第五話 友達ってそういうものよ
東京新宿区のとある最高級ホテルの一室で、今年で二十歳になる桜子は、お気に入りの駄菓子を食べながら五十階から見下ろす絶景を眺めていた。年の割には幼げなピンクのリボンで長い黒髪をポニーテルに纏め上げ、ピンクのタンクトップにジーンズのズボンというラフな格好をしている。見た目はただの女子大生でも、彼女は周囲の人間に一流のアスリートに似た圧倒的な力を感じさるのだ。
「大変、大変!! 大ニュース!!」
いきなり桜小の部屋に少女が駆け込んできた。セミロングの黒髪をブルーサファイア製の星型のヘアピンで飾り、上は胸周りだけを隠す皮製の黒いチューブトップでその上に黒のジャケットを着て、タイトなミニスカートも黒い皮製のもの、それに黒いブーツを履いていて、黒ばかりで大人を感じさせる色彩だ。そんな見た目とは正反対に、少女は黒い大きな瞳を輝かせて、年なりに幼さが残っている。彼女の名は楠木彩といった。
「うるさい、彩」
「あう、ごめんなさい、桜子さん。でも、すごいニュースなんだよ」
桜子は床に積んである箱の中から菓子を掴み取り、袋を開けて中のチョコレートを食べた。彩の言う事にあまり興味がないという様子だ。
「例の地方侵攻でさ、うちの闘食家がやられまくったらしいよ。しかもそいつら、一人で三人に挑んで、同時に何組も闘食部隊を倒したてっさ。桜子さんは栃木出身だよね、心当たりとかないの?」
「ないわね。それで、どうなったの?」
「東北担当の鷺沼常務が大変な事になってる。地方への進出なんて造作もないって言ってだだけにさ、いきなり出鼻を挫かれちゃって、さらにあんな田舎になんて闘食家はいないって高をくくって、スカウトを送っていなかったらしいの。だから、うちの闘食家がどんな奴にやられたのか、よくわかっていないらしい。あ、そうそう、全員高校生だって事だけは確からしいよ」
「鷺沼め、栃木を田舎と馬鹿にするからそういう目に合うのよ」
「でも、何で栃木なんだろうねぇ?」
「餃子で日本一の県だからでしょ。餃子ってどこにでもある食べ物だし、それを押さえれば、後々の展開が楽だと考えたんだわ」
「まあ、そういう訳で、敵の正体が分からないから、スカウトが例の闘食家たちを見つけてこっちに引っ張り込むまでは、手を出せないわけ」
「見つけたところで、こちら側につくとは思えないわね。同時に何組もやられたとなると、向こうはこちらのやり方を知っているわ。話を聞いているだけでも、敵対意識をびしびし感じるわね」
「相手は強敵だ、常務の懐刀、チーム龍餓のお出ましか~」
「出ないわね。彼らも私たちと同じで、テレビの出演やら闘食大会の出場やらで忙しいからね。どこにいるかも分からない闘食家を追いかけさせるなんて、会社にとっては損失にしかならないわ」
「だよね~、栃木の田舎に行くような人たちじゃないか」
「田舎って言うな、わたしの故郷なんだから」
「だって、何にもないじゃん」
「色々あるわよ、馬鹿にしないで」
「例えば?」
「そうね、わたしの実家の近くではあらゆる種類の山菜が山ほど取れるわ。それこそ、このわたしでも嫌って言うくらい食べられるの。天ぷら、おひたし、胡麻和え、何でもござれよ」
「それって、めちゃ田舎じゃん、っていうか山奥だよ! 熊とか出ない!?」
「失礼ね、熊なんて出ないわよ。狐なら見た事あるけど」
「うあ、狐……。わたしには想像できない世界だな……」
「実家がたまたま田舎なだけで、都会だってちゃんとあるわよ」
「ふ~ん。じゃあ、栃木で一番高い建物は?」
「十五階建ての県庁かしら……彩、何笑ってんのよ」
「だってさ、私たちが泊まってるホテルって、何階建てだと思う?」
「東京のビルが高すぎるのよ。高けりゃいいってもんでもないでしょ」
桜子は不機嫌そうに言いながら、また箱から駄菓子を一つ取って袋を開ける。何故か彩も同じものを手にとっていた。
「こら、勝手に人のものを食べるな。しかも新しい箱開けたわね」
「いいじゃん。どうせ全部食べるんだから、どれ開けたって同じだよ。……むお、このチョコレート超美味しいんだけど!?」
「そうでしょう。ブラックスパークは駄菓子界の革命児よ」
