第4話「平穏な日常の危機」
翌朝。
世界は、一つの話題で完全に持ちきりになっていた。
『【衝撃映像】38階イレギュラー大群を”一太刀”で全滅させる謎の凄腕シーカー爆誕』
『【神盾機関】蒼穹戦隊、全滅の危機を救ったのは無名のフリーランス!?』
『同接1200万人が目撃! レイラ様に迫る「顔無し」の実力は国家認定Sランク以上か?』
『【特報】ギルド本部、緊急理事会を招集。謎の青年特定の動き』
D-Tubeの急上昇ランキング上位50位までが、すべて同じ男の切り抜き動画で埋め尽くされている。世界中のSNSのトレンドワードも上位10個がすべて関連ワードだ。
『#謎のシーカー』『#2秒殲滅』『#レイラの恩人』『#神速の抜刀』。
各国のニュース番組でさえ、臨時枠を設けて夕方から延々とこの話題をこすり続けている。
映像は、顔こそ映っていないものの完璧だった。
合計8機の配信ドローンが、彼の一挙手一投足をあらゆるアングルから記録していたのである。
黒いパーカー姿で現れ、Sランク精鋭を庇うように立ち塞がる背中。
「目を閉じてもらえますか」という、あまりにも場違いで穏やかな声音。
そして――何百体もの強靭な魔獣を、たった一瞬で塵へと変えた、神速の抜刀。
極めつけは、レイラに対して「ただの通りすがりです」「素材を集めていたもので」と言い放って颯爽と去っていく、その底知れない強者の余裕。
コメント欄や掲示板は、もはやお祭り騒ぎを超えて一種のパニック状態に陥っていた。
『これ絶対CGだろって思ってプロの映像班が解析した結果「一切の加工なし」って出て界隈が震えてる』
『レイラちゃんの『氷眼』でも見えなかった斬撃ってヤバすぎないか?』
『ていうか38階で素材集めってなんだよwwww あそこ素材集めに行く難易度じゃねーからwwww』
『あれだ、本物のバケモノは装備じゃなくてジャージとかパーカー着てる説、マジだったんだな』
『名前も名乗らずに去っていくのイケメンすぎる。抱かれたい』
『おい、お前ら特定まだか!? ギルドナンバー検索回せ!』
『無理、該当者ゼロ。武器の登録データもなし。服もそこらへんの量販店のパーカーと判明。手がかりがない』
『顔認証システム回してるけど、どの国のデータベースにもヒットしないってギルド関係者がリークしてたぞ』
『マジで何者なんだよ……』
世間は、突如現れた「正体不明の最強探索者」の存在に、文字通り熱狂していた。
そして、その熱狂は単なるネットの盛り上がりだけに留まらない。
ダンジョン産業のトップに君臨する大企業群、国を跨ぐ巨大ギルド、果ては各国の国防を担う政府機関までが、水面下で血眼になって彼の行方を追い始めていたのである。
当然だ。人類の戦力バランスを単独で覆しかねない、未登録のイレギュラー。
味方につければ最強の切り札となり、敵に回せば厄介極まりない国家級の脅威。
彼らはこぞって極秘裏に情報網を稼働させ、「あの男を一番最初に見つけ出した者に莫大な報酬を約束する」と、裏社会のブローカーたちすら動かしていた。
◇ ◇ ◇
その頃。
神盾機関の、重役専用フロア。
「……まだ、見つからないの?」
氷のように冷たい声が、最高峰の調度品で整えられた会議室に響いた。
声の主は、レイラ。
昨日まで見せていた凜とした佇まいはどこへやら、彼女の蒼い瞳には、尋常ではない焦燥と、それ以上の『熱』が宿っていた。
目の前には、イージスの優秀な情報分析チームのトップが、冷や汗を拭いながら立っている。
「も、申し訳ありません、レイラ様。あらゆる顔認証データベース、入山記録、闇市での武器や素材の取引履歴……当社の持つすべてのネットワークを駆使して照合しているのですが、彼の痕跡が見事に一つも……」
「そう。なら人員を倍にして。予算は私のポケットマネーから出すわ。必要なだけ使いなさい」
「は、はいっ!」
「それから、昨日の映像。ノイズを徹底的に除去して、彼の口の動き、歩幅、足音の周波数から体格や流派を割り出して。あと、あの方が持っていたあの美しい刀。あれと同じ反り、長さ、刃紋を持つ刀匠のデータベースも全部洗って」
「あ、あの……レイラ様。いくらなんでも、それは」
分析チームのトップがたじろぐのも無理はない。
今の彼女の指示は、もはや情報収集というより、ただの執念――いや、『異常な執着』の域に達していたからだ。
「や・る・の」
レイラが一睨みすると、室内が一瞬で氷結しそうなほどの冷気が部屋を包んだ。
男は首がもげるほどの勢いで縦に振り、這うようにして会議室から退室していく。
誰もいなくなった部屋で、レイラは大きなため息をついた。
そして、備え付けの超大型モニターに、昨日の映像を映し出す。
(……ああ)
映像の中で、青年が刀を抜く瞬間。
レイラは、そのたった数秒のシーンを、昨日からもう一睡もせずに数百回、いや数千回と繰り返し見続けていた。
美しい。
ただひたすらに、あの男のたたずまいが、所作が、圧倒的な暴力が、美しかった。
