第十二話 悲しみも、苦しみも
決勝戦当日の夕方ごろ、入院中の胡桃が刃と病室で話をしていると、誰かが部屋の扉を叩いた。もう間もなく決勝戦が始まるので、刃はメンバー以外に誰が訪ねてくるのかと思いながら言った。
「どうぞ」
その女性が満面の笑みで入ってくると、刃は感動に胸を打たれ、胡桃は急激に機嫌を損ねる。
「ど、ど、どうしてエイミさんがこんな所に!?」
「お見舞いに来たのよ。胡桃さん、身体の具合はどう?」
「ふん、あなたなんかに心配されたくはありませんわ」
「胡桃ちゃん、そんな露骨に嫌わなくても……」
その時、胡桃の耳に今までに聞いた事のない歌声が聞こえてきた。
「はっ、この声は、何て美しいのでしょう!?」
胡桃はすぐにエイミが持っている箱の存在に気付いた。何せ声はそこから聞こえてくるのだ。
「その美しい包装と可愛らしいリボンで飾られた箱はもしや……」
「ああ、これね、銀座にあるアンリ・ロアーヌのケーキよ」
「やはりそうなのですね、何て素晴らしいのでしょう!!」
「胡桃ちゃん、急にどうしたの!?」
「アンリ・ロアーヌと言えば、長蛇の列が出来て何時間も並ばなければ買えないという伝説のケーキ屋さんなのですわ。わたくし、どうしてもここのケーキが食べたかったのですが、宇都宮から銀座まで行くわけにもいかず、何とか手に入れようとして権力を行使してまで裏工作をしましたけど、結局失敗してしまいましたの」
「ケーキの為にそこまでしたんだ、しかも失敗したんだ……」
「わたしは顔が利くから割と簡単に手に入るの。沢山買ってきたから、よかったら食べてね」
「ああ、もうお姉様と呼ばせて下さい!!」
「胡桃ちゃんの人生がケーキを中心に回っている事が良く分かるよ」
胡桃はエイミからケーキの箱を受け取ると、それに耳をつけて陶酔した。
「何て美しい声なのでしょう。まるでオペラを聴いているようなのですわ」
「何を聞いているの?」
「わたくしケーキの声が聞こえるのです」
刃は肝を冷やしながら胡桃の会話を聞いていた。すると、エイミは驚きもせずに言った。
「どんな声なの、教えてくれないかしら?」
「え!? 胡桃ちゃんの言う事にまともに取り合う人は初めて見ました…」
「スイーツの女王としては気になる所だわ」
「エイミさんまでケーキの声が聞こえるようになったら嫌ですよ僕は…」
「さすがにそこまでの才能はないと思うわ」
「才能ではなくて奇特な能力です……」
エイミは微笑を浮かべてから腕時計を見て言った。
「その話は後にして、そろそろ決勝が始まるわ。みんなで明凛館高校を応援しましょうね」
エイミがテレビを付けると、ちょうど試合が始まるところだった。
「ついに東の闘食最強チームを決定する戦いが始まる!! 王者イースト・イーターズの前に、無名のチームが立ちはだかる!! 準決勝での龍餓との戦いは素晴らしいものだった! 決勝戦も期待しているぞ、明凛館高校!!」
観客席から割れんばかりの歓声と七色の紙吹雪が飛ぶ。そんな中で二つのチームのメンバーは、それぞれ意中の相手との間に火花を散らしていた。
「ここで我々が独自に手に入れた情報を公開するぞ。龍餓との辛味勝負で驚くべき強さを見せた春園小桃は、香辛の女帝こと春園桜子の妹。そして、明凛館高校の大将、深山鶫は先代の闘食女王、深山瑠璃の妹だった!! これは何と因縁の深い対決なのだろうか!!?」
観客がさらに盛り上がる中で、沙耶子は鶫を見つめて嘲笑う。
「なるほどね、そういう事だったの。そう言えばあんな子いたような気がするわねぇ」
鶫は沙耶子を鋭い目で見返す。すると沙耶子は、目の前の少女が深山瑠璃であるような気がして楽しくなってきた。
各チーム共に、一旦ベンチに入り、試合が始まるまで暫しの休憩となる。その時に、彩が明凛館高校のベンチに入って来る。林檎は立ち上がって言った。
「何しに来た」
「一応知り合いだから、挨拶に来てやったよ。久しぶりだね」
「こいつ何言ってんだ? 昨日会ったばかりじゃないか。あ、そうか、若ボケだな。可愛そうな奴だ」
「んなわけあるかーっ!! あんたじゃない、そっちの子に言ってんの!」
彩は鶫を指して言った。
「何だ、知り合いだったのか?」
「去年のジュニアフードカップ関東大会の決勝で、彼女と戦ったわ。結果は負けだったけれど」
「負けだって? あんたのそういう空かしたところは嫌いだね」
「わたしを倒したから、貴方は全国大会で優勝したのでしょう」
「…まあいいさ。そんな事を言いに来たんじゃない。あんたが沙耶姉さんを倒す為にここまで来たことは知ってる。けど、あんたじゃあの人は倒せない、諦めるんだね」
