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毒蟲のワルツ  作者: 有鷹
1/3

制圧

1.

 乱立したビルに切り取られた狭い空。その一面を覆うように、黒々とした雲が低く広がっていた。今にも雨が降りそうな、また今降っていないことが奇跡に思える空模様。深夜のオフィス街という人通りの少ない場所柄とも相まって、寒々とした印象を強く抱かせる天気だった。

 大通りは昼間の喧騒を全く感じさせない静寂を纏っている。深夜1時を過ぎた今、光を放つ窓は朝昼とは比べるまでもなく、ごくわずか。人通りはなく、人影もない。時折吹く風と、低くうごめく雨雲だけが音を生む、ほぼ無音の世界。

 そこに、場違いなまでの轟音が響いたのは、深夜2時に差し掛かるころだった。


2.

 耳を劈く轟音と、地を這う衝撃に、志賀は眉をひそめた。彼が日常音とはかけ離れた音の聞こえてきた方を向けば、そこには少し広くなった空と、崩れゆくビルが。大きく傾いたビルは、隣に建っていたものも巻き込み、倒壊していった。そしてなおも倒壊は続く。建物が瓦礫に変わる凄まじい音を鳴らし、大量の砂塵を巻き上げながら、その連鎖は志賀の立つ通りへと近づいてくる。

 普通なら恐怖し、混乱のままに逃げ惑う状況に、彼は近づく崩壊の連鎖を見据えたまま動かない。その眼光は鋭く、眼前で進行する大惨事の原因を探っているかのようだった。

 無言でビル群の終焉を眺め続けていた志賀の前に、一人の女性が現れたのは、4棟ほど先のビルが傾き始めた時だった。


3.

 崩壊するオフィス街から逃げ出てきたのは、若い女性だった。肩甲骨の下端あたりで切り揃えられた黒髪や、黒のパンツスーツは、巻き上げられた砂塵で薄く灰色に染まっている。それは彼女の顔も例外ではなく、頬や額を砂で汚していて、整った顔立ちに瑕を付けることになっていた。その風貌はまさに被災者のそれで、彼女が志賀を認めるや否や真っ直ぐに駆け寄ったのも、自然なことだった。

 しかし、その歩みは、強制的に止められる。

「動くな。ただ死ぬか、情報を吐いて死ぬか、選べ」

 懐から取り出した銃を突きつけ、志賀は女性を睨みつけた。

「……選択の余地がないのだけれど。言葉、間違ってない?」

 二択の結果はどちらも死。まさに殺害予告という志賀の言葉に、女性は全く取り乱さない。そればかりか、口元に笑みさえ浮かべて、あっけらかんと答える。そしてその調子を崩さず、続ける。

「ここで殺し合っていたら、アレに巻き込まれて死ぬわよ?それはお互いに本意じゃないでしょう、同業者さん?」

 たった今抜け出してきた迫りくる崩壊の波に視線をやり、再考を促す。確かに、その言葉には道理がある。しかし同時に、その行為には致命的な隙があった。

「殺し合いになどならない。死ぬのはおまえだけだ」

 志賀は自分から目を切った女性に向かって容赦なく発砲した。彼らの間には5メートル程度しかない。まさに、必殺の距離。放たれた銃弾は逸れることなく、女性の頭に着弾する。

「私は死なない。だから、なるのよ。殺し合いに」

 しかし、弾丸は彼女を殺さない。言い終わる頃には、鈍色の弾はどす黒く変色し、バラバラに崩れて消えていた。このありえない現象こそ、彼女が銃を向けられても冷静でいられた理由。そして翻って、これは志賀に動揺と混乱を与える理由になる。そう、そのはずだった。

「……聞いたことがあるな。触れたものを腐食させる異常な力を持った殺し屋がいると。たしか、接触致死、だったか?」

 至近距離から頭を銃撃されても生きている女。そんな驚くべき光景にも、志賀は表情一つ変えない。

「へぇ、物知りなのね。だったら、分かるでしょう?あなたでは私は殺せない」

「俺に殺せないということは、おまえが死なないということと同義じゃないだろう?」

 女性の冷たい勝利宣言に、志賀は薄い笑みを返す。そこに滲む感情は、呆れか、嘲りか。

「あなた……」

 あからさまに下に見られた女性が口を開くのと、対峙する二人のそばのビルが崩れだすのがほぼ同じタイミングだったため、彼女は発言を完遂せず、口をつぐむ。志賀もまた、喋らない。すぐ近くでビルが倒壊しているというのに、睨み合ったまま動かない。重たい緊張感が、場を支配する。

 その張りつめた空気を破ったのは、野太い男の声だった。


4.

