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終わりの鐘が鳴る前に

作者: B.A.R


 私は扉を開いた。

 風はほんのりと色を変え、土の匂いを運んでいる。

 陽は少しだけ傾いて、辺りの景色を染めている。

 北校舎の三階にある扉、そこは学校で唯一の屋上へと続いていた。

 その中にただ一人。

 格子に身体を預け、街並みに顔を向ける人影があった。

 私はその扉を小さく跨ぐと、何も言わずに歩を進める。

 近づくにつれ、逆光から現れたその影が顕になっていく。

 髪の長い女生徒だ。靴の色からして上級生だろう。

 私は彼女の顔を見ないように横につき、同じく夕の街並みを眺めた。

 遠くに聳える山の隙間から、日の光が街を綺麗に切り取っている。放射状に伸びるそれらの影が、光と混ざり、美しいコントラストとなって私の心を打った。

 「あなたが明日のシンデレラ?」

 彼女はこの空に溶けてしまいそうな淡い声でそう言った。

 「ええそうよ。そういうあなたは今までのシンデレラ?」

 私は高揚した心中を隠すように、なるべく涼やかにそう答えた。

 彼女は何も言わないまま、淡々と夕の街を眺めている。

 例え見ずとも、彼女が動いていないことは明白だった。

 その時の私たちは間違いなく、熱を帯びたその景色にあてられていた。


 それから暫く穏やかな時間が流れた後、私は一つの質問を彼女に投げかけた。

 「それにしても、どうして今日なの?」

 その問はどこまでも正統で、そして当然のものだった。勿論彼女だって、その問の意味を淀みなく理解できるはずのものだったし、そこには明確な理由があるはずだった。

 しかし彼女は未だに黙したままで、変わらずに目線を向けている。

 「本当なら、明日まではあなたがシンデレラのはずよね? どうして一日も予定を早めてしまったの?」

 シンデレラは全校生徒からたったの一人だけが成れる、物語の主人公だ。

 三年に一度、校長の抽選によって選ばれた一年生には、卒業までの間、この屋上とその鍵の占有権が与えられる。何時から、そしてどうして始まったのか誰も分からない制度だったけれども、少なくともそれは深く浸透し、広く受け入れられていた。

 私は再び尋ねた。

 「今日この場で私に鍵を渡してしまったら、もうあなたはシンデレラではいられなくなってしまうのよ? どうしてそんな事をしてしまうの?」

 シンデレラはこの街で最も特別な存在だ。この小さい街には一つしかない高校だから、街中がこの制度を支えている。

 例えどれだけ求めても、主役以外に魔女の魔法は掛からない。

 それがたった一人にかけられる、三年間の夢の魔法。

 仮にあと一日で消えてしまう力だとしても、それを惜しまない者はいないはずだった。

 でも彼女は、その魔法を自ら解こうとしている。

 私にはどうしても、彼女の考えが分からなかった。

 「どうしても今日、あなたにシンデレラになって欲しかったのよ」

 彼女はそう言うと、格子を掴んで背筋を伸ばした。そうしてなびく髪を手櫛で整え、再びそこに寄りかかった。

 「ねぇ、明日のシンデレラ。私の話を、少しだけ聞いてくれないかしら?」

 私は無言のまま頷く。

 少しの間をおいて、彼女は話し始めた。

 「あれは三年前の今日だった。私は扉の前にいて、そして此処には昨日のシンデレラが立っていたわ」

 彼女はポツリ、ポツリと話し始める。私は耳を傾けらながら、それでも目線だけは前に向けていた。

 「彼女はね、家庭に問題のある娘だったの。親からの暴力は、顔に身体に痣まで作っていたわ」

 「……可哀想な子だったのね」

 「そうね。でも、あの娘はこの学校のシンデレラに選ばれてしまった。きっとそういう娘だったからこそ、魔女の魔法は彼女を選んだんだと思うわ」

 私は眼を閉じ、彼女の話を聞いていた。

 「話は変わるけど私、中学校の頃はヤンチャでね。その時も学校から抜け出して、この前の道を歩いていたの」

 「…………」

 「そして五月のある日、屋上で泣いている彼女の姿を見つけたわ。私、あの娘は自殺をしようとしているんじゃないかって、屋上まで止めにいったのよ」

 「優しい娘じゃない」

 私が「フフ」と笑うと、彼女もまた、「クスッ」と笑った。

 「それからは毎日のように遊びに行ったわ。ほら、ここって校則とかが適用されないでしょう? だから私も学校をサボりがてら、彼女とここで毎日を過ごしたの。本当に、色んな事を二人でしたわ。話をしたり、本を読んだり。夏には花火も上げて、冬に向けてマフラーも編んだ」

