10、悲しさと寂しさと痛み
「っ・・・シア」
村の南に広がる森で、デュランは必死に妹の姿を探していた。母と同じ輝くような小麦色の髪をふわふわさせた少女の姿を。
「シア!どこにいる!!」
入った時はまだ高いところにあった陽はすでに沈みかけ、森は暗闇を広げていた。炎の魔法であたりを照らしているが、小さな少女の姿は見当たらない。デュランはぎゅっと唇をキツク噛んで、足を速めた。
(俺が、あんなところに連れて行ったから。・・・シアが、人を苦手なのはわかっていたのに!!)
久しぶりに何の予定も入っていないということで、デュランの気持ちは舞い上がっていたのだ。フェリシアと遊ぶ時間が出来た、と。フェリシアは人見知りの激しい子だ。長兄のギルバートやデュランが物心がついた時には村の子どもたちと遊ばされていたのに対して、両親がこの子は当分は家で遊ばせようと決めるぐらいに。だからフェリシアは、家と家の後ろの小さな森だけの世界で育ったも同然だった。そして父親が村長を務めていると言えど、家には大勢の人は来ない。いつもより沢山の人におびえるのは当然だった。
(何で、俺は気づかなかったんだ。シアに一言でも聞けばよかった。一緒に遊びに行かないかって。シアがいなくなるなら、断られた方がよっぽどいいに決まってる)
問答無用でフェリシアを連れだしたのは、遊びに行くのに誘って断られることが怖かったからに他ならなかった。だが、それは所詮デュランの都合である。フェリシアは本当に嫌だったのだ。それこそ、泣いてがむしゃらに走り去るほどに。
若草色の瞳から涙がぽろぽろと零れていたのが蘇る。五歳になってから、どれだけ嫌味を言っても泣かなかったフェリシア。それどころか言い返して来たり、無視して返したりとしていたのに、外に連れ出し子供たちの前に出しただけで、あんなに簡単に涙をこぼした。
(泣かせたかったわけじゃないのに。もしかしたら、遊んだら笑ってくれるかもしれないって思っただけなのに)
森はどんどん暗くなっていく。それとともに焦りが胸につもり、息が苦しくなる。この森は、夜になると魔物が多く出る。村では決して近づかないようにと言われている森だった。デュランは九歳とはいえ、父に魔法を習い、剣を習っている。その腕前は、そこらの冒険者よりも負けず劣らない。だが、フェリシアは違う。フェリシアはまだ幼いし、戦う術を持たない上、女の子だ。
最悪の終末が頭によぎる。数カ月前に村で見た、黒ずんだ死体がちかちかと瞼をかすめた。あれは冒険者の一行で、無謀にも夜にこの森に入って魔物に喰い殺されたのだと村人たちが囁いていた。
「シアっ!!返事をしろ!!シア!!」
掠れた声も気にせずに叫ぶ。早くしなければフェリシアが死んでしまう。早く、早く。そう思えば思うほど、足は上手く動かない。
「シア!!いないのか!!っ・・・」
不意に足が縺れて体のバランスが崩れた。そのまま立て直せずに地面に転がれば、足がすりむけたのがわかった。もう森に入ってかなりの時間が立っている。幾ら毎日鍛えているデュランと言えど、まだ九歳の子ども。限界はとっくに過ぎていた。
(痛い・・・疲れた。お腹もすいた。いつもならもう夕飯を食べてるころなのに)
弱音が脳を過るが、すぐに頭を振ってその考えを飛ばす。フェリシアは、もっと疲れているはずだし、お腹もすいているはずだった。デュランはここへ入ってから予め持ってきていた食べ物を口にしたが、おそらくフェリシアは何も食べれていないはずだ。もしかしたら泣いているかもしれなかった。
涙にぬれた若草色の瞳と、その頬を伝う雫が再びよみがえる。フェリシアが泣くたびに、その涙はいつも母がぬぐってあげていた。柔らかいタオルでぽんぽん、と頭を撫でて大丈夫だと声をかけていた。今、フェリシアの側には母はいない。
(早く、見つけてあげないと。・・・俺が、大丈夫だって言わないと。俺は兄貴なんだから)
そう思えば不思議と力が湧いてきた。両手に力を込めて立ち上がる。少しふらついたものの、そんなことは今のデュランにしたら些細なことに過ぎなかった。空を見上げれば、もう真っ暗となっていたが、その代わりに星がキラキラと瞬いている。フェリシアは星が好きだ。よく窓を開け放して星空を眺めてはアーテルに叱られている。
(そう言えば、一緒に見た時は何言っても聞こえてなかったな)
一度だけ一緒に星を見た時のことが思い出され、ふっとデュランの心の中に余裕が生まれた。再び歩き始めた時には、先ほどのような焦りはなかった。フェリシアは大人しいし、感情を出すことが苦手だけれど、馬鹿ではないのだ。迷子になったとわかればきっと安全なところで留まっているはずだ。
(この森には魔除けの木があったはずだ。確か森の中心の方で子供が入れるような洞があったはず)
