第四話 あなたはどちらを選ぶの
鶫は学校と交渉し、チームの拠点として家庭科室を借りていた。そこで鶫は胡桃から小桃の事を聞いていた。
「あの子の名前は春園小桃と言います。わたくし小学生の頃からお付き合いしていますわ。今は同じクラスですのよ」
「小桃さんを何とか説得できないかしら?」
「無理ですわ。あの子はああ見えても、とっても頑固なのです」
「そう……」
その時に林檎が教室に入ってきて、コンロの前の椅子に座り、不機嫌そうにぶつくさ言った。
「最近そこいらの店で賞金グルメが出てきてるんだけど、挑戦しようとすると断られるって、どういう事なのさ?」
それを聞いた鶫の顔つきが鋭くなる。
「…ついにこんな地方にまで触手を伸ばしてきたわね」
「あん? 何の話だ?」
「それはイーストフードカンパニーの仕業よ」
「イーストフードなんちゃらって、確か闘食杯のスポンサーの?」
「紅野さんは知らないのかい? イーストフードカンパニーは全国規模で展開している食の総合商社だよ。特に食材に対してすごい影響力をもっていて、今の日本の食材の流れは彼らが支配していると言ってもいいくらいなんだ」
「へぇ、すごいんだね。でも、それと賞金グルメは関係ないだろ」
すると鶫が言った。
「奴らは裏で暴力団まがいの事もしているわ。その中の一つが、食による搾取よ。無理やり賞金付のメニューを作らせ、そこへ三人一組で闘食家を送り込み、一気に三人分の賞金を持っていく。飲食店が従わなければ、食材が手に入らないように市場に手を回す。東京や大阪なんかの都心部では、それで廃業に追い込まれた店が数え切れないほどあるわ」
「何だよそれ、何で訴えない!?」
「無理ね。賞金を出すのは店の意思だし、脅されたと言っても証拠など何も残さないから無駄だし、食材を回してもらえない事を証明しようとすれば、必ず妨害されるわ。中には大怪我させれた人もいるくらいよ。企業は裏の世界とのつながりも深いから、個人の力ではどうにもならない」
「それじゃ、飲食店の恐怖支配じゃないか……」
「何でそんな事をするのですか? 信じられない事ですわ」
「目的は三つあるわ。一つは闘食家が稼いだ賞金を企業の純粋な利益とする事。一つ一つは小さな額でも、全国規模で展開すれば企業の利益として十分に足るものとなる。二つ目は優良店舗の確保。立地の良い店舗を廃業に追い込み、そこにイーストフードカンパニーの息のかかった店を出すの。そして最後は、優秀な闘食家の発掘よ」
「闘食家の発掘って何だ?」
「その目論見が、わたし達にチャンスを与えてくれる」
「どういう事なのです?」
「商店街を守る為に、わたし達に出来る事があるということよ」
「なら膳は急げだ。後は行動あるのみ! さあ大将、命令を!」
林檎が息巻いて言うと、鶫は頷き、大群を指揮する将軍のような厳格さと気迫をもって虚空を指差しながらチームメイトに言った。
「敵は飲食店にあり、わたしたちで撃退するわよ」
「意外と乗りがいいな」
「フッ」
鶫は軽くあしらうように笑ってから言った。
「彼らは朝から何も食べずに、夕方以降に姿を現すわ。真名上君は胡桃と一緒にメイプルハニーに行って、胡桃をサポートしてあげて」
「サポートって言っても、僕には闘食なんて無理だよ」
「貴方が一緒に行かないと駄目なのよ」
「あたしは鶴川駅近くのむさしの餃子に向かうよ。昨日行ったら、賞金付があったからな」
「わたしは東武駅前通りのかつ元に行ってみるわ」
そして少女達は教室を出ると、それぞれの戦場へと向かって散った。
老舗のかつ元では、がたいの良い男三人が店のカウンターに陣取っていた。
「親父、いつもの頼むぜ」
真ん中のプロレスラーのように肉付きのいい男が言うと、六十歳は超えているであろう白髪の主人は眉間にしわを寄せた。店の壁には『カツ丼五杯、四五分以内に食べたら金五千円贈付』とあった。老舗の豚カツ屋にはおおよそ似合わない貼り付けだ。
「何時までこんな事を続けるつもりだ?」
「何時まででもだ。この店がある限りはな。嫌なら止めてもいいんだぜ。この店に何も入ってこなくなるがな」
大男が豪快に笑うと、他の二人も合わせて笑い出す。
「わしに死ねと言うのか……」
