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2.

 五年後……

 中東、某国。


 かつての少年は、そこにいた。

 むせかえる熱気。かわいた空気。それらは息をするのもためらわれるほど、彼の心身を苛んだ。

 ……いや、実際息ができない状態がつづいていた。

 おまけに視界がきかない。まったく見えない。手足もうごかない。


 彼は、頭から袋をかぶせられ、ロープで両の手足を縛られて、学校かどこかの備品らしい椅子にくくりつけられていた。


 麻地の粗い縫い目から、わずかにオレンジを帯びた陽光が差しこんでくる。

 それをたよりに状況を探ろうとした矢先、袋をはぎ取られた。粗悪な布地が頬を擦って、痛みと熱が肌を焼くようだ。


 彼は、痛みにかまわず一気に息を吸い込み、吐き出した。

 茶色く染めた髪を振り乱し、目の前に立つ男を見た。


「いや、申し訳ない」

 と、その男は詫びた。

「あなたが日本からのゲストであることは知っているが、我々『暁の憂国団』のキャンプの位置までは教えるわけにはいかなくてね。ミスター枝折(シオリ)

 着崩した軍服に見合わず言葉づかいは非常に紳士的だったが、眼前でハバナシガーを燻らす姿に敬意は見受けられない。


 こうして対面するまでの数時間中に、酒も入れているようだ。

 アルコールと灰の混合物のような口臭が至近で吐きかけられて、枝折と呼ばれた青年は顔をしかめた。

 だが、直接言葉にして抗議することはない。周囲を囲むロシア製の銃器がそれをさせない。

 戦いにおいて、ましてこうした場において物を言うのは、魔法でも超能力でもない。数と速度の暴力と、それを発するまでのプロセスの簡便化だ。

 五年前に、それをイヤというほどに思い知らされた。


 本気でやれば制圧できないこともないが、おたがいに無傷ですまない。

 それにわざわざこんな所に来たのは、こいつらを殺すためでもなく、むしろその逆。この連中の援護が、今回の任務だ。

 それにここまで「さぁ私はクズです殺してください」みたいな態度をとられると、逆にその行く末を見届けたくなるのが人情だ。

 一般的にはともかくこの青年……枝折文弥(ふみや)にとっては。


 それでも腹たつ態度には違いないので、

「歓迎にしては、ずいぶんとデカくて雑なクラッカーだ」

 と、許容される範囲での精一杯の皮肉を言った。


 隣で笑い声があがった。

 彼らではない。揃いも揃って、弾けた声に呆気に取られていた。


 数分前の枝折と同じ状態であるはずの『彼女』は、よどみなく透き通った笑声を転がしている。


 ジョーク自体が面白かったのか、あるいはこの状況下でイヤミを言うのが精一杯な自分が滑稽だったのか。

 枝折はため息をこぼした。


「そいつも解放してやってくれ」


 将校らしき男は、葉巻をくわえたままアゴをしゃくった。

 彼女の真後ろの兵士は応じてうなずき、縄を解いた。


「ありがとう、頭はこっちでやるから」


 そう言って彼女は、自分の袋を頭からはぎ取った。

 複雑に編み込んだ白銀の髪を振り乱し、かたちを良い唇から吐息を漏らす。

 丸みを帯びた幼さの残る輪郭線に反して、眼光はするどい。

 険のある目つきではないのだが、薪を焚いたかのような濃いオレンジ色の双眸は、ただその表情を変えるだけで周囲に影響力を持っていた。

 モノトーンのゴシック調の衣装は、彼女の容姿にこそあっていたが、周囲の空気からは完全に隔絶されている。

 そこからは生活感や現実味といったものが、一切合財欠如していた。


「シェルフ・ラクス……?」


 押収したパスポートの氏名を読み、喫煙将校は怪訝な顔を向けた。


「ミスター枝折の名は、その『業界』では知らぬ者はおらんと聞く。だが、貴女の名は聞いたことがない。いったいどういう間柄だ?」


 おやおや、とシェルフと呼ばれた少女はみずからの口許に指先をやった。その眼は、うれしげに細められていた。


「わたし、ひょっとしてハネムーン中の新妻に見られてる? あらやだどうしましょう。何か食べあいっこして熱愛アピールしたほうがサービスになるのかしら? このあたり、クレープが売ってる屋台とかない?」

「この人ら、一ッ言も言ってねぇからそんなこと。……彼女もまた我々『ウィズダム企画』の一員です。ただし多少モノを知らない新人なので、私が指導している最中ですが」


 ほう、という呼気のあと、男の視線が好奇でひらめく。


「では、その女性も例の魔法使いのひとり、ということかな、貴方とともに、例の『害虫』を駆除してくれる」


「……いや、彼女は」と彼は言葉をにごし、シェルフの方を向いた。

 まるでこちらの反応を楽しむように見つめ返す彼女は、


「所有物?」

 と小首を傾げた。

「商売道具……いや、分かりやすく言えばウリモノね!」

「誤解を招く言い方やめろ」


 周囲からの冷たい視線にさらされながら、枝折は低い声で返した。


「昔からの腐れ縁ですけど、彼女はあなたの言うそれとは違う。それに、厳密に言えば我々は魔法使いではない。あくまで魔道書のユーザー……『詠手』であり……彼らは、書徒は害虫ではなく、こと今回に関しては被害者です」

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