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グルメイ  作者: 李音
3/13

第三話 ただ美味しそうだと思ったから

「今朝、軒庵楼の親父が挑戦状を叩きつけてきたよ。まったく懲りない親父だ」

 放課後に林檎は鶫と一緒に校庭を歩いていた。

「軒庵楼って、ペガサス通りにあるお店ね」

「そうさ、大盛りが売りなんだ。あたしそこで何度も賞金付グルメを制覇してるんだよ」

 林檎は「挑戦状」と書き付けられた紙を振って空を泳がせながら言った。

「どんな料理を用意してるか知らないけど、何度やっても結果は同じだ」

「油断はしない方がいいわ。たとえ戦歴の勇将でも、油断があればその首を取られる。それは歴史が証明している事よ」

「例えが大げさだなぁ。ま、このあたしに限って、賞金付で負けるなんてありえないよ」

「だといいわね」

 

 東武宇都宮駅を境にして、北側にアルテミス通りが、南側にはペガサス通りと呼ばれる商店街があった。軒庵楼はペガサス通りにあるラーメンショップである。

 鶫たちは四人で固まってペガサス通りを歩いていた。辺りには学校帰りの高校生や専門学校生がひしめくほどにいて、通りにある店々は賑わっていた。

「何で僕たちまで一緒に行かなきゃならないのかな?」

「チームなんだから、つべこべ言わずに、あたしを応援しろ」

「わたくしはラーメンよりもケーキの方がお好みですわ」

「あんたってもしかして、ケーキだけ食って生きてるんじゃないの?」

「その通りですわ~」

「いやいや、それは否定しろよ!」

 林檎が胡桃に突っ込んだところで、先頭を歩いていた鶫が立ち止まった。

「着いたわ」

 林檎が暖簾をかき分け、勢いよく戸を滑らす。

「親父、来てやったよ!!」

 店は結構な人数の客で賑わっていて、全員の視線が林檎に集まった。白衣に白い頭巾姿の親父が、カウンターの奥でお玉を林檎に向けた。

「来たか。紅野林檎、今日が貴様の命日となる!」

「言ってくれるじゃないか!」

「命日って、殺しあうわけじゃないんだから…」

 林檎と店主の親父が火花を散らしている横で、刃がぼそりと言った。

「馬鹿野郎! これはあたしと親父の命をかけた戦いなんだ!」

「だから、命は必要ないよね」

 林檎は店の中に入り込むと、右手を高く上げて、カウンターを叩いた。

「さあ親父、このあたしをぶっちぎれる料理があるって言うなら、出してみろ!」

「よかろう、すぐに作ってやるから待っていろ」

 そして待つこと十分、林檎の前に巨大ラーメンが現れた。それを見た胡桃と刃は顔を背けるようにして言った。

「スープが真っ赤ですわ~」

「なんか、湯気が目に染みるんだけど……」

「……親父め、味を変えてきやがったか」

「ふふふ、名付けて赤炎地獄ラーメンだ! これが三十分以内に喰えたら、金一万円を進呈してやろう」

「まじで!? よっしゃ、一万頂き!」

 林檎が真っ赤なスープのラーメンを一気にかき込む。次の瞬間、林檎は火を吹くような叫びをあげた。

「か、からーーーーっ!!!」

「うははははっ! 果たしてそれを食いきる事ができるかな? 時間内に食べられなければ、三千円頂きますよ、お客さん」

「くぅっ、姑息な親父め、負けるかーっ!」

 林檎は勢いづいてラーメンをすするが、また火のように熱い吐息を吐く。

「辛い、辛すぎるっ!」

 林檎がコップの水をぐいっと飲むと、黙って様子を見ていた鶫が言った。

「そんなに水を飲むなんて、闘食家としては失格よ」

「うるさいよ! こんな時に冷静に突っ込むな! あんたにはこのラーメンの色がみえないのか!」