「追いついたぜぇ、八木さんよぉ」

 舞い上がる砂ぼこりの中から姿を現したのは、20代半ばほどの若い男だった。男はスーツを着てこそいるが、上着の前は止めておらず、ネクタイもしていない。中に着ているシャツも首元から大きく開き、分厚い胸板を晒している。口調とも相まって、粗野な印象を抱かせる男だった。

「先に仕掛けてきたのはそっちだろ?逃げてねぇで戦えや」

 志賀と対峙している女性に向かってずんずんと歩を進める男。その瞳には志賀は映っていない。彼の標的は接触致死の殺し屋、八木だけのようだった。

「負けの見えている戦いはお断りよ」

 八木は男の提案をにべもなく拒否する。口をついて出たのは、異常の力をもってしても勝てないという意味合いの言葉。

「はっ、なら戦わなくていいから、死んどけよ!」

 男が八木に向かって突進する。前に大きく腕を広げてなされるそれは、プロレスラーを彷彿とさせるもの。射線上にあるものは全てなぎ倒してでも標的を殺すという意思の見える、強烈な突撃。

 その、生半可なことでは止まりそうもない突撃は、半ば蚊帳の外に追いやられていた志賀によって止められることになる。

 志賀は、男に、発砲した。

「……俺を撃ったってことは、俺に殺されても文句は言えねぇよなぁ、兄サンよぉ」

 男は肉食獣を思わせる獰猛な笑みを浮かべ、威圧するように語尾を上げる。そして、前に突き出していた拳を開く。

「俺に銃なんてチャチなもんは意味ねぇよ!」

 手から零れ落ちたのは、弾丸。志賀がこの男に向かって放ったもの。それが小さく潰れた状態で、地に転がった。それは、致死武器であるはずの銃をものともしないことの、証左。

「それは俺が決めることだ」

 目の前で起きた非日常に全く感情の揺らぎを見せず、志賀は装填されていた残りの弾を全て放つ。それはそれで驚異的な早撃ちではあったが、非日常には届かない。

「頑固な兄サンだな、おい。だが、これで理解したか?」

 息一つ乱さず、放たれた全ての弾を握り潰し、男は笑う。弱者に対する呆れや嘲りの含まれた、嫌らしい笑み。

 そして志賀を煽るように、潰した弾丸を必要以上に大きな動きで後ろに投げ捨てて、続ける。

「俺を撃ったことをあの世で後悔するんだな!!」

 横槍を入れた志賀を獲物と見定めたのか、男は猛烈な勢いで志賀に突進する。銃弾を握り潰した異常なまでの握力は、人間の柔らかい肉など問題にしないことは明らかで。背を見せ逃走するまではいかなくとも、突撃を避けるための準備行動は取られてしかるべき局面で、志賀は、悠然と銃に弾を込め直していた。口元に笑みすら浮かべて。

「銃は効かねぇっつったろうが!分かんねぇヤローだなっ!!」

 力を見せつけてもなお警戒すらしようとしない志賀に怒号を飛ばし、男が肉薄する。それは、必殺の間合い。首を掴み、骨を拉ぎ折るのにもう時間は必要ない。息を吸って、吐くだけの数瞬で、志賀の命は終わる。それは、純然たる事実。男の力と、抵抗のそぶりすら見せない志賀から導き出される、現実。志賀の死は、火を見るよりも明らかだった。

 しかし、それでも。男の目に映る志賀は、笑みを消していなかった。

「そのまま死になっ!」

 迫る死を前に笑っている違和感。罠や策を持っているかのような余裕。そのどちらも、この男は考慮しない。相手が何をしようとその全てを破壊できるという絶対の自信。標的の抵抗ごと食いちぎるという、捕食者としての信念。圧倒的な力を持つが故の、考え方。それが、目の前の獲物を殺せと命じる。

 男の手が、志賀に伸びる。

「避けなさいっ!」

 凶悪な指が志賀の首にかかる刹那、それより瞬間早く八木が志賀を引き倒した。対峙していた粗野な男と志賀のどちらにとっても意識外の助太刀。それゆえに、その行為は簡単に功を成す。