「わたしは、いいえ、わたし達は勝つためにここまで来た。貴方の言う通り、わたしだけの力では沙耶子には勝てない。けれど、チームの力を合わせれば、不可能を可能にする事が出来るわ」
「ふん、せいぜい頑張りなさい」
彩は悪態をついて明凛館高校の陣地から離れていった。
試合が始まる前に鶫は林檎と小桃に言った。
「二人共、頼みがあるわ」
「改まってどうしたんだ?」
「何でも言ってよ」
「1ポイントでもいいからもぎ取って欲しい。そんな事が簡単に出来る相手でない事は分かっている。それでもあえてお願いするわ。沙耶子を倒す為には、どうしても先制点が必要なの」
「小桃はともかく、この林檎様にまかせておけ!」
「酷いよ! わたしだって頑張るよ!」
「ありがとう、あなたたちを信じているわ」
林檎と小桃は黙って頷き、そしてMCの声がドーム中に響いた。
「さあ、いよいよ先鋒戦が始まる! 高校生最強の称号を持つ楠木彩は、中高生を対象にした全国ジュニアフードカップで強豪の関西勢を次々と倒し優勝した記憶は新しい! 一方、彗星のように現れたルーキー、紅野林檎は今までの闘食でその実力は証明済みだ! この戦い、どうなるのかまったく予想がつかない!! 歴史に残る闘食になる事だけは確かだろう!!」
それぞれの選手が前に出てくる。彩と林檎は同時にテーブルの前に座った。
「いよう、約束通り来てやったぞ」
「うん? あんたと約束なんてしたっけ?」
「小桃が途中で邪魔したから微妙なところだけどな……」
「一つだけ言っておくけどさ、あんたじゃわたしには絶対に勝てないよ。食べ物への渇望が全然違うからね」
「お前の方が、今までに色々なものを乗り越えてきている。前の試合でそれが良く分かった。実力でも、お前の方が一歩上だろう」
「おや、素直に認めちゃうんだ」
「けどな、あたしには仲間がいる。仲間の為に戦うのなら、あたしは負けない」
「仲間ね……」
そこで勝負料理の大盛りクリーム白玉餡蜜が出て来た。そしてカウントタウンと一緒に観客席からも声が上った。
『5、4、3、2、1、REDY、GO!!』
彩と林檎は同時にスプーンを取って、互いに凄まじい勢いで餡蜜を食べ始めた。そして、すぐに二人同時に空になったガラスの器を横に放り出す。
「二人共凄まじい速さで食べている! これはスピードが明暗を分ける勝負になるか!?」
MCの声を聞いて、林檎はそれを心の内で否定した。
――勝敗を分けるのはスピードじゃない、あたしと彩の持っている力はほとんど互角だ、勝利は限界を超えた先にある!
二人はペース配分などまったく考えない速さで、ほとんど同時に食べていく。そして、七杯目に突入する前に、彩が立ち上がった。
「くーっ、燃えてきたーっ!!」
彩がジャケットを脱ぎ捨て、上半身チューブトップのみのセクシーな姿になると、ファンは大いに盛り上がった。
「これからが本番だよ!」
「来るか!」
二人は更にペースアップして、七杯目、八杯目と同時に完食していく。そして、十五分で大盛りクリーム白玉餡蜜を二人同時に十一杯完食という離れ業を見せる。しかし、そこで二人同時に動きが止まり、彩は椅子の背もたれに寄りかかって全身の力を抜き、林檎はテーブルの上につっぷした。
「さすがに、きつい……」
「うう…ここまでついてくるなんて……」
「おおっと、どうした二人共!? まったく動かないぞ、もう限界なのか!?」
MCが言うと観客席からもどよめきが起こる。そのまま刻々と時間は過ぎていった。
「試合終了四分前、どうやらこのまま引き分けで試合は終わりそうです」
液晶スクリーンのカウントダウンが四分を切り、沈黙の中で異様なほどに緊張が高まる。両チームの面々はこのまま二人が終わるなどと露ほども思っていない。観客も何かが起こる事を予感していた。そして、試合終了三分前となったその刹那のこと。
「勝負をかけるなら今だ!!」
林檎は目の前に餡蜜を手にとって持ち上げる。彩の方もまったく同時に動いていた。
「考えている事は同じか!!」
「これからが本当の勝負だ!!」
まるで今試合が始まったかのように、二人は猛烈な攻勢をかける。十二杯目を一分も掛からずに完食し、続く十三杯目、流石に二人共本当の限界が近づいていた。それでも彩は少しずつ白玉や寒天を口に運んでいた。林檎の方は苦しそうに両目を閉じて動けないでいる。時間は残り二分を切った。
「……鶫、見てろよ、必ず約束は守ってやるからな」
林檎が言った。次の瞬間、彩の目の前で信じられない光景が展開される。林檎が次々と餡蜜を口に運び始めた。今にも死にそうな顔をしながらも、その勢いは衰えない。