「闘食でも普通の料理が出てくるとは限らないわ。特に闘食杯はチーム戦だから、様々なバリエーションの料理が出てくる。当然、辛いものもあるわ」

「うう、あたしは辛いのはあんまり得意じゃないんだよ…」

「林檎は辛いものが苦手なのね。早くしないと、もうすぐ十分になるわよ」

「くそ、この勝負絶対に負けらんない!」

 とは言うものの、林檎は食べては辛さに喘ぐ悪戦苦闘を余儀なくされた。その時に店の戸が開いて、明凛館高校の女生徒が姿を現した。

「こんにちは~」

「へい、いらっしゃい!」

入ってきたのは大きな瞳の可愛らしい少女で、ショートの黒髪の右の鬢を小さなテールにして、ピンク珊瑚で出来た桃のヘアピンで留めていた。ループタイの色は髪飾りと同じ桃色だった。

「あれ? 胡桃ちゃん、それに真名上君も、こんな所にいるなんて珍しい」

「小桃さんではありませんか。奇遇ですわね」

「わたし良くここに来るんだ。何頼んでも大盛りだから」

 小桃は胡桃の隣に座って、必死に激辛ラーメンに挑む林檎を覗き込んだ。

「あ、それ美味しそう。わたしにもそれ下さい」

『な、なにーっ!!?』

 店の親父と林檎が同時に驚愕した。

「あんた、もしかして目が悪いのか? 大きさと色を見ろ! 何を好きこのんでこんな物を食おうとするんだ!?」

「ただ美味しそうだと思ったから」

「こいつマジだ、マジで言ってる………」

「小桃ちゃん、本当にいいんだね……?」

「おじさん、早く作って~」

「わかったよ。どうなっても知らないからね」

 親父は小桃の希望通りに超大盛り激辛ラーメンを作って出した。

「うふふ、美味しそう」

 小桃はいかにも嬉しそうな顔で割り箸を二つに割った。林檎が箸を止めて、それを見ると、他のメンバーも注目する。

「いただきま~す」

 小桃の箸先がラーメンの丼の中に消える。林檎たちの間に妙な緊張が走った。そして小桃が真っ赤なスープの中から麺を掬い上げて口に運んだ。

「うん、美味しい!」

 小桃は見ている者たちからは信じがたい感想を口にして、ラーメンを勢い良く食べ始めた。

「マジか!? この殺人的に辛いラーメンを、平然と…いや旨そうに食ってる。どういう味覚をしてるんだ?」

「林檎、もう二十分経ってるわ」

「やばい!!」

 林檎は慌ててラーメンを口にしたので、激辛のスープまで一緒に飲んで酷く咽てしまった。林檎は水を飲んで落ち着くと、涙目になった。

「うう、今日は厄日だ……」

「まだ半分もなくなっていないわね。残り八分よ」

「あたしは最後まであきらめない!」

 林檎は勝ち目のない敵に挑む手負いの戦士のような気迫で激辛ラーメンに立ち向かう。一方、小桃の方は大きな丼の中身を着実に減らしていった。さらに小桃は麺だけではなく、真っ赤なスープまでレンゲで掬って飲んでいる。それを見ていた親父は激しくうろたえた。激辛ラーメンを食べきったら一万円を進呈する事になっているのだ。これは林檎だけに限った事ではなかった。

 そして二十分後。

「ご馳走様でした~」

 小桃は超大盛り激辛ラーメンをあっさりと食べ終え、鶫はその一部始終を一挙一動も見逃さずに見ていた。

「林檎さん、見事な討ち死にですわ」

「返り討ちだね」

「ぐは……負けた……」

 胡桃と刃が言う横で、林檎はカウンターの上に突っ伏して、本当に討ち死にしたように動かなかった。丼の中にはまだまだ麺が残っていた。

 親父の方は、財布を開く小桃を冷たい汗をかきながら見ていた。まるでこの世ならざる者を見るような目だ。いきなり現れた新たな脅威のお陰で、親父には勝利の余韻に浸る余裕などなかった。

