堪忍袋の尾は切れる為にある
そもトロワは、名誉や儲けにつられて六道大迷宮に訪れた探索者ではない。彼の本業は、世界最大の軍事国家である花の帝国。その魔術部隊所属の軍人だ。
花の帝国は、胴体大陸の上半分……ちょうど、無法都市から上全てを支配する大国である。
他国を次々戦で打ち破り、併吞し、ここ数十年であっという間に自国の面積を広げていった。まるで花が、野原一面に美しく咲き乱れるように。
牙の国とそれほど関わりは無かったが、異常なまでの侵攻スピードだったので、当時のさざれ達は警戒し、かの帝国の動きを注視していた。幸い、こちらまで侵攻してくることはなかったが。
そしてその花の帝国だが、現在はいくつかの国と小競り合いを続けつつ、この迷宮大陸の掌握、ひいては六道大迷宮の独占を目論んでいるらしい。
この迷宮都市には、統治者がいない。各区の自治を取り仕切っている者はいるが、都市全土を統括する主はいないのだ。そして、どの国も所有権を持っていない大迷宮で発見されるのは、地上ではお目にかかることのない稀少なものばかり。
これを、野心の強い帝国が狙わないはずがない。
だが、この地に支配者はいなくても、都市を回しているのは探索者達だ。迷宮内の知識も豊富、採れた素材の加工もお手の物。大迷宮を独占するにあたり、それらは喉から手が出るほど欲しいもの。
しかし権力でねじ伏せようとしても、この地に帝国の威光は届かない。ならば純粋な力でと思っても、日々大迷宮に潜っているだけあり、ピンキリあれど実力は折り紙付き。
ゆえに探索者達を丸ごと敵に回すことは、さしもの帝国も躊躇したのだ。
板を片付け終わり、二人リビングに戻る。
すっかり髪や服が湿ってしまったが、それはトロワが魔法で熱風を出して乾かしてくれた。おかげで身体も温まった。
「しかし、魔法とは良いものよな。おかげで風邪を引かずに済みそうだ」
リビングには、ヴィリスの置いて行った空の器とスプーンがあった。気配は上にあるので、自室に戻ったらしい。それらを片付けながら、ソファに座ったトロワに話かける。
「やつがれの身体を乾かしたのは、火の魔法か?」
「あれはな、風と火の魔法を二重発動させたんだ! 本当だったら火炎の竜巻で敵を焼き尽くす魔法なんだけどさ、それだとさざれが死んじまうだろ? だから、熱風程度に抑えた!」
「ほう。お主は本当に魔法に関して玄人よなあ」
大量殺戮が簡単に行える魔法を制御し、個人の髪と服を乾かす程度に留めるとは、大したものだ。
手放しの賞賛に、トロワは照れ臭そうに頭をかく。
こうしていれば本当に、ただの普通の懐っこい良い子なのだが。
「えっへっへ。オレ、便利だろー! 他になにかやることあったら、なんでも手伝うぜ!」
「……そうさなあ、今は特に無いよ。なにかお主の手を借りる必要があったら、その時に手伝ってもらうとしよう」
「おう! なんでも言ってくれよな!」
これで自分を道具だと認識し、役に立つことを至上の喜びとしていなければ、もっといいのだが。
さざれは内心ため息を吐く。
彼らは国や主を絶対の存在、ゆえにその命令に間違いは無い。そう心の底から刷り込まれているから、死ねと言われれば喜んで自害するし、国に殉じるべく死を恐れず捨て身で戦い続ける。大層面倒臭い。
現役時代もこのタイプは何度か見た。どいつもこいつも、ロクでもない末路を辿っていた。有体に言ってしまえば、自己が無いので嫌いだ。
「ほれ、お主の分よ」
暖かい茶を入れて、丸テーブルに置く。一つはソファに座るトロワの前に。もう一つは自分の手前に。
ソファはトロワが座っているので、さざれは長テーブルの方から椅子を持ってきて腰かけた。三人掛けのソファに余裕はあるが、隣に座るのも距離を詰めすぎな気がしたので。まださざれ自身、少々距離を測りかねているところがあった。
トロワは自分の前に置かれた湯気立つカップを、不思議そうな顔で見下ろした。どうして自分の前に、こんなものがあるんだろう。そんな顔だ。カップから視線を外し、「あのな!」と笑顔で声を上げる。
「今回はさ、二区の方を調査してきたんだ! 建物とかー、住んでる人数とか! あそこって、ここに来たばっかの探索者達がいっぱい住んでるだろ? だからさ、人数多くて数えんの時間かかっちまった!」
「そうか、そうか。地味な作業で大変だったなあ」
