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断罪される悪役令嬢を救いに来た第五王子です。推しと結婚は解釈違いだろうが!!

作者: くみの
掲載日:2026/10/13

アルヴェール王立学園の正門をくぐった瞬間、俺は足を止めた。


 いや、自分の意思で止まったのではない。目の前の光景に、止められたのだ。


 正面玄関へ続く大階段。その踊り場に、見覚えのありすぎる面々が勢揃いしていた。


 中央には、金の髪に青い瞳の王太子、ヴィクトル。隣には、蜂蜜色の髪を揺らして小首をかしげる少女、アリシア。その後ろに、宰相の息子、騎士団長の息子、魔術塔の天才児が、それぞれ絶妙な角度で控えている。ステンドグラス越しの光まで、いい仕事をしていた。


 ……知っている。俺はこの構図を知っている。


 箱の表だ。前世で何度も眺めた、あのパッケージイラストだ。


 そして、いちばん端。一人だけ半歩離れた位置に、背筋をまっすぐ伸ばして立つ令嬢がいた。


 波打つ銀の髪。凛とした紫の瞳。扇を持つ指先の角度まで、完璧。


 セレスティーヌ・ド・ラフォルジュ。


 俺の、前世からの最推し。


「悔しいが、パケ絵通りだ。生で見れた……ありがたい」


「殿下? 今、何かおっしゃいましたか?」


 隣にいた案内役の教師が、不安そうに振り向いた。


「いえ。晴れた空に感謝していただけです」


 我ながら、王族として百点の返しだった。内心は、それどころではないが。


 落ち着け。俺は他国の第五王子、フィンドリー。ここへは外交的な意味での留学に来た、ことになっている。本当の目的は一つだけ。


 卒業パーティーで断罪されるあの人を、助けること。


 階段の上から、セレスティーヌが静かに一礼した。


「ようこそ、アルヴェール王立学園へ。生徒会で風紀を預かっております、セレスティーヌ・ド・ラフォルジュと申します。フィンドリー殿下」


 声だ。


 声が、生で、耳に届いている。


 ゲームではフルボイスだった。けれど、こちらは録音ではない。空気を震わせて、俺の鼓膜に直接来ている。


「ご丁寧に、感謝します。フィンドリーです。どうぞ、よろしくお願いします」


 にこやかに返した。笑顔は崩れていないはずだ。


 内心? 内心は、花火大会だった。


 * * *


 留学から三ヶ月がたつ頃には、俺にも学園に友人ができていた。


「フィン、また見てるのか」


 昼の食堂。窓際の席で、ロイドが呆れ顔でスープをすくった。


 ロイドは伯爵家の三男で、三人の中では一番の常識人だ。眼鏡の位置を直す仕草が、いちいち保護者っぽい。


「見ていない。観察しているだけだ」


「同じだろ」


「全然違う」


 俺の視線の先には、食堂の入り口でトレーを抱えた下級生をさりげなく避けさせ、ぶつかりかけた椅子の脚を直して通り過ぎるセレスティーヌがいた。


「見たか今の。あの人は、誰にも気づかれないように事故を一つ防いだぞ」


「見た。お前が熱心に見てるのも見た」


「歩き方がいい。靴音が一定なんだ。三歳の頃から姿勢を直され続けた人間の歩き方だ。でも本人は、それを誇ったりしない。当たり前のことだと思ってるんだ」


