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「キミたちふたりのことは、プロモーショオンオーブで知ったんだ」
ゆったりとした椅子が全員分用意された部屋へと移り、私たちが腰を落ち着けたところで、アインザッツは語り始めた。
……本当にこの人が私の父親なのかはわからないけど、せめて「さん」づけで呼ぶべきだろうか。
目の前のテーブルには、高級そうなカップに注がれた紅茶と綺麗なお皿に並べられたお菓子類も置かれている。
私とマニス、ソルトとシュガーとサフラン、そしてお姉ちゃんたちチェルシーミルキーのメンバー。
総勢九人の少女とアインザッツさんだけが、今この部屋にいる。
他の蒼いローブの男たちは下がらせ、各自の仕事に向かわせていた。
各自の仕事というのは、いろいろとあるものの、そのほとんどが屋敷内の掃除や庭の手入れ、衣服やシーツなどの洗濯、料理の準備といった家事の類だった。
体つきのいい私設警備団の仕事ではないような気もするけど、シンフォニエッタは治安の悪い都市ではないのだから、そんなものなのかもしれない。
「たまたま買ったのが、私とお姉ちゃんのオーブだったんですか?」
「いや、いろいろな地方から取り寄せて、たくさんのオーブを買いあさっていたんだよ」
私の問いに、平然とそう答えるアインザッツさん。
プロモーションオーブは結構な値の張る商品。軽く話しているけど、かなりの出費になるはずだ。
貧乏な田舎村の出身である私には大金持ちの感覚なんてわからないけど、もっと有効利用したほうが世のため人のためだと思うのは、庶民的な発想なのだろうか。
それはともかく、さっきのアインザッツさんの発言には驚いていた。
というより、信じられなかった。
私が、この人の娘?
混乱する頭であれこれと考えてみた。
私は今まで、ベルカント村の聖ベルル教会で産声を上げた、シャーベット神父の娘だと信じて疑ったことはなかった。
とはいえ、教会ではみなしごを引き取って育てたりすることもある。
現にマニスはそうなのだから、私やお姉ちゃんが捨て子だったとしても不思議ではないのかもしれない。
ただ、お母さんは私が生まれてすぐの頃に亡くなってしまったと聞いてはいたけど、そのお母さんの日記は見せてもらったことがある。
あれはニセモノだったというのだろうか?
考えてみると、教会の聖歌巫女という立場だったはずのお母さんなのに、プロモーションオーブのひとつも残っていないのは不自然かもしれない。
私たちとは時代が違うから、まだなかったのかな。そう思っていたけど、プロモーションオーブの歴史は百年くらいあると学校で習ったような記憶もある。
そうすると、やはりお父さんは私に嘘をついていたということなのだろうか?
考えれば考えるほど、パニック妖精さんが私の頭の中を駆け巡る。
とにかく今は、アインザッツさんの話をしっかり聞いて、真実はどこにあるのか見極めるのが先決だ。
私はそう結論づけた。
「私がオーブを集めていた理由は、娘を探していたからなんだ」
昔を思い起こしているのだろう、アインザッツさんは遠い目をしながら、さらに語り続けた。
☆☆☆☆☆
アインザッツさんは昔、この町の片隅にある、通称貧民街と呼ばれる寂れた場所に住んでいた。
身よりもなく、その日その日を生きるので精いっぱいだった。
そんなアインザッツさんの目の前に、まぶしい輝きを放つ天使のような女性が現れたのは、めまぐるしく過ぎる日々に疲れて自暴自棄になっている頃だった。
その女性は、各地を旅して回っている歌い手だった。
いくら尋ねても、どうしてひとりで旅をして回っているのか、どこから来たのか、それは答えてくれなかったけど。
ただただ笑顔を浮かべて話を聞いてくれる女性。そんな彼女と話しているだけで、温かな気持ちになった。
生きる気力さえも失くしかけていたアインザッツさんに、女性は澄みきった美しい歌声をプレゼントしてくれた。
『いつも笑顔でいなさいと 疲れ果てた瞳で語る
母の面影浮かぶたび 涙が溢れた
いつも笑顔を心がけて 今日も生きている私だけれど
悲しい場面に出会うとき 涙は止まらない
いつかあの青空のように 広がる歌声を届けたい
もう叶わない母の想いを継いで 明日を目指す
夢を束ねて 大空に差し出せば
飛び立つ白い小鳩 未来に広がる
空の彼方から 見守っていてください
きらめく夢は今 花束のように』
優しく包み込んでくれるような彼女の温かさに、アインザッツさんは惹かれていった。
この歌声をずっと聴いていられるように頑張って生きていこう。そんなふうに考えるようになった。
女性のほうも、各地を旅して回っていたはずなのに、いつしかこの町の近くに居座り始めた。
アインザッツさんは、自分のためにそうしてくれているのだと感じていた。
だけど、アインザッツさんが住むのは貧民街。彼女のような可憐な女性を招くことなんてできない。
彼女と会うのは爽やかな風の吹く草原で。アインザッツさんは、そう決めていた。
いつも彼女がせがむので、まだ酸っぱさの残る青林檎を、ふたりで草原に座って星空を見上げながら食べた。
今の生活から抜け出して、もっとマシな場所に住めるようになったら、彼女を招待しよう。
そんな決意を固めていた。
仕事が忙しくてなかなかその女性と会えなかったものの、別れ際には必ず、次にいつ会うかを話してから去るようにしていた。