「おう! でも地味な作業の積み重ねでも、帝国がここを掌握する為の役に立ってるからさ! 大変でも頑張れるってもんだぜ!」
「……なんでもペラペラと喋るのは、どうかと思うがなあ」
ゆるりと足を組んでカップに口を付けつつ、さざれはぽそりと口にする。聞こえなかったのか、「なんだ?」と聞き返されたのでなんでもないよ、と返しておいた。
花の帝国は現在、表立って軍を派遣して迷宮都市に侵略する動きを見せていない。だが裏で軍人達を潜り込ませ、あらゆる情報を収集している。建物の配置、人口、迷宮内の構造、食料供給の方法、何もかも全てを。
そのうちの一人が、このさざれの眼前で重要情報をペラペラ喋っている、トロワだ。
帝国が迷宮都市を狙っているだの、情報収集の為に軍人を潜り込ませているだのという話は、さざれがわざわざ調べて知ったわけではない。一週間ほど前、二人で雑談をしていた際にトロワがペロリと口に出したものだ。
それは重要機密であって、他言無用ではないのかと問いただせば、「でも、さざれに『お主はどうしてここにやって来たのだ』って言われたしなあ……」ときた。思わず胸倉掴んで揺さぶりながら、潜入の心得を徹底的に叩き込むところだった。
どうもトロワは、嘘が苦手……いや、他人に対して嘘を吐けないように、徹底教育されているらしい。
「しかしトロワよ。やつがれは帝国の兵士では無いのだ。わざわざやつがれにも、お主が集めた情報を教えなくても良いのだぞ」
嘘は吐けずとも、黙っていることはできるはずだ。なのに毎日こうして、さざれに自分がどんな情報を集めたのかを報告する。
トロワはソファで足をぱたつかせながら、元気よく答えた。
「えーっとな、上の人が『もしも仲間に引き込みたい人がいたら、そいつにも情報を話すんですよー。特に、知っただけで機密漏洩罪になりそうなのを話して、逃げられないようにしてくださいねー』って!」
「……」
さざれは頭を抱えた。
いくら嘘を吐けないように徹底教育したと言っても、限度があるだろうこれは。
トロワ元々の性格なのか、教育官が阿呆だったのか。……前者な気がする。普通に話している分には、トロワは素直で元気な少年なので。
「どうしたんだ、さざれ。変な顔してるぞ?」
「元々よ……」
脱力したまま、ひらひらと手を振った時。玄関が開く音がした。
玄関の武器置き場に己の武器を置く音。どすどす荒い足音。ボニファースか。
「おう、さざれ! あの玄関の邪魔な板の山、片付けたのか……、っ」
リビングの扉を開けたボニファースが、さざれに快活に笑いかけ――その笑顔が強張った。オレンジがかった赤い三白眼が、わずかに尖る。
さざれは組んでいた足を戻した。
「お? ボニファース! なんだあ、お前迷宮行ってたのか?」
「………………あー、おう」
三白眼の先にいるのは、トロワだ。
さざれに向けていたのと同じく、懐っこい笑顔を浮かべてボニファースに話しかけている。一方のボニファースは露骨に目元を歪め、トロワを見ている。いや、あれは見ているというより、睨んでいる。
「おかえり、ボニファース。今日は深く潜ると言っておったが、早かったのだな」
「あ、ああ……本当はもう少し、遅くなるはずだったんだけどな。ちょっと、壁が崩れてるとこがあって、進めなくってよお」
「そうなのかあ、大変だな。怪我とかしなかったか、大丈夫か?」
「ねえよ」
無愛想に切って捨てるボニファースだが、トロワは食い下がる。
「今日はどこの迷宮行ってたんだ? 壁が崩れてたってことは忘窮か? 無明路か?」
「言う義理はねえ」
「なんだよー、そんな寂しいこと言うなよ」
ボニファースは、苛々とした様子でトロワと相対している。その巨体から発せられる気配が、段々と剣呑なものに変わっていく。ピリ、と殺気が肌を刺した。
ここまでか。
さざれはカップをわざと音立てて置いた。カンッと硬質な音が響いて、二つの顔がこちらに向けられる。
「そうそう。実はな、二人共。おやつにゼリーを作ったのだ。今持ってくるからボニファース、手伝ってはくれんか?」
「あっ、手伝いならオレ――」
「お主には先ほど板を運ぶのを手伝ってもらったからなあ、ねぎらいたいのだ。そこで待っていてくれんか?」
にこり、と笑いかけると、トロワは少しだけしゅんとした様子だったが、大人しくうなずく。
台所に向かうと、ボニファースが大きな足音と共に付いてきた。でかい図体が棚やシンクにぶつからないように身体を縮めて、気まずそうな表情を浮かべている。
