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時の流れすら止まってしまったかのような沈黙が、私たちの周囲を覆い尽くす。
アインザッツさんの言葉に、誰も声を発することができなかった。
アインザッツさんの鋭い視線の先にいる私とお姉ちゃん、ふたりの言葉だけでしか、時の流れを塞き止める土砂をなぎ払うことはできないだろう。
私は大きく息を吸い込むと、凛とした声でその土砂に立ち向かった。
「ここで一緒に暮らすことはできません」
「せっかくの申し出ですが、お断りさせていただきます」
同時にチェルミナお姉ちゃんも、私と肩を組んでともに戦うかのように言葉を重ねてくれた。
とくに視線を交わして合図したわけではない。
言うまでもなく、私とお姉ちゃんの心はひとつに決まっていたのだ。
「ど……どうしてだ? お金はたくさんあるぞ? なんでも好きなものを買ってやるぞ? もう昔の私とは違うんだ! チャルメラを苦しませてしまったときのような過ちは、もう二度と繰り返さないと誓えるんだぞ!?」
テーブルに両手をついて立ち上がり、野ウサギに噛みつく狼のような勢いで、アインザッツさんは激昂と困惑をまぜ合わせた叫び声を私たちに向けてくる。
その様子を、私は冷静な瞳で見上げていた。
私のすぐ横では、お姉ちゃんもまったく同じ表情でアインザッツさんに哀れみの視線を送っている。
「私はチャルメラを守れなかった。だからこそ、娘であるキミたちだけはしっかりと守っていきたいんだ! それなのに、この私の気持ちを受け入れてくれないというのか!? 絶対に幸せにしてやるぞ!?」
必死に大げさな身振り手振りを交えながら、アインザッツさんはなおも喚き散らす。
「幸せにしてやるとか、なんでも買ってやるとか……。チュルリラちゃんたちの気持ちを考えない押しつけの自己満足でしかないというのが、どうしてわからないんですか……?」
あまりの哀れさに耐えかねたのかもしれない。
普段はおとなしいマニスが、アインザッツさんを鋭く睨みつけながら、彼女にしては最大限に力強い口調で言い放った。
突然の横槍に、アインザッツさんも少しは落ち着きを取り戻したらしい。
「……すまない、取り乱してしまって……」
もともと、そんなに悪い人ではないのだろう。
それは最初にお姉ちゃんたちの聖歌を聴いていたときから、なんとなく感じていた。
ただ言葉にして表現するのが苦手なだけなんだ。だからこそ、手下たちにも威厳を保てないでいるのだ。
貧しい生活から成り上がって、今の裕福な生活を持て余している部分もあるに違いない。
でも、本人はそれに気づいていない。
周りが見えていないんだ。
……おそらくは、お母さんがアインザッツさんのそばにいたときも、同じだったのだと思われる。
だから、あんな詞が残されていたんだ。
教会に残されていたお母さんの日記。
亡くなったと聞かされていたお母さんの面影を求めて、私はその日記を読んだことがある。
その中に、この詞を見つけた。
私は悟った。そして歌い出した。
お母さんが残した日記に記されていた詞に、私なりのメロディーを添えて創り上げた、切なくも温かい聖歌を。
『あなたの心がわからずに 不安色に染められていた日々
どうしていいかわからずに ただ川の流れに向かって泣いた
そばにいるだけでいいのに あなたは頷いてくれなかった
優しい言葉がほしいのに いつも冷たく突き放された
だけどいつかはきっと 幸せになれると信じて
一日一本祈りを込めて カスミソウを植えた
風に揺れる七百本の花畑 三年目の春が私を包む
暖かな日差しに照らされていても 心は雪のように
いつも迎えてくれるのは 静かな川のせせらぎだけ
さらさら揺らめく水面が 私をいざなうように
このまま消えてしまえたなら 貴方は幸せになれるかな?』
みんな、黙って私の聖歌を聴いていた。
アインザッツさんも、私にまっすぐな瞳を向けながら、切ない歌声にその身を委ねているようだった。
『あなたに会ったあの日から 長い月日が流れました
いつでもそばに行けるように 私はこの地に根を下ろしました
夜ごと寂しさに震える胸 水面に映る月に向けて歌う
心の泣き声をかき消すように 心の涙を洗い流すように
だけどいつかはきっと 受け止めてくれると信じて
ひと言ひと言 心を込めて カスミソウに歌った
風にたわむ七百本の花畑 月日の重みがのしかかる
流れゆく川にこの身を委ね 消えてしまおうか
ふと私を引き止めたのは 袖を握る無邪気な笑顔
ふたつの命 きらめく瞳 私を温めるように
このまま消えてしまったなら この子たちはどうなるの?』
聖歌は部屋の中で響き渡る。
ドアの外からは微かな物音も聞こえていた。
アインザッツさんの手下たちが、歌声につられるかのように集まっているのだろう。
『風にそよぐ七百本の花畑 三年目の想いが揺れる
流れゆく川に背を向けて 我が子を強く抱きしめた
いつも支えられていたのは 私のほうだと気づいた
ふたつの命 きらめく瞳 私を温めてくれる
あなたたちを守って生きていこう
慎ましやかに微笑む カスミソウのように』
私は自ら歌いながらも、瞳から大粒の雫がぼろぼろとこぼれ落ちていくのを、止めることができなかった。