「おいくらですか?」

「は、八〇〇円になります」

「八〇〇円でいいの? ちょっと安すぎません?」

「いやいや、常連の小桃ちゃんだからおまけだよ。ははは」

「またんかこらーーーーーっ!!?」

 いきなり死んでいた林檎が立ち上がり、親父を怒鳴りつける。

「どさくさに紛れて金を取ろうとしてんじゃない! あんたも自分が何の料理を食ったのか、しっかり確認しろよ!」

 林檎は小桃の後ろから頭を掴み、メニューのある壁の方を振り向かせた。

「あれだ」

「ふえ?」

 小桃の目に『赤炎地獄ラーメン! 三十分以内に食べきったら金一封』と大きく書いてある文字が見えた。

「へえ、あんなラーメンもあるんだ。今度食べてみよう」

「今あんたが食べたのがそれだよ! どこまで惚けりゃ気が済むんだ!」

「ちっ、余計な事を……」

「姑息な親父め、さっさと金を出せ!」

「お前は食べ切れなかったんだから、早く三千円払え」

 それを聞いた林檎は、鉄砲ででも撃たれたかのように胸を押さえ、戦場で討たれた武将のような無念な呻き声を上げながら、カウンターに倒れ込む。

「うう、鶫、お金貸してくれ……」

「持ってないのね。負けた時の事を何も考えていないなんて、そういう(おご)りが隙を作るのよ。典型的な負けパターンだわ」

 林檎は「ぐはっ」と刺されでもしたような声を出し、全身の力をなくした。

「鶫さんの言葉はナイフのように鋭いのですわ」

「完全に止め刺されたね」

 すぐ近くでは、小桃が親父の出した金一封を慌てて断っていた。

「いいんです。ラーメンがただになるだけで十分ですから。それじゃ、ごちそうさまでした!」

 小桃が小走りで店を出て行くと、鶫は黙って立ち上がり、その後を追いかけた。そしてペガサス通りを出る手前のところで後ろから声をかる。

「待って、小桃さん」

「ほえ? 貴方は胡桃ちゃんと一緒にいた……」

「貴方の力が必要なの。わたしと一緒に来て欲しい」

「え? そんな事言われると、何か照れちゃうな。今まで誰かに頼りにされた事なんてないから。わたしが何の役に立てるの?」

「一緒に、闘食杯に出て欲しいの」

 それを聞いた瞬間に、小桃の顔に嫌悪の陰が差した。

「それだけは嫌! ご飯は美味しく食べるものだもん。食べる事で競い合ったりお金を稼いだり、そんなの間違ってる!」

 控えめな小桃が急に強い口調になったので、鶫は驚いて相手の顔を見つめた。それに気付いた小桃は、鶫を傷つけてしまったような気がして焦った。

「ごめんね。これだけは曲げたくないの」

 そして、小桃は向こうにあるアルテミス通りの方へと走っていった。後から来た林檎たちが、立ち尽くす鶫を怪訝に見つめる。

「どうしたんだ? さっきの奴に何か言われたのか?」

 その時、すぐ側の電気屋の大型液晶テレビから、声が聞こえてきた。

『女王を相手に挑戦者はどう戦う! また病院送りにされてしまうのか!?』

 急に鶫の表情が鋭くなり、突き刺すような視線でテレビを見つめた。そこに大きく写しだされた美女を見て、鶫は忘れられない高笑いと、目の前に倒れている大切な人を呆然と見つめる自分を思い出した。それは鶫の心に深い傷となって残る闇だった。鶫の怒りと悲しみが言葉を突き上げる。

華喰沙耶子(かじきさやこ)、必ず倒す」

 林檎たちは、寡黙な鶫が怒りに燃える姿を、目を丸くして見ていた。


ただ美味しそうだと思ったから…終わり


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