「ま、お主にはちと小さいかもしれんがな。ついでに温かい茶でも飲むか? 身体が温まるぞ」
「や、茶はいらねえよ。……えーっと、そのー……なんだ、おう」
ガリガリ、と乱暴に髪をかき回したボニファースの表情が、ふと和らいだ。強張っていた肩から力が抜け、身体を取り巻いていた剣呑な気配が少し薄れる。
「あの、なんだ。正直その、声かけてくれて、あー、助かった……」
「あのままでは爆発しそうだったからなあ、お主」
無駄にでかい身体を見上げて、さざれも表情を緩めてみせた。
ボニファースはどうも、トロワに対して敵意や憎悪にも似た感情を抱いているらしい。相対すると快活な表情が曇り、明らかに苛々とした態度を見せ語気も荒くなる。
いつからそうなのか、さざれも知らない。気づいた時には、そんな剣呑な態度だった。そしてそれを、トロワが理解していないのがまた、タチが悪い。
「お主はいつもトロワにああだが、喧嘩でもしたのか?」
「あ、やー……喧嘩、……あー、じゃねえんだが、その、あー……ええっとだな」
褐色の肌に冷や汗が伝う。もごもごと口を動かし、視線を左右に彷徨わせる様は、どう言い訳しようか迷っている顔だ。
なにやら面倒な因縁がありそうだと察して、さざれは先手を打った。
ぽくっ、と拳を手のひらに打ち付けてみせる。
「ははあ、さてはトロワに絡まれるのが面倒なのだな。確かにあれは、一度気になることがあるとしつこいものなあ。分かる、分かるぞお主の気持ち」
腕を組んで、したり顔でうなずく。明らかに、ボニファースはほっとした顔をした。
「そ、そう! そうなんだよ! いや、さざれは分かってんなあ!!」
やや引きつった笑みを浮かべて、さざれの背をばんばんと叩く。強い力に息が詰まり、身体がよろけた。
「あっ、で、なんだっけか。ゼリーだっけ!? 俺が運べばいいんだよな! いやーなんかあれだな、美味そうだなー!」
この話題をもう突っ込んでほしくない、という様子で、わざとらしく明るい声を上げ、いそいそとボニファースは冷蔵箱を開けた。
すぐ手前に置かれた、オレンジ色のゼリーに手を伸ばそうとしたので、さざれはそれを止める。
「待て。それは囮よ」
「は?」
ボニファースの肩越しに手を伸ばす。大きなブラッディキャベジ――切ると血のような色の液を出すキャベツだ――の後ろに置いた、本命のゼリーを取り出す。
透明なゼリーの中に、サイコロ状にカットした色とりどりのフルーツが沈んでいる。ワイングラスを取り出すと、ゼリーの表面がふるりと震えた。
「ほれ、お主のはこちらだ」
「お、おう……」
戸惑った顔で、ボニファースは冷蔵箱内に並ぶグラスと、自分に差し出されたグラスとを見比べる。
さざれは、唇の片端を歪めた。
「いくら言っても、つまみ食いをやめん鼠がいるからなあ。あれはハラナリ蜜で作ったのだ」
「あ、あー……」
頭の中に、「鼠」の姿が浮かんだのか。ボニファースは納得したような表情を浮かべ――すぐにぎょっと目を剥いた。
「はあっ!? ハラナリ蜜!?」
「うむ。これら全て食えば、すぐにでも便所と友達よ」
にたあ、とさざれは笑みを浮かべる。
ハラナリ蜜は、甘いが食べれば腹を壊す。いわば天然の下剤だ。それをたっぷり使ったゼリー。どこぞのつまみ食い大王には、さぞ効くことだろう。
「おっまえ……えげつねえことするなあ!」
信じらんねえ! と叫ぶボニファース。
「もしそれで死んじまったらどうすんだよ! それに、ほら、ヴィリスとかが食っちまったら大変だろうが!」
「おや。優しいなあ、お主は。なになに案ずるな、薄めておるから全て食っても死にはせん。せいぜい、三時間は便所にこもるだけよ。それに、ヴィリスにはよくよく言い聞かせておるから、問題は無いわ。あの子は聡いからなあ」
非難めいた声と視線に、ちょいと肩をすくめて返す。
ボニファースは、またガリガリと頭をかいた。納得したような、していないような、曖昧な声を上げる。
「そ、そうか。……なら良いんだけどよ」
「ああ、それから。トロワと顔を合わせたくないなら、そちらの扉から出てゆくと良いぞ」
台所は扉が二つある。リビングに直接出る扉と、廊下に出る扉の二つ。さざれが指さしたのは、廊下の方だ。
そちらの扉に一瞬視線を向けて、
「…………おう、そうさせてもらうわ」
と、ボニファースはしかめ面で首を縦に振った。