「歩き方の話から入るなよ」


 向かいで、バルトがパンを三つ重ねたまま顔を上げた。


「俺は昼飯の話がしたい」


「あとでする」


「あとだとスープが冷める」


 バルトは侯爵家の次男で、食べ物の話題になると、どんな話でも自分の側へ引っ張る才能がある。今日のパンも、すでに二つ目だった。


「それよりさ」


 三人目、ノエルが身を乗り出した。


 ノエルは子爵家の長男で、妙に人の恋愛事情に詳しい。本人いわく、人間観察の成果らしいが、俺に言わせれば、単に他人の色恋沙汰が好きなだけだ。


  ずっとにやにやしているのは、こいつだけだ。


「お前、ラフォルジュ嬢の話をするとき、声が違うって自覚ある?」


「声?」


「三段くらい上がる。それに、目が潤む」


「気のせいだ」


「気のせいじゃない。恋だろ、それ」


 ……ああ、またその話か。


「違う」


 俺はきっぱり言った。


「推しだ」


「おし」


「推しと恋は別物だ。推しは、幸せを願う存在だ。遠くから、静かに、見守る。それが推し活だ」


「で、結婚したいのか?」


「解釈違いだ」


 即答だった。


「俺があの人の隣に立つ? ありえない。壁になりたい。柱でもいい。いや、床だ。あの人の歩く廊下の床になりたい」


「床は違うだろ」


 ロイドが額を押さえた。


「床にしか見えない時点で、お前はもう手遅れなんだよ」


「手遅れとは何だ。俺は正常だ」


「お前の正常は、周りの異常だ」


 バルトが三つ目のパンに手を伸ばしながら、ぼそっと言った。


「でも、今日の肉団子は正常にうまいぞ」


「だから昼飯の話は、あとでって言っただろ!」


 ……まあ、友人たちの反応は、予想どおりだ。恋じゃない。何度言っても通じないのは、少し困る。


 そこへ、ノエルが小声で付け足した。


「あと、ラフォルジュ嬢のこと、周りの女子もよく言ってるぞ。『留学してきた王子様は、あの方に夢中だ』って」


「なんでだ!?」


「だから、そう見えるんだよ!」


 * * *


 俺は、手帳を開いた。


 前世のゲーム知識を、記憶が薄れる前に書き留めておいたものだ。そのなかの一ページに、赤線を引いてある。


 旧回廊イベント。


 ゲームでは、立入禁止の旧回廊に入ろうとしたアリシアを、セレスティーヌが厳しい言葉で追い返す。涙ぐむアリシア。通りかかったヴィクトル。「彼女に何を言った」。そうして、悪役令嬢の悪評が一つ積み上がる。


 日付は、来週のはずだった。


「はずだった」のだ。


 図書館で資料を読んでいると、廊下をバルトが駆けてきた。パンを持っていない。それだけで、異常事態だとわかった。


「フィン、大変だ! 旧回廊で、ラフォルジュ嬢と例の下級生が揉めてる!」


「今日か!?」


 日付が、一週間早い。


 ゲームの暦と、現実の暦はずれていた。そもそも、現実は、俺が知っているゲームの通りには進まない。当たり前のことを、今さら思い知らされた。


 走った。王族としての品位とか、ちょっとだけ捨てた。


 旧回廊には、すでに人だかりができていた。立入禁止の縄の手前に、セレスティーヌ。縄の向こう側には、今にも泣き出しそうなアリシア。その横に、駆けつけたヴィクトルがいる。