桜子が掌に収まるくらいの四角いチョコレートの塊を口に放り込むと、辺りに甘い香りが漂い、噛むごとにビスケットのさっくりとした、いかにも旨そうな音が聞こえる。彼女は全てを飲み込んでから言った。
「沙耶子は何か言ってた?」
「沙耶姉さんは、目の前の敵を叩き潰すだけだってさ」
「あの人は何があってもぶれないわね」
「天下の闘食女王ですから」
「あんたは昼からライブとか言ってたわよね。それ正装?」
「そう。マネージャー待たせてるの」
「さっさと行きなさい。遅れたら大騒ぎになるわよ」
「平気だって、まだまだ時間あるし」
彩は駄菓子の箱を一つ両手で持つと、それを頭の上に乗せた。
「一箱もらってくね~。移動の車の中で食べるから」
「ちょっと、こら、待て!」
彩は桜子が動く前に素早く出て行った。
「まったく、油断も隙もないんだから……」
桜子は地上五十階から見下ろす景色を見ながら、故郷に残した家族の事を思った。彼女の様子は心なしか寂しそうだった。
家庭科室に備え付けてあった冷蔵庫は、突如として最新型の巨大な冷蔵庫に変わっていた。それが刃にとてつもない試練を与えることになった。
「な、なんだこの冷蔵庫は!!?」
「わたくしが学校に寄付いたしました。刃様の為に中にはあらゆる食材が入れてありますわ。心置きなく料理して下さいね」
「胡桃ちゃんは僕を殺すつもりなのかい……?」
「料理を作る事は刃様にとって人生そのものですわ。わたくしは少しでも刃様のお手伝いがしたいと思っていますのよ」
「僕は今ほどパティシエを目指したのを後悔した事はない……」
「何やってんの、さっさと作れよ!」
林檎の檄が飛ぶと、刃は目頭が熱くなってきた。
「どうして僕が君たちの為の料理を作らなきゃいけないのかな?」
「マネージャーの役目は、チームメイトの精神的なケアよ」
「あたし達にとってそれはつまり食うこと、だから早く作れ」
酷く控えめに聞く刃の身体に、鶫と林檎の言葉が矢のように突き刺さる。刃はもう逃げられない事を知って覚悟した。
「こうなったら、僕の持てる力の全てを、君たちに叩きつけてやる!」
「おお、真名上君が燃えてる~」
「刃様、素敵ですわ」
刃の悲愴な覚悟も知らずに、小桃と胡桃は喜んでいた。
「おお、神よ。あの四人を相手に料理を作るなんて、あなたはなんという試練をお与えになるのでしょうか。しかし、僕はこれを乗り越え、一流のパティシエになってみせます!」
家庭科室の片隅で刃が必死に料理を作っている近くで、少女達は雑談の花を咲かせる。
「新しいの出てたから買ってきたんだ」
「表紙は小桃さんのお気に入りの方ですわね」
「それ何?」
林檎が言うと、小桃が手に持っている雑誌の表紙を見せた。
「芸能雑誌だよ。この表紙の子がね、楠木彩ちゃんって言って、歌って食べれるアイドルフードファイターなんだよ。可愛いし、スタイルも良くてグラビアもやってるし、わたし大ファンなんだ」
「こいつがそんなに良いのか?」
林檎は楠木彩の特集のページを開くと、読み進むごとに顔つきが険しくなっていった。
「顔が可愛くて、人気者、スタイルも良くて、女子高生最強の闘食家だとーっ!! ふざけんなーーーっ!!」
林檎は雄叫び上げて、雑誌を真っ二つに引き裂く。小桃も胡桃も驚いて目を白黒させた。
「林檎ちゃん、ひどいよ~。わたしの雑誌……」
「う、ごめん小桃。つい力が入った。この楠木彩って奴は、どうも相容れないものがある。アイドルで女子高生最強の闘食家とは笑わせる。闘食の道はそんなに甘くはない」
そんな林檎の勢いを削ぐ様に鶫が言った。
「闘食家としての楠木彩を見れば、あなたの考えは変わるわ」
「お前が他人の肩を持つなんて珍しいな」
「全ての物事を正しく見極めなければ勝負には勝てない」
そこへ刃がオードブルを運んでくる。
「楠木彩って、テレビによく出てるのに、紅野さんは知らないの?」
「あたしの家にはな、テレビなんてものはないんだよ!」
「テレビがないだって!!? 今時そんな家庭があるなんて!!?」
「あたしのお気に入りのチャンネルはLAC5だ! 文句あるか!」
「いえ、ありません……」
