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気まぐれ六重奏〜さざれの食卓更生記〜  作者: 所 花紅
偏食家とつまみ食いとカラッポゼリー

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つまみ食いの制裁は徹底的に

 フェル=マタ。二十二歳。

 見た目だけなら非常に美しい青年である。――見た目だけなら。

 名のある彫刻家が、生命の最後の一滴まで振り絞って彫ったような整った顔。半目になった珊瑚色の瞳は、一流の職人が研磨した宝石のごとき(きらめ)き。目元にうっすらと浮いた黒いクマすら、彼の美しさをより引き立てるアクセサリーでしかない。若木のように細い手足の先に付いた爪は、真珠貝を薄く削ったよう。

 荒らされていない新雪を固めたような純白のセミロングを結わず、床に散らばせているのは一見すればだらしない。床にはいくつもの小箱や紙くずが転がっているから、なおさらだ。

 しかしこいつがやるとゴミの中に流れる髪すら、計算された美しさのように見えるから、不思議である。


 ヴィリスも、常人より優れた容姿ではあるが。あちらが躍動する愛らしさだとすれば、こちらは静謐の美だ。

 暗闇の中。ふと明かりを向けるとそこにただ、ぼう……と佇んでいる。驚いて視線を外し、また戻した時には、ふつと消えている――そんな幽美的雰囲気をまとわせた、病的までに白く美しい男。しかし口にしているのはキュウリである。

 気を取り直し、さざれは仁王立ちでフェルを睨み下ろした。睨まれたフェルはといえば、面倒そうに視線だけを向けてくる。


「なんだ、まだなにかあるのか?」


 長いまつ毛がふさりと揺れて、瞳に影を作る。憂いを帯びた表情。誰もが、その顔にかかる影を払いたいと思うだろう。

 しかしさざれにとって、これはただの小童(こわっぱ)である。美貌に心ときめかせる初心(うぶ)さなど、とうの昔に捨てている。


「あるともよ。ゼリーは一人一つ。そう書いておいたはずよなあ、やつがれは」


 ああ、とフェルは悪びれずに頷く。


「私も最初は、二つで済ますつもりだったぞ。起きてすぐ甘いものを多く食べると、胃がもたれるし」

「ほう……」


 底冷えするような低い声が、さざれの唇から漏れた。


「当初は、二つ食うつもりであったと? 一つではなく?」

「当たり前だ。いくら多く食べたくないって言っても、あれっぽち一つじゃ足りん。でもなあ、気づいたら六つも食ってたんだ。あれだ、お前凄いな。料理の才能あるぞ」


 だらりと寝そべったまま、フェルは気の無い拍手をぱちぱちと繰り返す。手を動かす度に、身体にかかった毛布がずるずるとクッションの脇を流れ、床に塊を作っていく。下から輝かんばかりの裸身が顔を見せた。……全裸である。この阿呆、キュウリを全裸でぼりぼりと食べている。


「美味かったから、また作れ」


 脳天から床に叩きつけてやろうか、こやつ。

 乙女が頬を赤らめて目を反らし、しかし抗えずまた視線を向けてしまう――そんな蠱惑性を帯びた一糸まとわぬ姿のフェルを、さざれはじっとりとねめつけた。

 世界中の芸術家が放っておかないような、美に愛された青年。しかしてその実態は、ただの我儘つまみ食い大王である。

 昼から寝て夜中に起きる。一日中寝倒して朝方に起きる。そんな狂った生活リズムのせいで、きちんとした食事を取るのが面倒らしい。起きるとすぐ台所にやってきて、自分の食べたいものをひょいひょいとつまんでいくのである。

 ただつまむのなら、まあ良い。……食生活的には全く良くないが、今だけは良いことにする。

 台所は基本的に共用。さざれ専用というわけではない。冷蔵箱や冷凍箱、地下貯蔵庫には、さざれが買った以外も保存されている。ちなみにパンや野菜、肉など共通のものは折半。個人で買ったものには名前を書いておくのが、暗黙のルールだ。


 しかしこの顔だけは無駄に良い小童は、この家にある食べ物は全て自分のものと思っている節がある。その為、まあつまみ食いが止まらない止まらない。

 今日のように野菜や菓子を失敬することはしょっちゅう。

 時にはギグが買っていた塩豆の袋を開けて中身をぽりぽりとやり、「美味くないな、この豆」と一言残して残りをテーブル上に放置。

 時にはボニファースのピクルスの瓶に直接フォークを突っ込み、全て食べた後に空っぽの瓶を冷蔵箱に入れっぱなし。

 四日前だったか。夕飯に使おうと思っていた、ハムの塊の中心。その一番分厚い部分が一口分齧られているのを見つけた時、さざれは衝動的に肉切り包丁を手に、フェルの部屋に飛び込もうとした。そしてギグに止められた。


