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泣きたいときほど、人は笑う。

作者: 湧水蓮太郎

父と母が、夕餐をお召し上がりになられている。




ねぇ、今日ね隣の○○のおば様とこんな話をしてね、それから帰りにいつもの遊歩道を通ったら、栗の実がたくさん落ちていてね…



父は膳を抱えながら、顔はぐいっと横を向き、BSのドキュメンタリー番組を食い入るように観ている。


北極海の海洋生物の歴史やら危機やらをイギリスの放送局が制作したらしく、鯨が大きく潮を吹いている。



全く母の声が耳に入っていない父親を見て、母が、クックッと小さく微笑する。




いつものことなのだ。





母と父は愛しあっている。これは事実だと思う。



それは、恋人が相手を切なくいとおしく思う感情とは別に、長年戦場をともに生き抜いてきた仲間を思うような、限りなく友情に近い家族愛だとしても。





昔、僕が高校生の頃だったろうか。母が父に訊ねたことがある。





ねぇ、誠一さん。私とあなたって、会話が噛み合っていないと思うの。




父は、不思議そうに目を丸めた。本当に何を言っているのかわからない、といった風に。




ねぇ、このことって、私は大事なことのように思えるのだけれど、あなたはどうかしら。




父は、眉毛を八の字にしかめっ面で、怪訝そうな表情をしていた。





母は、クックッと口に手を当てて笑う。


目に涙を浮かべながら。





ごめんなさい。どうでもいいことだったわ。





母が父を責めたことは一度もない。



僕は、テレビの光を白く浴びながら、切なくなる。




父は男らしくて不器用だ。

母は父を愛している、尊敬している、と子どもに言い聞かせた。



夫婦は分かりあえているようで、時にふっと空白。常に危機を孕んでいるような気がして僕は怖くなった。




母は、僕たち兄弟を叱るときも泣いていた。



小学校のとき、ケンカで友達を傷付けたとき。くだらない兄弟ゲンカをしたとき。父の悪口をいったとき。



母は、泣きながら叱った後、必ず微笑した。


あぁ、許してくれた。

そう、思ったものだった。




大人になって、今。



大切なひとがいなくなってしまったとき、飼っていた犬を看取ったとき、僕は自分自身が微笑しながら涙を流していることに気が付く。




月並みかもしれないが、仕事で追い込まれて辛いときも僕は微笑する。

課長が大量の業務で押し潰されて鬱で仕事にこなくなって、相手の気持ちになって考えてみると、僕は不謹慎ながら、微笑する。

トイレの鏡で僕は、目を赤くしながら、確かに微笑していたのだ。




本当に悲しいとき、涙がすっとでる大人でありたいと思う。



僕は、悲しい感情だけではきっと気持ちのバランスがとれなくて。

微笑して、悲しい気持ちと笑いたい気持ちがぶつかり合って溢れて。

どうしようもなくなって涙がすっと頬を伝う。




大人になると、そういう機会が増えて、あぁ僕は母に似てきたな、と思う。

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