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次の日は朝から大忙しだった。
フェルマータには、ライブハウスと呼ばれる、主に聖歌巫女が歌うための施設が数多く存在する。
毎日のように各地から聖歌巫女が訪ねてきて、それぞれ思い思いのパフォーマンスをしていくのだ。
私もチェルミナお姉ちゃんも、そういったライブハウスを回って聖歌を披露するのが巡業の重要な目的となっていた。
ライブハウスには、実際の聖歌巫女だけではなく、聖歌巫女を目指す見習いの人たちも参加する。
そのため、歌を披露できる時間はかなり短い。だからこそ数をこなす必要がある。
その場で参加登録したライブハウスの舞台に上がって必死に歌い、移動し、また別の場所で参加登録して歌う。
衣装はずっと着たまま。移動中にも目を引くことになるけど、それもパフォーマンスの一環だ。
周囲の人たちに笑顔で愛嬌を振りまきながら移動するのも、いい宣伝となる。
今日一日でフェルマータ中を駆け回り、五ヶ所のライブハウスで歌わせてもらった。
ともあれ、それで終わりではない。
日が沈んでくると、酒場の明かりが灯り始める。そういった酒場に立ち寄り、飛び入りで歌わせてもらうのだ。
ライブハウスの場合は蓄音樹による演奏で歌うことになるけど、酒場ではそうもいかない。
蓄音樹から流れる音楽は、かなりの大音量である上に調整が利かない。だから、酒場などの小さな場所で歌う場合には使えないことになる。
そういった意味では、お姉ちゃんたちのようなバンドと違って不便だとも言える。
蓄音樹が使えないならどうするのかというと、昨日の夕暮れ亭のようにアカペラで歌うか、もしくはピアノが用意してある酒場ではそれを使わせてもらう。
もちろん私がピアノの弾き語りなんてできるわけはない。
マニスが演奏するのだ。
う~ん、なにをやらせても、そつなくこなす。自慢のマネージャーだけのことはあるわ。
というわけで私は、この賑わう酒場でマニスの伴奏に合わせて歌っていた。
ピアノがあると結構広いスペースを取ってしまうので、小さな酒場の場合、歌うための舞台まで用意されていることは稀だった。
「テーブルのあいだを歩き回りながら歌ってくれればいいさ。お客さんが身近に感じられる距離ってことでな。ただし、ウェイトレスの邪魔はしないようにしてくれよ」
酒場のマスターさんからは、そう言われていた。
とはいえ正直、あまり気が進まないというのが、正直なところだ。
夜の酒場で、酔っ払いを相手に歌うだけでもちょっと気が引けるというのに、そんなお客さんのそばまで寄って歌うことになるなんて……。
そう思いながらも、なるべく多くの場所で歌って自分の存在をアピールしなければならない現状を考えれば、断ることなんてできるはずもなかった。
だいたい、こちらから無理を言って歌わせてもらっているのだから、ここは我慢するしかない。
私はマニスの弾くピアノの音に合わせて、聖歌巫女として精いっぱい歌声を響かせた。
すぐにお客さんからの歓声が上がる。
お酒が入っているからという理由もあるのだろう、異常なほどの盛り上がりを見せる店内。雰囲気を出すためか、明かりは抑え気味で少々薄暗かった。
ひらひらなミニスカートの衣装を身にまとったウェイトレスさんが通る方向を目で追って、お仕事の邪魔をしないように注意しながら、私はテーブルのあいだをすり抜けて歌い続ける。
と、突然私の体が引き寄せられた。
――え?
驚いて声も出ない私の目の前に、お酒の臭気をまき散らすおじさんの顔が迫っていた。
私が歌いながらすぐ横を通ったタイミングで、その人はいきなり立ち上がり、抱きついてきたのだ。
「お嬢ちゃん、歌上手いね~。ヒック。ここで一緒に座って歌ってよ~」
私はどうしていいかわからず、焦るばかり。
ちょうど間奏のタイミングだったから歌を中断したりはしていないものの、間奏が終わるまでにどうにかしないと、せっかくの場が台無しになってしまう。
「いや、あの、そういうのはダメで……」
「いいじゃないか、ほら、ここに座ってよ~。ヒック」
しつこく絡んできて、私を自分の椅子に一緒に座らせようとする酔っ払いのおじさん。
困って視線を周りに向けるけど、誰も目を合わせようとしない。
マスターさんですら、見て見ぬふりを決め込んでいる。
マニスにも視線を送ってみたけど、彼女はピアノの演奏中。
こちらに目を向けてはくれたものの、演奏を放り出して助けに来てくれるはずもない。
眉根を寄せて、困ったような視線を返すのみだった。
どうしよう……。
でも、酔っ払いだってお客さんなんだから、歌わせてもらっている身で騒ぎを起こすわけにもいかないし……。
そんなことを考えて頭が真っ白になっている私の目の前に、白馬の王子様が現れた。
当然ながら、本当に白馬に乗っているわけでも、王冠をかぶった王子様ってわけでもない。
だけど、ピンチに陥った私を助けるために現れた正義のヒーロー然としたその姿は、乙女フィルターを通してまばゆいばかりに光り輝いて見えたのだ。
「やめろよ、困ってるだろ?」
強めの口調で庇ってくれたその男性は、おじさんの肩を強くつかんで強引に座らせると、素早く私の手を握って引っ張る。
ぼーっとその人の背中を見つめることしかできなかった私は、気づいたときにはピアノのすぐそばで立ち尽くしていた。
私を助けてくれた男性は、なにも言わずに少し離れたテーブルの席へと戻っていく。もともとそこで飲んでいたのだろう。
マニスが心配そうな視線を向けている。
そろそろ間奏の終わるタイミングだ。
私は気を取り直して、ツーコーラス目を歌い始めた。