その時、店の戸が開いて鶫が入ってきた。そして男達から一つの椅子を空けて座る。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」
「わたしが注文するのは」
鶫はおもむろに男達を指差して言った。
「この男たちとの勝負」
「な、何だと!?」
「三対一でいいわ。わたしはこの店の代表として戦う。あなたたち三人のうち一人でもわたしに勝つことが出来れば、そちらの勝利よ。その代わり、ルールはこちらで決めさせてもらうわ」
鶫は騒然とする男達をまるで無視して、淡々と言った。店主はあまりの驚きに声も出なかった。
「お嬢ちゃんが俺たちに挑戦すると聞こえたが、聞き違いだったかな?」
「勝負方法は時間無制限のカツ丼勝負。より多くのカツ丼を食べた人の勝ちよ。料金は負けた方が全てを負担する。いいわね」
「どうやら本気みたいだな。いいだろう、そこまで言うなら勝負してやる」
「では、始めるわ」
鶫は箸立てから割り箸を取り、小気味良い音を立てて二つに割った。
鶴川駅近くにあるむさしの餃子に行った林檎は、三人の闘食家たちと対峙しながら、店のカウンターに拳を叩きつけた。
「ここは安くて美味しい餃子を食べさせる店だ。十人前で金五千円なんて出せるような店じゃないんだよ。そこから搾取しようなんて、あんたらはフードファイターの風上にもおけない!」
「いきなり現れて、何だお前は!?」
搾取に現れたリーダー格の痩せた男が言った。連れの後二人の男は肥満体で、いかにも大食漢といった様相をしていた。そして、餃子を食べに訪れた沢山のお客さんもいて、周りで林檎と三人の男たちの様子を見ていた。
「こういう所で食うならちゃんと金を払おうよ。あんたら三人とあたしで勝負しようじゃないか。負けた方が全額負担するんだ。あんたらはこの勝負を断る事は出来ないよね。この店に手出しできなくなるからな」
「なるほど、それを知っているということは、お前は闘食家という事だな。いいだろう、この勝負受けた」
「よし、時間無制限でより多くの餃子を食った奴の勝ちだ。さあ親父、どんどん焼け!!」
周りで見ていたお客が熱くなり、次々と林檎を応援する声が上がっていた。
ケーキビュッフェのメイプルハニーでも、まったく同じ様な事態が起こっていた。店の壁には『ケーキ二十個を三十分以内に完食できたら五千円差し上げます』という張り紙があったが、オーナが望んでしている事でないのは明白だった。
「三対一の勝負だから、ルールはこちらで決めさせてもらうよ。時間を無制限にするけど、いいよね?」
刃が言うと、イーストフードカンパニーから派遣されてきた太った中年女の闘食家はあざ笑った。彼女の後ろには二人の若い女闘食家も付いていた。
「構わないよ。あんたが戦うのかい?」
「いやいや、戦うのは僕じゃなくてこの子だ」
と言って刃が紹介しようとすると、胡桃の姿は忽然となくなっていた。刃が辺りを見ると、胡桃はケーキの前でなにやら喋っていた。それを見た闘食家の女達は、思わず失笑した。
「ちょっと、胡桃ちゃん、こっち来て!」
「刃様、大声をだして、どうかいたしまして?」
「頼むから勝手にどっか行ったりしないでくれよ……」
「ケーキたちが泣いていたからお話を聞いていましたの」
「ぷはは!! 何言ってんだいこの子は、完全に頭がいかれちまってるよ!」
「ケーキたちはあなた方には食べられたくないと言っていますわ。あなた方に食べられてしまった仲間が本当に可愛そうだと泣いていました」
そう言われた中年女の闘食家は、無性に腹が立ってきて、胡桃を睨む。
「小娘、さっさと席につきな。あたしらと勝負するんだろう」
「勝負って何ですの?」
「胡桃ちゃんは、ケーキを好きなだけ食べてくれればいいんだよ」
「好きなだけ食べていいのですか?」
「そうだよ。何も気にせずに食べたいだけ食べてね」
「まあ! 嬉しいですわ!」
瞳を輝かせて言う胡桃に、女闘食家たちは憎悪を募らせた。
「すぐに泣かせてやるよ」
「何でケーキを食べるのに泣かなければいけないのです?」
「お前ふざけているのかい!?」
「はいはい、勝負を始めますよ! それでは時間無制限ケーキ勝負始め!」
刃は憤慨する中年女を遮って、無理やり勝負を始めた。