「あ、そうだ。卵無くなったぞ」

「やっぱり卵を最後に食ったのはお主か!」


 そういえば、と告げられた言葉に、さざれは怒鳴り声を上げる。

 もしやもしやと思っていたが、やはりこいつだったか。


「最後に使った者はメモに残すか買いに行けと、あれほどしっかり書いておいたろうが!! 文字が読めんのかお主は!!」

「失敬な。文字くらい読める。だがな、さざれ。私は寝起きだったんだ」


 ほう、とさざれは腕を組む。クッションの上でだらしなく寝そべる全裸の阿呆に、冷たい視線を突き刺した。


「だから? 寝起きで気怠い身体では、メモを残すことも買いに行くのも面倒であったと?」

「分かってるじゃないか、その通りだ」


 麗しい顔に、感嘆の色が浮かんだ。


「お主一人で暮らしているわけではないのだぞ、この家は。楽しみにしていた好物をお主に勝手に食われて、泣く者とていようよ。少しは他人に寄り添うことを覚えてみてはどうだ」


 幾度か目のため息を吐きつつ、そう諭す。しかしフェルは、顔にかかった髪をかき上げるだけだった。


「なんで私が、そんな面倒なことをしないといけないんだ」


 ならなぜルームシェアを選んだのだお主は。

 当然の疑問が脳裏をよぎるが、口には出さない。

 口を噤んださざれを見て、話は終わったと解釈したのかフェルは大きな欠伸をした。


「話が終わったら、とっとと出ていってくれ。私は眠いから、もう一眠りする。……それとも、私と添い寝してくれるのか?」


 だったら大歓迎だ、と両手がこちらに向かって伸ばされる。熟れた果実のように赤い唇がゆるりと弧を描いて、匂い立つような色気が漏れた。

 女なら……下手をすれば男も赤面するようなそれを、さざれは鼻先で笑い飛ばした。


「フェル=マタよ」


 そうして、声を一段と低くする。さざれの耳に、階段を駆け上がってくる乱暴な足音が届く。


「やつがれの国にはな、因果応報という言葉があるのだ」


 そのまま、さざれは扉の横に一歩ずれる。

 同時に青い塊が、室内に向かって突っ込んだ。


「ヴィーのゼリー食べたなああああああああああっ!!」

「うわっ、なんだ!?」

「ヴィーのゼリイイイイイィィィィィ!!」


 ぎょっと驚くフェルに逃げる暇を与えず、小さい手足を振り回してヴィリスが飛びかかる。涙混じりの怒号諸共に全力タックルを決め、フェルをクッションから叩き落とした。


「がるるるるるるるるるるるるるるるるる!!」

「いっだだだだだ!? やめっ、こら! 人の頭を齧るなっ、痛いやめろ!!」

「うーるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる!!」

「いだだだだだだだ!! 耳を引っ張るな、耳を! 千切れる千切れる千切れる! おい、おいっ、さざれ! お前こいつの世話役だろやめさせろ!!」

「――やつがれはな、常々思うのだよ」


 フェルの首に後ろから両足を絡めて文字通り頭に齧りつき、両耳を引っ張りあげるヴィリス。それに翻弄され、床でのたうち回りながら悲鳴を上げるフェル。クッションを吹き飛ばし、絨毯を乱し、小物を蹴とばし、埃を立てながら暴れる二人。

 腕を組んで扉に寄りかかり、それを観戦しながらさざれは静かに。それはそれは静かに厳かに、呟いた。


「言葉で言っても聞かん悪たれ坊主には、時に拳骨も必要だと」

「はあっ!? なに言っ、だだだだだだだだ!! やめろやめろ頭をごりごりするな痛い!!」

「ヴィーのゼリー返してええええええええええええええ!!」

「おぶっ!」


 ヴィリスが仰向けになったフェルに馬乗りになった。両肘を足で押さえて抵抗を封じ、近くにあった枕を引っ掴んでフェルの顔をばふばふと叩く。

 ほう、とさざれは内心感嘆した。


「ヴィリスは案外動けるのだなあ」


 身体の動きが、ただの愛らしい六歳の子どものものではない。

 喧嘩慣れ、荒事慣れとでも言おうか。とにかく無駄の無い動きだ。マウントポジションを取って相手の両肘を封じるのも上手い。これでヴィリスが武器を持っていたら、今頃さざれは死体処理に頭を悩ませていたところだ。

 六歳の幼い身でたった一人、迷宮都市にやって来ただけはあるということか。

 そして意外といえば、フェルだ。


「痛いと言っているだろうが、やめろ!! 仕方ないだろうあのゼリーがぷるぷるコリコリシャキシャキで美味いのが悪……あー痛い痛い!! 頭を噛むな、かーむーなー!!」


 余計な一言を言ったせいで、またヴィリスに頭を齧られている。

 不摂生な生活が、そのまま身体能力に直結しているのだろう。舞うように戦いそうな外見をしている癖に、動きが大層無様だ。引っくり返って起き上がれない虫のようなそれに、思わずさざれの口の端に笑みが浮かぶ。


