第三話 ただ美味しそうだと思ったから
「今朝、軒庵楼の親父が挑戦状を叩きつけてきたよ。まったく懲りない親父だ」
放課後に林檎は鶫と一緒に校庭を歩いていた。
「軒庵楼って、ペガサス通りにあるお店ね」
「そうさ、大盛りが売りなんだ。あたしそこで何度も賞金付グルメを制覇してるんだよ」
林檎は「挑戦状」と書き付けられた紙を振って空を泳がせながら言った。
「どんな料理を用意してるか知らないけど、何度やっても結果は同じだ」
「油断はしない方がいいわ。たとえ戦歴の勇将でも、油断があればその首を取られる。それは歴史が証明している事よ」
「例えが大げさだなぁ。ま、このあたしに限って、賞金付で負けるなんてありえないよ」
「だといいわね」
東武宇都宮駅を境にして、北側にアルテミス通りが、南側にはペガサス通りと呼ばれる商店街があった。軒庵楼はペガサス通りにあるラーメンショップである。
鶫たちは四人で固まってペガサス通りを歩いていた。辺りには学校帰りの高校生や専門学校生がひしめくほどにいて、通りにある店々は賑わっていた。
「何で僕たちまで一緒に行かなきゃならないのかな?」
「チームなんだから、つべこべ言わずに、あたしを応援しろ」
「わたくしはラーメンよりもケーキの方がお好みですわ」
「あんたってもしかして、ケーキだけ食って生きてるんじゃないの?」
「その通りですわ~」
「いやいや、それは否定しろよ!」
林檎が胡桃に突っ込んだところで、先頭を歩いていた鶫が立ち止まった。
「着いたわ」
林檎が暖簾をかき分け、勢いよく戸を滑らす。
「親父、来てやったよ!!」
店は結構な人数の客で賑わっていて、全員の視線が林檎に集まった。白衣に白い頭巾姿の親父が、カウンターの奥でお玉を林檎に向けた。
「来たか。紅野林檎、今日が貴様の命日となる!」
「言ってくれるじゃないか!」
「命日って、殺しあうわけじゃないんだから…」
林檎と店主の親父が火花を散らしている横で、刃がぼそりと言った。
「馬鹿野郎! これはあたしと親父の命をかけた戦いなんだ!」
「だから、命は必要ないよね」
林檎は店の中に入り込むと、右手を高く上げて、カウンターを叩いた。
「さあ親父、このあたしをぶっちぎれる料理があるって言うなら、出してみろ!」
「よかろう、すぐに作ってやるから待っていろ」
そして待つこと十分、林檎の前に巨大ラーメンが現れた。それを見た胡桃と刃は顔を背けるようにして言った。
「スープが真っ赤ですわ~」
「なんか、湯気が目に染みるんだけど……」
「……親父め、味を変えてきやがったか」
「ふふふ、名付けて赤炎地獄ラーメンだ! これが三十分以内に喰えたら、金一万円を進呈してやろう」
「まじで!? よっしゃ、一万頂き!」
林檎が真っ赤なスープのラーメンを一気にかき込む。次の瞬間、林檎は火を吹くような叫びをあげた。
「か、からーーーーっ!!!」
「うははははっ! 果たしてそれを食いきる事ができるかな? 時間内に食べられなければ、三千円頂きますよ、お客さん」
「くぅっ、姑息な親父め、負けるかーっ!」
林檎は勢いづいてラーメンをすするが、また火のように熱い吐息を吐く。
「辛い、辛すぎるっ!」
林檎がコップの水をぐいっと飲むと、黙って様子を見ていた鶫が言った。
「そんなに水を飲むなんて、闘食家としては失格よ」
「うるさいよ! こんな時に冷静に突っ込むな! あんたにはこのラーメンの色がみえないのか!」
「闘食でも普通の料理が出てくるとは限らないわ。特に闘食杯はチーム戦だから、様々なバリエーションの料理が出てくる。当然、辛いものもあるわ」
「うう、あたしは辛いのはあんまり得意じゃないんだよ…」
「林檎は辛いものが苦手なのね。早くしないと、もうすぐ十分になるわよ」
「くそ、この勝負絶対に負けらんない!」
とは言うものの、林檎は食べては辛さに喘ぐ悪戦苦闘を余儀なくされた。その時に店の戸が開いて、明凛館高校の女生徒が姿を現した。
「こんにちは~」
「へい、いらっしゃい!」
入ってきたのは大きな瞳の可愛らしい少女で、ショートの黒髪の右の鬢を小さなテールにして、ピンク珊瑚で出来た桃のヘアピンで留めていた。ループタイの色は髪飾りと同じ桃色だった。
「あれ? 胡桃ちゃん、それに真名上君も、こんな所にいるなんて珍しい」
「小桃さんではありませんか。奇遇ですわね」
「わたし良くここに来るんだ。何頼んでも大盛りだから」
小桃は胡桃の隣に座って、必死に激辛ラーメンに挑む林檎を覗き込んだ。
「あ、それ美味しそう。わたしにもそれ下さい」
『な、なにーっ!!?』
店の親父と林檎が同時に驚愕した。
「あんた、もしかして目が悪いのか? 大きさと色を見ろ! 何を好きこのんでこんな物を食おうとするんだ!?」
「ただ美味しそうだと思ったから」
「こいつマジだ、マジで言ってる………」
「小桃ちゃん、本当にいいんだね……?」
「おじさん、早く作って~」
「わかったよ。どうなっても知らないからね」
親父は小桃の希望通りに超大盛り激辛ラーメンを作って出した。
「うふふ、美味しそう」
小桃はいかにも嬉しそうな顔で割り箸を二つに割った。林檎が箸を止めて、それを見ると、他のメンバーも注目する。
