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10/10

10.

〈『サファイア・ベール』は次世代に広がる瑠璃色の衣、幸福と叡智の象徴! ありとあらゆる方法を模索し、人類を次の段階へと導く複合企業です!〉


 ……そんな世迷言を恥ずかしげもなく書いたパンフレットを、枝折は丸めて傍のゴミ箱へと捨てた。

 空港の待合室にはそれなりに人数が入っているが、そんな彼の乱行をとがめる者はいなかった。


〈ごめんなさい、枝折くん。今回の仕事では嫌な思いをさせて〉

「嫌な思いをしたのは、相方だ」

〈……そうだね。シェルフィードにも、そう伝えておいて〉


 雇用主兼幼馴染は、トーンを落とした声で、電話越しにそう詫びた。


「で、例の会社何かわかったか」

〈うん。やっぱり『サファイア・ベール』は時州関連だった。宗家の人間が経営陣〉

「あのバカども、五年前はクソの役にも立たなかったくせにこういうところはフットワークが軽いんだな」

〈汚い言葉を使わない〉


 そうたしなめられて、枝折は口を一時的に閉ざした。

 こういうことを続けていると、今回のようにやりきれないことは多少ならず起こる。

 だが、仕事であるがゆえに割り切ることもできるし、逆に同情や傾倒をすることもない。


「来週にはヨーロッパだ。悪いが国内の方は頼むわ」

〈……その来週に、何があるか覚えてる?〉

 どことなく不満げな彼女の声に、枝折は答えずにいた。


〈結婚式、ウチに招待状送ったでしょ?〉


 あぁー、と枝折は声を伸ばして、ため息をついた。


「悪い、忘れてた。しばらく家にも帰ってないしな」


 バッグから、綺麗な装丁の招待状を取り出しながら彼はさらりと答えた。

 未開封のそれを手でもてあそんでいると、彼女は重い声で問うた。


〈来るの?〉

「行けたらな」


 そう、とそっけなく上司は答える。

 それから特に会話らしい会話はなく、挨拶らしい挨拶もなく電話は切れた。


 ため息混じりに端末をしまうと、隣で笑い声が転がった。

 少女の姿をした、怪人が立っている。クレープを片手に。


「わざとやってんのかってレベルで典型的な負け犬ね」


 買い出しに行っているタイミングを見計らって電話をかけたのだが、どうやら一部始終聞かれていたようだった。

 楽しげな彼女に渋面を作ってみせる。

 文句はあるが、少女……シェルフに対して感じていた後ろめたさが、反論をためらわせた。

 代わりについて出たのは、

「すまん」

 という謝罪の言葉だった。


「お前には、失望させるような光景ばかり見せる」

「失望なんてのはね、最初から期待してなきゃできないものよ。たとえ不本意でも、生き延びたら生き延びたでやるべきことはいっぱいあるから、私はここにいる」


 などと、身もふたもなく返されると、逆にこちらの立つ瀬がない。


「……それでも、誘った手前ってものがあるだろ」


 呻きながら小声で呟いた青年の隣に、シェルフは腰かけた。

 んー、と愛らしいしぐさで指を口許にやり、思案するそぶりを見せる。


「たとえるなら、『やれやれ、この程度の食堂で満足しているようなら、日本の食品業界の未来は暗いねぇ!』『な、なんだねチミは!?』『三日後ここに来てください、俺が本物の料理ってやつを教えてあげますよ』と豪語したグルメさんが自信満々に出した代物が、とんでもないゲロマズだった……的ないたたまれなさと気まずさ?」


 シーンごとに声色と表情をくるくると使い分けて小芝居をした後、「どうよ?」と、昨今日本で取りざたされているという得意げな面持ち……いわゆるドヤ顔で両の人差し指を突きつけてくる。


「……そのたとえはどうかと思うし、お前言動が二十世紀と二十一世紀を行ったり来たりしてるぞ」


 枝折はわき目で睨みながらため息をついた。

 どうにも、このキャラクターはいまだに慣れない。本人曰く「オンオフを切り替えてるのよ」とのことだが、どちらも根底にあるものは同じなのだろう。


「そんなことより美味しいわね、このクレープ」

「そんなことって……」


 クレープを食べながらシェルフは感嘆して見せる。正確にはアバターを介して、食物内包している情報を摂取しているのだが、その質の良し悪しを判断できる味覚はあるらしい。


「他にも、ね」

 半分ほどそれを食べてから、彼女は微笑んだ。


「そりゃあ確かにマズイもの食わされることはあるけど、あなたと旅をしているとそれさえも愛おしい。苦しみも、楽しみも共有し、同じベクトルに感情が向いている。人と書徒との垣根を超えてね。……だから、今はこれで良いの」


 シェルフはクレープを枝折の鼻先へと差し出した。


「あなたはどうなの? 枝折」


 枝折は視線を脇へとそらした。

 だが、躊躇したのは一瞬で、そこから先は迷いはなかった。


 口を彼女の手元に近づけ開き、大口でかぶりつく。

 生クリームとチョコレートの重さを伴った甘さが、逆に疲れた心身に心地よく、そのまま身体を支える力に還元されていくようだった。

 そういえば、久方ぶりにまともな甘味を取り入れた気がする。


 一口でクレープの大半を食らっておきながら、

「悪くはない」

 と、傲然に言い放つ。


 少女は眼を細め、空いた細腕を青年へと差し出した。


「じゃ、続けましょうか。似た者同士、負け分を清算するための、この素晴らしくも愚かな余生の日々を」


 大きくため息をつく。

 口を袖でぬぐった枝折は、ほんの少し強張る笑みを向けながら、手を取った。

 目の前の少女が自分に対してそうしたように。

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