刃が林檎の勢いにへこまされたその時、オードブルを食べた小桃と胡桃の間から美味しいという声が漏れた。
「あ、お前ら、あたしにも食わせろ!」
刃が出来る限り数を作ったオードブルは瞬く間に消えていった。
「早く次の料理を作らないと、何を言われるか……」
刃は台所にもどって手早く料理を作り始める。
「はぁ、そろそろケーキが食べたいですわ。それにケーキたちの喜ぶ声を聞かないと、心が荒んでいってしまいそうです」
「急に電波を飛ばすな。頭の中プリンで出来てるんじゃないのか?」
「頭の中がプリンだなんて、それは素敵な事ですわね」
「そう思うのはお前だけだ……」
林檎と胡桃のやり取りを見ていた小桃が、何故だかさっきから溜息ばかりついている鶫に、会話に入ってもらおうとして言った。
「頭の中がプリンって、鶫ちゃんはどう思う?」
「頭の中がプリン………」
「頭の中がプリンだったら、遭難したらそれを食べて生き延びられるよね」
「でも、頭を開いた時点で死んでしまうような気もしますわ」
「あ、そっか。でも、一緒に遭難した人がいたら、その人の糧になれるよ」
「人助けが出来ますわね」
胡桃と小桃が笑うと、それを聞いていた林檎がむかっ腹を立てた。
「そんなもん食うくらいなら死んだ方がましだーっ! っていうか、何でそんな理解不能な話で盛り上がれる!? 聞いてる方の頭がおかしくなる!」
「胡桃ちゃんと小桃ちゃんは何時もこんな感じだから、一々突っ込んでたらきりがないよ」
そう言ったのは、新たな料理を運んできた刃だった。その後で林檎は刃お手製の山盛りパスタを食べながら言った。
「お前、昔からこの二人と一緒にいるのか?」
「小学生の頃からね。お陰であの二人の会話には慣れたよ」
「苦労してんな~」
「その、ものすごい哀れみの目で見るのは止めてくれないかな…」
その時、鶫が深い思考の末に口を開いた。
「色々考えてみたんだけど、頭の中がプリンの人は神経も通っていないわけだし、生きた屍になってしまうと思うわ」
「深山さん、そんな大真面目に考えなくてもいいからね……」
その後で、またもや鶫は深い溜息をついた。小桃が心配そうに言った。
「鶫ちゃん、さっきから溜息ばっかりだね。何か嫌な事でもあるの?」
鶫は見るからに気が進まないという様子で言った。
「姉さんが、あなた達を家に連れて来いって、顔を合わせる度に言うの」
「ほんと、じゃあ今度みんなで遊びに行こうよ!」
「鶫さんのお家ですか。一度お邪魔してみたいですわね」
「このままだと姉さんがうるさいし、明日にでも来るといいわ」
「鶫の家ってどこにあるんだ?」
「市内にある焼き鳥屋よ。姉さんが一人で切り盛りしてるの」
焼き鳥屋というのを聞いたとたんに林檎の目の色が変わった。
「なに、焼き鳥屋!? 焼き鳥食い放題じゃないか!?」
「お店の商品を勝手に食べたりしたら叱られるわ。でも、姉さんが友達を連れてきたら、いくらでもご馳走してくれるって言っていたわ」
「よっしゃ! 小桃、手帳を開け! 明日のスケジュールを立てるぞ」
「そう言うと思ってもう用意してた」
「食べ物が絡んだとたんに、行動力が大幅に上昇するね……」
呆れ顔で言う刃の事など蚊帳の外において、少女たちは真剣に明日の予定を話し合っていた。その時に林檎が不意に刃を見つめて言った。
「お前は突っ立ってないで、早く料理を作れ!」
「まだ作らなきゃ駄目なの……?」
「あたしらはまだ満足してない。話し合いが終わるまでに料理出せよな」
「わかったよ、作ればいいんでしょ!」
刃は半ば自棄になって調理場に戻った。そして彼は、精も魂も尽き果てるまで料理を作らされるのだった。
翌日の放課後、鶫はペガサス通りで先を歩いて仲間達を家に案内していた。はつらつとして元気な少女たちの中で、刃だけが疲れ果てた顔をしている。
「はぁ、昨日は酷い目にあった。右腕が痛くて上がらないんだよね……」
「まあ、刃様。どこでお怪我をなされたのです?」
「昨日倒れるまで料理を作らされたからだよ! フライパンの振りすぎで腕が筋肉痛なの!」
「あの程度で音を上げるとは、情けない男だ」
