1、思い出しました
後々説明が出てきますが、転生・憑依ものではありません。
「---、------」
誰かの声が聞こえる。柔らかくて、少し甘さの含んだ男の人の声。
「・・・シュ、お・・・・・・・」
なんて言っているのかわからなくて一生懸命に耳を澄ませた瞬間、頭の中に濁流のように情報が流れ込んできた。一つ一つを判別しようとする脳に、無理やり詰め込まれる数々に頭がぎいぎいと痛み、視界が真っ白になっていく。遠ざかっていく意識の中、不意に見えたのは紫水晶のような二つの瞳。
「・・・ブランシュ、行っておいで」
優しく囁かれた言葉とともに、混沌へと堕ちていった。
「っ・・・」
よく天日干しされたのだろうふかふかのベッドで、フェリシア・ルウェリンは目を覚ました。ぐっしょりと額を濡らす汗の不快感にきゅっと眉をひそめてから、枕元に置いてあったふわふわとしたタオルで額をぬぐい、ふぅっと息をついた。どんどんと胸を叩くように早くなっていた鼓動が、ゆっくりとペースを取り戻していく。それと同時に汗もすぅっと引いていき、全体的に落ち着いてから、ゆっくりと体を起こした。
近くにあったクッションを背中に置き、大きなくまのぬいぐるみをぎゅっと抱き寄せる。去年の誕生日に長兄がくれたこのぬいぐるみは、フェリシアのお気に入りで、これをぎゅっとしていると落ち着くのだ。
フェリシアは、とある村の小さな屋敷に住む今年五歳になった普通の少女だった。おっとりとした母と、昔は騎士であったという村長を務める父、今は王都に出ている年の離れた兄と、少し意地悪なところもあるが優しい四つ年上の次兄を持つ、本当にそこらへんにいる少女。ちょっと周りと違うとすれば、両親は優れた容姿の持ち主で、他よりもちょっといい家の生まれであるぐらい。本当に普通の少女だったのだ。本当の本当に、普通の少女だった。
一週間前までの話だが。
一週間前、フェリシアは五歳の誕生日を迎えた。この国では五歳になる子供に、すくすくこのまま育つようにと親が魔力を流してやるという習慣がある。フェリシアも例にもれず父親にその頭に手を置かれ、魔力を流された。王都へ行って長かった長兄と、その日ばかりはとびっきり優しかった次兄、手作りケーキを作ってくれた大好きな母と乳母、そしていつもは忙しい父に囲まれてフェリシアはご機嫌だったのだ。いつもは大人しいフェリシアもきゃっきゃと騒いで、家族に笑みをもたらしていた。そんな中、行われたその慣習。
「シア、おいで。君が健やかに育つようにとお願いをしようね」
にっこりと笑った父に、フェリシアは少し眠さを感じながらも素直に従った。いつもはもう寝ている時間なのだが、誕生日だからと遅くまで起きていたためだ。
ゆっくりと父がフェリシアの頭を撫でると、次第にぼんやりとしてきて、体がじんわりと温かくなっていく。これが魔力なのかと、丁度いい温かさに揺蕩いながら入ってくる魔力を追っかける。頭から流れ込んだ魔力は肩へと流れ込み、胸を通り抜けていく。心地よいとフェリシアが目を細めた時だった。
どくり、と体の中で何かが蠢いた。なんだろう、なんて呑気に考えられたのも一瞬。それはあっという間に膨らむとフェリシアの体を突き破った。痛みも何もなかった。どちらかといえば、ものすごい解放感に襲われた。空を飛んだらあんな感じなのかしら、と思えるほどに。
そこからフェリシアの記憶は消えている。そしてその代わりというように、フェリシアは自分が魔族であることを思い出したのだった。
流れ込んだ大量の情報にこの小さな人間の体は堪えられず、この一週間はベッドとお友達状態であった。熱にうなされるし、熱が下がったと思えば記憶が夢を支配するから休んだ気がしない。やっと落ち着いて来たと思ったが、まだまだ落ち着いては無かったようだった。
「・・・お嬢様?起きられたのですか?」
微かな物音に気が付いたのだろう。控えめに扉が叩かれて、音が鳴らないようにゆっくりと扉が開き、一人の女性が入ってくる。乳母のアーテルだ。フェリシアの母、リリアンよりも少し年上の彼女はルウェリン家に雇われている数少ない使用人の一人であり、フェリシアだけではなく長兄と次兄の乳母も経験している。
「汗をかかれたようですね。水を少し飲まれた方がいいですよ、シアお嬢様」
柔らかいタオルでフェリシアがぬぐいきれなかった汗を優しい手つきでぬぐっていく彼女に、フェリシアは居心地の悪さを感じて体をひねりぬいぐるみを抱きしめなおした。記憶を取り戻したフェリシアにとって、この子ども扱いは少し違和感を覚えるのだ。
「アーテル、大丈夫、だから・・・」
「ですがこのままだと体を冷やしてしまいますよ。湯あみはまだ早いと思いますが、お体をぬぐってお着替えだけでもしておきましょう」
アーテルにそう言われ、フェリシアはそれ以上は抵抗できなくなる。幼いころから第二の母としてフェリシアを育ててきたアーテルに、フェリシアは抗う術を持っていない。体も怠いままだ。抵抗するのは無駄だと早々に諦めたフェリシアは、違和感を飲み込んで素直にアーテルに身を任せ、温かいタオルで全身を拭かれて着替えを貰う。
「着替えは自分でする」
「まあ、そうでございますか。それでは私はいったん下がらせていただきますね」
今まではアーテルに手伝ってもらっていたが、流石に服を着るぐらいはだるくてもできる。大体、もう手伝ってもらう様な年でもないだろう。部屋を出ていくアーテルを見送ってから、さっと着替えて再びベッドにもぐりこんだ。
記憶を取り戻してからというものの、誰かと接するにも非常に気を使う。何せ、しっかりと性格が定まっていないうえに、知識もそこそこしかない幼児の中に、魔族としての記憶が入って来てしまったのだ。完璧になくなったわけではないが、今まで誰とどういう思いでどうやって接していたかがわからなくなってしまった。
そしてその結果、感情を駆使することができなくなってしまった。表わすこともできなければ、察することもできない。先ほどのように心配されたり優しくされても、どこか裏があるのではないかと疑ってしまう。魔族というのは基本的に自分本位に生きている。自分が良ければ全て良くて、誰かに何かをするなればそれ相応の見返りがあって当然なのだ。
その感情を思い出してしまった今、家族から与えられるものは戸惑うモノばかりで。思い出す前までは自然と受け入れられていたことが受け入れられない。これがもっと思考がしっかりとし、人間の知識や常識が確立したあとだったならまた違っただろうに。考えても仕方がないことを考えていると、ずんっと瞼が重みを増して来た。どうやら、今の体力と脳活動容量的にはこれが限界のようだ。
どうしたものか、なんて全く五歳児らしくないことを考えながらも、フェリシアはゆっくりと眠りに身をゆだねた。