第二話 ケーキの声が聞こえるのです
「なぬーっ、賞金百万だと!?」
学校帰りに鶫から闘食杯の優勝賞金を聞いた林檎が大声で叫だ。
アルテミスロードと呼ばれる大商店街を歩く少女たちに周りに注目が
集まる。林檎はそんな視線など気にせずに言った。
「最初に言ってよ。あんな食べ比べしなくても協力したのにさ」
「あなたの実力を知りたかったのよ」
「負けたら元も子もないじゃないか」
「でも貴方はわたしと共にいる。それに…」
「それに何だ?」
「賞金をちらつかせれば食いついて来る事も分かっていたし」
「お前、嫌らしい奴だな…」
「わたしは事実を事実として受け止めているだけよ」
「あーあ、どうせあたしは金の亡者だよ!」
それから二人並んで少し歩くと、林檎が立ち止まって親指で古びた餃子店を指した。
「行こうよ」
鶫は黙って従い二人で店に入った。林檎は席に座るなり言った。
「親父さん、名物超特大餃子ね」
「わたしは焼き餃子三人前」
「わざわざお金を払って食べるのか? お前だったら超特大餃子いけるだろ。食べきったら賞金三千円だぞ」
「わたしはお金を稼ぐ為に闘食はしないわ」
「それがフードファイターの仕事じゃないか。おかしな奴だな」
それからしばらくして、店の親父が「制限時間二十分だよ」と言いながら、三人前の焼き餃子と、十人前に相当する五個の巨大餃子を出した。林檎は御酢と醤油をたっぷり入れたタレに餃子を付けて食べる。
「さっきの勝負での深呼吸、あれ何なのさ? ただの深呼吸じゃないよね?」
「あれは、中国拳法の呼吸法よ。体に流れる気を活性化させて、新陳代謝を活発にし、胃腸の消化力を高めたの」
「なんだそりゃ、反則じみてるぞ…」
「元々持っている力を使うのなら問題はないわ」
「じゃあもう一つ、ついでに聞くけど、闘食杯って何なんなの?」
「イーストフードカンパニーが主催する、闘食の王者を決めるトーナメントよ。東日本のフードファイター…そこでは闘食家と呼ばれるけれど、それが集まってくるわ」
「へぇ、そいつはすごいな」
「試合は三人でチームを組んで行われるわ」
「という事は、一人足りないな」
「出来ればセコンドとマネージャーも欲しい」
「セコンドって何だ?」
「何かがあった時に交代できる予備の闘食家よ」
「他に当てはあるのか?」
「目星を付けている人が一人いるわ。明日にでも交渉しましょう」
「また闘食でも挑む気?」
「いいえ、貴方とはまったく違ったタイプの人間だから、そういう単純な手は通用しないわ」
「それじゃ、あたしが単純馬鹿みたいに聞こえるじゃないか!」
「そうかもしれないわね」
「そこまではっきり言われると怒る気もなくなる」
はたから見ると、二人の姿は他愛のない話をしている女子高生だが、林檎の存在が周りにいる客の視線を集めていた。
「ご馳走様。親父さん、一三分で食べたよ」
「なっ!?」
店主は言葉を詰まらせ、これ以上ない驚きを顔に表していた。
翌日の放課後、林檎は鶫と連れ立って街へ出た。今二人が向かっているのは、アルテミス通りから少し離れたところにあるケーキバイキングの店だった。
「ケーキバイキングなんて、あんな高いの嫌だよ」
「食べに行くわけではないわ」
「じゃあ何しに行くのさ?」
「リサーチよ」
「何を?」
「三人目の仲間よ」
「そいつ甘党なのか?」
「甘党なんていう言葉では片付けられないわ。人知を越えた存在よ」
「なんだそりゃ!?」
「すぐにわかるわ」
林檎と鶫はメイプルハニーというケーキバイキングの店に入り、それぞれ注文した。
「紅茶を一杯」
「あたしは水でいい」
店員が注文を聞いて去ると、林檎は辺りを見渡した。
「で、その人知を越えた存在とやらはどこにいるんだ?」
「そろそろ来ると思うわ」
その頃、メイプルハニーに近づく少年と少女があった。
「胡桃ちゃん、本当にケーキバイキングに行くのかい?」
「もちろんですわ。これはわたくしのライフワークですもの」