「君が何と言おうと、僕はあの苦行に耐え切った自分を褒め称えたいね」
他愛のない話を続けている間に、鶫たちは商店街を抜け、やがて飲み屋の多く立ち並ぶ裏路地に入った。
「あれよ」
鶫が指を差したのは、立ち並ぶ店舗の中でも特に小さな店だった。
「何か貼ってあるな。都合により今日は休むって書いてある」
「あなたたちが来ると聞いて、姉さんがわざわざ休みにしたのよ」
鶫が店の戸を引くと、鍵はかかっておらず、すんなり横に滑った。
「いらっしゃい、待っていたわよ」
店に入ってきた少女達を出迎えたのは、少し癖のある長い黒髪を後ろで結わえた割烹着姿の女性だった。少しカールのかかったような前髪がチャームポイントの可愛らしい顔立ちで、古びた店の雰囲気がさらに鶫の姉の美しさを際立たせていた。
「えと、初めまして、わたし鶫ちゃんの友達の春園小桃と言います」
小桃が言うと、それに習って胡桃、林檎、刃も順に自己紹介していった。すると女性は、何が嬉しいのかと思うくらいの笑顔を浮かべた。
「わたしは鶫の姉の深山瑠璃よ、よろしくね。さ、好きなところに座ってちょうだい。狭くて汚いお店だけど、味には自信があるわ」
「こういう店のカウンターに座ってみたかったんだよな」
林檎がカウンターの席に座ると、他のメンバーも同じ様にカウンターの前に落ち着き、五人が横並びになった。
「へぇ、このお店では商品をガラスケースに入れてるんですね」
「まるでお寿司屋さんのようですわ」
「こうしておけば目で見て本当に食べたいと思うものを選べるでしょう」
「うわぁ、美味しそうだな~」
「どれから食べるかな~」
小桃と林檎はガラスケースの中身しか見ていなかった。
「わたしのおごりだから、好きなだけ食べてちょうだい」
「そ、そんなことを言うと恐ろしい事になりますよ!?」
本当に恐怖して言う刃に、瑠璃は笑顔で答える。
「大丈夫よ。あなたたちの事は鶫から聞いているわ。五十本でも百本でも焼いてあげるわよ」
「よし決めた。鳥もも十本と、鳥皮五本と、砂肝五本、あと軟骨五本、とりあえずそれで行く」
「じゃあ、わたしもとりあえず、鳥もも五本と、皮三本と、ぼんじり三本に、軟骨四本お願いしま~す」
「わたくしはとりあえず、鳥もも三本に、鳥皮三本、ハツ三本、レバー三本、軟骨三本にしますわ」
「承りました。すぐに焼いてあげるわ」
瑠璃は少女たちの注文に当然のように応じていたが、はたで見ている刃の方が青い顔をしていた。
「今の注文で五十本超えてる。しかも全員とりあえずと言っているのが恐ろしい………」
それからしばらくして、大皿一杯に山のようになった焼き鳥が出てきた。
「地鶏を炭火で焼いて特製ダレをたっぷりつけた、自慢の焼き鳥よ」
早速それを食べた少女たちは口々に言った。
「おいしい! こんなおいしい焼き鳥を食べたのは初めてだ!」
「もう死んでもいいっていうくらい美味しい!」
「地鶏は良く食べますが、こんなに美味しいものは初めて口にしましたわ」
「…おい、なんか一人だけ言ってる事がおかしいぞ」
「胡桃ちゃんは大金持ちのお嬢様だからね~」
みんなが盛り上がっている横で、鶫は姉の様子を気にしながら黙っていた。
「鶫、食わないのか?」
「わたしの事は気にしないでいいから、みんなで食べて」
鶫は林檎にそっけなく言うと、何かを押し隠しているような様子で下を向いてしまった。
「みんなは鶫とどういうお友達なの? クラスメイトなのかしら? それとも何か目的があって集まってるの?」
瑠璃が言うと、鶫の眉がわずかに眉間によった。それは鶫が最も聞いて欲しくない事だったのだ。
「クラスは全然違うよ。あたしは闘食杯に誘われたんだ。あの時は、いきなり勝負を挑んでくるから驚いたな」
「わたしもそう、応援担当だけど」
「わたくしは、甘いものが沢山食べられるとお聞きしましたので、鶫さんとご一緒しているのですわ」
「胡桃ちゃんはこのチームの趣旨を未だに理解していないんだね……」
その時、瑠璃は急に悲痛な表情を浮かべて妹を見つめた。姉妹の様子がおかしいのと空気が急に張り詰めた事で、林檎たちは怪訝な顔をする。
「鶫、まさか沙耶子と戦うつもりなの!?」