店主は祈るような気持ちでケーキを食べる胡桃の姿を見つめていた。今までは店にとって胡桃は脅威でしかなかったが、今は救世主だった。
女達がケーキを食べる速さは凄まじく、三人ともあっという間に二十個近くをたいらげて、マイペースで食べている胡桃を見下して笑った。その時は、胡桃は十個も食べていなかった。しかし、この勝負のポイントは時間が無制限というところにあった。胡桃はまったくペースを乱さずに、旨そうにケーキを食べていく。やがて胡桃が女たちに追いつくと、追われている方は慌てて胡桃のペースにあわせてケーキを食べ始めた。
闘食において胡桃のバランスの良さは類を見ないものがあった。まったく同じペースを保ち、いくらでもケーキを食べるのだ。胡桃が二十三個のケーキを食べたところで、二人の若い女闘食家が脱落した。リーダー格の中年女の方は二五個まで頑張ったが、二十六個目を手に取った瞬間に、手を震わせてケーキを取り落とし、両手で口を押さえて急に立ち上がった。顔は蒼白で、戻しそうになっているのが誰の目にも明らかだった。そして彼女は躓いて転びそうになりながら、トイレに駆け込んだ。女は限界を超えても食べ続けていたのだった。胡桃の方はと言うと、周りの事など気にせずに、三十二個までケーキを食べた所で手を止めた。
「あらいけませんわ、もうこんな時間、今日はヴァイオリンのお稽古があるのを忘れていましたわ。これで失礼いたします」
胡桃は急ぎ足で店を出て行った。
「お稽古がなかったらまだ食べたのかね……」
「まだまだ食べましたよ」
引きつった顔の店主に、刃は当然とばかりに言った。その時になって、魂を抜かれたような顔になった中年女がトイレから出て来た。
「君たちの負けだ。今まで食べたケーキは単品扱いにして、胡桃ちゃんの分まで支払ってもらうよ」
刃が言うと、中年女は悔しさのあまり両手両膝を床について呻いた。
「いい気になるんじゃないよ。分かってるよね、もうこの店はおしまいさ」
「君たちのような汚い輩に潰されるよりはましだよ」
店主は、はっきりとそう言い放った。
むさしの餃子では、林檎が十七人前、八十五個の餃子を食べて、男たちに圧勝していた。敵の方はリーダー格の男の一三人前が限界だった。彼らは林檎が食べた餃子の料金まで払わされ、張り裂けそうに苦しい腹を押さえて店から出ていった。
かつ元でも勝負が進んでいた。かつ元の主人はカツ丼を作るのに忙しかったが、それでも目の前の状況から目を離す事が出来なかった。体の小さな少女が、凄まじい速さと抜群の安定感で出されたカツ丼を食べていくのだ。そして鶫は六杯のカツ丼を食べたところで箸を置いた。
「これで十分ね」
男達は鶫の食べる姿に釘付けになり、あまり食が進んでいなかった。
「貴方たちは搾取をする為の手駒、搾取をする以上の力は持っていない底辺の闘食家よ。わたしに追いつくことは出来ない」
「ふ、ふざけやがって! こんなところで終わってたまるか! やっと、やっと、イーストフードカンパニーの闘食家になれたってのに!」
男達は躍起になってカツ丼を食べていった。しかし、三者三様に五杯を越えた途端に苦しげな表情を浮かべる。
「食え、死んでも喰うんだ! ここで負けたら、お払い箱だぞ!」
男達は無理やりカツ丼を詰め込んだが、そのうち一人は不意に席を立ちカウンターを挟んだ座敷に仰向けになって、あまりの腹の苦しさに唸り始めた。もう一人は完全に戦意を失って箸を置いた。リーダーの大男だけは何とか六杯目のカツ丼を食べ終えようとしていた。
「もう止めておいた方がいいわ。貴方の身の為よ」
「うるせぇガキっ!!! 見てろ、見てろよ!!!」
最後の男は完全に自棄になっていた。そして無理に残りのカツと飯を喉の奥まで詰め込む。そこで彼は妙なうめき声を出して座席ごと真後ろに倒れ、カウンターの上に積んであった丼も一緒になって転げ落ち、そのうちのいくつかが砕ける。男は息を詰まらせて白目になっていた。鶫が男を起こして背中に拳を当てると、男は口の中のものを吐き出して息を吹き返した。
「だから言ったでしょう」
「ぐう、ちくしょう……」
惨敗した男達は料金を支払って大人しく出て行くしかなかった。後には鶫が店に残り、店主は彼女に向かって怒りを露にした。
