4.
かんたんなミーティングのあと、枝折とシェルフは最近例の戦闘機もどきが目撃されたポイントまで、ジープで連れていかれた。
そこを基点として枝折たちが待ち構え、書徒を発見次第、革命軍は逃げに徹底してそこまで誘導する。
そこへと向かう途上、自衛隊や欧米の軍のPKOのキャンプ地に出くわした。
自衛隊員に見つからないよう身を隠しながら、枝折は将校に問うた。
「連中に頼むことはできないんですか?」
「欧米のPKOの装備なら死力を尽くせば撃墜できるかもな。だが例のごとく、彼らは公平性をもとめる。正規軍のみを攻撃すれば、不公平だと国内外からパッシングされる。それを恐れている。……そもそも、あれは公的には存在していないらしいがな」
それもまた、改造書徒が重宝されるゆえんだった。
本の姿で輸入輸出ができるから面倒な手間もコストもいらない。未だそれを取り締まる明確な法が確立されていないから、その動向を追ったり水際で食い止めることはほぼ不可能だ。
会話もなく、それほど時間をかけず、現地に着いた。
そこは中央に大きな井戸がある村だった。いや、村だった場所といったほうが良いのかもしれない。無数の弾痕が草木を枯らし地面や家屋をえぐり、未だ硝煙の異臭が濃く残る有様は、もはや人間がコミュニティを形成できる環境とは言い難い。
「では、しばらく待っていてくれ。ここにあるものは自由に使ってくれて構わんぞ。何か残っていればの話だが。あと、井戸の水は飲むなよ。底に死体が落ちたままだ」
当人にとってはジョークのつもりなのだろう。けたたましい笑いを轟かせた男に、枝折は引きつった笑みを返した。
「もし君らがしくじった場合、返金には応じてくれるんだろうな」
「もちろん」
「それを聞いて安心した。何しろあれがオカルトの類だっていうのも、君らがあれを打倒しうるエクソシストだってのも八割がた疑っている」
魔法使いだのエクソシストだの好き放題に呼称してくれる。仕事道具とともに放り出された枝折は、心中で毒づいた。この男の中で詠手などという固有名詞はすっかり抜け落ちているんじゃないか、とさえ思った。
数人の護衛……もとい監視役に囲まれながら、枝折は井戸の縁に腰を落とした。
シェルフが後ろ手を組みながら彼の陰鬱な表情を覗き込んだ。
彼女を見返しながら、枝折は言った。
「よく我慢してくれたな」
「なにを?」
「色々な」
「色々ね」
シェルフは言及はしなかった。
言わずとも通じているし、監視がついているなかあえて言葉にすることもなかった。
「で、その埋め合わせはしてくれるのかしら」
枝折は答えなかった。
それから特に会話もなく、監視役付きの廃墟デートで数時間つぶした。
ふとシェルフが足を止めたのは、あらかた見終えて三周めに突入しようかというときだった。
「……来たか」
いつもの達観とおふざけの中間のような調子から一転、別人のように低く呟く彼女は、広がる青空を見上げた。
事前に手渡された通信機から音が聞こえてきたのは、それからワンテンポ遅れてのことだった。
〈対象が来襲! いまそちらに誘導しているッ〉
爆音混じりのその通報を受けて、枝折は手にしたトランクを地面に置いた。
そのはるか頭上を、鋼鉄の怪鳥が泳ぐ。
彼の姿は、トラウマとして兵士たちの心に刻まれているのだろう。それこそワラにでもすがるような悲壮に引きつった顔で、準備を始める枝折の肩に食いついた。
「お、オイ! あれをなんとかできるんだろ!? 呪文でもなんでも良いからさっさと唱えろよ」
「慌てなさんな。それに俺は本は読まない。呪文も詠まない。こいつに、『詠み』込ませる」
彼はトランクを開けた。
そこに入っていたのは、異質なベルトだった。
合成皮革をベースとしたそれは、合金の装飾がとりつけられ、そこに余すことなく文字が刻まれていた。
ヘブライ語にも似ているが、そのものではない。ベルトをめぐるそれは、遠目にも見れば回路のように見えた。
彼がそれを腰に当てると、まるで磁力でも持ったかのように枝折の腰に吸い付き、フィットする。
金属部分に格納されていたショートソードや長方形のケースが展開する。
そしてトランクの裏に貼り付けられていたのは、手のひらに収まるぐらいのちいさな本だった。表紙に劣化こそ見受けられないものの、どれにも大小の傷跡がついている。
「そんな低クラスので良いんだ? 舐めプ?」
「え、いや違ッ……あぁいや……そうだよ、俺なら楽勝だ!」
「まーた変な意地はってる」
それ以上のシェルフの冷やかしは無視を決め込み、ポケットブックの一冊を手にすると、腰のケースの中にセットする。
〈Now Reading……〉
という地響きのような低い合成音声とともに、収容された新造魔書を読み取り、詠み取り、そしてそこから因子を汲み取る。
抽出された霊力がベルトの金具に浸透する。ナイフの刀身に染み込む。それらに刻まれた呪文の溝を赤黒い光が満たした。
まるで、それを察知したかのように擬似戦闘機の先端が彼の立つ地表へと向けられた。悲鳴をあげて兵士たちが散ろうとする。むしろ自分の近くにいたほうが安全なのだが、彼にそれを伝える時間的、あるいは精神的余裕などなかったし、無理を推してまで伝える気にもなれない。
機体が、落下速度に推進力をプラスして迫る。音と空気の壁を突き破る音が、全身を凍り付かせるようだった。
触れた瞬間こちらが消滅してしまいそうなそれに向けて、枝折はナイフを振りかざした。
刀身の刻印から、真紅の爪のようなものがするどく伸びた。その書徒が彼に衝突する寸前にその爪が絡めとった。止まらない。受け止めきれない。そう判断した枝折は、渾身の力で、だが相手の力は受け流すようにして持ち手を振りぬき、その軌道を強引にずらして建造物の残骸へと書徒を叩き込んだ。
息をついた瞬間、冷汗がどっと額と背とにあふれ出た。
「ようロルクロヌス……ずいぶんと様変わりしちまったが……俺のこと、まだ覚えてるか?」
物寂しげな青年の問いかけに、答えはなかった。
……いや、しばらくしてから、あった。
鉄錆びた唸り声とともに、ガレキから吐き出された機銃の弾が、彼の問いに対する返答だった。