「胡桃ちゃん、ライフワークの意味分かってないでしょ」
「まあ、失礼ですわね。食べる事はあらゆる人間にとってのライフワークなのですわ」
「それは命を繋ぐ為に食べるって意味で、君の場合は全然違うからね…」
「刃様、着きましたわ」
「ああ、魔の時が訪れる……」
胡桃は待ちきれないと言うように、刃を置いて店の中に入っていった。
「店長さん、ごきげんよう」
「げっ、胡桃ちゃん!?」
店の店長は胡桃の姿を見るなり、店が潰れるくらいの絶望感に顔を青くしてから、恐る恐る聞いた。
「小桃ちゃんは一緒じゃないのかい?」
「小桃さんはピアノのお稽古があるので、今日はわたくしだけなのです」
「は~~~、よかった~~~」
「今度来るときは必ずお誘いしますわ」
「い、いや、無理に誘わなくてもいいんだよ、小桃ちゃんにだって色々と都合があるだろうからね。そうだ、こんな店に誘われるなんて、きっと迷惑に違いないよ。うん、きっとそうだ、ははは……」
店長は引きつった笑いを浮かべてから、後から入ってきた刃に走り寄って耳元で言った。
「頼むよ刃君、切りのいいところで胡桃ちゃんを帰らせてくれ。この店の命運は君にかかっている」
「いきなり変なプレッシャーかけないで下さいよ……」
二人がそんな話をしている間に、胡桃は色とりどりのケーキが並んでいるビュッフェの前で手を組んだ。
「みなさん、ご機嫌よう。苺ショートちゃんは今日も素敵な白さですわね。紅い苺のアクセントも美しいですわ。黒くて艶やかなチョコタルトちゃんも綺麗ですわ。え? そんなに褒められると恥かしいですか? わたくしは本当の事を言っているだけですのよ」
「また変な独りごと言ってる」
「独り言ではありません。わたくしケーキの声が聞こえるのです」
「く、胡桃ちゃん、あんまり大きい声で言わないでよ」
「まあ、あなたたちを食べずに残して帰る人がいるのですね。本当に酷い人たちがいるのですね。わたくしは貴方たちを見捨てるような事はいたしませんから安心して下さいね」
「駄目だ、完全に自分の世界に入ってる……」
周りの奇異に満ちた視線が刃と胡桃に突き刺さる。胡桃はまったく気にせずにケーキに向かって言葉をかけているが、一緒にいる刃方は圧し掛かってくるような恥辱に懸命に耐えていた。
――胡桃ちゃんとは小さい頃から一緒にいて奇特なところには慣れているけれど、これだけは何とかしてほしいなぁ……。
一方、林檎は胡桃の衝撃的な行動に唖然としていた。
「た、確かにあれは人知を越えてるな、色んな意味で………」
「一緒にいる彼が無残ね」
「完全に巻添い食ってるな……」
胡桃はそれからしばらくケーキに語りかけ、刃を散々憔悴させた後に、ケーキを山ほど皿に取って席についた。それを見ている店長の顔色は悪かった。
「さあ、頂きましょう!」
驚くのはまだ早かった。胡桃はケーキを食べるのは遅い方だが、そのペースを落とさずに延々と食べ続ける。大きな皿に所狭しと敷き詰められたケーキの群れは消えて、また同じだけの量を取ってきては食べる。ケーキの一つ一つが小さめとは言え、その食欲は凄まじいものがある。幼馴染で慣れている刃でも、お茶を飲むのも忘れて呆然とするほどだった。
胡桃が二度目に持ってきたケーキ達を食べ終えて席を立ったとき、刃は死にそうな顔をしている店長に気付いて、慌てて自分も立ち上がった。
「胡桃ちゃん、もうこれくらいにしておいた方がいいよ」
「何故そんな事を言うのですか?」
「いやあ、その、そんなにケーキを食べたら太っちゃうよ」
「心配してくれるのは嬉しいですわ。でも大丈夫です、わたくし食べても太らない体質ですから」
「とにかく帰ろう。もう十分食べたでしょ」
「駄目ですわ。あそこには、わたくしに食べてもらいたいと言っているお友達が沢山いるのです。まだまだ帰れませんわ」
にこやかに応える胡桃に刃はたじろいだ。その様子を見ながら林檎は終始苦々しい笑いを浮かべていた。
「とんでもない電波だな……」