「規則を守れない方に、通行を許す道理はありません。お戻りなさい」


 セレスティーヌの声は、いつも通り、澄んで冷ややかだった。


 ……あ、このセリフだ。


 ゲームでは、ここだけが切り取られていた。前後の事情は何も語られないまま、「冷酷な悪役令嬢の台詞」として。


「セレスティーヌ。言い方というものがあるだろう」


 ヴィクトルが眉を寄せる。


「ただ、通りたかっただけなのに……」


 アリシアが、小さな声で言った。周囲から、ひそひそとざわめきが広がる。


 まずい。この空気は、まずい。


 俺は人垣をかき分けて、前へ出た。


「失礼。少しだけ、よろしいでしょうか」


 全員の視線が、こちらに向いた。


「ヴィクトル殿下。一つ確認させてください。この先の床を、ご覧になりましたか?」


「床?」


「ええ。実は、昨日ここを通りかかりまして」


 嘘ではない。この一週間、イベントの場所は下見していたのだ。推し活に抜かりはない。


「三枚目の床板が、沈んでいました。縄の脇に立てられた札にも、営繕課からの立入制限の期間が書いてあったはずです」


 ざわめきが、一段落ちた。


 視線が、札へ集まる。小さな木札に、確かに書いてあった。「補修のため立入禁止」。


「わたくしが立てました」


 セレスティーヌが、静かに言った。


「三日前に営繕課から申請を受け、風紀の責任として札と縄を設けました。記録も残してあります」


 彼女は懐から、革張りの記録帳を取り出した。日付、時刻、申請者の名前。細かい字で、びっしり並んでいる。


 ……この人は、本当に。


 俺は胸の奥で、そっと拳を握った。いや、握るくらいにしておいた。叫んではいけない。


「ただ、見たところ、まだ実感が湧かない方もいらっしゃるでしょう」


 俺は、後ろを振り向いた。


「バルト」


「え、俺?」


「そこの三枚目の板を、軽く踏んでみてくれ」


「なんで俺が!?」


「お前が一番重いからだ」


 ロイドが、真顔で言った。


「ひどい友人たちだな!」


 文句を言いつつ、バルトは縄をまたいだ。そして、三枚目の板に、そうっと足を乗せた。


 ばきっ。


「うわああああ!」


 バルトの右足が、膝まで床に沈んだ。


 ……静寂。


 それから、くすくすと、笑いが波のように広がった。


「ほらな」


「ほらなじゃない! 助けろ!」


 ロイドとノエルが、笑いをこらえながら、バルトを引っ張り出した。怪我はない。ありがとう、バルト。お前の犠牲は無駄にしない。


 ヴィクトルは、気まずそうに咳払いをした。


「……なるほど。事情は、わかった」


「ですが」


 セレスティーヌが、一歩、前に出た。


「言い方がきつかったことは、認めます。怪我をされるよりはよい、と考え、言葉を選ぶ時間を惜しみました。アリシア嬢、失礼いたしました」


 彼女は、まっすぐに頭を下げた。


 アリシアは、目を丸くして、それから小さく首を振った。


「い、いえ。わたしこそ、札を、ちゃんと見ていなくて……」


 セレスティーヌは頷いた。


 ヴィクトルは何か言いかけて、結局、アリシアの肩を抱いて去っていった。人垣も、ばらばらと散っていく。


 残ったのは、俺と、セレスティーヌ。それから、膝の汚れを払っているバルトだった。


「……殿下」


 セレスティーヌが、こちらを向いた。


「なぜ、札のことをご存じだったのですか」


「通りがかりに、見たんです。それだけです」


「……」


「あなたは、危険な場所に人を近づけない。それだけのことでしょう」


 口から、自然に出ていた。


 セレスティーヌの紫の瞳が、わずかに見開かれた。


「……そうおっしゃってくださる方は、初めてです」


 ほんの少し。ほんの少しだけ、彼女の口元が、ほどけた。


 笑った。


 推しが、笑った。


「恐縮です」


 俺は、王族として百点の返事をした。


 内心は、宇宙が一つ生まれていた。


「お前、今、顔が」


 小声でノエルが言った。


「うるさい」


 * * *


 それから、小さな誤解がいくつかあった。


 まず、風紀指導が冷たいと噂された件。


 食堂の隅でその噂を耳にした俺が、ひとまず情報を集めようと腰を浮かせた、まさにその時だった。


 生徒会の掲示板に、一枚の紙が貼り出された。


 『先月の風紀指導の内訳 注意件数・理由・その後の経過』


 整った字。項目ごとの集計。末尾には、「ご意見は生徒会室の投書箱まで」の一文。


 貼ったのは、もちろんセレスティーヌだった。


 噂は、昼休みが終わる頃には、すっかり萎んでいた。


「……俺の出番が、なかったんだが」


 掲示板の前で、俺は呆然と立ち尽くしていた。


「なんで嬉しそうなんだよ」


 ロイドが、横から覗き込んで言った。


「推しが、自分で、完璧に、仕事をした」


「それの何が嬉しいんだ」


「何がって、全部だろ! 見ろ、この集計表の罫線を! 一本も曲がってない!」


「罫線に感動するな」


 それから、図書館の貸し出しをめぐる行き違いもあった。


 セレスティーヌが予約本を取り置きしていたことが、「特権の濫用」だと噂になったのだ。


 俺は事情を確かめるため、司書のもとへ向かった。ノエルとバルトにも付き合ってもらい、図書館の規則と貸し出し記録を確認する。


 そこで分かったのは、取り置きが認められていたのは、期末課題で使う共有資料だけだったということだ。セレスティーヌは、その規則に従って予約していただけだった。


「つまり、特別扱いじゃなくて、誰でも使える手続きを使っただけってことか」


 ノエルが記録を指で叩いた。


「そういうことだな。規則を確認すれば、すぐに分かる話だった」


 俺が司書に礼を言う横で、バルトはなぜか司書のおばあさんからお菓子をもらっていた。


「……全部、お前らがやった気がする」


「気がする、じゃなくて、やったんだよ」


 ロイドが、ため息混じりに言った。


「お前は、横で『この張り紙の字体が美しい』って言ってただけだ」


「それは事実だ。ラフォルジュ嬢の書いた物だぞ」


「そこは今、関係ない」


 全部を俺が解決したわけではない。彼女には自分の記録があり、自分の言葉がある。俺は、足りない一枚を差し出すだけだ。推しの判断を奪うなんて、推し活の風上にも置けない。