「そうよ、あの女だけは許すことは出来ない!」
いつも静かな鶫が激しい口調で言うので、他の四人はすっかり驚いてしまった。鶫は我を忘れたように、怒りを露にして言った。
「全力を尽くして最後まで戦った姉さんを、あの女は笑った。あの時の声が今でも頭の中で響いてる。あの女の姿も忘れられない。でも、何よりも許せないのは、あの時何も出来なかった自分自身よ」
「あの時の鶫は小学生だったのよ。そんなに気に病む必要なんてないわ」
「それでもわたしは華喰沙耶子と戦いたい。そして、わたしたちの全てをぶち壊しにしたあの女を倒したい!」
「鶫………」
瑠璃は悲しそうに呟いた後、ぱっと顔を明るくして林檎たちを見た。
「ごめんなさいね、急に大声出したりして」
「その沙耶子って奴と鶫の間に何があったんだ?」
「人に話すような事じゃないんだけど、鶫と一緒に闘食杯に出る貴方達には聞く権利があるわ。今から五年前の事よ」
瑠璃はしばらく目を閉じて、当時の事を思い出してから言った。
「わたしたちは元々東京の下町に住んでいて、やっぱり焼き鳥屋をやっていたわ。お店を経営していたのはお父さんだったけどね。あの頃わたしは闘食家だったの。有志を募ってイーストフードカンパニーに対抗する闘食団体を作ろうとしていたわ。神奈川や東京の目ぼしい場所にいっては、イーストフードカンパニーの闘食家たちを撃退したりもしていた。そんな事をしていれば、当然狙われるわ。あの頃のわたしは学生で考えも甘かった。イーストフードカンパニーの妨害にあって、うちの店は瞬く間に潰れる寸前まで追い詰められてしまったの。そんな時に華喰沙耶子が現れたわ。彼女は闘食で勝てばお店の妨害を止めるという条件を出して挑んできた。わたしはそれを受けて、限界を超えた闘食の末に、倒れて病院に運ばれたの。それからは坂を転げ落ちる小石よ。お店は潰れてお父さんは心労とショックで倒れるし、お母さんはお父さんに付っきりでいなければならなくなった。そうしてわたし達家族は、この栃木の地に逃げるように越してきたのよ」
そこまで言うと、瑠璃は悲しげな目を妹に向けた。
「わたしと沙耶子の勝負を間近で見ていた鶫はトラウマを背負ってしまって、人間不信に陥ってしまったの。中学生の頃は誰とも馴れ合わず友達もいなかった。本当に可愛そうな事をしてしまったわ」
「姉さんは悪くないわ」
「いいえ、わたしが浅はかだったの。全部わたしのせいよ」
「違うわ! 姉さんは正しい事をしていた!」
「鶫、もういいのよ、ありがとう」
それから瑠璃は元の柔和な笑顔を取り戻して言った。
「でも、よかったわ。鶫があなたたちと一緒に歩いているのを街で見かけた時は、本当に嬉しかった。みんな、これからも妹と仲良くしてあげてね」
瑠璃がそう言うと、鶫は何故か姉から目を背けて黙っていた。
「沙耶子もイーストフードカンパニーも、絶対に許せないよ!」
「その話を聞いて、俄然やる気になった! 沙耶子を必ず倒してやる!」
「ええ…」
怒りを燃やす小桃と林檎に、鶫は何か後ろめたい事があるような、はっきりとしない返事をした。
「暗いお話はここまでよ。さあ、どんどん食べてね」
それから少女たちの追加の注文をする声が店を明るくした。
やがて夕暮れ時になり、皆が帰って鶫と瑠璃だけが店内に残った。鶫は店の片づけを手伝い、店内を箒で掃いていた。カウンターの向こうで食器を洗っていた瑠璃が言った。
「みんな良いお友達よね。鶫の方から声をかけたというから驚いたわ」
「……わたしには、あの子達の友達になる資格なんてない」
「どうしてそんな事を言うの?」
鶫は答えずに、ただ黙々と箒で床を掃いた。そんな妹の姿を見つめながら、瑠璃は微笑を浮かべて言った。
「鶫が何を考えているのかは分からないけれど、あの子達は貴方を慕って集まり、貴方の周りで楽しくお喋りしたり笑ったりしている。友達ってそういうものよ」
姉の一言を聞いて、鶫はいくらか救われたような気持ちになり、顔を上げた。その時に店の前にある建物の隙間に沈んでゆく夕日が見えて、目を細めた。鶫は本当に美しい夕日だと、心の底から思うのであった。
友達ってそういうものよ・・・終わり