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「あれ? チュルリラちゃん?」
「……あっ、私、水を持っていかないと。それじゃあね」
不意にかけられた声によって、ハッとして頭を上げたアンリエッタさんは、そそくさとその場を立ち去っていった。
声をかけてきたのは、割烹着姿のマニスだった。
水汲みに出たはずなのに帰りが遅いのを心配して、アンリエッタさんを呼びに来たのだろう、
マニスはアンリエッタさんを目で追ってはいたけど、そのまま彼女を追いかけて厨房に戻ったりはしなかった。
マニスは私のほうに顔を向けると、微かに首をかしげる。
「どうしたの? 会場の準備は終わったの?」
そんなマニスに、私は思いの丈をぶつけた。
「お姉ちゃんが危ないの! ライブハウスに爆破予告があったみたいで、チェルミルの名前も上がってて! それで、私、心配で心配で、どうしていいか……!」
思いつくままに綴られる、雑音にしか聞こえないような取りとめもない私の言葉に、マニスはしっかりと耳を傾けてくれる。
さすがに理解するのに時間はかかっていたけど、彼女なりに頭の中で整理して私の考えを読み取ってくれた。
そっと口を開いたマニスは、優しい瞳で微笑みかけながらこう言った。
「チュルリラちゃんは、どうしたいの……?」
両腕でぎゅっと抱きしめてくれるようなマニスの言葉に、私は素直な気持ちを紡いで答える。
「私は……お姉ちゃんが心配だから今すぐにでも追いかけて、危険があるかもしれないから注意してって伝えたい!」
マニスは満足そうな笑みを浮かべて頷いてくれた。
「うん。私も、それがいいと思う」
「……でも、ライブがあるよ……? みんな楽しみにしてくれてるし、たくさんの人が手伝ってくれてるのに、私の身勝手で中止ってことになっちゃう……」
声に出しながらも、その言葉がどんどんと弱まっていくのは、自分でもはっきりと感られた。
そんな沈みきった私のもとへ、思いもしなかった温かな風が吹き込み、そして全身を包んでくれた。
「行ってきなよ、チュルリラちゃん!」
「そうだよ。ライブなんて、いつだってできる。帰ってきてから改めて準備し直せばいいじゃないか!」
「不安な気持ちを抱えたままライブをしたって、チュルリラちゃん自身が楽しめないよ!」
それは、ガラナおじさんやバラック先生を初め、会場のほうで準備を手伝ってくれていたはずのみなさんだった。
口々に私を後押ししてくれる言葉を投げかけながら、聖堂の入り口辺りからこちらに温かい視線を向けていた。
「え……? みなさん……?」
「ごめんよ。つい気になって、隠れて様子を見ていたんだ」
照れ笑いを浮かべているガラナおじさん。
そんなおじさんを押しのける勢いで、みんながみんな、思い思いの言葉を送ってくれる。
「ライブを楽しみにしてたのは確かだけどさ。でも、お姉さんが危ないかもしれないってのに平然と歌っているようなチュルリラちゃんの歌声なんて、誰も求めてやしないんだよ」
「そうそう。いつも自分の気持ちに素直で純粋なチュルリラちゃんだからこそ、僕たちの心に歌声が響いてくるんだと思うよ」
「みなさん……」
熱い想いがまるで滝のように湧き出してくるような、そんな気がした。
「……チュルリラちゃんのわがままも、そういう言い方をすると、とってもいい子っぽく聞こえる……」
ぼそっと、マニスがつぶやく。
「ちょっと、マニス! なによそれ!?」
拳を振り上げながらにらみ返すと、マニスは反射的に両腕で顔を庇うようにして身をすくめた。
「うゆ~、チュルリラちゃんが、いぢめるぅ~」
「あんたね~! そっちが失礼なことを言うからでしょ~!?」
頭上に湯気を立ち昇らせる勢いの私。
周りからは笑い声が飛んでくる。
「あはははは! やっぱりチュルリラちゃんは、そういうふうに素直に行動してるときが、一番活き活きしてるよね!」
「聖歌巫女としては、しっとりと清楚で可憐なのが理想な気もするけど、でも、チュルリラちゃんはチュルリラちゃんだからね」
「そうそう。自分らしさを見失っちゃいけないってことさ!」
温かな笑顔の洪水の中で、私はひとり、目をパチクリしながら呆然としていた。
ぽん。
そんな私の肩に、大きくて温かい手が乗せられる。
「……お父さん……」
いつの間にか背後に立っていたお父さんは、肩に添えた手にわずかに力を加え、他の人たちと同じく笑顔を張りつかせながら頷いていた。
「みなさんの気持ちは伝わっただろう? あとのことは任せて、行ってきなさい」
「……うん!」
私は素直にそう答えていた。
ちなみに。
気持ちははやるものの、馬車の出発には朝を待たなければならなかった。
とはいえ、普段なら数日に一本しかない乗合馬車が明日にもあるというのは、幸運だったと言うべきだろう。
お姉ちゃんたちの乗った馬車が出たばかりではあったけど、ライブジハードも催されるフェルマータの盛大なお祭りの時期と重なっていたおかげで、この先数日間は毎日定期便が行き来する予定になっていたからだ。
馬車の出発が早朝だったため早めに寝床に着いたものの、村のみなさんの温かさとお姉ちゃんたちを心配する気持ちが相まって、私はなかなか寝つけなかった。
その結果、次の朝は盛大に寝坊してしまう。
マニスに叩き起こされた私は、矢継ぎ早に繰り出される文句を浴びることになった。
「まったく、チュルリラちゃんは。こんなときでも、私がいないとダメなんだから」
いつものようにお姉さん風を吹かせるマニスは、愚痴愚痴と私を責め立てながらも、瞳がキラキラと輝いているようにすら感じられた。
もちろん、お姉ちゃんのことは心配に思っているだろう。
だけど、私を後押ししてくれたみなさんの心遣いを受けて、マニスも温かな気持ちに包まれているに違いない。
見送ってくれたお父さんは、いつもののほほんとした笑顔ではなく、真剣な表情を見せていた。
「チェルミナのこと、頼んだぞ」
出発直前に向けられたそのお父さんの言葉に、私は深く頷く。
チェルミナお姉ちゃんは私が守る。そんな使命感が、心の中で熱く燃えたぎっていた。
そして私はマニスとふたり、歩き出す。
お父さんの言葉の奥に隠されたもうひとつの想いには、まったく気づきもしないままに――。