「そんな、嘘だ、もう限界のはずなのに!?」
彩は高校生最強の誇りにかけて、林檎の後を追った。
「ちくしょう、負けるもんか!!」
林檎は残り時間三十秒で十三杯目を完食した。
「ぐあ、これ、まじで、死ぬ……」
林檎が苦しそうに片目を閉じて彩の方を見ると、相手の餡蜜の量が半分ほどまで減っていた。
「追いつかれるのか……」
残り時間二十秒を切った時、彩の瞳から涙が溢れた。それは悔し涙とは何処か違う、もっともっと深い場所から流れ出てきたものだった。
「負けるはずない! わたしが負けるはずないんだ! だって、わたしは……」
彩の思考が暗転する。彼女は幼少期に戻り、目の前で自分に呪詛を叩きつける母を見た。口汚い罵りは聞くに堪えないもので、小さな子供にはあまりにも辛辣だった。そして彩の母は、押入れの戸を閉めた。真っ暗闇の中で、彩は押入れの戸に板を打つ音を聞いた。どうしてこんな目に合わされるのか、意味が分からなかった。
「……暗いよ、おなか空いたよ」
「何だって?」
林檎は彩のことを見てぎょっとした。彩は俯き加減で異様な笑みを浮かべていたのだ。
「お前……」
残り時間が十五秒になる。土壇場で、彩は猛然と残りの餡蜜を食べだした。今までの苦しみ方からすると、とても考えられない勢いで、その姿はまるで地獄に住む餓鬼のように異様だった。それを目の当たりにした桜子は慌てた。
「彩が暴走した!? ここのところ、なりを潜めていたのに!!」
桜子がベンチから出て行こうとすると、沙耶子がその腕を掴んだ。
「何をするの!?」
「止める必要はないわ。あの子だって、あのまま負けたくはないでしょ」
「放して! あの状態になった彩は、歯止めが利かないのよ! 下手をしたら死ぬわ!!」
「負けるくらいなら、死んでしまえばいい」
「沙耶子!!!」
桜子が平手を振り上げたその時に、試合終了のブザーが鳴った。桜子は沙耶子の手を振り払い、試合場の方へ走っていく。
林檎は目を見開き、俯いて異様なうめき声を上げている彩を見つめていた。彩の前には空になった十三杯目の餡蜜の器があった。時間切れと同時に、彩は林檎に追いついていた。
「くそ……」
桜子が走ってきて、ぐったりしている彩を抱き起こす。
「彩、大丈夫!?」
「ああ、何とか……」
「そいつに何が起こったんだ?」
「彩は、追い詰められると過去の記憶がフラッシュバックして、暴走してしまう事があるのよ。あなたは彩にとって、それだけの強敵だったということね」
彩は疲弊しきって半分死んだような目で、林檎の事を見た。
「昔の事を思い出すのは嫌だ。でも、そのお蔭であんたに負けずに済んだ」
林檎は悔しそうに歯を食いしばり、仲間のいるベンチに戻っていった。
「すまん鶫、約束を守れなかった……」
「いいえ、そんな事はないわ。むしろ点を取られていてもおかしくない試合だった。これは勝利に繋がる引き分けよ」
「鶫、ありがとうな。後は小桃に任せるぞ」
「うん、みんなの期待に答えて見せるよ」
それから林檎は、酷く苦しそうな顔でベンチの椅子に座って言った。
「まじできつい…己の限界を知ったな……」
「林檎ちゃんが今限界を知った事に驚きだね~」
「まぁな……」
小桃のとぼけた突っ込みに、苦笑いを浮かべる林檎であった。
ここで液晶スクリーンのポイント表に、明凛館高校に13ポイント、イースト・イーターズに13ポイントが入った。
「よ~し、頑張るぞ~」
小桃は気合の入らない間延びした声を出して右手を突き上げた。それを見ていた林檎は、どうしても心配になってしまう。
「何と先鋒戦は凄まじいデッドヒートの末、引き分けと相成りました! 凄い展開になってきたぞ!! 続く中堅戦、注目の好カード、春園桜子対春園小桃の姉妹対決だ!! 品目は超有名店の夕から提供の特製激辛味噌ラーメン!!」
両陣営から小桃と桜子が出ていく。林檎はベンチに座り苦しいお腹を押さえながら鶫に言った。
「あの二人の前では辛さと熱さは問題じない」
「そうね、勝敗を分けるとしたら、それは闘食家としての純粋な力よ」
桜子と小桃が歩いてきて向かい合う。
「あなたが闘食に身を投じるなんてね、驚きだわ」
「お姉ちゃん、ずっと聞きたかった。何でピアニストを止めてまで闘食家になったの? みんな期待してたのに、喜んでたのに、それなのに何も言わないでいきなり闘食家なんて……」
「わたしはね、沙耶子の闘食を見て心が震えたのよ。そして分かったわ、これがわたしの行くべき道なんだってね。目の前にあるものを食い尽くし、そして目の前の敵を倒す。わたしの中には沙耶子と同じ様に獣がいる。ピアニストなんてやってらんないわよ」