自分や他の探索者たちがいかに幼稚で、無駄な動きの多い「力任せの子供」であったかを、あの静かな一閃が冷酷なまでに証明していた。
(何が、最強よ。何が、Sランクよ)
自分は井の中の蛙だった。
あんな人がいるのだ。あんな、神様みたいな領域に到達している人が。
(……教えてほしい。私のすべてを懸けてもいい。あの人の強さの、ほんの欠片でもいいから)
レイラはモニターに映る青年の静かな顔立ちに、うっとりと手を伸ばした。
トップ配信者としてのプライドも、企業のエースとしての責任も、すべてがすっ飛んでいた。
今の彼女にあるのは、あの名も知らぬ青年の背中を追いかけたいという、焼け焦げるような憧憬だけだった。
「……絶対に見つけ出す。世界の果てまで逃げたって、必ず」
その瞳の奥には、氷属性とは思えないほどのおぞましい執念の炎が燃え盛っていた。
◇ ◇ ◇
「……終わった」
築四十年の木造アパート、四畳半。
万年床の上に胡座をかいた青年は、安物のスマートフォンを握りしめたまま、両手で顔を覆った。
「あー……終わった。マジで終わった……」
地獄の底から響くような、重く、悲痛な声だった。
スマホの画面には、昨日の一連の出来事をまとめたネットニュースが表示されている。
『【速報】謎の救世主、同接1200万人の前で伝説を刻む』
……1200万人。
12人じゃない、120万人でもない。1200万人だ。
日本の人口の約一割が、俺の「ちょっと本気を出した素振り」をリアルタイムで見ていたことになる。
「生配信中とか……聞いてない、マジで……」
青年は、畳の上にうめき声を上げながら突っ伏した。
昨日、あの場で探索者たちを助けた後。
俺は「目撃者は20人だけだ」「なんとか誤魔化せるか」とすっかり安心しきって、近所のスーパーで半額の鮭弁当を買ってホクホク顔で帰宅した。
風呂に入って、飯を食って、「今日も平和な一日だった」と満足してぐっすり眠った。
しかし、今日の昼前に起きてスマホを見た瞬間、俺の「平和な日常」は音を立てて崩れ去った。
ネットを開けば、どこもかしこも俺の顔だ。
動画サイトを開けば、俺の「スッ」が無限にループ再生されている。
挙句の果てに、テレビの昼のワイドショーまで『謎の顔無しシーカー! その正体は!?』などとフリップを出して熱弁を振るっている始末だ。
「……どうすんだよこれ。スーパーにも行けねえじゃん」
俺は、師匠の「才能がないから謙虚に生きろ」という教えに従って、ステータスを隠し、誰ともつるまず、目立たないように生きてきた。
企業に所属するなんて真っ平ごめんだ。権力争いやノルマ、ファンサービスの手間。ちょっとでもミスをすればネットで叩かれ、常にカメラと世間の目を気にして生きる羽目になる。
そんな息苦しい人生は、ゴメンだ。俺はただ、ソロで適当に深層で石を拾って、誰にも干渉されずにゲームでもして、のんびり、だらだらと暮らしたいだけなのに。
「……特定作業、とか言ってたな」
ネットの掲示板をスクロールすると、特定班なる恐ろしい集団が、俺の着ていたパーカーのブランドから、靴の擦り減り方、さらには背景の岩の形から現在地を割り出そうと躍起になっていた。
今はまだ『該当なし』とされているが、このまま家に引きこもっていても、いずれネットの力や国家権力のデータベースに引っかかるかもしれない。
もし見つかったら?
ギルドや政府からのお偉いさんに囲まれて、強制的に登録させられて、毎日毎日マスコミに追いかけ回される羽目になるのは確実だ。
「……逃げよう」
青年はガバッと顔を上げた。
そうだ、逃げるしかない。ほとぼりが冷めるまで、完全に姿を消すしかない。
下手に街中にいるよりも、誰の目も届かない場所――そう、ダンジョンの奥底に籠もっていれば、さすがに追ってはこられないはずだ。
俺の力なら、あの『忘却領域』の深層で数ヶ月テント暮らしをすることなど、ピクニック程度の難易度でしかない。魔獣の肉は(ちょっと泥臭いが)焼けば食える。
「よし。そうと決まれば、善は急げだ」
青年は手早く、着替えや携帯食料、ゲーム機(充電長持ちタイプ)、そして愛用の日本刀をリュックに詰め込む。
そして、帽子を目深に被り、マスクをつけて、コソコソとアパートの裏口から抜け出した。
(大丈夫。数ヶ月もすれば、ネットの連中なんて次の新しい話題に食いついて、俺のことなんか綺麗さっぱり忘れてるはずだ)
世間の熱狂も、一過性のものに過ぎない。
そう、いつもの「事なかれ主義」の思考をフル回転させながら、青年は人気の少ない裏ルートを通って、ダンジョンの入り口へと向かうのだった。
――もちろん、彼はこの時もまだ理解していなかった。
トップ配信者でありSランク探索者であるレイラの、「一過性」などでは絶対に終わらない、底なしの執念を。
彼の目論見が、数ヶ月どころか数日と持たずに粉砕される運命にあるということを。