父がよくデュランに言っていたことがふと思い出される。もし、南の森で迷うことがあったのなら魔除けの木を探しなさい、と。一度だけそこへ案内されたこともあった。ただフェリシアがそれを知っている可能性は非常に低い。父はおそらくまだフェリシアに教えていないだろうから。
けれど、可能性は零ではなかった。フェリシアは、類稀なる魔力の持ち主だ。それこそ、少しだけ魔力を流されただけでも魔力を乱してしまうほどに。もしかすると、魔力の変化を上手く読み取って魔除けの木に辿りついている可能性はある。それにこの頃、フェリシアが教会で勉強をしていることも知っている。本の中で何らかの知識を得ている可能性だってある。
そうと決まればデュランの行動は早かった。周りの魔力の流れを読み、魔力が不自然に避けられているところを探しながら進む。かなり繊細な作業で、デュランは苦手としていたがフェリシアの為となれば苦痛にはならなかった。
数十分ほどした頃だろうか。ふと変な魔力の流れを感じた。慌ててそちらへ走り出せば、少し開けた場所に大きな魔除けの木が現れた。洞から月明かりに煌めく金の髪が見えた時には、もう何も考えずに走り出した。
「フェリシアっ!!」
怪我をしていないだろうか。具合は悪くないだろうか。いろんな思いを抱いて洞を覗き込めば、フェリシアが目を閉じて体を丸めるようにして横になっていた。口元に手を当てれば、しっかりと息を感じられて思わず安堵の息が漏れた。
もう一度フェリシアの表情をみる。顔色はよくないが、怪我をしているような様子ではない。寝息も正常。ただ、目許は少し腫れていたし、涙の痕がありありと残っていた。
「・・・シア、シア、起きろ」
起こすのは忍びないとは思うが、ちゃんと本人に今の状況を聞かなければならない。意を決してフェリシアの肩を緩く揺らせば、微かに眉が顰められて、ゆっくりと目が開かれた。
「・・・・・・にい、さま?」
「ああ。シア、大丈夫か?怪我していないか?痛いところは?気分は悪くないか?」
思わず矢継ぎ早に質問を飛ばせば、フェリシアは寝起きの瞳を幾度か瞬かせたのち、手を伸ばしてぎゅっとデュランの胸元の服を握った。
「シア?」
何か悪いところがあるのか。血の気が引くような思いでデュランがフェリシアの顔を覗き込めば、ぎゅぅぅっとフェリシアの眉が顰められ、若草色の瞳が潤み雫がはじけ飛んだ。それにデュランは焦りを感じる。
「どこか怪我をしてるのか?痛いんだな?どこだ?どこが痛いんだ?」
必死に言葉を募らせ、フェリシアの状況を知ろうとした刹那、デュランの胸元に軽い衝撃とともにフェリシアが抱き着いた。予想外のことにデュランが反応を遅らせているうちに、フェリシアの肩が小刻みに揺れ始め嗚咽が漏れだした。
そこでやっとデュランは我に返った。もしかしたらフェリシアは怪我があるかもしれない。どこか体調が悪いかもしれない。けれど、今一番したいことは泣くことなのだ。
きっとフェリシアは必死にここを探したに違いない。知らない人たちの前に出て混乱し、気が付いたら知らない場所にいたのだろう。寂しかったし、不安だったに決まっているのだ。いつも感情を表現が苦手なフェリシアだが、感情がないわけではないのだ。・・・いつもは、蓋をしてしまっているだけで。
(だとしたら、俺はずっとシアを傷つけてたんだ。感情に蓋が出来なくなるまで、嫌味を言ってたんだ。俺が、シアの表情を見たいってだけで、ずっとシアの心を傷つけてたんだ)
無言で泣くフェリシアの姿が、痛くて仕方がない。きっとデュランの大切な妹は、感情を大きく曝け出す方法をしらないのだ。だから、全部閉じ込めてしまうのだ。
デュランは手繰り寄せるようにしてフェリシアを抱きしめた。後で沢山謝ることがある。話してあげたいこともある。けれど今は。
「シア、もう大丈夫だから。大丈夫だから、俺が守ってあげるから、泣いていいよ。俺が全部、フェリシアの心を受け止める。だから、たくさん泣いていいよ」
ぎゅぅっと抱きしめたまま、その髪をあやすように撫でれば、びくっとフェリシアの肩が軽くこわばったのがわかった。それでも大丈夫だというように頭を撫で、肩を撫でてフェリシアの名前を呼ぶ。自分がここにいるんだと分ってもらえるように、何度も、何度も。
僅かにフェリシアが動いたと思えば、胸に押し付けられていた顔がゆっくりとデュランを見上げる。濡れた若草色には、戸惑いの色が浮かんでいた。まるで迷子の子リスのようだ。どこへ行けばいいのかわからない。どうすればいいのかわからないと泣いている。
デュランは優しく笑い、その目元の涙をそっと拭う。泣いてもいいのだと教えるように、何度も何度もこぼれ落ちる涙を拭いた。フェリシアは暫くデュランを見つめていたが、不意に若草色を揺らめかしたと思うと再びデュランの胸に抱き着いた。
「にいさまっ・・・にいさまぁっ!!」
抱き留めたデュランの腕の中で声が弾けた。月明かりが魔除けの大木を照らす中、少女の泣き声が響きわたる。それはまるでこの世に存在を知らしめるための産声のようだった。