「なっ、てめぇっ」

 必殺と決めた一撃をいなされた男は、勢いのままに空を掴み、バランスを崩した。こぼれた驚愕は、考慮外の証明。

 行き過ぎた前傾姿勢によろめく男を尻目に、八木は助けた志賀を立たせ、背を見せる。

「逃げるわよ!」

「八木さんよぉ、そりゃあねーだろ!!」

 走り出した八木に、怒声が飛ぶ。しかしそこには行動が伴わない。予期せぬ展開に興が削がれたのか、最早この場での決着を諦めたかのように、男は地に腰を下ろしたまま怒鳴っていた。

「そうだ。どういうつもりだ?」

「うるさい!黙ってついてきなさい!」

 投げかけた疑問に答えはない。志賀は座り込んでいる男を一瞥してから、やむなく八木に続いて走り出した。

 その場に残ったのは、獲物を狩り損ねた男のみ。彼は、昇華できなかった殺意を吐き出すように、独り言ちた。

「また鬼ごっこかよ、かったりぃ。気分よく殺させろよな」

 見上げた夜空に月はなく。鬱々とした曇天が広がっていた。


5.

 殺し合いの場だった大通りから離れること数本分。数ある通りの中でも、少し奥まった細い裏通りの影に、八木と志賀は立っていた。短くはない距離を走ったというのに、二人に息の乱れは見られない。

「……どういうつもりだ?」

 逃走前の問いと同じ言葉が紡がれる。それは、道理もメリットもない救出に対する、消えない疑問。

「それはこっちのセリフね。なに、あなた?自殺志願者だったの?」

「問いに問いで返すな。答えろ」

 脅すように銃を突きつけ、低い声で唸るように問いを繰り返す。

「銃は意味ないわよ。私にも、あの脳筋男にもね」

 脅迫を受けてもなお軽い口調は崩れない。それどころか、挑発するように銃身を手の甲で払いのける始末だった。

「だから……俺は答えろ、と言っている」

 逸らされた銃口が八木に向き直る。彼女の額に押し付けられるかたちで。疑問の答えを返さない八木に、志賀の行動は乱暴になっていた。

「だから、よ。私が助けないと、あなた死んでいたでしょう?それは困るのよ」

「俺が死んで生じるデメリットなど存在しない」

 志賀は躊躇なく撃つ人間だった。それは八木もすでに体験している。生かしておけば命を奪いにくる人間を助ける理由など、あるはずがない。見殺しにする方がはるかに自然。少なくとも、志賀はそう信じていた。