 「でもね……」と彼女は続けた。

 「彼女の身体はどんどん窶れていったわ。後から訊いたの。シンデレラには手を出せない。でも暴力は無関心へと替えられる。彼女の親は、何処までも弱かったのね……」

 「…………」

 「そして三年前の今日、私は彼女に呼び出されたの。電話越しで、その弱々しい声は一層際立っていたけれど、その時の声はそれ以上におかしかった。私の身体は直ぐに動いたわ。そうして急いで駆け付けて、叫んだ私に彼女は言ったわ」


 「――――せめて、シンデレラのままで――――、ってね」


 私はいつの間にか、彼女の方を向いていた。

 赤い光に照らされて。なびく髪を耳にかけ。

 彼女は春の空気に染まっていた。

 「それで……、どうなったの?」

 私が尋ねると、彼女は遠くを見つめて口を開いた。

 「彼女は私の前から姿を消した。足元には私への手紙と、鍵が入った封筒があった。たったそれだけを残して、彼女は消えたの…………」

 「…………」

 「手紙には私への感謝の言葉と、謝罪の言葉で埋め尽くされていたわ……。そうして私はこの学校に入学したの。鍵は私が貰った物だと伝えたら、魔女は私に魔法を掛けたわ。それから私はこの三年間を、ずっと此処で過ごしたの」

 辺りは既に、暗くなっていた。先程までいた陽はもう、その姿を隠している。肌をなぞるヒヤリとした風が吹き、私と彼女に囁いた。その澄んだ風に晒された彼女の顔は、何処までも晴れやかだった。

 「どうしても今日、あなたに鍵を渡したかった。あの日彼女が見た景色を、私も見たかったの」

 そういうと彼女はスカートのポケットから古い鍵を取り出した。

 私はそれを手に取ると、ただ呆とそれに眼をやった。

 「私、あの娘のなんだったのかしら。それだけが知りたくてここまで来たけれど、私はあの娘に何をしたの? 何が出来たの? 結局それは、分からなかった」

 彼女は歩き出した。後ろ姿を見せながら、私に向かって手を振った。

 「じゃね、今からのシンデレラ。あなたの魔法は、一体何時まで続くのかしら?」


 ヒラヒラと手をなびかせて歩く彼女の姿に、私は思わず声を上げた。

 「待って!!」

 彼女の身体がピタリと止まる。次の言葉を待つその姿に、私は声を張り上げた。

 「魔法なんてはホントは無い。あなたの話にだって興味は無い。人それぞれの価値観よ。人生なんて、所詮はただの暇つぶし。大切なのはその密度よ。その娘がただの不幸な少女で、あなたが単なる偽善者だったとしても、私にはたった一つだけ分かる事があるわ!」


 「彼女はあなたが好きだった! 私は絶対そう思う!」


 星の光はさして明るくも無く、私たちの静寂を邪魔するものは何も無い。

 ただ彼女が鳴らす踵の音だけが、コツコツと耳に届いていた。

 そうしてガチャリと扉が開き、彼女は振り向きこう言った。

 「そうかしら? …………でも、もしもそうだったら、嬉しいな……」




 それから暫くが経った。

 昼休み。私は屋上で空を見ていた。

 その手には、一つの手紙。

 私が屋上に繋がる階段を上ると、扉に封筒が一つ貼ってあった。何かと思い、私はそれを手に取ると、中には私宛の一枚の手紙。それを読み、私は思わず絶句した。

 そうして今、私はもう一度それに眼を通している。


 『拝啓、今のシンデレラ。彼女の引越し先が分かりました。驚いた事に、同じ大学の授業で会いました。どうやら一浪して勉強していたらしいです。あなたにだけは伝えたいと思い、手紙を書きました。――――追伸、私はちょっぴり、魔法を信じる事にします』


 私は「フフ」と笑ってしまう。

 「くっそ~。そういや飛び降りたとは言ってなかったわね、あの女~」

 私は傍に置いた袋からアンパンを取り出すと、乱暴にそれを頬張った。


 「ぅんま、コレ!」

 その時、終了の鐘が鳴った。昼休みが終わる音だ。

 私は次の授業をサボる事にした。


 頃は五月。空は青くて、澄んでいる。



短編というものを、そう言えば書いた事が無かったので。

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