ゼリーとスプーン、それから新しく入れた茶を盆に乗せて、リビングに戻る。
所在なさげに座っていたトロワが、扉の開く音を聞きつけて顔をぱっと輝かせた。
「さざれ、なんかあったのか? 遅かったな! あっ、もしかして台所のもの壊れたのか? 片付けるの手伝うか?」
「ん? いやいや、スプーンを冷蔵箱の後ろに落としただけよ」
テーブルに盆を置き、ちらとトロワの前に置かれたカップに目をやる。湯気の散った中身は減っていない。
「あれっ、ボニファースは?」
「ああ、向こうから部屋に戻ったよ。ちと疲れているようだったから、お主もあまり構うでないぞ」
「そっかあ。あ、じゃあ後でなんか、元気が出る奴差し入れしてやった方がいいよなっ!」
人の話を聞いているようで聞いていないトロワを、さざれは静かにたしなめた。
「構ってやるな、と言ったろう。休みたいのだからそっとしておけ。……ほれトロワ、お主の分よ」
トロワの前に、持ってきた盆を置く。
「あっ、大丈夫! オレ、これいらねえから!」
まるで「うまそう!」とはしゃぐかのようなテンションで、トロワは首を横に振った。
「……ほう」
胸の奥に、べとりと嫌な感覚がへばりつく。
思えばこの子どもが、ものを食べている姿は一度も見たことが無い。外に出ることが多いから、外食で済ませているのかと思っていた、が。
「なぜいらんのだ? 甘いものは嫌いか?」
さざれの内心など知らないトロワは、無邪気に笑う。
「そういうのって、栄養にならねえんだろ? だからオレ、食ったことないんだ! さざれもさ、あんまり食べない方がいいぞ? 栄養にならないの食べたって、無駄なだけだしさー」
こげ茶色の瞳が、純粋な善意できらきらと光る。
予想していた答えに、さざれはこみ上げる怒りにも似た激情をどうにか飲み下した。トロワにではない、食事を不要だと切り捨てさせた阿呆にだ。
「では、お主は普段なにを食べているのだ?」
さざれの顔がいつも通りの微笑みを浮かべ、純粋に疑問に思っているような声音が口から出る。表と裏腹に、心は嵐のごとく荒れ狂っているが。
「あ、これ! これな、すげえんだ! 帝国の偉い研究者の人達が作ったんだ。これだけで、一食分の食事になるんだって! それにこれ飲むと、腹いっぱいな感覚がずーっと続くんだ! あ、あと水! 水は飲んでる!」
頬を興奮で赤くし、ローブのポケットからトロワが出したのは、小さな薬包だった。半透明の包みの中に、白っぽい粉が固まっているのが見える。
「これ、さざれにもやるよ! オレはいっぱい持ってるからさ。あ、もしまた欲しかったら、言ってくれよ! な!」
ぴょんっ、と飛び跳ねるように立ち上がり、薬包をさざれの手に押し付ける。厚い手のひらの皮越しでも、乾いた虫の羽のような、かさりと乾いた感触が伝わった。
手の中のそれに視線をやらぬまま、さざれは少し上にあるトロワの顔を見上げた。
「一つ、聞きたいのだが」
「うん?」
「帝国の他の軍人達も、皆々これを?」
「ううん! 飲んでるのは多分オレだけ。これ帝国から支給されるから、お金かからなくていいのにな。なんでみんな、食堂行って他のもの食うんだろ?」
きょとりと首をかしげた後、はっと目を見開く。
「あっ、オレ部屋で報告書仕上げねえと! じゃあな、さざれ!」
慌ただしく、トロワがリビングを出ていく。階段をリズミカルに上がる音がして、扉が閉まる音が響いた。
「…………」
音の余韻が消え、雨音が静かに響く中。
「なあにが、これで一日分の食事よ。阿呆が」
冷え切った声音が、己の喉から漏れた。手の中の薬包を握り込むと、包みから漏れた白い粉が手のひらを擽る。
「他のものを食う理由など、決まっていように。物足りないからよ」
普通の食事に慣れている者が、こんな薬包一つで満足するわけないだろう。いくら満腹の感覚があるとしても、虚しいだけだ。
あの馬鹿者は、それも分からないのか。……分からないのだろう。それを疑問に思う思考すら、帝国への忠誠にすり替えられているのだから。
薬包をゴミ箱に叩き込んで手をついた粉を払い、さざれは銀の瞳を刃のように尖らせた。
「いやはや、本当に……やつがれが甘かったなあ」
トロワ始めとし、この家の連中は本当にどいつもこいつも。
「その場限りの言いくるめでは駄目ということが、よおーく分かったわ」
さざれは、深い怒りで練り上げられた声を上げた。
「性根の底から変えてくれるわ、戯け者共が」




