3、次兄
起き上がれるようになったのは、記憶を取り戻してから一カ月ほどたった後だった。リリアンとアーテルから部屋から出る許可をもらったフェリシアは、早速朝食を食べると部屋から出た。ここ一カ月は全くと言っていいほどに部屋から出して貰えていなかったのだ。その上、記憶のことでうんうんと考え込んでいたからなお悪い。今はとにかく外の空気を吸いたかった。
リリアンたちにばれないようにそぅっと家から出て、家の裏にある小さな森に足を運ぶ。小川が流れ、可愛らしい小動物たちが暮らすこの森はフェリシアの好きな場所だった。小鳥たちのさえずりを聞きながら、森の少し奥にある泉に向かう。こんこんと水を生み出す泉が森にはいくつかあって、それらが小川を作っているのだがその中でもひときわ奥にある泉がフェリシアは好きだった。
動物たちと戯れながらも泉が見えると、思わず走り出してしまう。久しぶりに来たこの場所に心がふっと緩んだのだろう。それがいけなかった。
「やっぱりここに来たな、シア?お前、アーテルから今日は外に出るなって言われてただろ」
「っ、デュラン、兄様」
ぬっと木の陰から出て来たのは、次兄であるデュランだった。父譲りのココア色の髪が少し濡れているので、恐らく水浴びをした後なのだろう。フェリシアは少し意地悪なこの兄が苦手だった。
いつもはこんなところで水浴びをしないのに、今日に限ってここで水を浴びていたのは、フェリシアがここに来ると予想していたからだろう。フェリシアが悪いとしても、やはり少し意地悪である。長兄のギルバートであれば、困ったように笑って少しなら許してくれるだろうが、このデュランはおそらくリリアンとアーテルに言いつけるに決まっていた。
「お前、行動わかりやすすぎ。部屋から出ていいって言われたら絶対、ここに来ると思った。何でそう単純な頭してるわけ?」
「・・・それを言うなら、兄様は意地悪すぎです。私がここに来るってわかってて、わざわざ待ち伏せなんて」
馬鹿にしたような言い方にむっとしてフェリシアが言い返せば、デュランは少し驚いたように自分の妹を見た。いつもなら、これぐらいきつめのことを言えばフェリシアは泣いたはずだった。泣きわめいてリリアンかアーテルに泣きついていたはずだ。なのに、フェリシアは言い返して来たのだ。
じっと自分を見つめるデュランに、内心フェリシアはどきどきしていた。魔族は非常に負けず嫌いだ。フェリシアも当然そうであって、思わず言い返してしまったのだ。
「今日は泣かないのか、シア」
「泣いてばかりいるのは馬鹿だと言ったのは兄様です」
記憶を取り戻す前に言われたことをちゃんとフェリシアは覚えていた。デュランに何か言われるたびに、泣きわめいていたフェリシアに冷たく彼はそう言い放ったのだ。今は魔族の頃の記憶を取り戻しているから、こうして冷静に言い返せるが、五歳児にその言葉はきつい。
「・・・熱に浮かされておかしくなったのか?」
「知りません」
「おかしくなったな、お前。何で今日はそんなに言い返してくるんだ?いや・・・まだ体調が悪いのか。外に出てくるからいけないんだぞ、俺も一緒に帰ってアーテルに謝ってやるからそのあとは大人しくしておけ」
泣かない妹をおかしいと判断したらしい。デュランはどこか可哀想なものを見る目でフェリシアを見ると、その肩を優しく撫で、そのまま背中を押した。
(別にアーテルが怒っても怖くないし、別に私はおかしくなってないんだけど・・・やっぱりおかしく見えるみたい)
魔族として生きて来た年数があるフェリシアとしては、アーテルが怒っても怖くもなんともないのだが、デュランにとってはかなり怖いらしい。先ほどからアーテルの名前ばかりだしていることからそれが伺える。
「シア、何か欲しいものでもあったのか?リスか何かを捕まえてフェリシアの部屋にいれようか?それとも新しいぬいぐるみでも作ってもらおうか?」
いつもならうるさいぐらいにデュランに噛みつくフェリシアが黙っているのがよっぽど耐えられないらしい。デュランはフェリシアの小さな手を掴んだまま、いつもの何倍も優しげな声音で尋ねてくる。普段と違うということは、やはりそれなりに気になることらしい。けれど、普段の反応というものを再現しようとしても、今のフェリシアには無理な話だった。
五年しか生きていないフェリシアと、それの何倍も生きていた魔族の頃のフェリシアが合わされば、魔族の頃のフェリシアが優ってしまうのは仕方がない話だ。
「シア?しんどいのか?熱でもあるんじゃないのか?」
あまりにも反応をしないフェリシアに、デュランが顔を曇らせて背をかがめてフェリシアの顔を覗く。冷たいデュランの手が、ぴたりとフェリシアの額に当てられた。
「熱はないな・・・けど大丈夫じゃなさそうだな」
そう言ったと思うと、フェリシアの体は一瞬にして宙に浮いた。デュランがフェリシアを抱き上げたのだ。長兄と違い、デュランはまだまだ小さい。それでも鍛えているからかふらつくことなくしっかりとフェリシアを抱えていた。
「・・・兄様?」
「今日だけ特別だ。お前が泣かないと調子が出ない。さっさと治せ」
ぷいっと顔をそむけながらもその頬は少し緩んでいて。いつもは意地悪なデュランが何故こんなことをするのか理解が出来ずに首を傾げるしかなかったフェリシアの元に、愛らしいリスのぬいぐるみが届いたのは翌日のことだった。




