第十一話 とても言えない
「ルンルルル♪ ルンルー♪」
準決勝から一夜明けた中日、午前十時ちょうどに小桃はホテルのロビーに出てきて、上機嫌に歌を口ずさんでいた。そこに林檎が通りかかる。彼女はドーム周辺の出店で賞金稼ぎをしようと出て行くところだった。
「いよう、小桃、何だか嬉しそうだな」
「うふ、分かる? 実は昨日の夜に勇気を出して彩ちゃんに電話してみたの。そしたら、遊びに来ないかって言われちゃった。もしかしたらお友達になれるかも、そしたらシャメとかも一緒にとってもらったりして、あーっ! もうどうしよう!」
一人で盛り上がっている小桃を見て、林檎は唖然としていた。
「あのバカドルに会いに行くって、お前何を考えてるんだ? 明日には敵として戦う相手だぞ」
「そんな事どうでもいいよ。彩ちゃんに会えると思ったら、もう嬉しくて。あ、そうだ、色紙も忘れないようにしないと!」
「こいつ、どうでもいいと言い切ったぞ……」
林檎は少し考えてから、怪しげな笑いを浮かべる。舞い上がっていた小桃はそれには気付かず、時計の針を気にしていた。
「そろそろいいかな~」
「なぁ、小桃、あたしも連れてってくれ」
「へ? 林檎ちゃんって、彩ちゃんのこと嫌いじゃなかったの?」
「そんなことないさ。超有名人だからな。あたしもサインの一つでも欲しいと思ってな。他の奴らに自慢できるじゃん」
「うん、うん。その気持ちよく分かるよ。じゃあ、一緒に行こう」
―ふふ、単純な奴め。
林檎は心の中でほくそ笑んでいた。
彩の宿泊しているホテルも東京ドームの程近くにあった。林檎と小桃はそのホテルの前にくると遥か上まで聳える階上を見上げた。
「うお、でかい!? あたしたちのホテルなんて目じゃないでかさだな…」
「さすがに人気アイドルだから、待遇が違うね」
「むかつき度が増してきた」
「え?」
「なんでもない、行くぞ」
「彩ちゃんのお部屋は二十八階だよ」
「へぇ……」
そして高速エレベーターで二十八階へ。彩の部屋は2807号室だった。その部屋の前で小桃は携帯を取り出して電話をした。
「彩ちゃん、着いたよ」
『わかった、今空けるわ』
オートロックが外れる音がすると、小桃はノブを回して扉を開けた。中にいた彩は、星型のストラップの付いた携帯を机の上においてから小桃を出迎えてくれた
「おじゃましま~す」
「いらっしゃい。まぁ、適当に座ってよ」
「うわぁ、すごく広い!?」
「さすが、アイドル様の泊まるホテルは一味違うな」
「って、何であんたまで来た!?」
彩が後から入ってきた林檎を指差して言う。彩にとって林檎が現れるなど、あまりにも予想外だった。
「決まってるだろ、うちのメンバーをたぶらかそうとするバカドルの顔を見に来たんだ」
「そりゃどういう意味だ。あと、バカドル言うな!」
「林檎ちゃん、いきなり喧嘩腰!?」
林檎は不敵な笑みを浮かべながら、ベッドの上にあった大きな熊のぬいぐるみを持ち出して、それを弄りながら言った。
「小桃は騙されやすいからな。それを利用して明日の試合に勝とうなんて、せこいにも程がある」
「あんた何言ってんの!? わたしがそんな事するわけないでしょ!」
「そうだよ、彩ちゃんはそんな事するような人じゃないよ!」
「どうだかなー。試合直前に敵のメンバーと会うってどうよ」
「そ、それは、この子は桜子さんの妹だからさ、仲良くなれると思っただけなんだから……」
「なるほど、あの桜子って奴と共同の作戦ってわけか」
林檎は言いながら、熊のぬいぐるみに腹パンチを連発する。
「んなわけあるか! あと、わたしのぬいぐるみにボディーブローするな! あんたは嫌がらせに来たのか!?」
「見ていたら何となくむかついただけだ。おまえごとき(・・・)に、何でそんな嫌がらせしなきゃならないんだ」
「あったま来た…」
彩は完全にカチンときて立ち上がり、林檎から熊のぬいぐるみをもぎ取る。彼女はそれを机の上に置き、振り返って腕を組むと、林檎に向かって侮るような笑みを作った。
「ふん、あんたごとき(・・・)を相手にするのに、何でそんなに頭使わなきゃならないのよ。あー馬鹿らしい、被害妄想の激しい女っていやだわ」
「なんだとこら…」
林檎はこみ上げる怒りを何とか抑えて、引きつった顔に笑みを浮かべる。
「よく言うな。小桃がここに来た時点で、お前の思惑の半分は成功したようなもんだ」
「何だよその思惑って、言ってみろよ」
「小桃とお友達になって、明日は優勝しちゃおう作戦だ」
「何なんだよその作戦!? そんなのしらないよ!!」
「二人とも、もう止めようよ。喧嘩は良くないよぅ」
小桃が恐る恐る二人の間に介入すると、彩に睨まれて思わずびくついた。
「あんたは何でこんな奴を連れてきたの?」
「そ、それは、林檎ちゃんが…」
「馬鹿め! 小桃はこう見えても策士なんだぞ!」
林檎は小桃の声を完全に遮って言った。彩は意味が分からずに怪訝な顔をする。
「小桃の方からお前の陰謀を暴いてやろうと言ってきたのさ。あたしたちは作戦を練ってここに来たわけだ」
「何言ってるの林檎ちゃん!!?」
彩の突き刺さるような鋭い視線が再び小桃を捕える。小桃は本物の刃物を突きつけられたような恐怖を覚えて言葉も出なくなった。彩はしばらく小桃を見つめてから言った。