「電波だろうがパープリンだろうが、実力さえあればいいわ」
「あんた結構酷いこと言うね」
鶫と林檎が話している間も、刃の必死の説得が続いていた。
「ケーキは胡桃ちゃんの友達なんだろう。友達を食べるなんていけないよ」
「あの子達にとっては、食べてもらう事が最大の幸せなのですわ。残されてしまうケーキほど可愛そうな子はいないのです。だからわたくしは、出来るだけ沢山のケーキ達を食べて幸せにしてあげたいのですわ」
妙に説得力のある言葉に刃は撃沈された。
――店長さん、僕には胡桃ちゃんを止めるのは無理です。もうお店の事は諦めて下さい……。
刃は今にも倒れてしまいそうな様子の店長に心の中で詫びた。それから胡桃は、店長が泡を吹くくらいにケーキを食べてようやく満足した。
「よくあんなに甘いものばっかり食えるな。さすがのあたしも、あれは真似出来ない。けど、あいつはフードファイトには向かないぞ」
「彼女は長時間、自分のペースを崩さずに食べる事が出来るわ。確かに制限時間内に競い合う闘食には難があるけれど、安定感は抜群よ」
胡桃と刃が店を出て行くと、林檎と鶫はすぐに後を追った。
「森宮胡桃さん」
鶫は店を出てすぐのところで声をかけた。胡桃は首をかしげて見知らぬ少女二人を見た。
「あなたは?」
「わたしは深山鶫、あなたを誘いに来たの」
「まあ、お茶のお誘いですか?」
「ちがうよ、あたしたちと一緒に闘食杯に出ないかっていう誘いだ」
「闘食杯? なんですのそれは? 甘くて美味しいものが食べられるのですか?」
「ええ、いくらでも食べられるわ」
胡桃は柔らに手を合わせて言った。
「それは素晴らしい事ですわ。是非ご一緒させて下さいな」
「決まりね」
「ちょっと胡桃ちゃん!? そんな訳の分からない事を簡単に受けちゃ駄目だよ!」
刃が慌てて割り込んでくると、林檎が彼の前にずいっと詰めて来て言った。
「うっさい、もやし!」
「も、もやし!? 失礼じゃないか!?」
「あんた男なのになよっちいんだよ! 見てるだけでむかつくんだ!」
「何て不条理な……」
「こう見えても刃様はとても男らしいのですわ。ケーキを沢山作ってくれるところなんて特に」
胡桃がうっとりして言うと、刃の表情は何故かこの世の終わりを味わっているような恐怖に彩られる。
「どの辺りが男らしいんだよ!?」
「…ケーキね」
突込みを入れている林檎の横で、鶫が目を光らせる。その後で鶫は刃の瞳をまっすぐに見つめた。
「あなたは料理をするのね」
「ああ、僕はパティシエを目指しているんだ。大抵のものなら作れるよ」
「あなた、名前は?」
「僕かい? 僕は真名上刃だよ」
それから鶫は、悩ましげな輝きを帯びた瞳で刃をじっと見つめた。刃の方は小柄で可愛らしい少女の視線に当てられて胸が高鳴るのを感じていた。その様子を見た胡桃はむすっとして明らかに機嫌を損ねていた。
「真名上君」
「はい!」
「あなたの力が必要なの。一緒に来てくれないかしら」
「僕で役にたてるのなら」
刃が思わず言ってしまうと、林檎が鶫に向かって親指を立て、鶫はそれにブイサインで応える。
「よし! マネージャーもゲットした!」
「え? マネージャーって何!?」
「これからよろしくね、真名上君」
「刃様もお仲間になりましたのね。素敵ですわ」
「ちょっとまってよ! 僕は君たちが何をしようとしているのかまったく理解していない! そして、胡桃ちゃんも理解してないでしょ!?」
「甘いものが食べられれば、細かい事なんてどうでもいいのですわ」
「良くない、全然良くないよ!!」
「うるさい、あんたはもうマネージャー確定なんだから、つべこべ言わずに黙って付いてこい」
「うう、何かものすごく大変な事に巻き込まれた気がする……」
刃は胸に差し迫るような悪い予感に身を震わせる。これから恐ろしい事が待ち受けている気がしてならない。刃は、鶫にまんまと乗せられてしまった自分を恨めしく思うのだった。
ケーキの声が聞こえるのです・・・終わり