「あんた、何て事をしてくれたんだ。これでもうこの店には一切の食材が回ってこなくなるんだぞ」
「潰されるのを待つか、潰されるのを覚悟で立ち向かうか、あなたはどちらを選ぶの」
鶫に言われて店主ははっとなった。どちらを選ぶのかと言われれば、もう答は決まっている。冷静に考えてみればすぐに分かることだが、状況が状況なだけに、店主はそこまで深く考える余裕がなかった。
「……お陰で目が覚めたよ。ここいらの飲食店の関係者を集めて相談してみよう。一人では無理でも、皆の力を合わせれば何か出来る事があるはずだ」
「それがいいわ」
鶫は微笑を残して店から出て行った。
「早く出せよ、五人前の大ラーメンをな。また賞金をもらっていってやる」
「もう許して下さい。これで三日連続だ。このままじゃ店がつぶれる……」
軒庵楼の親父は涙目になって訴えた。髪を赤く染めた鋭い目をした若者は、他の二人の仲間の男たちと一緒に笑った。
「こいつ、いい年して泣いてやがる」
「十五年続いたこの店が、こんな形で終わっちまうのか……」
「最初にも言ってるが、そっちも闘食家を用意すればいい。俺達と勝負して勝てば、この店には手出ししない。その後の事はどうなるか知らんがね」
親父は悔しさと悲しさのあまりに落涙した。
「その勝負、わたしが受けるよ!」
全員の視線が声の方に集まる。店の入り口の戸が開いていて、そこに春園小桃が立っていた。
「気持ちはありがたいが、小桃ちゃんを巻き込む訳にはいかないよ」
親父が言うのも聞かずに、小桃は中に入ってきてカウンターの席に座った。
「止めるなら今のうちだぜ。土下座して謝れば許してやる」
「貴方たちなんかに負けない」
「なんだとこいつ、いい度胸じゃねぇか」
「そっちは三人なんだから、わたしが勝負のメニューを決めていいよね」
「かまわねぇぜ、餓鬼に負けるようなメニューなんて何一つないからな」
「じゃあおじさん、あれお願いね」
「あれって、この前のあれかい?」
小桃が笑顔で答えると、親父は心得てラーメンを作り始めた。
「勝負方法は、ラーメン早食い勝負だよ。出て来たラーメンを一番早く食べた人が勝ちだからね」
「馬鹿め、早食いは俺が最も得意とする勝負だ。お前は墓穴を掘ったぜ」
小桃はそう言う茶髪の男に、ふやけたような笑みで答えるのだった。
林檎はむさしの餃子を出ると、自転車で急いでペガサス通りに向かった。
「軒庵楼の事をすっかり忘れていたよ。もう流石に食えないけど、何とかして奴らを追い出してやる」
林檎が軒庵楼の前に着くと同時に、鶫も反対側から走ってきた。
「あ、鶫も来たのか」
「行きましょう」
林檎が店の戸を開けると、そこには予想だにしない光景が広がっていた。
「こんな辛ぇの食えねぇよぅ………」
「うるせぇ、いいから黙って食え!」
「食べ終わったよ。ご馳走様でした~」
涙を流しながら麺を啜る三人の男たちを尻目に、小桃が超大盛り激辛ラーメンを食べ終えたところだった。負けた瞬間に、男達はあまりの辛さと敗戦の衝撃でカウンターの上にダウンした。
「春園小桃さん……」
「あれ、あなたは確か、鶫ちゃんだったよね?」
鶫が食い入るように見つめるので、小桃は恥かしくなって顔を背けた。
「おじさん、わたし帰るね」
「ありがとよ小桃ちゃん。すかっとしたよ」
小桃は親父に笑顔で答え、それから店を出て鶫の横を通り過ぎる。鶫は小桃の手を掴んで引き止めた。
「まって」
「え?」
「わたしと一緒に来て」
「前にも言ったでしょ、わたしは…」
「戦わなくてもいい。ただ、わたしたちの後ろで応援してくれるだけでもいいの。貴方がいてくれるだけで、わたしたちは安心して戦う事が出来る」
「そんな、皆が頑張ってるのに、それを応援するだけなんて……」
「闘食杯にこだわる必要なんてないわ。チームには貴方の友達の胡桃や真名上君もいる。わたしや林檎とも友達になって、見ていて欲しい。それでは駄目かしら?」
「……わかったよ、そこまで言うなら。それに、鶫ちゃん真面目で良い人そうだし、わたしも友達になりたいなって思ってたんだ」
「ありがとう」
鶫が微小すると、小桃も笑った。小桃は鶫の情熱に負ける形でチームに入った。何にせよこれで闘食杯に出られるだけのメンバーが揃ったのだ。
あなたはどちらを選ぶの・・・終わり