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3.

 詠手。書徒。

 それらの聞きなれないワードに、兵士たちは怪訝な表情をつくった。


「どちらもルーツは同じだ。くわしいことは今でもわかっていない。一説には聖ホノリウス三世が加筆したソロモンの書が原典とも言われているが」


 エヘン、という咳払いが、シェルフの側から飛んできた。


「この魔術書はその後いくつもに分類された。冶金、延命、富、精神や運命の操作、名誉、物理的な力。魔的な領域への干渉。ありとあらゆる願望を叶えるに足る知識が記されているらしいそれは、しかしその情報量の多さゆえに逆に人体や精神に害をおよぼすこととなってしまった。そこでその調整弁と悪用防止のための防御機構として用いられたのが」


 エヘン、と再度咳払いが聞こえてくる。

 脇を睨み見ると、少女は

「巻いていこう!」

 というカンペをどこからともなく持ち出し控えめな胸の前に下げて、グルグルと手首を回していた。


「……つまり! 昔超すんごい高性能大容量かつ専門分野別に特化したPCがあったけど、操作が頭おかしくなるレベルで複雑だからOS兼ナビゲーションソフトとセキュリティソフトが入るようになった! それが書徒だ!」

「はい、よくできましたー」


 パチパチと、シェルフが手を叩く。


 だが被造物の宿命ともいうべきか。

 彼らの中に自我が芽生えた。

 コミュニケーションの円滑化のために彼らは感情を学び、言語を吸収し、身振り手振り等のサインを理解し、そしてそれを出力するため、人間や、あるいは動植物を模したアバターを魔道書の容量……いわゆる魔力あるいは霊力と呼ばれるものを物質化して形成した。

 かつて、そんな書徒らと正真正銘の魔術師たちの間でなにがあったのか、その詳細ないきさつまでは枝折は知らない。


 ただ知っているのは人間の新たな友となれるはずだった彼らを人はいつしか家畜として扱い、奴隷として冷遇し、道具として陰惨極まる方法で酷使をし……人類の敵に回るのは、当然の帰結だった。

 個人個人へのちょっとした反逆が、いつしか徒党を組んでの反乱に変化し、やがて他の異形を抱え込んでの大軍勢となった彼らは、自分たちを虐げてきた純正の魔術師たちをついに殲滅するにいたった。


 だが、人類とて無力であったわけではない。自分たちでも扱える魔道書を模造した彼らは、適正のある人間にそれを使わせることで効率よく書徒にダメージを与えることが可能になった。

 これが、詠手の起こりである。


 歴史の狭間で、裏で、暗闘を繰り広げてきた彼らは、五年前に極東で大規模な武力行使に出た。

 人類側の超人たちと、書徒らに同調した亜人魔人たちとの衝突により、信州地方の一帯は焼け野原と化した。両陣営は多大な犠牲を出した。そうした魔的な領域とは無関係の民間人はのべ三万人の死傷者を出し、今もその傷痕は現地に色濃く残っている。

 その場に、枝折文弥と仲間たちもいた。

 そこにいたる過程でさまざまなドラマがあった。いさかいがあり、激情がうずまいていた。辛いことはあったが、それでも間違いなく枝折にとっては青春だった。


 その末の死闘は、人類の勝利に終わった。


 敗残の書徒たちは、ある一派は人間と和睦し、あるいは物理的に処分され、あるいは逃散して地下に潜った。


「……で、そのあぶれ者が何を血迷ったか、旧弊にしがみつく現政権に与しておる。しかしだ。その駆除を依頼しておいて申し訳ないのだが、念を押してもう一度お尋ねしたい」


 この傲岸な男にも謙遜や前置きという概念が存在していたのか。

 軽い驚きをおぼえる彼の前で、将校は部下に命じて占拠地に据え置かれたモニターをつけさせた。


 それは、一機の戦闘機だった。いや戦闘機、のようなものだった。

 拡げた両翼はメタリックな材質だが形状としては本物の鳥に近い。

 サイズとしては人間一人収容できるか、といった具合であることは、他に映る物体と比較してわかる。万一そこに搭乗者がいればミンチになっていそうな変則的かつ急激なスピードと軌道で宙を駆け回り、対空砲を回避し、地面の至近を滑空し、ビルの隙間を難なく抜ける。

 そして翼から分離した鉄片が地面やそこに陣取る兵器に触れると、周辺の空間ごとにそれらをねじ曲げ、引火した燃料が火の華を咲かせる。

 無数の断末魔が響いた後に巻き上がった砂塵が周囲を包み、ノイズとともに映像は途絶えた。


「数か月前、こいつが現政権の軍に配備された。ただ一機でこちらの戦闘機や対空砲は無力化させられ、当時優勢をほこって、首都さえ解放していたはずのわが軍は、奮闘むなしくこんな辺鄙な農村にまで押し返されたわけだ」


 その一部始終を見せ、説明を加えたあと、あらためてクライアントは問うた。


「……そう、だからあらためて問いたいのだ。これは本当に、『本』なのかね」


 枝折とシェルフは顔を見合わせた。

 それから最初に巻き戻された画面、そこに映る小型爆撃機の機影を見つめ直し、あらためて「そうだ」と肯定した。


「ただ、これは……」

「相当にアバターを弄られている。これは本来の姿じゃないわ」

 言葉をうしなう枝折に代わって、シェルフが説明した。


 これも、敗者が向かうであろう結果のひとつだ。

 魔導書そのものではなく、アバターの多角的な性能に着目した人間たちが、捕らえた彼らを、自分たちに都合のよい兵器や道具へと改造する。

 人間の精神構造や価値観は、彼らに叛かれてもなお変わることがないらしい。


「どうかな」

 兵士のひとりが鼻で嗤った。

「モンスターの考えることなんざわかりゃしない。ひょっとしたら自分から頼み込んで改良してもらったのかもな。大金か、でなけりゃ次期大臣のポストでもちらつかされて」


 笑いが起こる中、シェルフはしずかに眼を閉じた。

「ロルクロヌスは、栄達目的におのれの肉体と武技と矜持を売り渡すほど、愚か者ではない」

 そしてつむいだ言葉には、その談笑を一瞬で止めるだけの低い怒りがあった。

 口元には、兵士たちの無知と、その無知に対して向き合おうとしない浅慮さへの嗤いが浮かんでいた。


「ろる……なんだと?」

「あれは、俺たちが追っていた対象のひとりです。五、六年ほど前、俺も何度かやりあったことがあります。もっともその時は、誇りに満ちた隼の武人でしたが」


 シェルフの後頭部をはたきながら、今度は枝折が口をはさんだ。

 怪訝な視線から肩をすくめる少女をかばうように、移動する。その青年の前に、モニターを切った将校が、でっぷりとした体躯を突き出すようにして進み出た。


「まぁ、そのロなんとかだか書徒だか知らんが、とにもかくにも前払いで支払いは終えているのだ。当然、我らが神のため、あれは廃棄処分してくれるのだろうな? 日本の魔術師殿?」

「仕事ですので」


 感情を排した声で、枝折文弥はみじかく答えた。

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