「じゃあ、お母さんの気持ちはどうなるの!!? ずっと小さい頃から一生懸命ピアノを教えて、お姉ちゃんがピアニストになった時は誰よりも喜んでたんだよ!! お姉ちゃんがこんなになって、お母さんは泣いたんだよ……」
「…知っていたわ。あんたはそれが一番許せないのよね。自分の事はいい加減な癖に、他人の為には馬鹿みたいに怒ったり悲しんだりする、相変わらずね。あんたがここに立っているのも、どうせ誰かの為なんでしょう」
桜子は下らないと言うような目で妹を見下ろした。
「わたしはわたしの為に生きる。わたしが選ぶ人生よ、誰にも文句なんて言わせない。母さんには悪いとは思っているけど、ピアノは無駄にはなっていないわよ。おかげで闘食のリズムを悟る事が出来たわ」
それを聞いた小桃の中に怒りの炎が燃え上がる。母が懸命に教えたピアノを侮辱する事だけは許せなかった。しかし、小桃はぐっと拳を握って気持ちを抑えた。
「言いたい事は沢山あるけど、今はただ、友達の為にお姉ちゃんと戦う!!」
小桃の強い意志と言葉が桜子の胸を貫く。こういう時の小桃が一番恐ろしいと、桜子は良く知っていた。
「面白いわ。ならば、この香辛の女帝を倒してみなさい!!」
桜子は目の前のテーブルを思い切り叩いて言った。それから二人は同時にテーブルの前に座り、指を叩いてリズムを取り始める。テーブルに真っ赤な汁のラーメンが運ばれてきて、そこでカウントダウンが入った。観客席からも声が上る。
『5、4、3、2、1、REDY、GO!!』
二人は同時に割り箸を取って食べ始めた。二人共同じ様に踵で床を打ってリズムを取りながら、流れるように麺を啜る。桜子はすぐに妹のリズムを掴む為に、前の様子を見た。
――やはり、こちらの事をまったく意識していない。こんな闘食をされたら、大抵の闘食家は心が折れてしまうわね。
桜子は当然、妹の小桃がどんな闘食をするのかを知っていた。食べることに集中すると、他のことがまったく気にならなくなる。小桃はずっと小さい頃からそうだったのだ。
――小桃のリズムを掴んでしまえばそれまでよ。後はそれを凌駕する速さのリズムを作るだけ。
一方、小桃は闘食が始まった瞬間からトランスしていた。自分と目の前のラーメンだけが、小桃の世界だった。
――このラーメンすごく美味しい!? けど、味わってる暇なんてないんだった。今は無理してでも早く沢山食べられるリズムだよ。そう、鶫ちゃんの期待に応える事が出来るリズムは、これだ!
小桃の足踏みが格段に早くなると、ラーメンを食べる速度も上った。桜子の方が自然とそれについていくような形になった。その時になって、桜子は焦り始めた。
――小桃のリズムが掴めない!? こんな事、初めてだわ!?
小桃が早くも三杯目のラーメンを完食する。桜子はそれに少しだけ遅れて三つ目の丼を置いた。小桃のリズムが掴みたくても掴めない、その焦りが小桃と桜子の差を広げていた。その様子を見ていた沙耶子は言った。
「闘食に迷いがあるわ。あんな桜子は見た事がないわね」
「小桃って本当にすごいんだ……」
桜子が四杯目を完食したとき、もう小桃は五杯目を食べていた。その時になって、桜子は自分の犯していたミスに気付いた。
――そうか、そういう事か、わたしとした事が……。
そして五杯目から、桜子は自分の闘食だけに集中した。小桃のことは気にせずに、自分が持てる力を最大限に発揮できるリズムに変える。
「おおっと、なんと言う事だ!? 小桃の方ラーメン半杯程リードしてきているぞ!? 辛味料理で香辛の女帝の先を行くとは、天才少女闘食家の登場だ!!」
MCに呼応して、観客がこぞって小桃の応援を始める。だが、このまま終わる桜子ではなかった。
「あっと、桜子が追い上げている!! 少しずつ差を縮めてきているぞ!! これぞ、香辛の女帝!」
残り時間五分のところで、桜子と小桃は七杯目のラーメンを完食した。この時、桜子の方が僅かに先行していた。
「まずい、桜子は残り五分でポイントをもぎ取れるような相手じゃないぞ」
ベンチから試合を見ている林檎の表情が険しくなる。鶫は黙って試合の推移を見守っている。その瞳には、どこまでも仲間を信じぬく純粋な輝きがあった。
小桃の闘食は、常に自分との戦いとなる。故に小桃は思った。
―まだいけるよ。わたしはまだ全力を出していない。林檎ちゃんや、前の試合の福島の女の子達みたいに、死ぬ気で頑張らなきゃ、そうでなきゃ、鶫ちゃんに答えられない!