「いただきま~す」
小桃の箸先がラーメンの丼の中に消える。林檎たちの間に妙な緊張が走った。そして小桃が真っ赤なスープの中から麺を掬い上げて口に運んだ。
「うん、美味しい!」
小桃は見ている者たちからは信じがたい感想を口にして、ラーメンを勢い良く食べ始めた。
「マジか!? この殺人的に辛いラーメンを、平然と…いや旨そうに食ってる。どういう味覚をしてるんだ?」
「林檎、もう二十分経ってるわ」
「やばい!!」
林檎は慌ててラーメンを口にしたので、激辛のスープまで一緒に飲んで酷く咽てしまった。林檎は水を飲んで落ち着くと、涙目になった。
「うう、今日は厄日だ……」
「まだ半分もなくなっていないわね。残り八分よ」
「あたしは最後まであきらめない!」
林檎は勝ち目のない敵に挑む手負いの戦士のような気迫で激辛ラーメンに立ち向かう。一方、小桃の方は大きな丼の中身を着実に減らしていった。さらに小桃は麺だけではなく、真っ赤なスープまでレンゲで掬って飲んでいる。それを見ていた親父は激しくうろたえた。激辛ラーメンを食べきったら一万円を進呈する事になっているのだ。これは林檎だけに限った事ではなかった。
そして二十分後。
「ご馳走様でした~」
小桃は超大盛り激辛ラーメンをあっさりと食べ終え、鶫はその一部始終を一挙一動も見逃さずに見ていた。
「林檎さん、見事な討ち死にですわ」
「返り討ちだね」
「ぐは……負けた……」
胡桃と刃が言う横で、林檎はカウンターの上に突っ伏して、本当に討ち死にしたように動かなかった。丼の中にはまだまだ麺が残っていた。
親父の方は、財布を開く小桃を冷たい汗をかきながら見ていた。まるでこの世ならざる者を見るような目だ。いきなり現れた新たな脅威のお陰で、親父には勝利の余韻に浸る余裕などなかった。
「おいくらですか?」
「は、八〇〇円になります」
「八〇〇円でいいの? ちょっと安すぎません?」
「いやいや、常連の小桃ちゃんだからおまけだよ。ははは」
「またんかこらーーーーーっ!!?」
いきなり死んでいた林檎が立ち上がり、親父を怒鳴りつける。
「どさくさに紛れて金を取ろうとしてんじゃない! あんたも自分が何の料理を食ったのか、しっかり確認しろよ!」
林檎は小桃の後ろから頭を掴み、メニューのある壁の方を振り向かせた。
「あれだ」
「ふえ?」
小桃の目に『赤炎地獄ラーメン! 三十分以内に食べきったら金一封』と大きく書いてある文字が見えた。
「へえ、あんなラーメンもあるんだ。今度食べてみよう」
「今あんたが食べたのがそれだよ! どこまで惚けりゃ気が済むんだ!」
「ちっ、余計な事を……」
「姑息な親父め、さっさと金を出せ!」
「お前は食べ切れなかったんだから、早く三千円払え」
それを聞いた林檎は、鉄砲ででも撃たれたかのように胸を押さえ、戦場で討たれた武将のような無念な呻き声を上げながら、カウンターに倒れ込む。
「うう、鶫、お金貸してくれ……」
「持ってないのね。負けた時の事を何も考えていないなんて、そういう驕りが隙を作るのよ。典型的な負けパターンだわ」
林檎は「ぐはっ」と刺されでもしたような声を出し、全身の力をなくした。
「鶫さんの言葉はナイフのように鋭いのですわ」
「完全に止め刺されたね」
すぐ近くでは、小桃が親父の出した金一封を慌てて断っていた。
「いいんです。ラーメンがただになるだけで十分ですから。それじゃ、ごちそうさまでした!」
小桃が小走りで店を出て行くと、鶫は黙って立ち上がり、その後を追いかけた。そしてペガサス通りを出る手前のところで後ろから声をかる。
「待って、小桃さん」
「ほえ? 貴方は胡桃ちゃんと一緒にいた……」
「貴方の力が必要なの。わたしと一緒に来て欲しい」
「え? そんな事言われると、何か照れちゃうな。今まで誰かに頼りにされた事なんてないから。わたしが何の役に立てるの?」
「一緒に、闘食杯に出て欲しいの」
それを聞いた瞬間に、小桃の顔に嫌悪の陰が差した。
「それだけは嫌! ご飯は美味しく食べるものだもん。食べる事で競い合ったりお金を稼いだり、そんなの間違ってる!」
控えめな小桃が急に強い口調になったので、鶫は驚いて相手の顔を見つめた。それに気付いた小桃は、鶫を傷つけてしまったような気がして焦った。
「ごめんね。これだけは曲げたくないの」
そして、小桃は向こうにあるアルテミス通りの方へと走っていった。後から来た林檎たちが、立ち尽くす鶫を怪訝に見つめる。
「どうしたんだ? さっきの奴に何か言われたのか?」
その時、すぐ側の電気屋の大型液晶テレビから、声が聞こえてきた。
『女王を相手に挑戦者はどう戦う! また病院送りにされてしまうのか!?』
急に鶫の表情が鋭くなり、突き刺すような視線でテレビを見つめた。そこに大きく写しだされた美女を見て、鶫は忘れられない高笑いと、目の前に倒れている大切な人を呆然と見つめる自分を思い出した。それは鶫の心に深い傷となって残る闇だった。鶫の怒りと悲しみが言葉を突き上げる。
「華喰沙耶子、必ず倒す」
林檎たちは、寡黙な鶫が怒りに燃える姿を、目を丸くして見ていた。
ただ美味しそうだと思ったから…終わり