 ある日の放課後、図書館の隅で、俺は資料の山と格闘していた。


「フィン殿下」


 その声に、手から本が滑り落ちた。


 どさっ。


「……失礼。驚かせてしまいましたか」


 セレスティーヌが、落ちた本を拾ってくれた。


 待て。


 今、なんと呼んだ。


 フィンドリー殿下、ではなかった。フィン殿下、と呼んだ。


「そちらの資料、わたくしも拝見してよろしいでしょうか。農業用水の件でしたら、実家の領地で似た記録を見たことがございます」


「ど、どうぞ。いくらでも」


 声が上ずった。ほぼ裏返った。


 セレスティーヌは、不思議そうに首を傾げてから、資料を受け取った。


 翌日の昼食。


「呼び方が変わったんだよ」


 俺は食堂のテーブルに突っ伏して言った。


「推しが、俺の名前を、略した」


「それは親しくなったってことだろ」


 ロイドが淡々と指摘した。


「友人としての距離感だ! 推しが一般人に気を許してくださった! 尊い!」


「その一般人、お前、王子だけどな」


「王子でも一般人だ!」


「理屈が雑」


 ノエルが、ひとさじのスープを持ち上げたまま、しみじみと言った。


「お前さ、周りで何て言われてるか、知ってる?」


「何て?」


「『留学してきた王子が、公爵令嬢を口説き落とした』」


「なんでだ!?」


 叫んでから、周囲の視線に気づいて、慌てて声を落とした。


「……口説いていない」


「口説いてる。毎日、遠くから熱烈に見つめて、困っていたら助けて、褒めて」


「それは推し活だ!」


「推し活と口説きの違いが、周りにはわからないんだよ」


 バルトが、肉団子を頬張りながら言った。


「俺は、フィンはラフォルジュ嬢のためなら床にでもなるって知ってるぞ」


「そこは理解してるのか」


「でも、床は結婚しないしな」


「だからそれは、解釈違いなんだ!」


 ……なぜだろう。説明するほど、みんなの目が優しくなっていく。


 * * *


 その噂が、ひとつ厄介な方向に伸びていたことを、俺が知ったのは、卒業パーティーの三週間前だった。


「ヴィクトル殿下とアリシア嬢が、お前とラフォルジュ嬢のことを、言いふらしてるらしい」


 ノエルが、いつもの軽口を封じて言った。


「『婚約者のいる身で、他国の王子と親密にしている』って」


 ……来たか。


 ゲームの嫌がらせイベントは、もうほとんど成立しなくなっている。ヴィクトルは、婚約を解消したい。理由が足りなくなれば、新しい理由を探す。


 予想はしていた。ただ、予想が当たるのは、あまり嬉しくない。


「どうする?」


「記録を揃える」


 俺は、手帳を閉じた。


「俺とあの人が会ったのは、全部、図書館か食堂か生徒会室だ。いつ、どこで、何のためだったか、同席者は誰か。洗い出す」


「そんなこと、いつ書き留めてたんだ」


「推し活は記録が命だ」


「胸張るところじゃない」


 ロイドが、小さく手を挙げた。


「俺も手伝う。突き合わせるなら、第三者の証言があった方がいい」


「証言?」


「司書さんに、図書館の閲覧記録の写しを頼んでみる。農業用水の資料の件は、先生も同席してたはずだし」


「なら俺は、食堂のおばちゃんに聞いてくる」


 バルトが、迷いなく言った。


「毎日あの席に座ってる人間は、一番よく見てる」


「理由が食堂の人間に偏ってる」


「うまいものを出す人は、信用できる」


 ノエルは、肩をすくめて笑った。


「俺は、噂の出どころを辿ってみる。誰が、いつ、誰に言ったか。そういうのは得意だ」


 頼もしすぎる友人たちだった。


 その日から、ロイドは図書館の司書や教師のもとを回り、バルトは食堂の人々と世間話を重ね、ノエルは廊下で拾った噂話を几帳面に書き留めた。ひと息つく間に、手帳には、日付と場所と証人の名前が、少しずつ増えていった。


