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夜通し走る特急便の馬車に乗って、私たちは一路、シンフォニエッタを目指していた。
特急便を名乗るだけあって、確かに速い。
その分、振動は大きく、乗り心地もあまりよくはなかった。
ともあれ、ライブジハードでの緊張感と、蒼いローブの奴らから逃げるために走り回ったことで、私たちの疲労はピークに達していた。
「明け方前には目的地に着くと思うから、寝ていて構わないよ。振動がひどいから、なかなか深い眠りには就けないと思うけどね」
御者さんの言葉に甘えて、私たちは眠ることにした。
こんな深夜に闇馬車などと言われている馬車に乗って、若い女の子ばかりの私たちが眠ってしまうのは危険なのでは、という思いもあった。
だけど、きっと大丈夫だろうと判断した。御者さんの優しそうな顔を見ればわかる。
もっとも、悪人がみんな悪人面をしているわけではないだろうけど。
マニスたちもなにも言わないから、同じように安全だと考えているのだと思う。
……いや、単に眠くてなにも考えられないだけかな……。
ガタンガタンと背中が痛くなるほどの振動の中、疲労という毛布にくるまれた私たちは、安らかとは言えないまでも、それぞれに寝息を立てていた。
それから、どれくらいの時間が経っただろう。
気づけば馬車の振動も止まっていた。
「着いたよ、お嬢ちゃんたち」
御者さんの声が響く。
まぶたをこすって辺りを見回してみる。
周囲はまだ真っ暗な闇の中――。
え……?
これって、もしかしてホントにやばい状況になっちゃったとか!?
寝起きのぼやけた頭だったからか、思わず物騒な考えに至ってしまう。
そんな気配を表情から察したのだろう、御者さんは穏やかな口調で言葉を添えた。
「ここはシンフォニエッタの町外れの闇馬車広場だよ。まだ暗いから、他に馬車の姿は見えないけどね。すぐそこの先の道をまっすぐ歩けば、町の中心部まで行けるよ」
私たちは御者さんに料金を支払い、お礼を言って歩き出した。
ほどなくして、日の出の時刻も近づいてきたのだろう、徐々に空が明るくなってきた。
じきに朝日も顔を出すはずだ。
早朝の肌寒い時間だというのに、人の姿もちらほらと見える。
どうやら町の中心部に位置する大きな市場が、こんな早朝からでも開かれているようだ。
威勢のいい大声が、朝もやを振り払ってくれるかのように響き渡っていた。
と、その市場で、不意に顔見知りの姿を見つけようとは。
「おや? チュルリラちゃんじゃないか!」
向こうも私たちに気づき、声をかけてくれた。
それは、ヒゲをたくわえたおじさん……二十代と言っていたし、お兄さんと呼ぶべきなのかな?
夕暮れ亭のママさんのいとこ、バターピーさんだった。
「バターピーさん、お久しぶりです。でも、どうしてこんなところに?」
「いや、それはこっちのセリフだよ。どうしたんだい? 急な巡業でこの町まで来たのかな?」
世間話に花を咲かせたいところではあったけど、今の私たちにそんな暇はない。
私は挨拶もそこそこに、大富豪だというアインザッツのことを尋ねてみた。
有名な人のようで、屋敷の場所はすぐに教えてもらえた。
バターピーさんが指差す先は、郊外に建てられているというのに、町の中心であるここからでも見えるほど大きな屋敷だった。
また、市場に出回る青林檎を買い占めることでも有名な、人の迷惑を考えない嫌な奴だとも教えてもらった。
真っ赤に熟した林檎じゃなくて青林檎だから、市民の食生活にはそれほど影響がないのかもしれないけど。
「で、そいつになにか用なのかい?」
バターピーさんが心配してそう訊いてきたというのは、その優しげな視線からもよくわかった。
それでも、危険があるかもしれない。
バターピーさんを巻き込んでしまうわけにはいかないだろう。
「ええ、ちょっと……。それでは急ぎますので、これで。ありがとうございました」
私は言葉を濁しつつ軽く会釈をして、みんなとともに歩き出した。
朝日に照らされて浮かび上がった、遠目からでもその広さや大きさが感じられるアインザッツの屋敷を目指して――。
☆☆☆☆☆
アインザッツの屋敷前まで来た私たちの目の前に、大きな門が立ちはだかる。
そこには青林檎を象ったレリーフが刻まれていた。
特急便の闇馬車は速かった。私たちを追っていた蒼いローブの男たちは、あのあとも必死に探し回っていただろう。
とすると、夜のうちにフェルマータを出発し、しかも特急便に乗ったのだから、奴らが戻って報告するよりも先に、私たちは今この場にいると考えられる。
とはいえ、この屋敷はいわばアインザッツの本拠地。厳重な警備が待ち構えているだろうことは予想できる。
「……うゆ。ここは、私に任せて」
決意を秘めた瞳のマニスが、一歩前に出る。
私たちは黙って任せることにした。
と――。
リンリンリン。
マニスは普通に呼び鈴を鳴らした。
「あ、あんたね~……!」
ソルトが怒鳴り散らそうとするのを、慌てて制するシュガー。
さすがにちょっと驚いたけど、マニスには考えがあるはずだ。
だいたい、もう呼び鈴も鳴らしてしまったのだから、ここはもうマニスに任せるしかない。
やがて、両開きの門がゆっくりと重厚な音を立てて開き、中から大男が現れた。
トレードマークの蒼いローブをまとっていてもなお、そのがっしりとした体格が見て取れる。
「お嬢さんたち、この屋敷になんの用かな?」
「う、うゆ……。あのですね、私たちは、チュルリラとその一行です。アインザッツさんのお招きを受けて、やって参りました」
覆いかぶさるほどの大男を前にして、少々たじろぎながらも、マニスはきっぱりとそう言いきった。
なるほど、正面突破しようということか。
アインザッツのもとまで案内してもらって飛び込めばいい、そういう考えなのだろう。
でも……。
「ふむ。報告はなかったが、わざわざ来てくださったと。……わかりました。少々お待ちください」
そう言って私たちに背を向ける大男。
ヤバい。確認に戻ったら追い返される可能性もあるし、もし今この瞬間にも報告が入ってしまっていたら……。
私は内心焦っていたのだけど、マニスの思惑は最初から違っていた。
バチバチバチ!
稲妻がほとばしる。
大男はゆっくりと倒れ、地面に崩れ落ちた。
マニスが護身オーブを使って、大男の背中に電撃をお見舞いしたのだ!
「他の人がついてきていないことは、視線を巡らせて確認してたから……。さあ、今のうちに、中へ……」
「マニス、あなた、結構やるわね!」
控えめにガッツポーズを返すマニスに促され、私たちはアインザッツの屋敷へと踏み込んだ。