「しかし、ふむ。手は上げんのよなあ」


 自分に張り付く小さな身体を引き剥がそうとしているが、あくまで「引き剥がそうとする」だけだ。拳を作って殴ることも、足を振り上げて蹴り飛ばすこともない。


「よいよい。幼子に手を上げる外道ではないなら、何よりよ」


 平気で子どもを殴る奴と一つ屋根の下で暮らすのは、流石に御免被りたい。

 フェルの評価をほんの少しだけ上方修正し、さざれはそろそろ良かろうとヴィリスに声をかけた。


「ヴィリス、そろそろやめい。ほれ、おいで」


 穏やかな声音を作って呼びかける。フェルの髪をぶちぶち毟り取っていたヴィリスの手が、ぴたりと止まった。

 長い髪が顔を隠しているので表情は伺えないが、レモン色のパジャマを着た肩が大きく上下している。


「ヴィリス」

「……」


 まろやかな声で再度呼ぶ。ヴィリスは動かない。全力疾走したかのような、フェルの荒い呼吸音だけが響く。

 根気強く待っていると、ようやくヴィリスが動いた。のろのろと、顔をこちらに向ける。


「…………う」


 愛らしい顔が、ぐしゃぐしゃに歪んでいた。大きな赤紫色の瞳から次から次へと涙があふれ、口元には皺が寄っている。


「うえええええぇぇぇぇぇ……!」


 床に片膝をついて両手を広げると、ヴィリスが駆け寄ってきた。さざれの胸元に飛び込み、肩口に顔が押し付ける。たちまち服が濡れた。


「ゼ、リーッ、ヴィの、ヴィーっ、のゼリー、食べ、たのおおぉぉぉ……!」

「うんうん、そうさな。食べたかったよなあ、ヴィリスもなあ。楽しみにしていたものなあ」

「食べ、た、たっ、べたああああああぁぁぁぁぁぁ……!!」


 雨音に負けないくらい、わあわあと大声で泣き叫ぶヴィリスの背を軽く叩く。興奮しているのか身体が熱い。


「よしよし。ではやつがれが、もっと美味しいデザートを作ってやろうな。冷凍箱に確かアイスがあったから、あれをまあるくしたのを、グラスにたんと入れてパフェを作ろうな」


 ぐずっ、ひぐっ、と嗚咽が少し小さくなる。背をとんとん叩きながら、それからなあ、とさざれは楽しげに言葉を紡ぐ。


「フルーツを色々な形に切ってアイスの間に入れれば、見た目も可愛らしくなるなあ。あとはなにが良いかな。やつがれはあまり、可愛らしい飾りつけが分からんでな。ヴィリスが手伝ってくれるとありがたいのだがなあ」

「……ぜりーは……?」


 鼻をぐずぐず啜りながら、ヴィリスが涙声を出す。


「もちろん作るぞ。ただなあ、今からゼリーを作っても固まるまで時間がかかるのよ。おやつの時間には出来上がるだろうから、その時に食べような。とびきりキラキラしたのを作ってやろうなあ」

「…………」


 ずびっ、と最後に大きく鼻を啜って。


「食べる……」


 と、ヴィリスはか細い声を上げた。

 さざれは微笑んで、ヴィリスをそのまま抱き上げる。多分、今は離れてくれないだろう。その証拠に、首に回った手がほどける様子は無い。

 まずは洗面所に行って目を冷やしてやらねば、と思っていると、恨みがましい視線。見ればボロボロのフェルが絨毯の上で胡坐をかき、半目でじとっとこちらを見ている。


「おいさざれ」

「なんだ、我儘大王」


 ぶすっとした顔で、フェルがついと指を上げた。ヴィリスを指さす。


「なんかお前、私とそいつで対応が違くないか」

「当たり前よ。お主は加害者、こちらは被害者。対応が違くて当たり前であろうが」

「私は今、そいつにボコボコにされたんだが。被害者じゃないのか。もっと優しくしろ。慰めろ」


 は、と鼻でその言葉を笑う。


「それは正当な報復というものよ。被害者とは片腹痛いわ」


 不満そうな表情を浮かべるフェル。絨毯の毛羽だった部分をぶちぶち(むし)りながら、子どものように下唇を突き出して拗ねてみせる。それでも美しさが崩れないのは、いっそ見事だ。


「……ところでそのゼリー、私の分もあるんだろうな」

「あるがお主のは小さく作るからな。猪口でちんまり」

「なぜだ」

「己の胸に手を当てて考えてみよ」

「さっき正当な報復とやらを食らったんだ、もう罰は受けたろう?」


 さざれの言葉を借りて胸を張るフェルに、さざれはにっこりと満面の笑みで告げた。


「これは卵の罰よ」

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