紫に、紫が茜色に、茜色と太陽の光が重なり合い、海に反射して光が溶けていく。
「僕が綺麗だと言ったのは、こっちなんだけれどな」
「?」
私は意味が分からずに彼を見ると、肩を寄せられ、ゆっくりと彼の顔が近づいてきた。
「あの、お願いだから目を閉じて」
「はい」
彼の強い瞳を初めて見た。
私はその瞳を何故か脳裏に焼き付けながら目を閉じると、何かが唇に触れた。
りん
と、私の心の奥が鳴った。
目を開けて、と囁かれて開くと、嬉しそうな彼の顔があった。
りん りん
甘やかに鳴る音に耐えられなくて、こつ、と彼の胸に額をあてると、ぎゅっと抱きしめてくれた。
発汗、赤面、体温の上昇。
私に起こった現象を発見し、やっと私は気が付いた。教官から言われていたのだ。
この現象が起これば、大丈夫だ。
君がより深く地球人とコミュ二ケーションが取れたという証拠だ、と。
そして彼も同じ現象を起こしていた。
耳元でなる鼓動が、それを証明していた。
ああ、今、私たちは同じ現象を起こしている。
それがとても、嬉しかった。