「はて、可愛い焼肉とは」
「お前が急に更生と言い出したのは、トロワが原因か?」
そしてなんとなく、さざれが限界を迎えた理由に心当たりがあった。動きの鈍い右手で、ポケットを探る。
「これを渡されたのか?」
滑らかなテーブルの上に、金属製の指でそっと薬包を落とす。それを見たさざれの顔が、たちまち険しい色に彩られた。
「……あの阿呆、お主にも渡していたのか」
「ああ、午後にな。俺が屋台でサンドイッチを買っていたら、こっちの方がいいと言って渡されたんだ。……その様子だと、俺の予想は当たっているか? さざれ」
さざれの首が縦に振られる。
「ま、トロワだけが原因というわけではないがな。それでもトドメとなったのは事実よ。よもや、こんなもので命を繋いでいたとはなあ、あの阿呆……!」
渡された時のことを思い出したのか、細い眉がまた寄った。
「ああ。俺も腹に据えかねて、裏路地に連れ込んだ」
「なんて?」
ぽかんとした声をさざれが上げる。眉間の皺が消えた。
「流石に表通りで説教するわけにもいかないだろう。だから人気の無い裏路地に連れ込んだ」
「せっきょう」
「説教」
ギグはうなずく。
「……ちなみに、どのような説教を?」
「合理性ばかりを重視するなと。それを重視し過ぎると、大事なものが見えなくなる。結果だけを求めて己を削った先には、なにも残らなかったと」
結果的には平行線だったが。
トロワの中には『花の帝国に命じられることは全て正しい』という太い支柱がある。だから、ギグの言葉はほとんど届いてない様子だった。「だいじょぶだって! オレ、健康状態は良好だって検査で言われてるし!」と頓珍漢なことを言い残し、駆け去っていったのだ。
「二、三発張り飛ばしてやろうかと思った」
「おお……思ったよりまともな説教だった」
しかし裏路地でたむろっていた連中は、さぞかし驚いたろうなあ。
そんな呟きが、さざれの唇から漏れる。
「ケンカかコロシかファックかと思ったら説教が始まった、とかなんとか言っていたな」
「さもありなん」
うむ、と腕を組んでうなずくさざれ。
「ちなみにギグ殿よ、合理重視は嫌いか?」
そうして、唐突に話題を変えた。
「む?」
「いやなに。お主が合理性と口にする度に、顔が嫌悪に歪んでいたからなあ」
さざれが己の頬をつるりと撫で、苦笑してみせる。
「……まあ、そうだな。嫌いだ」
自分でも顔を撫でてみる。……自覚は無かった。
「前は、傭兵団にいたんだ。良い所だった。だが、何年か前にそこのトップが変わってな。そいつが、経費削減と結果重視に凝り固まった奴だったんだ」
思い出すと、苦いものが口に広がる。
仕事が終わった後、食堂に集まって互いにねぎらい騒ぐのが常だった。仲間と笑いあった声はまだ、耳に残っている。だが、トップの交代で全てが変わった。
「経費削減だと食堂は閉鎖されて、俺達にはまずい栄養バーが支給されるようになった。腹に溜まって栄養のあるものだから、これで十分だと。だから、トロワのことが他人事に思えなくてな。つい感情的になった」
ず、とカップの中身を啜る。だいぶ温くなっているが、やはり味は分からない。
「成程なあ。そんなものを食ってばかりいたら、味音痴にもなろうよ。……ま、そこはゆっくり治していけば良いが、一番の問題はトロワよ、トロワ。あれはまず食に関する意識から徹底的に叩き直さんと」
「それなんだが」
と、ギグは口を開いた。さざれが視線を向け、先を促す。
トロワと別れてから、ずっと考えていたことがある。
「今度の日曜日は、全員が家にいるだろう。だから、どこかにみんなで食事に行けたらと思っていたんだが」
凝ったところでなくてもいい。道に並ぶ屋台の食べ歩きでもいい。これが美味しい、あれが美味しいと、食べながら談笑するのはきっと、楽しいだろう。トロワも興味くらいは持ってくれるかもしれない。
「さざれやヴィリスとの食事も好きなんだが、俺は大勢で賑やかに食べる方が好きなんだ」
みんなで食卓を囲んでいるところを想像すると、ふわ、と自然に口元が緩む。さざれも穏やかな笑みを口の端に乗せて、うなずいた。
「そうさな。やつがれも賑やかな食卓は好きだ。しかし、いきなり外食はハードルが高い気もするぞ、ギグ殿。特にフェル辺りは出不精ゆえ、嫌がりそうだ」
それは確かに。
