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空を奪われた日

人は死ねば、魂は天へ昇る。そんな言葉を、誰もが当たり前のように信じていた。

天は救済であり、神は希望だった。

だが所詮“希望”に過ぎなかった。

今から4年前、空は青かった。

雲ひとつない、どこまでも澄んだ青。

俺は、その広さが当たり前だと思っていた。

母さんが洗濯物を干して、父さんがくだらない冗談を言う。

その隣で、妹の綾華がそれを真似して笑っていた。俺も釣られて笑う。

平凡だった。

退屈なくらい、平和で、当たり前だった。

しかしまだ知らなかった。

あの日まで、日常は壊れないものだと思っていた。

最後に見た空は明るく、綺麗だった。まるで、全部を奪う前に。最後に見せる景色みたいに。


「お兄ちゃん、見て!」


綾華が小さな手で空を指さした。

窓の外に視線を向けると、白い大きな鳥の群れが青の中を横切っていく瞬間だった。


「すげぇな!こりゃほんとの鳥貴族だ!」


そう言って笑うと、綾華は嬉しそうに何度も頷いた。鳥貴族なんて知らないだろうにとても満足そうに笑った。

その顔を見て、なんとなく思った。

──ずっと、こうならいいのに。


その思いは、数秒後打ち砕かれた。

突然、聞いたこともない警報音が鳴り響いた。

心の中に渦巻く不安という感情をサイレンが加速させる。

人々が何事かとざわめき始める。


「え?」


色んな感情が蠢く中でやっと出た言葉だった。とても言葉と言うには薄く、乾いた声が自分の耳に届く。

母さんが洗濯物を掴んだまま、空を見上げている。

その視線を追って、俺も空を見た。

そして、息を呑んだ。

空が、裂けていた。

青の中心に、黒く、異質な亀裂。

まるで紙の中心に鉛筆を刺したかのような不自然な裂け方をしていた。

その裂け目の奥から、白い光が溢れている。

綺麗な白で、心が浄化されるような光なのに寒気がした。

本能が理解していた。

あれは、見てはいけないものだと。

誰かが叫んだ。


「空から何か落ちてくるぞ!」

「鳥か!?」


空から、人が降ってきた。

いや、人なんかじゃない。

白い衣を纏い、羽のような光を背に揺らす者たち。

神々しいはずなのに、同時に禍々しさを感じさせる、この世のどの生物にも当てはまらない何かだった。

彼らは地上に降り立つと、迷いなく人々を掴み、連れ去っていく。

悲鳴が上がる。

泣き叫ぶ声。

助けを求める声。

ほんの数分前までいつもと変わらない日常がそこにはあったのに、一瞬で地獄に変わった。

俺は妹を抱きしめた。妹が今にも泣きそうな表情で見つめてきたからせめて安心させようと思ったのだ。

その瞬間母さんが俺の肩を強く、痛いくらい掴んだ。


「よく聞いて」


母さんの声が震えていた。こんな顔、初めて見た。


「綾華をよろしくね」


「え……?」


「走って!!」


理解できなかった。

なんで。

どうして。

一緒じゃないのか。

「母さんたちは?」「一緒に逃げよう」「あれはなに」

そんな言葉が喉から出る前に、父さんが叫んだ。


「早く行け!!」


次の瞬間だった。

白い手が、母さんの腕を掴んだ。


「母さん!!」


やっと声が出た。

でもその声は母さんには届かなかった。もうそこに母さんの姿はなかった。

父さんが俺の腕を掴み玄関まで引っ張る。そして父さんは俺たちを外に突き飛ばした。

昔父さんと大喧嘩した時にも外に突き飛ばされたことがあった。その時の痛みとは比べ物にならない程、押された箇所が痛んだがそれ以上に心が張り裂けそうだった。壊れてしまいそうだった。

綾華が泣いている。

俺も泣いていた。


「走れ!!」


俺が最後に見た父さんの最後だった。

家が崩れ父さんの姿が見えなくなってしまった。今すぐにでも瓦礫を掻き分けて父さんを探し出したかったが俺は走った。きっと、父さんの思いを踏み躙ることになってしまうから。

綾華が必死にお父さんお母さんと叫ぶ。

俺はそれでも、走った。

走るしかなかった。

一瞬でも足を止めてしまったら全部終わってしまう気がして。

第三次世界大戦に向けて作られた核シェルターの入り口が開放されており、そこに人が雪崩れ込んでいく。

押されて、転びそうになりながらも俺は綾華の手を必死に握った。

俺が守らなきゃいけないから。そう父さんと母さんと約束したから。

重い扉が、ゆっくりと閉まり始める。

最後に見えたのは、入ることができなかった人達の崩れそうな顔だった。そこには見知った顔もあれば今まで会ったことがなかった顔もあったが、どれも今の俺が知る言葉では言い表せないような感情を感じさせる、歪んだ表情に染まっていた。

押し合う人々の背後には赤く染まった空。

あんなに綺麗だった青は、もうどこにもなかった。

無情にも扉は閉ざされた。

叫び声と共に差し込んでいた光が消え去った。

地上が終わった事を強く感じた。

暗闇の中、綾華が手を握ってきた。その手は小刻みに震えていた。


「……お兄ちゃん」


流しても流しても消えることのない涙を感じさせる、声にもならないような掠れた声だった。

俺は、何も言えなかった。

ただ、静かにその手を強く握り返した。


空を奪われたあの日。

俺の日常は、終わった。

だから決めた。

もし神がいるのなら。

もし、あの空の向こうで笑っているのなら。

いつか、必ず。

神がいるなら、俺が殺してやる。

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