 もちろん、ヴィクトルの側の動きも気になった。


 「ところで、あの二人がよく行く場所はどこだ」


 ノエルに聞くと、返事は早かった。


「温室。あそこの管理人さんは、口が堅いけど、記録帳は付けてるらしいぞ」


「記録帳か」


「ロイドが三晩がかりで頼み込めばいける」


「俺か!?」


 ロイドの悲鳴が、図書館に響いた。


 翌日、図書館で打ち合わせをしようとセレスティーヌに声をかけると、彼女はすでに机に帳面を広げていた。


「そのことでしたら、わたくしも整えております」


「えっ」


「殿下のお手を煩わせるばかりでは、申し訳ありませんから」


 開かれた帳面には、日付、場所、同席者の名前、そして面会の目的が、ずらりと並んでいた。俺が頭の中で数えていた分より、むしろ細かい。


「農業用水の資料。期末課題の打ち合わせ。生徒会の予算案の確認。……どれも、目的が先にあって、殿下とお話ししたのは、その結果です」


「完璧です」


「わたくしの名誉の問題です。まず、わたくし自身が備えるのが筋かと」


 彼女は、少しだけ誇らしげに、背筋を伸ばした。


 この人は、守られるだけの人じゃない。


 知っていた。前世から、知っていた。でも、生で見ると、破壊力が桁違いだった。


 ……俺が集めた記録は、ほとんど、彼女の帳面の裏付けにしかならないのでは。


 いや、それでいい。裏付けこそ、推しの記録の価値を高める。推し活は、縁の下の力持ちだ。


「では、お互いの記録を、突き合わせましょう」


「ええ。よろしくお願いいたします、フィン殿下」


 はい。よろしくお願いされました。


 * * *


 卒業パーティーの夜は、広間いっぱいに、白と金の光が満ちていた。


 生徒、その家族、両国の来賓。国王陛下と王妃殿下、ラフォルジュ公爵、我が国の駐在大使までが、会場に揃っている。


 そして、中央の階段の下。


 深い青のドレスをまとったセレスティーヌが、いつもより少しだけ髪を高く結って立っていた。


 ……スチルだ。


 これ、前世で見たスチルの、あの青いドレスだ。


 いや、今は、感動している場合ではない。深呼吸。深呼吸。


「セレスティーヌ・ド・ラフォルジュ」


 広間に響いた声に、音楽が止まった。


 ヴィクトルだった。アリシアを横に従えて、階段の上から、彼女を見下ろしている。


「貴様に、問わねばならないことがある」


 ざわめきが、さざ波のように広がった。


「貴様は、婚約者である私がありながら、他国の王子と人目も憚らず親しく交流している。これは、婚約者としての信義にもとる行いだ。よって――」


「殿下」


 セレスティーヌが、静かに口を開いた。


「そのお言葉の続きを伺う前に、一点、確認させていただいてもよろしいでしょうか」


 凛とした声だった。震えてはいなかった。


「わたくしがフィンドリー殿下とお会いしたのは、図書館、食堂、生徒会室。いずれも、常に第三者の目のある場所です。日時、目的、同席者は、すべて記録してございます」


 彼女は、帳面を掲げた。


「殿下は、そのうちのどの行為を、不貞とお考えなのでしょうか。具体的にお示しください」


「そ、それは……親しく、話していたことだ」


「親しく話すこと、でございますか」


 セレスティーヌは、小さく首を傾げた。


「では、お伺いいたします。婚約者のある者は、他国の方と、公の場で学業の話をしてはならないのでしょうか。どこまでが許され、どこからが不貞なのか、その基準を、お聞かせください」


 広間が、しんとなった。


「基準が示されないまま、わたくしの行いだけが咎められるのであれば、それは、わたくしを断ずるための理由を、後から探しているに過ぎません」


 ……かっこいい。


 内心で震えながら、俺は一歩前に出た。


「ヴィクトル殿下。私からも、よろしいでしょうか」


「フィンドリー殿。これは我が国の内々の問題だ」


「いいえ。私の名前が出ている以上、私の問題でもあります」


 笑顔は崩さない。声も荒げない。


「まず、セレスティーヌ嬢と私の交流について。農業用水の資料を調べた折には、図書館の司書殿と教師が同席しておられました。期末課題の打ち合わせは、閲覧記録に残っております。食堂での昼食は、給仕の方々が毎日ご覧になっています。必要でしたら、証言も揃っております」


