第105話「朝までの隠し方」
「次の行き先だ」
箱の留め具が外れる。
佐伯が開いた金属箱の中には、書類でも記録媒体でもなく、古い観測点運用具が収められていた。
紙地図が二枚。
無地の布袋が四つ。
旧協会規格の通信遮断封筒。
小型の発信器つぶし用治具。細いワイヤー鋸。土色の手袋。
ミラが目を丸くする。
「……何ですか、この実務の塊みたいな箱」
「帰還補助の残りだ」
佐伯は淡々と言った。
「深い場所から戻ってきた連中を、そのまま表の記録へ流さないための道具だ。観測線を切るためじゃない。引っ掛けないための道具だと思え」
ガレスが紙地図を開く。
現在地から尾根を避け、沢沿いの死角を繋いで林道へ落ちる線が赤鉛筆で引かれていた。
「観測の薄い筋か」
「昔のな。今の衛星監視までは面倒見ない」
佐伯は先に釘を刺した。
「だが、この時間帯の地上側カメラと林道管理ログなら、まだ薄くできる。夜明け前に出る。施設の近傍では端末を起こすな。林道へ落ちてから戻せ」
レイラが地図を見る。
「佐伯さんは」
問いは短かった。
だが意味は通る。
「私は残る」
佐伯は金属箱の蓋を押さえた。
「ここは今夜使われた痕跡ごと、私が薄める。お前たちはお前たちの線だけ消せ」
刃は壁から背を離した。
「……全部一人でやる気か」
「元からそのためにいた」
あっさりした返答だった。
だが、長くここに残ってきた人間にしか出せない重さがあった。
それ以上は言わず、刃は布袋をひとつ取った。
他の三人も続く。
動き出せば、迷う時間は短くて済む。
観測点を出る前に、佐伯が最後に四人を止めた。
「協会には、私もこの場所も出すな」
誰も異論を挟まない。
「今夜ここで聞いたことも、出現方法も、第一世代の実態もだ。通すのは、切り分けた建前だけでいい」
ガレスが確認する。
「建前の中身は」
佐伯が答える前に、刃が嫌そうな顔で言った。
「どうせ、ろくでもねえやつだろ」
佐伯の口元が、ほんの少しだけ動いた。
「もう決まっているんじゃないか」
レイラが真顔で引き取る。
「刃が急にいなくなった。位置情報を追ったら長野にいた。追いついたら、急に寂しくなって師匠に会いたくなったと言い出した」
刃は即座に顔をしかめた。
「最悪だ」
ミラが指を折る。
「でも、自然です」
「どこがだ」
「突飛さに実績があります」
あまりに即答だった。
ガレスまで続く。
「意外と通る」
「お前まで言うのか」
ガレスは地図から目を上げないまま肩をすくめた。
「師匠絡みで長野へ飛ぶ。面倒そうな説明を避ける。後から拾われた三人が引っ張り戻す。筋は通ってる」
レイラが補足する。
「しかも、協会側は“刃ならやるかもしれない”と思っている」
それは否定しづらかった。
刃は舌打ちしかけてやめる。
「俺の社会的評価、終わってねえか」
ミラが小さく首を振る。
「違います。もうとっくに固まってます」
今度こそガレスが吹き出した。
「フォローになってねえ」
観測点の狭い部屋で、少しだけ笑いが落ちる。
重い夜だった。だが、その重さを四人だけで抱え込む空気では、もうない。
佐伯はそのやり取りを黙って見ていた。
呆れたようでもあり、少しだけ安心したようでもあった。
「言い訳は雑でいい」
その一言で、空気がまた締まる。
「雑な方が、本当に隠したい芯が見えにくくなる。きれいすぎる説明は、逆に掘られる」
レイラが頷く。
「なら、刃本人にはあまり喋らせない」
「正解だ」
ミラが続ける。
「時間軸は私が整えます。端末再起動の時刻、追跡開始の時刻、合流時刻。そこだけ揃えれば、細部は雑でも崩れません」
ガレスは地図を畳みながら言う。
「林道へ落ちたら端末を戻す。そこからは俺が運転して、レイラが窓口。ミラが時系列管理。刃は余計なことを言わない」
「最後の一文だけ圧が強えんだよ」
刃がぼやくと、レイラが即座に返した。
「必要だから」
間が一拍だけ空く。
そのあとで、少しだけ声が柔らかくなった。
「今回は、本当に」
それだけで十分だった。
刃はそれ以上反論しなかった。
観測点を出る。
外気は冷え切っていた。夜はまだ深いが、山の奥では黒の質がわずかに薄くなり始めている。朝は遠くない。
四人は佐伯に教えられた通り、沢沿いの斜面をずらして下った。
往路で踏んだ雪をなるべく重ね、枝を払わず、土を崩さず、尾根へ抜ける気配だけを薄めていく。
途中、刃が一度だけ振り返った。
旧補助観測点の灯りはもう見えない。
あの場所は最初から山に呑まれていて、今もただ山の中にあるだけに見える。
だが、その見えなさの下に、まだ生きている記録があった。
林道へ落ちたところで、ようやく端末を戻す。
沈黙していた画面が一斉に息を吹き返す前に、ミラが低く言った。
「先に役割確認」
歩きながら、四人は最後の擦り合わせをする。
「所在確認が来たら、まず私が出ます」
レイラが言う。
「“刃が消えたので追いました。長野で見つけました。師匠に会いたかったそうです”までを先に置く」
ガレスが続く。
「その後、俺が移動時刻を入れる。ミラは位置復帰の説明を薄く添える。刃は必要最低限」
「必要最低限って何語までだ」
刃が聞くと、ミラが真剣な顔で答えた。
「三文」
「少なすぎるだろ」
「十分です」
レイラが指を折る。
「“悪かった”」
「言う」
「“急に行きたくなった”」
「最悪だが言う」
「“もう戻ってる”」
そこでガレスが頷いた。
「それで終わりだな」
刃は天を仰いだ。
「ひでえ運用だ」
だが、嫌悪より先に少し笑いが来る。
この雑さで通そうとしているのが、自分一人ではなく四人だというのが、妙におかしかった。
林道脇の待避所へ着く頃には、東の空がわずかに白んでいた。
車体には夜露がつき、フロントガラスが薄く曇っている。
レイラが助手席側のドアを開けながら、振り返らずに言った。
「刃」
「ん」
「勝手に消えないでね」
責める声ではなかった。
釘を刺しながら、もう共有の中に入れている声だった。
刃は短く息を吐いた。
「努力はする」
ミラが後部座席へ機材袋を放り込む。
「努力目標なんですね」
「そこは断言しろよ」
ガレスが運転席へ乗り込みながら言う。
「断言すると、次にやった時の処分が重くなる」
刃は一瞬だけ真顔になった。
「それはそうだな」
全員が同時に、呆れたように息を吐いた。
次の瞬間、四台の端末がほとんど同時に震えた。
短く、硬い通知音。
一つではない。続けて来る。
協会管理部。
特級運用室。
神盾機関本部連絡。
所在確認。
追加事情聴取。
至急折り返し要請。
夜明け前の薄い空気が、その震動だけで急に現実へ引き戻される。
レイラが自分の端末画面を見て、小さく息を吐いた。
「来た」
ガレスがエンジンをかける。
低い振動が車体へ戻る。
ミラはシートへ座りながら、もう時系列メモを開いていた。
刃は自分の画面に並ぶ通知を見下ろす。
さっきまでいた旧補助観測点の静けさは、もうない。
聞いた真実は、結局、朝まで待ってはくれなかった。
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