6.
「う、ううぅ……」
気が付けば、枝折は砂漠地帯に倒れていた。
彼が落下して巻き上がった砂塵が、一帯を覆い包んでまるで視界がきかなかった。
さいわい地面がやわらかかったのと……何者かの介入があったおかげで、衝撃による外傷はなかった。
ただそれでも、その衝撃は内臓にくる。四肢から痛みで力をうばう。
半開きの手で、空疎に、無意識に、砂をつかんでいた。
衰えた、と彼は感じた。
五年前ならこんな無様な姿はさらさずに多彩な魔術を駆使して相手を押し返したうえ、華麗なスーパーヒーロー着地でも決めていただろう。
五年前。十五歳。
それが彼の、能力的な、そして人生のピークだった。
当時は、同年代の少年少女たちのリーダー的立ち位置だった。そこには気心の知れた幼馴染の少女がいて、順風満帆だった。
だが、激戦に、加齢に、次第に才能は枯渇していき、その焦りから彼らにきつく当たるようになり、人望はうしなった。
……いや、新しく現れた少年へと移っていった。彼は持ち前の明るさで仲間たちや、サポートしてくれる大人たちを魅了した。……自分を兄と慕った、彼女でさえ。
その嫉妬から、焦燥から、そして今こういう人間の醜さを何度となく見せられた挙句に、一時期書徒側に寝返ったこともある。
――ま、よくあるいけ好かないライバルキャラだな、俺は。
結局人類の敵に回ろうという決心は、その少年との決闘に敗北のうえ説諭され、彼との友情を引き換えに喪われた。
そしてあらためて人類側に加担して戦った。
だが、ハッピーエンドのあとにハッピーが続くとは、かぎらない。
その少年は決戦の折大将首をあげて彼らの要塞を破壊した。
今や属した組織で重鎮となり、ゆくゆくはその統治者となるだろう。
自分は奮闘しながらもこれといって決戦に貢献できたわけではなく、せいぜい因縁の幹部ひとりを足止めをしたにすぎない。
そして人類勝利後に造反の罪を問われて拘禁されそうになったところを、少年の恋人となった幼馴染のお情けで助命されて、今は会社を立ち上げた彼女の部下として、かつての罪を償うべく国内外を使い走りさせられている。
そして思った。
――どうやら、俺が道化であればあるほどに、世の中は上手く回るらしい。
だから、これで良い。
これで良いはずだ。
この世界で良いはずだ。そこにゆがみが生じるなら、それを正すのが自分の罪の清算の証で、残された人生の意味だ。
砂をつかむ。歯を食いしばり、顔を上げて立ち上がる。
「だから、あいつは、救ッ」
「無理よ」
夢か、現実か。
眼前に、シェルフの姿があった。
いや、それが現実の存在で彼女こそが自分を先ほどかばった人間なのだと枝折は気付いていたが、それでも疑いたくなるような不毛な背景とのミスマッチぶりだ。
フリルのついたスカートを折りたたむようにして屈すると、眼前に美しく丸くも、どことなく冷たげな貌を近づけた。
「あれはもう、助からない。ただでさえ地力が足りてないのに、生け捕りや説得なんて、考えないことね」
そして、確信に満ちた声で、釘で打ち付けるようにして言い放った。
持ち前の反骨心から言い返そうとするその口に、何かが押し当てられた。
それは、一冊の本だった。
やわらかな感触の表紙。描かれているのは、両翼を伸ばして夜空に飛び立つフクロウの姿。実に童話的だった。
そこに焚き込めた香のようなものが、甘やかに鼻孔をくすぐる。
何かのまじないのように、あるいはなぐさめのように、優しく唇に触れたのは、一瞬だった。
ひんやりとした手で枝折に握らせると、まるで自分の心底を見透かしたかのように、輝度のつよい瞳が細められる。
「だからせめて、全力で弔って。……それは、今ここにいる私にしかできないこと、でしょ?」
シェルフの名を呼ぼうとした。だが、その彼女の背後に、薄れゆく砂塵の幕の向こう側に、怪鳥の双眸があやしくぎらついていた。
火花にも似た霊力の粒子がその四方でひらめくと同時に、火砲が彼らに向けて発射された。
〈Now Reading……〉
という音声は、その爆発にかき消され、砂塵の幕は一層濃く深くなった。
だが、その刹那……
そこから、ひとつの影が飛び出した。
追い討ちの弾丸をかいくぐり、低空飛行をする書徒へ向けて一気に距離をつめた。敵が退く左腕を振り下ろすと、右翼が大きくひしゃげて傾いた。
そのまま鋸の要領で一気に引くと、摩擦で根から切断された。
枝折文弥の左腕は、人間のものではなくなっていた。
書徒とおなじく、自分の身の丈ほどに肥大化し、無数の刃がついた鋼の翼へと変質していたのだった。