「さざれはなにか、案はあるか?」
「よくぞ聞いてくれた」
柔和な顔に、悪い笑顔が浮かんだ。
「まずは全員を水しかない部屋に四日ほど放り込み限界になった辺りで助け出し食卓で温かいスープを」
「さざれ、さざれ。それはいけない」
「安心しろギグ殿、もちろん幼いヴィリスにそんな鬼畜外道な真似はせんとも」
「違うさざれ、そうじゃない」
それは絶対、拷問とか洗脳とかそっちの類だ。スープを飲んで温まるのは心ではなく殺意だ。
「冗談よ、冗談」
口元に手を当て、ころころとさざれが笑う。ちっとも冗談に聞こえなかった。ギグはじっとりとその顔を見つめる。
「本当か?」
「本当だとも。……ま、それはこちらに置いておいてよ」
ちょい、と見えないなにかを横にどける動作をするさざれ。
「折角、全員いるのだ。ならば明日から準備をして、日曜日にここでちょっとしたパーティーを開いた方が良いかなと、やつがれは思っておる」
それなら、改めてこれからよろしくという挨拶もできる。出不精のフェルも家の中なら文句無いだろうし、小さいヴィリスも出先で疲れることもない。
「出先でトロワが薬を飲んで『これで食事終わり!』と笑顔で言ってみよ。レストランの主人に包丁を投げられるわ」
「それもそうか」
家でパーティーを開くなら、どんな料理がいいだろうか。
ギグは腕を組み、考える。傭兵時代は、パーティーをする時は各々で好きなものを食堂に持ち寄り、巨大鍋にぶち込んで食べるのが常だった。時には熊一頭がそのまま放り込まれ、みんなで驚いたり怒ったりしたものだ。
「鍋、とか……」
「鍋か。それも良いが、天気次第よなあ……」
「駄目か」
ううん、とさざれも腕を組む。
「冬なら良いがなあ……流しそうめん……は、ボニファースがそうめん早食いの覇者になる未来しか見えんし。まずそうめんがここでは手に入らんし……」
と、ぶつぶつ呟いていたさざれが不意に顔を扉に向けた。ととと、と軽い足音。ギグも振り向く。リビングの扉が開いて、ヴィリスがぴょこりと顔を出した。
「さざれー、ギグー。ヴィー、お風呂あがったのー」
頭からほこほこと湯気を立てたまま、ぽてぽてとこちらに歩いてくる。手首と足首で裾がきゅっと絞られた、ピンクのパジャマが可愛らしい。
ギグ達のいるテーブルの傍にやってくると、ヴィリスは見て、と言いたげに襟元の白いフリルをくいくいと引っ張った。自慢気に顔をほころばせる。
「これね、新しいパジャマなのね。ヴィーね、ここのフリルが可愛いと思うの。だってね、ここのね、フリルのとこね、鳥さんのもようなんだよ! 可愛いの! でね、こんな可愛いパジャマを着てるから、ヴィーもね、とっても可愛いの!」
「そうさな、お主の可愛らしさが更に引き立っているぞ。ところで朝に着ていたパジャマはどうしたのだ? あれも確か、一昨日着たばかりだろう」
「あれは一回着たから、お洗濯ー!」
ちゃんとお洗濯回すのに入れたよ、と胸を張ったヴィリスが、ギグを見上げた。ふくふくとした頬が、風呂上がりで赤く染まっている。大きな赤紫色の瞳を、ギグも見つめ返す。
「ヴィー可愛い? ねえねえ、可愛い?」
「可愛いぞ」
「どの辺が?」
「む」
すかさず切り返され、言葉に詰まった。
「どーのーへーんーがー? ねえねえ、ヴィーのどの辺が可愛いのー!? 具体的には? どこ? ねえ、どーこー!」
「……」
ぐいぐいっ、と腕を引っ張られる。ねえねえねえ、と激しく訴えるヴィリスの頬を、ギグは下の方から左手で柔く掴んだ。そのままむにむにと揉むと、ヴィリスが頬を掴まれたまま地団駄を踏んだ。
「ごーまーかーしーたー!」
「これこれ。……なあヴィリスよ。今度の日曜日はなあ、朝からみんな家にいるのだ」
「んぶ」
「それでなあ、折角だからみんなで美味しいものを食べようと思うのだが、中々決められんのよ。ヴィリスはなにが良いと思う?」
「うぶー?」
ぶにっ、と頬を中央に寄せられ、蛸のような口になったヴィリスが首をかしげる。
ギグが手を放すと、んーとねえ、えーとねえ、とヴィリスは乾かしたばかりの長い髪を揺らしながら頭をふらふらさせた。
二人で見守っていると、やがて思いついたのか、ぱあっと顔を輝かせる。
そうして、ギグとさざれを交互に見て、大声で叫んだ。
「焼き肉! ヴィーね、可愛い焼き肉がいい!!」