「小桃のペースが飛躍的に上った!? この熱くて辛いラーメンを、これ以上早く食べられると言うのか!!?」
MCに続いて、観客達も驚愕する。先鋒に続き、中堅戦でも接戦が繰り広げられた。
二人のテーブルにさらに丼が積み重ねられ、やがて二〇分が経って試合終了のブザーが鳴った。それを聞いた小桃は驚いて身体をびくつかせ、自分の世界から抜け出して辺りの様子が見えるようになった。
「う~っ、お腹が苦しいよぉ……」
小桃の口からそんな間の抜けた言葉が出てくる。前にいる桜子の方は、神妙な顔をして下を向いていた。
「あ、そうだ、試合はどうなって……」
「あなたの勝ちよ。見事だったわ、小桃」
小桃の顔が明るくなる。小桃は九杯、桜子は八杯のラーメンを完食したが、桜子の九杯目の丼の中身には、一口か二口分の麺が残っているに過ぎなかった。本当にぎりぎりのところで、小桃が1ポイントをもぎ取っていた。
「わたし、勝ったんだね」
「他人の為に何かをする人って強いものなのね。だからあんたが勝ったんだと思う。それが幸せになる為の、一番の近道なのかもね。わたしには真似出来ないけど」
「お姉ちゃん……」
桜子は微笑を残してベンチの方に去っていった。それは小桃が良く知っている愛情のこもった姉の笑顔だった。
現在のポイントは、明凛館高校が22ポイント、イースト・イーターズが21ポイントとなった。
「香辛の女帝が負けたーっ!? 明凛館高校、中堅戦で1ポイントを奪取したぞ!? これは快挙中の快挙だ!! しかし最後に残された大将戦では、女王沙耶子が出てくる!! 女王の前では1ポイントなど無きにも等しいぞ!! 先代の闘食女王を彷彿とさせる深山鶫は、どう対抗するのだろうか!? いよいよ因縁の対決が始まる!!!」
小桃が戻ってくると、鶫は小桃と抱き合い、林檎が親指を立てて見せた。
「ナイス闘食だったぞ!」
「うん、お腹がちょっと苦しいけどね」
「ちょっとかよ、あたしなんてもう死にそうなのに……」
「二人とも、もう言う事はないわ。林檎と小桃がここまで頑張ってくれた、勝たなければ嘘よ」
反対側のベンチにも、桜子が戻ったところだった。
「言い訳はしないわ。完全にわたしの戦略ミスよ」
「あんたは妹のリズムを取ろうとしたけど、妹の力は桜子と同等かそれ以上だった。リズムなんて掴めるわけなかったのよ」
「流石は沙耶子ね、その通りよ。わたしは最初から全力を出し切って闘うべきだった。そうすれば、少なくとも引き分けには持っていけたわ」
「まあ、いいんじゃないの。これくらいの方が燃えるわ」
「沙耶子、油断しては駄目よ。あの鶫って子が深山瑠璃の闘食を踏襲しているとすれば…」
桜子が言いかけた時、いきなり沙耶子が手を伸ばして桜子の首を掴んだ。
「敗者がのたまうな! わたしに指図など必要ない!」
沙耶子が手に力を入れると、桜子は息が止められて顔を歪める。驚いて呆然としていた彩が、立ち上がって沙耶子の腕を掴んだ。
「止めてよ沙耶姉さん!? こんなの駄目だよ!!」
沙耶子が手を離すと、桜子は特に気にした様子もなく首をなでた。
「あんたの性格を忘れていたわ」
「敗者はわたしの闘食をここで見ていなさい」
沙耶子が出て行くと、桜子は言った。
「この状況はあまり良くないのよね」
明凛館高校のベンチでは、目を閉じた鶫が手を合わせて深呼吸をしていた。
「出たな、闘食呼吸法」
「鶫ちゃん、何してるの?」
「あたしとの闘食で見せた技だ。新陳代謝を活発にする中国拳法の呼吸法らしい」
「よく分からないけど、深呼吸で強くなるんだね」
「まあ、そんなところか…」
試合開始直前で、鶫が目を開けて立ち上がる。
「行ってくるわ」
「後は任せた!」
「頑張れ鶫ちゃん!」
それから鶫と沙耶子が同時にテーブルの前に座り、睨み合って火花を散らす。
「深山瑠璃の妹がわたしを倒しに来るなんて、面白いサプライズね」
「あなたはあの時、唐突にやってきた。姉さんはベストの状態ではなかったわ」
「だから負けたと言いたいの? そんな下らない事を言いにきたわけ?」
「わたしがここに来たのは、深山瑠璃と華喰沙耶子の闘食はまったく違うという事を教える為よ」
「そんな事、教える間もなく潰してあげるわよ。姉と同じ様にね!!」
