かぐや 1
*本作は銘尾 友朗さま企画
「春センチメンタル企画」参加作品です。
また、秋月 忍さまの活動報告でのお題、
「かぐや姫」を使ってあらすじを書く。という試みから、この小説が生まれました。銘尾さま、秋月さまに感謝致します。
雨がふっている。
その糸のような雫に絡むように
桜の花びらが、ひらりと落ちていく。
春の、柔らかく音もしない雨を
二人でいつも楽しんでいた。
楽しむ、という事を教えてくれた
あなたと、今日……別れる。
その喫茶店は音量を抑えた綺麗な音楽がいつも流れていて、この曲、好きです、というと、あたふたとどんな曲目なのかを携帯で調べてくれる、そんな彼が好きだった。
本当はもう一ヶ月前には告げて、旅立つ準備をしなければならないのに。
楽しくて、あなたと離れがたくて、のばしのばしにしていた。
でも、それももう、今日で終わる。
通いなれた喫茶店の、焦げ茶色のテーブルが、ガタッと揺れた。机の上にあるコーヒーカップが揺れて、その重なり合う音に私は身体を震わす。
「……なんで?」
信じられないという顔でこちらを見る彼を見ていられなくて、うつむいた。
彼に、別れを言った。
別れて欲しいと言った。
心無い言葉と、自分の意思とは別の想いを気付かれないように、そっと、震える手で髪を耳にかけた。
私は、喉が引きつりそうになりながらも、声を絞り出す。
「遠くに、行くことが決まっているの。あなたとは、会えなくなるから……」
彼の事が嫌いではなかった。
むしろ……離れるのは耐えがたかった。
「遠くって、今はどこでもネットで繋がれるから、大丈夫だよ?」
「……」
「どこ? 北海道? 沖縄? か、海外? 大丈夫だよ、やった事ないけれど、海外でも、繋がれるよ?」
彼の震える声に、私は声が出なくなる。
言えない。
言えるはずがない。
私があなたとは違うとは。
私があなたとは違う種だとは。
「なんで黙ってるの……行くとこ、言いたくないの? ……別れる、から?」
「……」
言葉にならなかった。
****
太陽系第三惑星〝蒼い星〟への潜入調査が私の任務だった。任務期間は一年間。地球人の感覚でいう、四月から三月まで。
丁度桜が散った頃に赴任し、桜が満開の時に離れる。
地球人の生態系及び思考を観察するのが目的だった。
何を食べ、何を好み、何に怒り、何に喜ぶのか。
静かなこの喫茶店を拠点に観察し始めた私に、二、三週間が経った頃、話しかけてきた人がいた。
汗を拭きながら、すみません、どうしても気になって、と顔を赤らめて彼は言った。
「あの……スカートのファスナー、空いてますよ?」
「ああ、ありがとうございます」
私は手に持っていた文庫を置くと、開いていたファスナーを閉じた。
そしてまた文庫を持って読みだそうとすると、教えてくれた男性がぽかんとした顔をしていた。
私は文庫で口元を隠しながら、男性を観察すると、発汗し、い、いや、見てませんから、と慌てたように言って、あたふたとお勘定をして帰っていった。
次の日も、その次の日もその人を見かけたが、三日目になって、また、その人は話しかけてきた。
「あの、またですね、ファスナー、開いていてですね、そのスカートの時だけなので、あの、お気をつけられた方が……」
「ああ、ありがとうございます。そうだったのですね」
地球人の生態として、一人暮らしをしている女性の洗濯のサイクルが三日に一度らしい、というのを前任者から聞いていたので、それにならって衣服を洗っていた。
一度目に声をかけられた時と同じスカートを履いていたから、またファスナーを開けていたままだったと言う事らしい。
私は文庫を置き、ファスナーを閉じて、本の続きを読もうとすると、声をかけてきた男性が、あ、あの! とまた話しかけてきた。
「どどど、どうせきさせて頂いてもいいですか?」
「はい、構いません。どうぞ?」
ああありがとうございます、と言った男性は、ハンカチで汗を拭きながら向かいの席に座った。
くたびれた背広、ちょっとだけ歪んだネクタイ。少し広いおでこにかかる髪の毛はくせ毛でゆるく流れていて、お鼻がふっくら丸いその人は、ウェイトレスに出された水をがぶがぶ飲んで、私が文庫を読む振りをして観察している事を知ると、げほっげほっとむせた。
「あああの!」
「はい」
「す、すみません、突然、声をかけたりして」
「いえ」
私は逐一様子を見ながら、この地球人を観察する。年は三十代後半と見られる。男性。背広を着ているので〝会社〟という組織の一員なのだろう。
地球に来てから一ヶ月。当たり障りのないご近所さんとの挨拶はして来たが、見ず知らずの人に話しかけられて、しかもコミュ二ケーションを取ろうとされたのは初めてだ。
この地球人は何を思って私に声をかけたのだろう。発汗、顔の赤み、目も潤んでいる?
「あの、実はですね、あなたの事を実は二、三週間前からずっと、気になっていて……あああ、すみません、ストーカーじゃないです。家とかつけてません。ただ、ここのランチが好きで、お昼休みは大概ここに来ていてですね……」
右に左に向きながら、手も胸の前で開いたり閉じたりと動かしながら取り留めもなく話している。
私は少し情報が多すぎて混乱した。
「つまり?」
文庫で口を隠しながら、分からない、という意味で少しだけ首を傾げる。
地球の、しかもこの日本と言う国の女性は、分からない時はそういう所作をするらしい。
これもまた前任者からの引き継ぎの中に入っていた。
その私の様子を見た男性はうっと首を引くと、口をへの字に結ぶと、がばりっ、と頭を下げた。
「あああなたの事が、好きになってしまいました! よかったら僕と付き合って下さいっ!」
私は驚くと共に、喜びを持ってその様子を見た。
私の地球でのミッションの中の一つが地球人と深くコミュニケーションを取る事だった。
その為に〝付き合う〟という行為が最良である。と提示されていた。
どうしたら〝付き合う〟という事態になるのか分からず、一先ずはこの世界に慣れるのを最優先として過ごしてきたのだが、思いのほか早くにミッションが達成できた。
「はい、わかりました」
「ですよね、こんな突然言われたって無理ですよね……って、え?」
「よろしくお願いします」
「えぇ?! 僕でいいんですか⁈」
「はい、お願いします」
ぽかーん、と口を開いた顔が、私の心をさわさわとくすぐった。
思わず、ふふっと、声を出して笑った。
そうしたら、その人はますます顔を赤らめて、ぶわっと汗を出した。