「あなたが生きていると生じるメリットはあるのよ。……あなた、私と組まない?」

 凛と張った声で。銃越しに志賀を見つめて、八木は言った。これこそが、志賀を助けた理由だと。同盟を結ぶのなら、死なれては困るということも頷ける。

「メリットは、」

「あなたにメリットは、必要ない。死なずに済む。それで十分でしょう?」

 志賀の発言を遮るように、強く冷たい声が響く。

「断る、と言ったら?」

「……勘違いしないでほしいのだけれど。これは提案じゃないわ。命令よ。あなたに選ぶ権利なんて、ない」

 言い終わるや否や、八木は突きつけられていた銃に触れ、消し去った。その銃身を。接触致死という、異常性の行使。

「分かるでしょう?あなたは私を殺せない。私はあなたを殺せる。あなたは従うしかないのよ」

「殺せない、か」

 最早使い物にならなくなった得物に視線を落とし、呟く。その表情は、陰になっていて判然としない。

「私に協力すれば生かしてあげると言ってるのよ?迷いようがないでしょう?」

 生殺与奪の権を握っている者の命令。従えば生かされ、背けば殺される。考えずとも答えの出る選択肢。その状況でなお志賀は首を縦に振らなかった。

 八木はできの悪い生徒に教師がするように、懇々と諭した。

「確かに、おまえの言う通りだな。俺がおまえを殺せなければ」

「私を殺せると言っているように聞こえるわね?」

「そう言ったつもりだが?」

 急速に冷え込む空気。まさに、一触即発の雰囲気。志賀は八木の命令に従う気など、毛頭ないようだった。

「おまえは触れたものを腐食させられるかもしれないが、それは触れられないものには無力ということと同義だろう?なら、殺しようはある。毒殺でもしてやろうか?」

「……呆れた。そんな分かりきったことがあなたの自信の根拠なの?」

 挑発じみた言葉に、八木はため息をこぼす。呆れ果てたように首を振り、肩をすくめて。

「暗殺するならまだしも、対面したこの状況でどうやって毒殺ができるのかしら。そもそもそれができるなら、あなたは銃なんて持たないでしょう?」

 筋の通った完璧な反論。志賀の余裕を粉々に砕く、事実の羅列。八木には届かないことを証明する、冷たい論理。

 しかし、それを受けてもなお、志賀は揺るがない。それどころか、笑みを深くしてすらいる。そこから読み取れるものは、自信。否、八木への嘲りだった。

「……特別なのが自分だけだと思うのは、愚かじゃないか?」

 抑揚のない平坦な声で、囁くように紡がれた言葉の意味するところ。それは。それは……

「もしかして、あなたっ……」

「超常の力は、おまえだけのものではない」

 接触致死に比類する異能を持つことの宣言だった。


6.

 志賀は弾を腐食させる女を見ても、弾を握り潰す男を見ても、決して動揺を示さなかった。人間の域を逸脱した異常の力でもって繰り広げられる光景は、ついぞ彼の平静を奪うことはできなかった。その理由が、彼も異常の力を持った非日常に住む人間だからだということは、理解できる。納得できるかは、別の問題として。

「……仮に」

 八木が口を開く。

「仮に、あなたが異能を持っているとして、それを私に知らせることに意味はある?」

 口調こそ疑問形ではあるが、その実、彼女の言葉には確信めいたものがあった。

「あなたは私を殺そうとしたわよね。本当に異能を持つというのなら、それで私を殺すのが自然じゃないかしら。力の所持を宣言するんじゃなくてね」

 言動の不一致。それが八木の論拠となり、志賀に突きつけられる。

「私を殺していないということは、私を殺し得る異能ではないか、そもそも異能なんて持っていないか、よ」

 挙げた二択のうち後者だと確信していると言わんばかりの勢いで、八木が述べる。

「だからもう一度だけ言うわ。あなたは私を殺せない。私はあなたを殺せる。あなたは従うしかないの」

 志賀の矛盾を突いた言葉の結びは、最後通告の形を取った。猶予はもう、ない。

「……取り乱したのは一瞬か。なかなか冷静だな」

「冷静、ね。それはあなたに相応しい言葉でしょう?超常の光景を前にして眉ひとつ動かさないんだから」

 だからこそ八木は、一瞬といえど志賀の異能所持を認めた。非日常に対した志賀の冷静さは、事実誤認を引き起こすほどのものだった。

 しかし、矛盾を暴かれた今となっては、その冷静さも武器にはならない。はりぼてだと分かっている城を、誰も恐れることはないように。

「さあ、答えを聞きましょうか。私に従うか、否か」

 八木の問いかけ。生と死の、選択。もっとも、選択肢など、ないに等しいが。

「……おまえが言ったことだろう?迷いようがないと」

 銃身を失い、武器の体をなしていない得物を投げ捨て、降服を示すように両手を挙げる。それは、選ぶ余地のない問いからすれば、当然の帰着。生きるためには、八木に従うしかないのだから。

「契約成立ね。いいわ、私に従う限り、生かしてあげる」

「了解だ。……まずは、囮にでもなって死んでくればいいんだろう?」

「何を……言っているのかしら?」

 弛緩しかけていた空気が再び張りつめる。同盟の前提条件からひっくり返す志賀の言葉は、返す刀で八木に斬りかかる。

「おまえはあの男から逃げていた。それは、接触致死ではあの男が殺せないからだ。なら、今さら普通の人間を仲間にしたがるのは囮が欲しいからに決まっている。力を背景に脅し、従えば生かすと唆し、自分が逃げ切るための囮を手に入れたかったんだろう?気づかないとでも思ったか?」

「……だったら、どうするというの?ここで私に殺されておく?」

 弱者からの糾弾に、八木は脅迫を返す。殺意を隠そうともせず、ここで息の根を止められたいのかと、にじり寄る。それは、死の選択。今死ぬか、囮となってこのすぐ後に死ぬかの選択。選ぶ余地など、それこそない。

 だから、志賀は選ばない。

「いや、ここで、殺しておく」

 志賀は言うが早いか、腰に吊っていた銃を抜き、発砲した。全弾、余すことなく。

「あなたはもう少し賢いと思っていたけれど……買い被り過ぎていたようね」

 壮絶な発砲音の後。何事もなかったかのように、八木は言葉を紡ぐ。放たれた弾丸を全てその身で受けながら。彼女の細身の体には一切傷はない。接触致死に、傷はつかない。つけられない。