沙耶子は凄まじい覇気を発するが、鶫はそれには飲まれず澄ましていた。そこへ対決の料理が運ばれてきてテーブルの上に置かれる。それを見た鶫は、同時に忌まわしい記憶を呼び起こされて息を飲んだ。
「これは、焼き鳥丼……」
「あらぁ、奇遇ねぇ。あなたのお姉さんを倒した時と同じメニューが出てくるなんて」
「わざとらしいわね。あなたの差し金でしょう」
「せめてもの慈悲よ。この料理で負けるなら本望でしょ」
いよいよ試合の時間が近づき、観客は怒号のように沸きあがり、沙耶子コールが起こる。その後に観客席に向かってMCが叫んだ。
「恒例のカウントダウン!!!」
『5、4、3、2、1、REDY、GO!!』
沙耶子は救い上げるように焼き鳥丼を取って、恐ろしい速さで食べ始めた。鶫は常に相手の様子を伺いながら食べていた。沙耶子は一分足らずで一杯目を食べ終えて、テーブルが震えるくらい強烈に丼を叩きつけた。続く二杯目、沙耶子が食べている姿を見ているだけでも、その強烈な存在感によって熱風が吹き付けてくるような感覚を受けて、鶫は思わず目を細めた。
沙耶子が早くも杯目を完食し、丼を重ねる音が木霊する。その時、彼女の視界に鶫が丼を置く姿が目に入った。何と、鶫も二杯目を完食したところで、驚異的な速さの沙耶子にぴったりくっついてきていた。
「ほう」
感心したような声を出した沙耶子を、鶫は黙して見つめる。
「深山鶫、激烈な速さの女王にしかりついていっているぞ!? リードしている1ポイントを守りきろうという作戦か!?」
MCの声がドーム内に響いた。観客席はしんとして、誰もが観戦に集中していた。
両者が三杯目の焼き鳥丼に突入する。それを半分ほど食べたところで、沙耶子は相手の挙動に違和感を覚える。一方、鶫の方は沙耶子の動きを常に見ていた。
――みんなが取ってくれた1ポイントは活かしきって見せる!
そして二人同時に三杯目を完食。沙耶子が手を高く上げて四杯目の焼き鳥丼に箸を突き刺す。鶫も手を高く上げて四杯目の焼き鳥丼に箸を刺した。沙耶子はそれを見て眉を潜めた。それから二人同時に四杯目を食べ始める。沙耶子がもしやと思って不意に食べるのを止めると、鶫の動きも止まった。沙耶子が怪訝な顔をしながら一口食べる。すると、鶫もまったく同じタイミングで一口食べた。鶫が何をしているのか理解した沙耶子は激昂した。
「お前、何のつもりだ!!」
沙耶子が勢いを増して食べると、鶫は恐ろしいくらいの精密さで沙耶子と同じ動きをする。そして二人は四杯目の丼を同時に空にした。沙耶子は屈辱を感じて憎悪の深い目で前にいる小柄な少女を睨む。
ベンチで見ていた桜子は彩に言った。
「深山瑠璃もあれと同じ技を良く使っていたわ」
「あのまま時間切れまで頑張れば勝てるって事か。同じ位の力を持った闘食家が相手なら話は分かるけど、沙耶姉さん相手じゃ無理だよ」
「それはあの子だって分かっているわ。狙いはリードを守る事じゃない。あの子の狙いは……」
桜子が彩に言った時に、観客席が鶫の機械のように精密な闘食を称える歓声が巻き起こった。桜子の声はそれにかき消されたが、間近で聞いていた彩は信じられないという顔をしていた。
その時、顔を憎悪で歪めていた沙耶子は、急に笑みを浮かべて言った。
「面白い! どこまでついてくる事が出来るかしら!」
沙耶子は猛烈な勢いで食べ始めた。鶫もそれと同じペースで食べる。MCはあまりに凄まじい二人の闘食に唖然として言った。
「これは、ものすごい事になっている!? 二人共、なんと言う早さで食べるんだ!? 人間業じゃないといっても過言ではない!!!」
明凛館高校側のベンチでは、林檎と小桃が思わず立ち上がっていた。
「おい、あんな食い方したら、体がもたないぞ!」
「鶫ちゃん、頑張れ! 頑張れっ!」
二人は瞬く間に七杯目の焼き鳥丼までを完食した。その時点で残り時間は七分になり、鶫のペースが徐々に落ちてきた。そして、八杯目を半分ほど食べた時点で、鶫は丼を置いて苦しそうに目を閉じた。途端に沙耶子が高笑う。
「それで終わりなの? 大したことないわね!」
沙耶子はさらに食べるスピードを上げた。すると彩は、沙耶子の様子がいつもと違うので心配になった。
「何か、沙耶姉さん、変じゃない? いつもあんな滅茶苦茶な食べ方しないよね……?」