 俺は、懐から数枚の写しを取り出した。ロイドが司書に頭を下げて集め、バルトが食堂で話を聞き、ノエルが噂の出どころを突き止めたものだ。ありがとう、友よ。


「いずれも、学業に関する用件での会話です。すべて人目のある場所で行われており、不貞を疑われる余地はございません」


「だ、だが」


「その上で、ひとつだけ。殿下のお考えの基準を、確認させてください」


 俺は、もう一枚の紙を示した。


「殿下とアリシア嬢が、お二人だけで温室を訪れたのは、この一月で九回。温室の管理人殿の記録によるものです。同席者は、おりません」


「そ、それは、相談を受けていただけで」


「相談。なるほど」


 俺は、にっこり笑った。


「では、私とセレスティーヌ嬢の会話も、学業の相談です。殿下のお二人の交流が『相談』として許されるのであれば、公の場で、記録も証人もある私たちの交流は、なおさら許されるはずです」


 ヴィクトルの口が、ぱくぱくと動いた。


「自分のなさることには寛容な基準を適用し、婚約者の方にだけ、別の基準を適用される。それは、公平な判断とは申せません」


 アリシアが、小声で言った。


「ヴィクトル様……」


「わ、私は、王太子として、婚約者の振る舞いを」


「ええ。婚約者の振る舞いが問われるのであれば、婚約者である殿下ご自身の振る舞いも、等しく問われるべきでしょう」


 俺は、一礼した。


「それから、一点だけ。我が国の第五王子の名が、根拠のない疑いで貶められるのであれば、私は国に、正式に報告せねばなりません。ですが、そうならないことを、望んでおります」


 視線の端で、我が国の大使が、満足げに頷くのが見えた。


 その時、玉座から、重い声が響いた。


「ヴィクトル」


 国王陛下だった。


「そこまでにしなさい」


「……父上」


「婚約に関する話は、後日、両家の手順に則って改める。この場で、証拠も持たず、他国の客人と令嬢の名を汚すものではない」


 ヴィクトルは、唇を噛んで、うつむいた。


 アリシアは、青ざめて、その袖をそっとつかんでいた。


 ざわめきが、安堵の溜め息に変わった。張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていく。


「セレスティーヌ嬢」


 陛下が、彼女に向き直った。


「不快な思いをさせた。公爵家にも、後日、改めて詫びよう」


「もったいないお言葉です」


 セレスティーヌは、深く礼をした。そして、顔を上げて、俺を見た。


「フィン殿下。ご協力、感謝いたします」


「いえ。当然のことです」


 口元がほころびそうになるのを、必死に押さえた。


 ここで笑ったら、推し活の品位に関わる。


 終わった。


 断罪は、阻止した。


 推しは、守られた。


 その時、後ろから声をかけられた。ラフォルジュ公爵だった。


「フィンドリー殿下。このたびは、娘の名誉を守っていただき、心より感謝申し上げます」


 公爵は、深く頭を下げた。


「どうか、お顔をお上げください。私は事実を申し上げただけです。セレスティーヌ嬢ご自身が、立派に説明なさっていました」


「それでも、殿下のお力添えがあったことに変わりはありません。娘の名誉だけでなく、両国の関係にまでご配慮いただいたこと、父としても、一国の公爵としても、感謝しております」