どうしても予定がわからない場合には、いつもふたりが待ち合わせている草原の片隅の小屋に置石をして伝えることにしていた。
彼女のほうも、決してわがままは言わなかった。
仲が深まるにつれて、女性も徐々に自分のことを話すようになった。
とある教会で聖歌巫女をしていたこと……。
そこでの生活に不満があったわけではなかったものの、外の世界を見てみたいという思いを抑えられず、反対する家族を振りきり勝手に旅立ってしまったこと……。
どんな過去があったとしても、今ここにいてくれるならそれでいい。
アインザッツさんはそう言って女性を抱きしめた。
いつでもそばにいたいと思ってはいた。
それでもアインザッツさんには、今自分が住む貧民街に彼女を招くなんてことは、どうしてもできなかった。
だからこそ、必死になって仕事をこなしていた。
アインザッツさんの仕事は、暖炉を専門に扱う組合の作業員だった。
この地方の冬はかなり寒くなる。暖炉は必需品なのだ。
実に八割以上のシェアを誇る大手の暖炉販売組合での仕事。末端の作業員にすぎなかったとはいえ、アインザッツさんは寝る間も惜しんで働いていた。
とくに冬のあいだは、暖炉のメンテナンスで大忙しだった。
安全性や耐久性の面でまだまだ改良の余地がある状態だったその当時は、作業員が毎日数多くの家々を回ってメンテナンスの作業をしていたのだ。
そのため、女性と会う時間もなかなか取れなかった。
すまないが、仕事なんだ。
わずかな時間だけ会えたときにそう話すと、彼女はいつものたおやかな笑顔を浮かべたまま黙って頷いた。
私は旅の歌い手ですから。冬のあいだに各地を旅して巡ってきます。女性はそう言ってこの地を去った。
言葉に示したとおり、彼女は次の春には戻ってきた。
そしてまた、アインザッツさんとの温かな時間を、この地で過ごした。
少し離れたままのふたりの関係は、二年以上も続いた。
それだけの時間が経っても、アインザッツさんは貧民街での生活から抜け出すことができないでいた。
もう少し時間があればどうにかなる。その手応えは感じていたものの、あと一歩足りない。
アインザッツさんは末端の作業員でしかなかったけど、いつしかその働きぶりを評価され、新たな商品を開発する部署にも足を運ぶようになっていた。
そこで、オーブを使った安全な暖房器具の開発を提案する。
その提案は上層部にも認められ、アインザッツさん主導のもと、開発が進められることになった。
女性と会う時間はさらに少なくなり、何ヶ月も会えない状態が続いた。
そんなある日、女性が目の前に現れた。……ふたりの赤ん坊を抱いて。
アインザッツさんと自分の子だと、彼女は言った。
最初の子は一年前に産まれた。迷惑をかけるわけにはいかないと、ひとりで育てていたのだという。
アインザッツさんが忙しく働く冬のあいだに、ひっそりと産んでいたのだ。
旅の歌い手として各地を巡ってくると言っていたのは、大きくなったおなかを隠すための嘘だったのだろう。
もうひとりの子は、つい先日産まれたばかりだった。
今回もひとりで隠れて育てようと思ったものの、さすがに生活が厳しかった。
子供たちのためにも、一緒に暮らしたいと考えたのだという。
女性はいつもどおりの優しい笑顔で懇願した。
でも……アインザッツさんは、それを拒否した。
仕事に関する手応えはあった。だから、もうすぐ今の生活から抜け出せる。
そうしたら、彼女と子供たちを迎えよう。そう思っていた。
ただ、今はまだそのときではない。
きっと冷たい断り方をしてしまったのだろう。しっかりとした説明もせずに。
アインザッツさんは当時を振り返り、悔し涙を流した。
そのときを境に、女性はアインザッツさんの前から姿を消した。
ほどなくして、自分が提案して進めていた暖房器具の開発で成功を収め、ようやくアインザッツさんは貧民街からの脱出を成し遂げた。
されど、時はすでに遅かった。結局、彼女とは二度と会えなかったのだ。
☆☆☆☆☆
涙を流しながら、語り終えたアインザッツさん。
私たちはなにも言葉にすることができなかった。
「その女性の子供が、あたしたちだっていうんですか?」
お姉ちゃんの言葉に、アインザッツさんはゆっくり顔を上げる。
「ああ。年齢もピッタリだし、名前を聞いて驚いたんだ。彼女は、チャルメラという名前だったからね……」
チャルメラ……。
確かに、チュルリラという私の名前と、チェルミナというお姉ちゃんの名前に語感は似ている。
全員が全員そうではないし、最近の流行ではないけど、親の名前と似た名前を子供につけるのは、古くからの習慣としてよくあることだった。
「もちろんそのあと、手下たちに詳しく調べさせた。その結果、おそらくキミたちに間違いないだろうという確証を得た。フェルマータでよく聖歌巫女としてのライブをしいるということも知った。それで、どうにかお願いして連れてくるように指示したんだ」
「ですが、お願いしてって態度じゃなくて、完全に連れ去ろうとしてましたよ?」
マニスのツッコミに、アインザッツさんは苦笑を浮かべる。
「恥ずかしい話だが、私にはお金はあっても威厳はない。立場上、手下を雇って使ってはいるが、お金があってこそのつながりでしかないんだ」
アインザッツさんはカップを手に取り紅茶をすすってのどを潤すと、真正面に座る私とチェルミナお姉ちゃんに真剣な眼差しを向けて、こう言った。
「今ならキミたちに、何不自由ない生活をさせてあげられる。だからここで、私と一緒に暮らそう」