唐揚げのやさしさ
夕食を食べながら、杏子は箸を置き、ふうっとため息をついた。
「なんかさ、どうでもいいようなことを、ネチネチ重箱の隅をつつくみたいに言ってくるんだよね……」
向かいに座る悟が、箸を動かす手を止め、ちらりと杏子を見た。
「いくら私がブランクあるからってさ。完璧じゃないのはわかってるよ。でも、そんなに細かく責められると……存在ごと否定されてるみたいでさ……」
杏子は、笑おうとしたけど、声の端がかすかに揺れた。
悟はそれ以上何も言わず、ただ静かに、杏子の話を聞いてくれる。
「……頑張ってるつもりなんだけどな。空回りしてるのかな……」
ぽつりと漏らすと、悟は黙って、杏子の好きな唐揚げを一つ、杏子の皿にそっと移した。
そして、柔らかい声で言った。
「杏子は、ちゃんとやってるよ。」
その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。
杏子は、じわっと目の奥が熱くなった。
「……ありがとう。」
かすかに笑いながらつぶやくと、悟はお茶をひと口飲んでから、ふっと笑った。
「よし、今度から唐揚げ一個につき、一個褒めるルールにしようか。」
悟が言えば、杏子もすかさずのっかる。
「じゃあ、唐揚げ10個食べる!」
「おいおい、欲しがりすぎだろ。」
悟が笑いながら自分の皿をガードすると、翔も負けじとスプーンを振り上げた。
「ぼくも10こ!たべる!」
「翔、それはお腹こわすって!」
杏子が笑いながらタオルで翔の口元をぬぐう。
食後、後片付けを終えてリビングに戻ると、翔はソファに寝転んでいた。
「ねえおかあさん、きょう、いっしょにねんねしよ。」
「えー、翔くん、もうひとりで寝られるって言ってたのに?」
「きょうは、いっしょがいいの。」
小さな手が、杏子の手をぎゅっと握る。
悟がそれを見て、にやにやしながら言った。
「人気者だな、おかあさん。」
「はいはい。」
杏子は苦笑しながらも、手を離さずに、翔と一緒に布団に入った。
寝る前、翔がぽつりとささやいた。
「おかあさん、だいすきだよ。」
杏子はぎゅっと翔を抱き寄せた。
「お母さんも、大好きだよ。」
翔の小さな寝息が聞こえてくる頃、杏子もそっと目を閉じた。
どんなに疲れても、くじけそうになっても、
こんなふうに、小さな手に励まされながら、また明日を迎えるのだろう。
静かで、あたたかい夜だった。
職場でうまくいかない日も、ちょっと泣きたくなる夜も、
家族の何気ない一言が、心にそっと灯をともしてくれる。
杏子にとっての“がんばってるよ”は、唐揚げよりあったかくて、少ししょっぱい味がした。




