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「あ……あの、ありがとうございました」
私は歌い終わるとすぐに、さっき助けてくれた男性のもとへと向かった。
ぺこり。マニスも私のあとに続き、黙ってお辞儀をする。
「いやいや。ま、とりあえず、戻ろうか」
そう言って席を立つと、さっさと歩いていく男性。
「え? あの、戻るって……?」
わけがわからなかったものの、ついてきなさいと言わんばかりの背中に異論を唱えることもできず。
マスターさんに「今日はありがとうございました」とだけ声をかけ、私とマニスはそそくさと酒場をあとにした。
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私たちをエスコートするように夜道を進む男性についていくと、やがて見えてきたのは夕暮れ亭だった。
男性は店の扉をくぐる。
私とマニスもそれに続いて店内へ入ると、いつもどおりママさんが出迎えてくれた。
「バターピーじゃないか、こっちに来てたんだね。……おや、チュルリラちゃんにマニスちゃんも一緒だったのかい?」
ママさんが紅茶を入れてくれた。促されるままテーブルに着く私たち。
テーブルに着いたのは、私とマニス、ママさん、そして私たちをこの店までつれてきたバターピーと呼ばれた男性だった。
彼はママさんのいとこにあたる人で、フェルマータから馬車で一日くらいの距離にある都市、シンフォニエッタに住んでいるらしい。
仕事でフェルマータに来ると必ずこの宿にも顔を出していたようで、ママさんから私のことも聞いていたのだそうだ。
宿の明るいランプのもとで見るその男性は、無精ヒゲを生やした冴えないおじさんといった印象だった。
助けてもらっておいてひどいかもしれないけど、さっき「白馬の王子様」なんて思ったのは、なかったことにしたいくらいだ。
そんな視線に気づいたからだろう、バターピーさんはヒゲを手でもてあそびながら照れ笑いを浮かべる。
「はっはっは、こんなヒゲ面で鬱陶しいかな? こう見えても、まだ二十代なんだけどね」
「えっ!?」
思わず声を上げていたのは、マニスだった。
「あっ、ごめんなさい……」
すぐに謝ってはいたけど、その気持ちはよくわかる。私だって声を出してしまいそうだったのだから。
「まったく、もうちょっと身なりを整えたらどうだい?」
「そういうママさんだって、まだ三十を越えたばかりじゃないか」
「ええっ!?」
今度は私のほうが声を出してしまった。
「……その驚き方は、ちょっと失礼じゃないかい?」
不機嫌そうな視線を向けているママさんには悪いけど、正直軽く四十は越えていると思っていた。
マニスも同じだったようで、口をぽかんと開けて呆然としている。
「そ……それはともかくさ、」
ママさんの不機嫌さを紛らわせようとしたのか、バターピーさんが話題を逸らす。
「僕はチュルリラちゃんのファンなんだ。このあいだのライブも見に行ったし、正式な聖歌巫女となる前の見習いのときにも何度かライブに行ったよ。フェルマータやシンフォニエッタの巡業も、時間さえ取れれば足を運んでいたんだ」
バターピーさんは、なにやら熱く語り始める。
話すことでどんどんと盛り上がっていくのが、手に取るようにわかった。
「お姉さんのチェルシーミルキーも、もちろん好きだけどね。でも僕としてはやっぱり、まだ洗練されてはいないけど、キミのその優しい歌声が好きだな」
満面の笑顔を浮かべてそんなことを言われると、こっちのほうが恥ずかしい。
思わず視線を逸らしてしまう。
バターピーさんは少しだけ寂しそうな仕草を見せたものの、すぐに笑顔に戻って語りかけてきた。
「そういえば、もうそろそろ聖歌聖戦の時期だけど、出場するのかい?」
「え? いえ、私なんかじゃ、まだまだ実力不足ですし……」
「いやいや、そんなことはないだろうさね。私が太鼓判を押してあげるよ!」
バターピーさんの言葉につられたのか、ママさんまでもが熱くなっていた。
ライブジハードというのは、聖歌巫女が集まって歌い、優劣を競い合う大会のことだ。
年に数回、国内各地の主要都市で開催され、そこで優勝するなどして観客の目と耳を惹くことができれば、王都に招かれて演奏することもできると言われている。
私みたいな駆け出しでは、出場することさえ夢のまた夢という感じだ。
それでも、こうして応援してくれる人たちがいるというのはとても心強く、ありがたい気持ちでいっぱいだった。
「でもねぇ、前回のライブジハードでは不穏なこともあったらしいから、気をつけないといけないよ」
「え……?」
突然のママさんの言葉に、話題の雲行きが怪しくなった。
その影響で思わず声のトーンも下がってしまう。
「詳しくは知らないんだけど、なんだか物騒な人がいるって噂があってね。その頃から、戸締りはしっかりするようにと、商店会の役員から忠告されるようになったんだよ」
当時を思い出したのか、ママさんは大げさに身震いする。
もうかなり遅い時間になっていたから、実際に肌寒さも私たちを包んでいたのだけど。
「おっと、もうこんな時間だね。あんたたち、部屋に戻ってゆっくり休みな。あっ、バターピーは宿の客じゃないんだから、一階の空き部屋を使っておくれよ」
「ママさん、そりゃないよ~。一階の空き部屋って、物置部屋じゃないか」
「タダで泊めてやるんだから、文句を言うんじゃないよ!」
そんなやり取りを聞きながら、私たちは二階の部屋へと向かった。
……考えてみたら、私たちもタダで泊めてもらっている身なんだけど、いいのかな……?
そんなことを思いながら。
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翌朝、私とマニスはママさんが作ってくれた朝食を美味しくいただいていた。
バターピーさんは仕事があるらしく、早朝に宿を出たそうだ。
私たちは、手書きで作ったパンフレットをママさんに手渡す。宿の中に貼ってもらって、宣伝してもらうためだ。
ママさんは快く了承してくれた。
いつもいつもお世話になりっぱなしで、本当に頭が上がらない。
朝食を終えると、私たちは荷造りをして部屋から出た。
一階に下りてマニスとふたりで横に並び、ママさんにお礼を述べる。
「私たち、今日の馬車でベルカント村に戻ります。ママさん、今回もありがとうございました」
「いえいえ、いいんだよ~。また、いつでもおいで!」
明るい笑顔で大きく腕を振りながら見送ってくれるママさんは、いつもと変わらず、とても温かかった。