 決定的な決裂に、八木の瞳には嗜虐の色が灯る。口も三日月に歪み、嘲笑を大きくしていく。

「俺も、そう思う。もっと、賢いと思っていた」

 それは、自嘲だろうか。迫る避けようのない死に自棄を起こし、接触致死に歯向かったことを、後悔しているがゆえの言葉だろうか。

「残念、後悔先に立たず、ね。地獄で悔いなさい」

「あぁ、おまえがな」

 志賀の声は、強い。死に怯えたか弱いものではない。馬鹿なのは、死ぬのはおまえだと、臆することなく言い放った。

「……気でも触れたのかしら?なんにせよ、ここであなたはお終いよ」

「終わりだぜぇ、八木さんよ!!!」

 八木の言葉に、男の叫びが重なった。


7.

「っ!!」

 背後からの叫びに振り返れば、そこには非日常に住む男が。弾丸を握り潰す悪魔の手が、目前にまで迫っていた。

「死ねよ、接触非致死っ!!」

 それは、触って殺しえるという言葉。腐食より、圧縮の方が早いという叫び。

「……どう、してっ」

 八木の表情が絶望に染まる。迫る死に、視界が歪む。

 反応は、十分すぎるほどに、できていた。振り返って、男を認めた時点で、まだ死んでいなかった。避けることは、現実的にも、実力的にも、できるはずだった。

 しかし、体が動かない。脳からの信号を受け付けていないかのように、四肢は駆動を拒否していた。

「なっ、んだよ、これはっ……!」

 数秒後に訪れる約束された死は、男の驚愕と共に、反故になった。見れば、男の動きも、止まっている。

「……もっと賢いと思っていた。おまえたちは、その程度だったんだな」

 意趣返しに刻まれる言葉は、志賀の発するもの。余裕にあふれた、支配者の声。

「あなたが、これをっ……?」「てめぇが、したのかっ!?」

 動きを止めた二人の男女が、同じ意味合いの疑問を、同時に放つ。手を触れることすらなく、動く人間を押さえつけられるのか、と。

「俺があれだけ余裕を見せていて、おかしいとは思わなかったのか?」

 返答は、遠回しの肯定。それを為すだけの力がなければ、余裕ではいられなかったはずだという、当然といえば当然の論理。

「ブラフに見せた、真実……」

 八木が力なく呟く。それは、一度は異能所持を認めながらも、ハッタリだと断じさせられたが故の、悔い。志賀の矛盾は、作られたものだった。異能を持っていないと理論展開させ、そう信じ込ませるための、誘導標識。全ては、掌の上。

「待てよ!ならどうしてあの場で殺さなかったんだ!!」

 男が吠える。動きさえ止められていなければ、飛び掛からんばかりの勢いだった。

「接触非致死。この言葉を引き出すためだ」

「わけが、分からねぇっ……」

「……お前のことは知っていた。その手で万物を圧縮する殺し屋、大和」

 志賀は静かにその理を語る。

「圧縮と接触致死、そのどちらに優位性があるのか知りたかった。接触致死が逃げたことから目処はついていたが、それでは絶対じゃない。おまえと接触致死のどちらからか言質を取らないと確信に至らない。その意味では、まだ逃げるつもりでもいた」

「分かんねぇよ!それだけの力を持ちながらどうして戦わねぇ!?戦え、俺と!正面からよ!」

「俺は殺し屋だ。戦いは、殺し屋のすることじゃない」

 突き放すように、冷たく言い放つ。

「うるせぇ!俺は、俺は最強なんだ!こんなまどろっこしいヤローに、負けるわけねぇっ!!」

 半ば錯乱気味に、大和が喚き散らす。動きを支配されている時点で負けているというのに、そのことは意識から抜け落ちているようだった。

「……確かに、おまえは最強かもな。銃も、瓦礫の雨も、その手の前には意味をなさない。人間なんて、言うに及ばずだろう」

 滔々と言いながら、一歩、前に出る。志賀と大和の視線が、交わる。

「なっ、おまえ……」

 驚きに大きく開かれるのは、大和の両目。視線の先は、赤く煌めく、志賀の両眼。

「だがな、殺し屋は最強である必要はない。必殺であれば、十分だ」

 言いながら、志賀は銃に弾を一発だけ込め直した。そして、それを大和の額に突きつける。

「そして俺の異能は、必殺だ。この両眼で捉えたものの動きを封じる力……」

 引き金に指がかかる。止める人間は、いない。

「制圧だ」

 それが、大和の聞いた最後の言葉だった。

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