洗脳もとい更生宣言
「やつがれはお主らを洗脳することにした」
にっこりと綺麗な笑みを浮かべて、さざれが宣言した。笑顔のお手本として教材に乗りそうなほど、それはそれは完璧で美しい笑みだった。
「……」
ルームシェア二週間目にして、とんでも宣言をぶっ立てたさざれに、ギグはとりあえず聞き返した。
なぜそんなことを言いだしたのか、さっぱり分からなかったので。
「せんのう」
「|洗脳《Brainwashing》」
良い笑顔で返される。
ギグは困惑し、眉を寄せる。その顔を見て、さざれがむ、と片眉を跳ね上げた。
「|洗脳《Brainwashing》は、もしや少し意味が違うか?」
「恐らくだが、お前の言いたいことからはズレていると思う」
しかも、だいぶ。
ふむ、とさざれは脳内の単語をさらうように少し黙る。
数秒して答えが見つかったのか、また良い笑顔を浮かべた。
「拷問」
「ごうもん」
「む、これも違うか? えい、ここの言葉は面倒くさいな……えー、あー、躾? 訓練? 教える、直す……」
「|更生《Rehabilitation》か?」
さざれの目が輝いた。
「おお、それよそれ、更生。お主らを性根の底から更生させようと思ってな」
良かった、同居人が急に悪行に目覚めたわけではなかったのだ。そこにはほっとしたが。
頬が引きつるのを自覚しながら、ギグはそろりと問いかけた。
「……お前、いつもと性格がだいぶ違わないか?」
「いやいや、いつも通りよ」
さざれは涼しい顔で手を軽く振る。
「いや、違う。いつもはもう少し穏やかというか……」
少なくとも目を据わらせ、急に洗脳だのなんだと言い出すような奴ではなかった。バターナイフ事件はあったが。
ふん、とさざれは軽く鼻を鳴らす。
「異国の地、見知らぬ文化でやつがれも少々、畏縮していたようでなあ。だがこれからは遠慮せず、びしばし行こうと思う」
「……手段は選んでほしい」
「善処しよう。お主らの態度次第でな」
肩をすくめ、さざれはマグカップに口を付けた。
日が落ちてから帰ってくると、ちょうど夕食の時間だった。自分とさざれ、それからヴィリスと三人で食べ。食後にデザートのゼリーを貰い――蜂蜜をたっぷりかけようとして、止められる一幕を挟みつつ――、ヴィリスが「お風呂に入ってくるー!」出て行った瞬間。
「――ところでギグ殿。やつがれ少々、話があるのだが」
静かな言葉と共に、さざれの気配が豹変した。
凪いだ海のような、いつもの落ち着いた雰囲気から一変。全てを飲み込む嵐の海のごとく、荒々しい雰囲気に。
大迷宮帰りでまだ昂っていた神経が、けたたましく警鐘を鳴らす。このまま座っていては死ぬ。身体が咄嗟に動いて椅子から飛びのき、臨戦体勢を取ってしまう。
構えを取るギグに構わず、さざれは素晴らしく綺麗な笑顔を浮かべて、先の言葉を発したのだった。
ギグは椅子に座り直す。同時に義肢の関節同士が擦れ、がちゃりと金属音を立てた。
二年前に失った右手足の代わりに誂えたこれは、胴体大陸機工師組合製の特注品だ。肩の神経と義肢内の人工神経を繋ぐことで、普通の手足のように動かせるようになっている。が、その精度はいまいちだ。ものを上手く握れないし、反応も鈍い。外見重視にした為に、そちらの方をおろそかにしてしまったので、仕方無いことだが。
「ああ、先の言葉はこちらの意味か。やれやれ、まだやつがれも勉強が足りんなあ」
ポケットから小さなノートを取り出し、ぺらりとめくったさざれが肩をすくめる。
「……さざれ。先ほど、更生と言っていたが」
「食関係に決まっていようが、お主らの」
そろりと問いかける。テーブルの向かいに座るさざれが、途端に不機嫌そうな顔になった。
「当然、覚えがあろう」
嚇怒の炎が、ちりちりと肌を焦がす。
まあ更生というならそれしかないだろうな、とギグは納得する。そして、反省した。
自分を始めとして、この家に住むメンバーはみんなどこか、食に問題を抱えている。それは味音痴であったり早食いであったりと、様々だが。一致しているのは衣食住の内、食だけを軽んじているということだ。
そしてそれをどうにかしようと、一人心を砕いていたのがさざれだ。
時には宥め、時には叱り。きちんとした食事を取ってもらおうと、みんなで一つの食卓を囲もうと、台所で一人奮闘していた。それをギグは知っている。
料理を作る際は、誰が食べに来てもいいように多めに作っていた。おやつも必ず六人分作り、声をかけていた。