「沙耶子には一つだけ弱点があるのよ」
「沙耶姉さんに弱点!? 嘘でしょ!?」
「沙耶子に勝った経験がある闘食家じゃないと気付かない事よ」
「っていうと、桜子さんとエイミさんくらいだけど……」
「エイミも多分気付いているわ。この弱点は滅多なことでは露見しないんだけど、この闘食は最初から沙耶子にとっては最悪の条件よ」
その時、沙耶子が八杯目の焼き鳥丼を完食して会場を沸かせた。鶫は懸命に食べていたが、まだ八杯目を完食できていなかった。
「さあ、これで追いつくわよ!」
沙耶子はさらに速さを増して食べた。ここまでくると、もはや人間業ではない。沙耶子ならではの早食いだ。そして、鶫が八杯目を食べ終わるのと同時に、沙耶子は九杯目を完食して1ポイントの差を相殺する。この時点で残りは五分を切った。それぞれの前に新しい焼き鳥丼が出てくる。
「これで逆転よ! これから地獄を味あわせてあげるわ!」
「いいえ、まだよ」
林檎と小桃の限界を超えた闘食を思い出す。鶫の胸に勝利への執念が燃え上がった。その源泉は姉の仇を討つことではなく、仲間に答えたいという強い思いだった。
鶫が九杯目の焼き鳥丼を、まるで今闘食が始まったかのような勢いで食べだす。彼女もまた仲間達と同じ様に、限界に挑戦した。
「小賢しい!!」
沙耶子はさらに鶫を上回るスピードで食べていく。苦しげな鶫に対して、沙耶子の方はまだまだ余裕があるように見えた。
沙耶子が十杯目の丼を重ね、それに少し遅れて鶫は九杯目の丼を重ねた。続いて新しい焼き鳥丼が二人の前に出される。鶫は肩で息をしながら、それを少しずつ口に運び、水で流し込む。沙耶子はそれを見下して笑った。
「アッハハハハ!! 終わりだ! お前も姉と同じ様に、わたしの前にひれ伏せ!」
沙耶子に睨まれても、鶫は構わずに食べていた。ほんの少しずつだが、確実に焼き鳥丼の量を減らしている。そんな鶫の目を見て、沙耶子は眉を潜めた。
「こいつの目は、まるで…」
鶫の目は諦めていないどころか、勝機があるとでも言うように、強く輝いていた。
「馬鹿め、すぐに思い知らせてやる!!」
そして、沙耶子が十一杯目の焼き鳥丼を一口食べたその時だった。急に彼女の動きが止まった。
「な、なに、こ、これは……」
沙耶子は急に痛み出したわき腹を押さえ、顔は青ざめていく。その間に鶫は、片目を閉じて相当苦しそうな様子で、水と共に焼き鳥丼を少しずつ飲み込んでいた。
「どうしたんだ? 女王の様子がおかしいぞ!?」
MCが言うと多くの視線が沙耶子に集中した。沙耶子は焼き鳥丼を前にして、顔を歪めて苦しみを露にしていた。
「こんな、馬鹿な、この程度でどうして、こんな……」
どんどん時間は過ぎて、残り二分の時点で鶫は焼き鳥丼を四分の一ほど食べて、そこで限界に達して箸を置いた。沙耶子は言う事を聞いてくれない体を鞭打ち、丼を持って叫ぶ。
「わたしは女王よ!! 負けることなど、あってはならない!!」
「もう止めなさい、あんたの負けよ」
桜子が出てきて言うと、沙耶子はそれを殺したいような目で見た。
「うるさい、邪魔するな!! わたしは勝つ!!」
沙耶子が意地になって焼き鳥丼を食べて飲み込む。その瞬間に、彼女は目を大きく見開き、口を押さえて蹲った。
「う、ぐっ、くぅぅ……」
沙耶子が戻しそうになるのを何とか堪えて起き上がった時、試合終了を知らせるブザーが鳴った。沙耶子も、そして観客とMCも呆然としていた。その時に鶫が立ち上がってMCに言った。
「判定を」
「あ、ああ、はい! ただ今!」
MCが勝機に戻って沙耶子と鶫の丼の中身を確認する。
「これは、明らかに深山鶫の方が多く食べている!? 何と、女王沙耶子が敗れた!!? 信じられないことが起こった!! 闘食女王が負けたのです!!!」
観客席から戸惑うようなどよめきが起こり、それが次第に鶫を称える声に変わっていく。沙耶子はまだ信じられないという顔で立ち尽くしていた。
「そんな…どうして…」
「華喰沙耶子、あなたには決定的な弱点がある」
「何ですって!?」
