5、やるべきこと
「俺のお姫様は少し情緒が足りないね?」
そう言ったのは、フェリシアを育てた魔族の男だった。魔族の証である闇のような髪を遊ばせて、甘い紫水晶のような瞳の奥に、燃えるような炎を燻らせた不思議な男だ。魔族のくせに、魔族らしくないけれど、やっぱり魔族らしい。そんな男だった。
「情緒、ですか?私は魔族にしては感情を持つ方だと言われましたが」
開口一番に、君は魔族らしくないね、と笑ったのはほかでもない目の前の男だ。いまさら何をいうのだろうか。不思議そうな顔をしたフェリシアを見て、男はくすくすと笑った。見た目だけは華奢な肩が揺れる。
「うん、そうだね。君はものすごく感情を持ってるよ。持ってるのは持ってるんだけど、今はそれが全部蓋をされてる状態かな。殆ど動かないんだ、君の感情の針は。で、動いた時はすごい大きな揺れ幅になる。もっと細やかに動く方が好ましいんだけどね。情緒って言ってるのはそのあたりのハナシ。たとえば、俺の一言一言でそのたびそのたびに感情が変わる、なんてこと俺のお姫様はないでしょう?」
「・・・そんな魔族、いるんですか?」
「いないね。でもみんな、負の感情への針の感度はすごく高いんだよ。だけど君は、負の感情にも善の感情にも全く針を動かさない。感情の幅は広いはずなのにね。だからもったいないなって思ってさ」
魔族に感情がないから勿体ない、なんていうのはこの男ぐらいだ。感情が無いと言うことは、それだけ残虐になれるということで、強さが全ての魔族に置いてはステータスの一つにもなる。けれど、この男は感情を表わせないのがもったいないという。
「魔族は感情が無いとか人間はいうけど、魔族も普通に感情を持ってるよ。感情の幅が狭かったり、感情の表し方を忘れてしまっているだけでね。感情というものは素晴らしいものだよ。その方向によって、強くなれたり弱くなったり、する。わかる?」
「弱くなるのはわかります。だけど・・・強くなれるものなのですか?」
唯一を見つけ、それが弱点になってしまって滅びた魔族というのは結構聞く話だ。魔族では、そのような弱点を作らぬようにと積極的にそんな話を子供に語るからという理由もあるからだろうが。
だが、その反対で唯一を見つけて強くなったという話は聞かない。こてりと首を傾げたフェリシアを、男は目を細めて見つめると優しくフェリシアの髪を撫でた。
「そう、強くなれるんだ。要は物は使いようということだね。強くもなれるし、弱くもなれる。俺はね、君には感情を知ってもらいたいんだ。本当は、君はもっと感情豊かな子なんだよ。笑えるし、甘えられるし、泣けるし、怒れる。他者に対して感情を抱ける子なんだ」
「そんなにたくさんの感情を持つなんて人間みたい」
「そうだね。人間は本当に感情豊かだ。だから時にそこらの小虫よりも脆弱で、時に魔族を超えるほどの強さを見せる。魔族なんかは到底追いつけない素晴らしい生き物だ」
「人間がお好きなの?」
楽しそうに人間を語った男を見上げれば、男はにこりと口角を上げて笑って見せた。いつもの仮面みたいな笑顔とは全く違う笑みに、少し変な気分がフェリシアを包み込んだ。
「好きだよ、理解できるヤツは少ないけどね。人間界は、こんなところよりもよっぽどいいよ。何人か友人がいるけど、みんな陽気で楽しい奴らだ。魔族がみんな悪い奴じゃないように、人間もみんながみんな野蛮でヤバいやつじゃない。もちろん、野蛮でヤバいやつもいるけどね。情も何も見せないで力だけを追い求めてただただ無意味に長い時間を費やす魔族よりも、激しい感情に左右され、理想を追い求めて短い時間を激動に生きる人間の方が楽しいと思わないかい?」
「確かに、無意味に時間を過ごすよりは楽しく過ごした方がいいとは思います。・・・人間界とはどういうところなんですか?」
あまりにも楽しそうに男がいうものだから、フェリシアもつい気になって問えば、男は嬉しそうに笑うとフェリシアの小さな体を腕に閉じ込めてゆっくりと頭を撫でた。
「人間界が気になる?」
「はい」
「・・・本当はね、俺は君を閉じ込めておきたいんだ。君はすごく可愛いし、俺は君のことがすごく大切だから。でも大切だからこそ、俺のお姫様には感情を知ってほしいんだ。ねえ、一つ俺からの依頼を受けてくれるかい?」
「依頼、ですか?」
たまに他の魔族たちに頼まれて、珍しい素材や金と引き換えに依頼をこなすことがある。フェリシアは何でもそつなくこなすので、この頃は結構な人数が依頼を持ってくる。そのたびに依頼を選定するのはこの男だ。大体、このような稼ぎ方を教えたのもこの男だった。
男は、フェリシアに生きるすべを与えて来たのに、一度もフェリシアに何かを求めたことが無い。だからこうして求められることはどこか新鮮だったのだ。
「ああ、この頃少し世界の機嫌が悪いんだよ。どうやら人間界の方が上手くいってないらしくてね。光の魔力が回り切ってないんだ」
「世界樹に光の魔力が戻っていない、ということですか?」
「うん、そうだよ。この世界は世界樹を中心に人間界と魔界を形成している。魔力は世界樹から生まれ、世界樹へ戻っていく。不自然な力が働かない限りはそれが変わることはないんだ。けれどここ最近、世界樹に光の魔力が戻って行っていないみたいだね。光の魔力がどこから世界樹に戻っていくか知ってる?」
「確か・・・教会、と呼ばれるところですよね?」
光や闇の魔力とは、そのほかの魔力と大きく異なり、その大半が‘想いの力’である。闇の魔力であるなら、憎しみや怒りと言った負の感情が闇の魔力であり、光の魔力であるなら、喜びや愛と言った感情が光の魔力であるのだ。純粋に、光や闇を司る魔力もあるがそれを持てる者は神に選ばれたものだけだ。例えるならば、人間界にたまに現れる聖騎士やら勇者、魔界で言うならば絶対の覇者、魔王、とかだ。
‘想いの力’で形成されるその魔力たちは、想いの強い場所から世界樹に戻っていく。人間界の教会はそれにもってこいの場所なのだと習ったのだ。
「そう、教会は教会なんだけど、神殿と呼ばれるところがいくつかあってね。そこから光の魔力は世界樹に戻っていくんだ。・・・俺の予想だとそこが上手く機能していない。だから、君に見てきてもらいたいんだ」
「私が人間界へ行くということですか?」
「そういうこと。俺は手が離せないのは知っているだろう?頼めるかい?」
フェリシアを助けた男が、初めてフェリシアを頼った。フェリシアに断る理由はどこにもなかった。
「はい、お兄様」
初めて頼られたことが嬉しくてフェリシアが少し目元を緩めて頷くと、男・・・フェリシアの兄となった男は、淡く微笑んでから再びフェリシアの頭を撫でたのだった。