その努力を知っていながら、自分はなにもしなかった。怒るのは当然だ。胸の奥が、ずんと重くなる。
「さざれ」
「ん?」
眉根を寄せたまま、さざれが視線だけをこちらに向ける。
ギグはその銀色の瞳を、しっかりと見据えた。
「すまなかった」
「……ん、んん?」
「お前が、一人でこの家の調和を取ろうと努力していたのに、俺はなんの行動もしなかった。怒るのは道理だ。本当にすまない」
「いや、待て待て。なにゆえ、やつがれは今お主から謝罪を受けているのだ」
「謝って許されることではない。だから、これからは行動で示そうと思う。お前がそれで許してくれるかは分からないが――」
「いや聞け、頼むから聞けギグ殿! お口チャック! はいピッ!」
「む」
両手を眼前に掲げられ、ギグは素直に口を閉じる。広げた手の向こうから、困ったようなさざれの顔が見える。
「どうした」
「なあ、ギグ殿。今やつがれはな、お主の中でなにが起こっているのか、さーっぱり分からんのだ。頼むからなぜそんな結論に至ったのか説明してくれんか。なあ」
ぱちくりと、ギグは一つ瞬きをした。説明、と言われても。
「お前が俺達の食生活を改善させようとしていたのを知っていたのに、なにもしなかった俺に怒っているのかと」
「ああー、そういう……いや、そもそも今までのあれこれに関しては、やつがれが好きでやっていたことであってな。別にお主が手伝わんでも、ちーっとも怒ってはおらんわ」
「そうなのか」
さざれはべしゃりと突っ伏した。
「お主の考え、読みづらあい……」
「どうした?」
「なんでもないわ……」
他人の内面を読むことに長けた一流の忍を、心底脱力させる偉業。それを知らずに成し遂げたギグは、突っ伏するさざれを不思議そうに見つめた。
「……ま、協力してくれると言うならありがたい」
ややおいて、気を取り直したのかさざれが身体を起こした。
「元々、ギグ殿には協力してもらうつもりで、こうして話の場を設けたのだからなあ」
自分の手前にあるマグカップに口を付けて、そう続ける。機嫌は落ち着いたのか、口元には悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
ギグもカップに顔を近づける。薄橙色をした温かい飲み物だ。すん、と鼻を動かすと強い柑橘の匂いがする。一口飲むが、いつものように味が無い。色のついたお湯を飲んでいるようだ。
「これは?」
「ああ。ボニファースの奴がな、今朝の詫びだと買ってきおったのよ」
橙茶と言うらしいぞ、と続けるさざれの目元が緩んでいる。
「あやつは、こういう所が可愛らしくて憎めんのよなあ」
「そうだな、あいつは良い奴だ」
「うむ。……時にギグ殿、蜂蜜はスプーン一杯までよ」
「む」
ぴしゃりと言われて、己が左手を小さな蜂蜜壺に伸ばしていたことに気づく。
「……すまない。無意識だった」
「で、あろうな」
肩をすくめたさざれが、蜂蜜壺を指す。
「ま、こうして一人ずつ対処するよりはな、全員一気にまとめて食生活を改善した方が良いと思ったのよ」
「ああ。全員が揃って食事をすることで、自分の食生活がおかしいことに気づく奴もいるか。それに、食卓を囲めば人同士の距離も縮まるからな」
俺のように、と続ける。我が意を得たり、とばかりにさざれが機嫌良く笑った。
「そうそう。そういうことよ、ギグ殿。やつがれもな、そう思っていたのだ。全く、もっと早くそうしておればなあ。今頃トロワの馬鹿たれは目をくるくるさせながら口いっぱいに肉を頬張り『おいしい! おいしい!』しか言えん身体になっていたというのになあ」
みし、とさざれの手の中でマグカップが音を立てた。口元から笑顔が消える。きりきりと眉が吊り上がっていく。
「あんなクソのような薬で腹を満たして満足すると? はっ! 偉大なる花の帝国も底が知れるわ。他の兵士が食堂に通っているのがそもそもの答えだろうに、なにゆえそれを分からんのだあの阿呆は、ちっとは周囲を見て考えるという努力をせんか!」
口調が荒くなっていく。めらめらと、さざれの背後に怒りの炎が立ち上った。
ギグは無言で、蜂蜜を入れた橙茶を一口飲む。さざれの過去を詳しく聞いたわけでもないし、性格も完全に掴んだわけではない。だが二週間も顔を突き合わせていれば、彼の地雷がどこにあるかくらいは分かる。
飄々として全てを受け流し、時に冗談も言うお茶目な性格だが、食事を蔑ろにすることに対して非常に怒るのだ、この男は。