「それはさすがに嘘だと分かるわ。この子の頭は完全に春だもの」
「チッ、小桃のふわふわオーラの前では騙しきれないか」
「誤解されないのは良かったけど、何か嬉しいような悲しいような……」
そこで林檎は力強く彩を指差した。
「とにかく、お前に小桃は渡さん。変なことしようったって、そうはいかないぞ」
「変なことって何だよ!? 誤解を招くようなことを言うな!」
「林檎ちゃん、もうやめてよぉ」
「お前の方こそ、明日闘う敵と友達になろうとするな。過ちに気づけ」
「何でいけないの!? 明日の敵は今日の友って言うじゃない!」
「待て、それを言うなら昨日の敵だよ」
彩の突っ込みに小桃は一瞬考えてから首を傾げた。
「……あれ?」
「流石は小桃だ、国宝級のボケだな」
「思いっきり力込めて言ってたわね。いいもん聞かせてもらったわ」
「やめてやめて! そんな事で感動されても嬉しくないぃっ!」
小桃のボケで一瞬和やかな雰囲気が漂うが、林檎と彩の目が合った瞬間に、再び殺伐とした空気が惹起する。
「あんた邪魔だから出てってよ」
「おやおや、ついに本性を現したな。あたしを追い出して、小桃にあんな事やこんな事をするつもりなんだ」
「いい加減にしないと殴るわよ!!」
小桃は林檎の言葉からインスピレーションを得て、リアルに状況を想像して、茹蛸のように顔を紅潮させていた。
「あんな事や、こんな事……はうぅ…」
「あんたも顔を赤らめていらん想像をするな!!」
「まったく、よくお前みたいながさつな女がアイドルなんかになれたな。どうやってここまでのし上がって来たんだ」
「うっさいわね、あんたには関係ないでしょ」
「どうせ事務所の社長の前でパンティ脱いだりしたんだろ」
「り、り、林檎ちゃん、なんて事を!!?」
その瞬間、殺意にも似た凄まじい怒りが彩を包み込んだ。小桃と林檎の目に、燃え上がる赤炎が目に見えると錯覚させるくらいに凄まじいものだった。
「お前、いい加減に、出ていけーーーーーっ!!!」
彩の怒声に叩き出されるように、林檎と小桃は2807号室の外に飛び出した。
「もしかして、当たっちゃったのか、ピンポイントか?」
「そんな事あるわけないよ! 絶対にないよ! 彩ちゃんは絶対に絶対に、そんな事しないよ!!」
「小桃、わかったから泣くな」
それから小桃はホテルの廊下ですっかり意気消沈して呆然となってしまった。林檎はそれに向かって親指を立てて言った。
「彩の奴に多大な精神ダメージを与えたぞ。やったな、小桃」
「なに親指立ててるの!? 全然やってないよ!! 林檎ちゃんのせいで滅茶苦茶だよ!!」
「まあ、そう怒るな」
「怒るよ! 彩ちゃんとお友達になれそうだったのに、林檎ちゃんのバカバカバカーッ!」
「もうあいつの事は諦めろ」
「あうぅ、諦めきれない……」
「言っておくが、彩はあたしに対して出て行けと言ったのであって、お前まで出いく必要はなかったんだぞ」
「あう、そうだったんだ……」
「今更戻れる雰囲気でもないな、帰るぞ」
「あうぅ……」
さっさとエレベーターに向かう林檎の後を、小桃は今にも倒れそうな足取りで付いていった。
彩は林檎たちが出て行った後、二十八階の窓辺からの景色を見下ろしながら言った。
「まったく、嫌なこと思い出させやがって……」
彩の中で燃え上がっていた林檎に対する怒りは、すぐに別の感情によって消火されていく。
「明日の敵は今日の友か……ぷっ、まじ笑える」
小桃は自分のホテルに戻るといじけてベッドの中に潜り込んでしまった。一人静かに本を読んでいた鶫は、すぐにそれを見止めて、もの問いたげに林檎を見つめる。
「実はこういう事があってな」
林檎は包み隠さず、さっき彩とやりあった状況を話した。鶫は全てを聞き終えるまで、黙って耳を傾けていた。林檎の話が終わると、鶫は言った。
「林檎の言う事が正しいわ」
「うう、酷いよ、鶫ちゃんまで一緒になって……」
小桃が布団の中から顔を出して悲しそうな顔をすると、鶫はそれを諭すように話し始めた。
「小桃は友達をとても大切にしているでしょう」
「うん…」
「そんなあなたが、友達を敵に回して、本気で闘うことが出来るの?」
「あ、それは……」
「出来ないでしょう。だから林檎は、あなたの不興を買ってまで邪魔をしたのよ。今あなたが楠木彩と友達になってしまうと、明日の戦いではそれが枷になってしまう。それに対して楠木彩の方は友達だからと言って遠慮するような性質ではないわ。戦いになれば誰であろうと全力で叩き潰しにくる」
「うう、ごめんなさい、わたしよく考えもせずに……」
「彼女と友達になるのは、決勝が終わってからでも遅くはないわ」
「うん、そうだね」
小桃は元気を取り戻して布団から出てくると、ベッドの上に座って林檎に言った。
「林檎ちゃん、ごめんね。わたしの為にあんな事をしていたんだね。わたし鈍感だから、全然気付けなくて」
「いや、気にするな。分かってくれればいいのさ」
林檎は純真な小桃の姿が眩しくなって、少しだけ目を逸らして思った。
――鶫がうまくまとめてくれたが、彩をからかってみたかっただけだなーんて、とても言えない。