「あなたは確かに強いけれど、常勝と言う訳ではないわ。エイミ・リファールや春園桜子には、それぞれの得意分野で稀に負けている。わたしはその時の闘食を徹底的に分析したわ。そして貴方が負ける時は必ず相手を追いかける闘食になっている事がわかった。つまり、貴方は強すぎるが為に、ほとんどが相手を出し抜く闘食になり、後を追う闘食には慣れていないのよ。仲間がもぎ取ってくれた先制点が、既に貴方に楔を打っていた。わたしはそれを最大限に生かすだけでよかった。あなたはわたしを出し抜こうとするあまり、無茶なペースで食べて自ら破綻したのよ」
「そ、そんな事が……」
「それだけではないわ。わたしはこの日の闘食に備えて、何ヶ月も前からコンディションを整えてきた。だから貴方のスピードにある程度ついて行くことが出来た」
鶫の徹底振りに沙耶子は絶句した。沙耶子にとってはとても考えの及ばない闘食だった。
「今のわたしは、あなたが倒した時の姉さんにまだまだ及ばないわ。それでも勝つことが出来たのは、対戦相手の徹底した分析と綿密な戦略、自らが持てる技、そして仲間の力、全てを最大限に活かす事が出来たからよ」
そして鶫は、沙耶子をまっすぐ指差して言った。
「これが、深山瑠璃の闘食よ!!」
沙耶子は鶫に槍で突き刺されでもしたような衝撃を受け、崩れ落ちて地面に両膝を付いた。そして、今まで味わったことのない敗北感に襲われ、止め処なく涙が溢れた。華喰沙耶子は深山鶫に負けると同時に、深山瑠璃にも負けたのだ。それを思い知らされた。
「決まったーーーっ!!! 東日本最強の闘食チームは、何と、無名の女子高生軍団、明凛館高校に決定した!!!」
MCが優勝を宣言すると、林檎と小桃が走ってきて鶫に抱きついた。
「やった~、すごいよ鶫ちゃん! 優勝だよ!」
「お前なら必ずやると思っていた」
「みんながいてくれたから、ここまで来ることが出来たのよ」
観客の声援の全てが明凛館高校に降り注いだ。そんな中を、沙耶子は桜子と彩に支えられて、子供のように泣きじゃくりながら退場していった。
止まぬ声援の中で、鶫は優勝したと言うのに、あまり浮かない顔をした。
「二人とも、本当にありがとう、お蔭で沙耶子を倒すことが出来たわ。これでお別れよ。チームも解散するわ」
「おいおい、いきなり何言い出すんだ」
「そうだよ、これで鶫ちゃんとお別れなんて嫌だよ!」
「わたしには、あなたたちの友達になる資格なんてないの……」
「どうしたの? 何をそんなに思いつめてるの?」
「わたしは人間嫌いなのよ。林檎に近づいたのも、小桃を引き止めたのも、ただ沙耶子を倒したかったから。馴れ合うつもりなんてなかった。みんなのことを、沙耶子を倒す為の駒くらいにしか考えていなかった。だから、わたしは……」
鶫が言うと、林檎は酷く呆れて、小桃は微笑した。
「変なところで不器用な奴だな。確かに最初はそうだんたんだろう。けど本当にお前がそう思っていたら、あたし達は力を合わせてここまで来ることは出来なかったさ。それに、お前があたしたちを信じていると言った時の目は、仲間を信じる目だった」
「鶫ちゃんは人間不信でずっとお友達がいなかったから、どうしていいのか分からないんだよ。鶫ちゃん、わたしたちはずっと前からもう友達だったんだよ。だから、そんな風に思いつめなくてもいいよ、安心して」
鶫は自分がチームメイトと、友達と言えるのだろうかと、今までずっと思い悩んでいた。それが払拭されたとき、鶫の瞳に自然に涙が溢れた。どうしても沙耶子を倒したいという思いから始まり、鶫は今こそ多くの仲間を得たのだと分かることが出来た。
「何で泣くんだよ、優勝してめでたいって言うのに」
「だって………」
「きっと、うれし泣きだよ」
そこにMCが来て、鶫達をステージに促した。観客も、テレビを見ていた刃や胡桃、エイミも、みんなが拍手を送っていた。
観客席の一角に深山瑠璃がいた。闘食杯が始まってから今までずっと、妹のことを見守っていたのだ。彼女はステージに上る鶫の事を見つめて言った。
「悲しみも、苦しみも、友情の前では色あせるものなのね」
瑠璃にとって、沙耶子との闘食で、鶫を苦しめ、人間不信にまでしてしまったことが何よりも辛かった。鶫はそれを自らの力で克服し、それは同時に瑠璃の闇をも払ってくれたのだ。瑠璃の瞳にも自然と涙が溢れた。
「よかった、本当によかった」
悲しみも、苦しみも・・・終わり