「恐縮です」


 公爵は顔を上げ、俺をじっと見た。


「……なるほど。殿下が娘をよく見てくださっていることは、わかりました」


「はい?」


「いえ。こちらの話です」


 公爵は、今度こそ柔らかく微笑んだ。


「今後とも、娘とよい関係を築いていただければ幸いです。もちろん、殿下にご迷惑をおかけしない範囲で」


「もちろんです。私にできることがあれば、いつでも」


 俺は、王族として礼儀正しく答えた。


 公爵は満足げに頷き、去っていった。


 ……よかった。ちゃんとお礼を言ってもらえた。


 ところで、最後の一言はどういう意味だったのだろう。


 なぜか、周囲の来賓が、全員、同じような顔をしている。


 * * *


 数日後。


 俺は、学園のテラスで、大きく伸びをしていた。


「終わった……」


「終わったな」


 ロイドが紅茶を飲みながら言った。


「推しは守った。断罪は消えた。これで俺の使命は完了だ」


「使命って言い方が、もう重いんだよ」


 ノエルが笑った。バルトは、お祝いのケーキを三切れ目に突入している。


 最高の気分だった。空は青い。推しは無事。何もかもがうまくいった。


 そこへ、我が国の駐在大使が、封筒を手にやってきた。


「殿下。本国から、お手紙が届いております」


「ありがとう。……何かあったのか?」


「ええ。それから、ラフォルジュ公爵家からも、書状が」


 封を切って、目を通す。


 ……読んで、もう一度読んだ。


「どうだった?」


「……縁談の、打診、と書いてある」


「へえ、どこの誰と?」


「セレスティーヌ嬢と、俺」


 一拍。


「……ああ、うん」


「両国の王家と公爵家が、双方にとって望ましい縁組であると、前向きに考えている、と」


 大使が、にこにこしながら補足した。


「陛下も、大変乗り気でいらっしゃいます」


 テーブルが、静かになった。


 紅茶のカップが、かちゃり、と鳴った。


 それから。


「推しと結婚するのは解釈違いだろうが!!」


 テラス中に響き渡った。


「うるさい」


「落ち着け」


「無理だ! 落ち着けるか! 俺は推しの幸せを願っただけだ! 幸せの当事者になる予定はなかった!」


「予定がなかったのは、お前だけだな」


 ロイドが、紅茶を一口飲んだ。


「周りは、最初から全員その予定だった」


「ふざけるな! 推しとは遠くから静かに見守る関係だ! 床だ! 柱だ!」


「まだ言うのか、床」


 ノエルが、涙を拭いながら笑っている。バルトは、ケーキをくわえたまま、感慨深げに頷いていた。


「結婚式のケーキは、俺が味見係をやるぞ」


「やるな!」


「あの」


 その声に、全員が固まった。


 テラスの入り口に、セレスティーヌが立っていた。本を数冊抱えて、少しだけ首を傾げている。


「お話し中に、申し訳ありません。図書館でお待ちしていたのですが、お声が聞こえたものですから」


「あ、あの、これは」


「『かいしゃくちがい』とは、何のことでしょうか」


 最悪のタイミングで、最悪の言葉を拾われた。


「えっと、それは、その」


 どうする。どう説明する。


 推しを推しと呼べば、本人に推しがバレる。でも、嘘は、つきたくない。嘘をつくくらいなら、言わなければいい。いや、もう言ってしまった。


「その、あなたは、俺にとって……尊敬する方で、えっと、見守りたいというか、柱というか」


「柱」


「いえ、床というか」


「床」


 やめろ、俺。これ以上喋るな。


 言葉が、完全に迷子になった。ノエルが、必死に笑いを噛み殺しているのが視界の端に映る。ロイドは、天を仰いだ。


 セレスティーヌは、少し考えるように、視線を落とした。


 傷つけた、だろうか。血の気が引いた。


 けれど、顔を上げた彼女は、笑っていた。


 いたずらを思いついた子どもみたいな、ごく淡い微笑みだった。


「つまり殿下にとって、わたくしは、遠くから大切にするもの、ということでしょうか」


「そ、そう! それです!」


「では、近くでお話しするのも、『かいしゃくちがい』ですか?」


「そ、それは……光栄の極みで……いや、でも……」


 俺が、しどろもどろになっていると、セレスティーヌが、くすりと笑った。


「でしたら、これからも近くでご一緒いたしましょう。まずは友人として、フィン殿下」


 ……友人として。


 そう言って、彼女は、俺の隣の席に静かに腰を下ろした。


 ノエルが、肩を震わせている。ロイドは、顔を覆った。バルトは、フォークを持ったまま動かない。


「もう結婚しろよ、お前ら」


「俺ができるわけないだろ!」


 俺の叫びが、また、青空に抜けていった。


 推しを幸せにする計画は、成功した。


 確かに、成功した。


 ただ、その幸せの中に、なぜか俺まで含まれている気配があるのは、何かの間違いだ。


 解釈違いだ。絶対に。


 ……推し活は、まだまだ、終われないらしい。

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